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ミスキャスト (後編) Episode4 |
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Chapter2 |
「……言えるわけないだろう?」
「姉さんだなんて、そんなこと……」
「言えるわけ……ない…だろう……?」
◇ ◇ ◇
「ただいまー!」
例え留守なのがわかっていても、いつだってあたしはこうやって “ただいま” を言う。
小さい頃からの癖なのだ。
仕事帰りのお父さんを真似ているうちに、いつのまにかあたしの方にまで染み付いてたってワケ。
だけど、今晩に限っては少しばかり勝手が違う。
何かにつけて普段より大げさなのは、ちょっとワケアリな今夜のお客様へのあたしなりの気配りだったりする。
「あ、えっと、お、お邪魔します……」
ま、この人もこの人でまたずいぶん大げさとは思うんだけどね。
見た目じゃそれこそ玄関のスペースがまるごと埋まっちゃうくらい大柄な人なのに、
その仕草の方は見るからにそわそわしていて落ち着きがなく、まるで何かの小動物みたい。
何てゆうのかな、ほら。
ちょっとハムスターっぽいかも、みたいな?
「ぷっ…!」
思わず吹き出しそうになって、慌てて口を押さえる。
超大型のハムスター。
体長185センチの、おっきなおっきなハムスター。
でも中身の方は相変わらずで、後ろから急にしがみ付いたりしたらビックリして逃げちゃいそうな、
それなのに普段は平気でお腹とか見せて居眠りなんてしてるような、そんなナイーブでマイペースなハムスター。
エサにはそうだなー、歯が悪くならないようにってヤシの実でもまるかじりさせて…………って何だコレ!?
や、ヤバっ!
い、イメージがまた勝手にっ、加速して……っ!
「ど、どうした山名? な、なんか変じゃないかお前?」
「だ、だいじょぶ、でっ。 ど、どぞ、あがってくだっ、ぶふっ」
両手で口を押さえつつ息も絶え絶えにリビングの方へお通しすると、
とりあえずは飲み物の注文だけ聞いてキッチンの奥まで逃げ込むことに。
あ、危なかった……。
あとちょっとでもストーリーが進んでたらもう完全に終わってたハズ。
とかなんとか思いながらも、お鍋やらカップやらをひとつずつ用意して紅茶の手順を踏んでいく。
『あったかい紅茶とか、もらえれば』
それは、ちょっぴりワケアリなお客様の、ちょっとだけ意外なご注文。
和茶の類は取扱っていないという、あたしんちのメニューならではのオーダーだった。
ま、あたしとしても先輩の好みはよく知るところだから、単純にカップのなかティーバッグを浸していくだけ。
そんなこんなで少し濃い目に淹れたストレートのダージリンを、
砂糖もミルクもなしで微妙に年寄り臭くすするのがいつものスタイルなのだ。
その一方で、氷と一緒にグラスの方へ注いでいくのは毎度お馴染みのアイスミルク・アールグレイ。
これがうちの定番メニューってことはもちろん、甘味としてメイプルを使うってとこまであの人はちゃんと知っている。
ところがどっこい。
お姉さまやユーみたくすっかり常連だったそのお客様が、今夜に限って急にハムちゃん化しちゃってるんだもん。
だって見てよ、あんな背筋伸ばしてちょこんと椅子に座っちゃってさー。
表情からして妙にコチコチしてるし、いまだってほらキョロキョロしてるし。
「くふっ…! くふふ…っ!」
……ヤバ。
見ているうちにまた笑いが込み上げてきた。
カップを持つ手がヤバイくらい震える。
「お、オイ山名。 やっぱりなんか変じゃないかお前?」
「だ、だって、くふっ、せんぱいが、くふふふ……っ!」
「お、俺? 俺のどこが、……ってなんか変か? 俺?」
「……ぶふっ!」
とっさに身の回りを探りはじめる翔先輩。
あたしはとうとう吹き出してしまった。
「あはっあはっ、あはははははははは♪」
「な、なんだなんだ!? なんだお前っ!?」
「翔先輩がっ、翔先輩がハムスタぁあぁあぁーっはははははっ♪」
「ハムっ…!? …ってなんだそれっ!? じゃなくって救急車! 誰か救急車ぁあぁーっ!」
……と、いうワケで。
本日もまたまたやって参りました、毎度お馴染みの大爆笑凸凹漫才タイムー!
“ふたりっきりの夜”
なーんていうよりはよっぽどラシくてイケてると思うんだけど、そこんとこ実際どうなのかなー、えへへ?
ほらほら、いつまでもそんなところでコチコチしてないでさ、こっちへ来てもっと一緒に盛り上がっちゃおうよ。
なんてったってほら、あたしたち2人は脇役同士で仲間同士。
なかなかスポットライトの当たらないもどかしさとか、切なさとか、そういう気持ち、
わざわざ口に出さなくたってきっと感じ合えてるハズ。
だから今夜は。
今夜だけは。
ね、翔先輩……?
◇ ◇ ◇
『今夜はちょっと、帰りたくないんだ』
……っていうのは何も直接聞いた訳じゃなくて、あたしの勝手な解釈だったりするんだけど。
でもまぁ、夜も11時になってまだ改札をくぐらないってことは、多分やっぱりそういうことなのかなって。
ぶっちゃけた話、あの街なら別に寝床なしで夜ふかしするくらい何でもない。
ファミレスやカラオケにゲーセンから漫喫までと西口周辺には何から何までそろってる訳だし、
思いっきり遊ぶにしろ単純に時間を潰すだけにしろこれといった不自由はなさそうな気がする。
だけどね?
そういうのはちょっと、似合わないなって思ったんだ。
4月ももう半ばだけど、夜ともなればまだシャツ1枚にジージャンだけじゃちょっとツライし、
そんな肌寒い夜の繁華街で、しかもたったひとりでカラオケだのゲーセンだの行ってみたところでさぁ?
かなりイケてないよ、ソレ。
ていうか、全然そんなガラじゃないし。
だから。
だからあたしは、しきりに改札をくぐるよう促してくる先輩に向かって、逆にこう誘いかけてみたんだ。
『それなら、うちへ来ませんか?』
『……は?』
思わずきょとんとする翔先輩。
その間にもう2つ3つ言葉を継ぎ足しておく。
『先輩、今夜はもう帰らないんですよね』
『それでしたら、今からでもうちに遊びに来ませんか?』
『どうせ明日まで誰もいませんし、あったかい飲み物でも一緒にどうですか?』
やっぱり翔先輩、頭の中ではかなりこんがらがってたんだと思う。
ひとつひとつの反応がワンテンポ遅れになっていたし、時々困ったような顔で頭なんか掻いちゃったりして。
それもそうだよね。
だってあたし、ついさっきまで何て言ってた?
『誘われたら誰でも付いて行くんですかっ!?』 って、こんなこと言ってたんだよ?
それなのにまたこうやって自分から誘っちゃったりしてさ、もうワケわかんないよね。
でも。
それでも先輩は、先輩なりにあたしの気持ちを汲んでくれていたんだと思う。
だからああやって、わざわざ目線の高さを合わせるようにして、一生懸命なくらい笑顔を見せてくれたんだと思う。
『山名。 俺のことなら、別に大丈夫だから』
そんなの嘘。
全然そんな風には見えないよ。
『今日はもう遅いし、そういうのはまた今度にしよう。 な?』
それも嘘。
ここで別れたら、もう 『今度』 なんてない。
『親御さん留守にしてるんなら、なおさらだって。 だから今日は……』
いま大事なのは、何もあたしのことなんかじゃなくて。
いま一番大事なのは。
本当に大切にしなくちゃいけないのは……。
『……ごめんなさい、先輩』
その視線を避けるように、あたしは深々と頭を下げていた。
『あたし、ほんとは全然、そんなつもりじゃなくって』
『なのにあたし、あんなズカズカ訊いちゃって、余計なことゆっちゃって』
『全部わかってたのに、急にわからなくなっちゃって、ほんとにごめんなさい…っ!』
相変わらずメチャクチャな台詞だったと自分で思う。
そんなつもりじゃなかったって、じゃぁ本当はどんなつもりだったのか。
わざわざ喧嘩を吹っかけてまで、そうまでしてあたしのしたかったことは一体何だったのか。
そういうことをよく考えて、ちゃんとわかってもらえるように話さなくちゃいけなかったのに、
実際あたしのやってたことはぶっちゃけただ闇雲に謝り倒してただけ。
そう。
あの時のあたしは、もう必死だったんだ。
半ば一方的に先輩の気持ちを抉ってしまって。
昔のことまで掘り返して追及材料にしたりして。
そうして傷付けてしまった先輩をこのままにしておくなんて、
どうにかして引き止めなくちゃって、それだけを考えてがんばってたんだけど……。
『お、おい…、ちょっと大丈夫か、お前?』
…てな感じで。
なんか先輩の方がオロオロしはじめちゃってさ。
『なぁ…、そんないいからさ…! 山名ぁ〜!』
……えっと。
そんなイイとか言われても……。
『わかった…っ! 行くからっ! 行くからもう泣くなって…っ!』
あれれっ!?
本当ですかっ!?
ていうか別に泣いてないっ!?
けどまーいいやそんなのどーだってっ!!
『わーいっ♪ 翔先輩と一緒におっとまりか〜い!』
『うおわっ!? な、何だお前、ぜんぜん元気じゃ…っ!?』
『くふふ〜♪ あたしが元気なのは生まれつきなのでぇす♪』
『な、なんだそりゃっ……って何気に抱き付いてんじゃねぇよコラぁあぁっ!』
……っていうのが例の 『ふたりっきりの夜』、 じゃなくって、
『大爆笑凸凹漫才タイムー!』 のイキサツだったりするんだけどね。
あたし的にはただ先走る気持ちに言葉の方が詰まっちゃったのかも知れないけど、
やっぱりほら、下向いてモゴモゴしてる姿っていうのはある意味ソレっぽかったらしくて。
とはいえ、1度言質を取ったからには手加減は一切無用。
時間無制限ケーキ食べ放題&紅茶お代わり自由ばりの勢いで連れ込んでは、
2人してゲームにトークに深夜番組と思いっきり遊び倒してやったんだ。
そうして気付いてみればいつのまにか深夜も3時を回っていて、
先に休んでいた先輩を横目にこうしてお風呂に浸かってるってワケ。
ぶくぶくぶく……ぷはぁ!
んんん〜♪
それからどのくらい浸かっていたんだろう。
普段からも別に長湯ってワケじゃないし、ていうかザブンと飛び込んでおしまいっていうのが大半なんだけど、
それが今晩に限ってはいつまでたっても出たいっていう気持ちが湧いてこなかったんだ。
どことなく、足腰が重たい。
出よう出ようと思ってはいても、抱え込んだ膝すら解けないままバスタブの底の方へと余計に沈んでいく。
『今まではさ、ずっとうまくいってたんだよ』
体が重くて、言うことを聞かない。
『それをあの晩、力ずくで襲っちまったんだ』
ピントがずれて、目の前がぼやけてくる。
一言、信じられなかった。
それは何も、顔も名前も知らない人のことなんかじゃなくて。
あの温厚で照れ屋な先輩が、誰であれ女の人を相手に腕力で迫ったというのがあたしには信じられなかったんだ。
こう言っちゃ悪いけど、翔先輩はぶきっちょな人だ。
ラケットさえ握れば見違えてカッコイイんだけど、バスケやサッカーといった他の球技はてんでダメ。
単純に跳んだり跳ねたりするのはめっぽう得意なくせに、技術とかセンスが問われると途端に結果が出なくなる。
そんなこんなで、なんとなく見かけ倒し的なイメージで知られていたりもするんだ、翔先輩は。
だけどあたしは思う。
正面切っての腕力勝負なら、多分誰にも負けない。
大きな骨格に筋肉質な足腰はいかにも強そうだし、例えば握力なんて普通に測って60キロ以上もあるんだ。
数値だけを見ればそんじょそこらのスポーツ選手なんかよりスゴかったりする訳で、
これだけの力持ちと正面切って渡り合えるような人は学内の運動部を総ざらいにしてもなかなかいないだろう。
そんなにも強い力で、実際に組み敷かれたりしたら。
「……っ!」
思わずバスタブから身を乗り出していた。
怖かった。
今日の翔先輩は、普通に怖かったんだ。
でもそれは、単にあたしが知らなかったってだけのこと。
そうだ。
もしかすると、あたしの見ていないところではもっともっと怖い顔をしているのかも知れない。
あたしのよく知る表情なんて、たくさんあるうちのごくごく一面ってだけなのかも知れないんだ。
勢いのままバスルームを跳び出してしまうと、大きなバスタオルを頭から被ってワシワシと掻きむしるように拭いた。
その辺のクリームを適当になじませながら、ついさっきまで見ていた先輩の表情をひとつひとつ思い出していく。
最初は笑っちゃうくらいコチコチしていた先輩も一緒に遊ぶうちにだんだんリラックスできたみたいで、
むしろ時計の針が3時を指す頃にはナチュラルハイの反動で一気に眠気を漂わせるようになっていた。
そこでようやくゲームの電源を切ることにしたんだけど、そしたら先輩の方からぽつりぽつり話を切り出してくれて。
香澄先輩のこと。
お姉さんのこと。
そして、あたしのこと。
眠気のせいもあって、語り口そのものは割と淡々としていたように思う。
でも中身の方はかなりダーク入ってて、 『ごめん』 の一言からあとは後悔の嵐だった。
ていうか、ほとんど自虐入っちゃってたし。
だからあたしは、一通り聞いた後でこう尋ねたんだ。
『これからあと、どうするんですか?』
後悔なんかいくらしたって。
大事なのはこれからのこと。
何をしなくちゃいけないのかってこと。
なのに先輩ときたら、小さく首を振りながら、 『わからない』 。
あたしを一番イライラさせる言葉だ。
でも、その台詞には続きがあって……。
『わからない……けど。 まずは謝ろうって、そう思ってる』
『姉さんはもちろん、先輩の方にも1度連絡を取って、それから…』
『……山名。 お前には、ごめんより先にありがとう、だよな。 ははは……』
その時点で、用意してあった毛布を広げてかけてあげることにした。
受け取るようにして肩までくるまると、ゆっくりと目を閉じながらソファへと沈み込んでいく。
最後に聞いた台詞は、こう。
『……ごめんな。 ほんとカッコ悪いところばっかで、さ……』
……。
そんなこと、ない。
ちっともカッコ悪くなんかないよ、翔先輩。
だって先輩は。
なんだかんだでちゃんと自分の気持ち、貫いてる。
『俺、いま好きな人がいるんだ』。
あの日あの時の台詞は、何もあたしを避けるための口実なんかじゃなくて。
ほんとにほんとにずっとそうだった人がいて、だけどその人はちょっとワケアリな人で。
なのにきちんと告白までして、いまだってほら、犯した過ちになんとか取り返しをって……。
見れば見るほど、ひたむきな姿だと思う。
それはもう。
あたしの入り込む余地なんて、実は最初からなかったんじゃないかってくらいに。
……だとしたら。
香澄先輩との話だって、本当のところはどうだったんだろう。
『身代り扱いにした』、 だなんて。
そんな手の込んだことを実際に意図して、さも仕組んだかのようにやってのけたんだろうか、翔先輩は。
『私、翔くんのことほんとに好きだったの』
先輩は違ったんだろうか。
『もしかしたら。 いまもずっと、好きなのかも知れないの』
翔先輩の方は、もう覚えていないんだろうか。
……。
……わからない。
先輩たち2人がどう付き合っていたのか。
お姉さんと似てるって、どこがどう似てるのか。
同じ家族の人を好きになるって、どんなことなのか。
その頃はまだ入学もしてなかったし、容姿や声を知っているのは香澄先輩の方だけだし、
3人家族のひとりっ子でお兄さんも弟もいないあたしには全然何もわからない。
話の中身はつかめても、実感として湧いてくるものが何ひとつないんだ。
「…知らなかった」
何も。
「知らなかったんだ、あたし…」
翔先輩のことなんて、ほんとに何も。
ドライヤーを殴りがけしてリビングへ戻ると、薄暗いオレンジのなか冷蔵庫を開けて牛乳をガブ飲みする。
小さい頃から大のミルク好きだったあたしにとって、お風呂上りの1杯は毎日の習慣で元気の源なのだ。
ま、それもこれもみんなお父さんの影響なんだけど。
うちのお父さんは本当によく牛乳を飲む人で、朝昼晩の他にお風呂上りに、さらに寝る前にと牛乳三昧。
おかげで冷蔵庫にはいつだって5本も6本も牛乳があって、たまに飲み過ぎてはお母さんに怒られたりもして。
普通、怒られるのはお酒の飲み過ぎだと思うんだけど……。
なーんて思いつつパックを戻すと、今夜2日ぶりに帰ってくるお父さんを思いながら冷蔵庫のドアを閉めた。
リビングの主な明かりはお風呂の前にみんな消してしまっていた。
残るは蛍光灯の豆球だけで、これならとくに邪魔にはならないし不便もないと思ったから。
そうしてキッチンから戻ると、ソファのすぐ足元のフローリングに膝を抱えて座り込むことにする。
一足先に眠り落ちていた翔先輩。
重そうな目をして深々と腰を下ろすと、まるで電池が切れたかのようにクタリと首を折っちゃったんだ。
あたしがお風呂にいた間もずっとそんなだったみたいで、こうやって下から覗き込んではついつい笑ってしまう。
「なんでちゃんと横になって寝ないかな〜。 くふふ♪」
やっぱり翔先輩、ちょっと緊張してたっていうか。
いつも通りにはいかない部分が、少なからずあったんだと思う。
それもそうだよね。
形はどうあれ女の子の家で、しかもこんな夜中に2人きりってシチュエーションだもんね。
あたしひとりがどんなにひっかき回したところでそのこと自体は変わらない訳だし、
それであんな風にハムちゃん化しちゃったり、いまだってほら、ソファの端っこでこんなに小さくなっちゃって。
あたしだって本当はわかってたんだ。
そもそもまったくの脈ナシならこんなしつこく付き纏ったりはしない。
先輩があたしのこと、ちゃんと女の子として見てくれてるんだってコトはずっと前からわかってた。
一緒にいて楽しそうに見えるから。
いつもよりも余計に笑ってくれるから。
ドキドキする気持ちが、ちゃんと伝わってきたから。
だからあたしは。
もしかしたら先輩も、本当はあたしのこと、って。
実際の関係はまだまだだけど、気持ちの方は多分もう、って。
そう思って、それを確かめたくて、冬休み明けのあの日に告白したんだ。
……ぶっちゃけ、フラレるとは思ってなかったけどさ。
見事玉砕というか敢えなく爆死というか、そんな感じの結末に珍しくヘコんだりもしたけれど、
かといってそれでも、まだまだ諦めるとか引き下がるとかそういった気分には全然ならなかった。
先輩との仲は3日も経たず元通りになってたし。
ていうか実際フラレてからの方が距離は縮まった感じだし、これといって新しい彼女ができた様子もないし。
そんなこんなで今まで以上に遊び倒しているうちに、 “じゃぁ好きな人って一体誰なのよ?” って話になって。
やがてはそんなにヒマしてるんならあたしと付き合ってくれればいいのに、って密かにモヤモヤしちゃったりして。
気が付けば春休みまでとっくに過ぎていた。
あたしは2年生に、翔先輩は3年生になっていた。
「失恋、かぁ……」
薄暗いオレンジのなか石のように眠る翔先輩。
その寝顔を見詰めながら、ため息混じりにそんなことを口にする。
認めるしかなかった。
入学して最初に出会ってから1年。
しっかりと意識するようになって半年とちょっと。
あたしはとうとう、翔先輩の気持ちを射止めることはできなかったんだ。
そして。
今夜になってはじめて知った、2つの想い。
納得できないままいつのまにか過去形になっていたそんな想いと、
ずっと前から現在進行形でいつ止まるのかもわからない、そんな想い。
あたしにはどうすることもできなかった。
前にも後ろにも動かせなければ、止めることもまたできないものだった。
『失恋』。
その瞬間、思わず両手で自分の肩を抱きしめる。
身をよじってそっと横になると、目を閉じながら奥歯の辺りをぎゅっと噛む。
好きだった。
大好きだった。
でもあたしには、もう……。
堰を切ったように溢れ出す七色の想い。
それら想いのひとつひとつが、あたしの中でぐちゃぐちゃに混ざり合って濁っていく。
自分でも怖いくらいに氾濫して渦を巻いて、その震動があたしの両肩を内側から強く揺さぶってくる。
この茶色い濁流がこれから先どうなるのか。
その答えを、あたしはもう知っていた。
――ソノヒトさえ、いなければ。
真っ黒な色をした粘液。
液体なのか固体なのかわからない、ドロドロのコールタール。
――センパイは迷っていたんだ。
――アタシがコクった時も、ソノヒトさえいなければ。
――ソイツさえいなかったら、ショウセンパイはきっとアタシと……。
……同じだ。
ついさっきまでのアレと、同じ状態だ。
しかも今度は、顔も名前も知らない人に対して。
この次は一体誰に向かうのか、あたし自身にもわからない。
もしかしたら、また先輩の方に向かうことだって……。
……ダメ!
それだけはダメ!
先輩のこと、好きなのに!
これからもずっと好きでいたいのに!
それなのに、そんなの、そんなの……っ!
「……先輩…っ!!」
はっとして目を開けると、そのまま立ち上がって先輩の肩を揺する。
ソファに座るようにして眠る翔先輩を、両肩をつかんで一生懸命に揺らす。
「先輩……、先輩……、先輩……っ!」
起きない。
びくともしない。
いよいよしゃくり上げそうになったあたしは。
先輩の頬を両手で包むようにして、そっと唇を重ねた。
正真正銘の、ファースト・キス。
その時あたしは。
香澄先輩の気持ちが、少しだけわかったような気がした。
◇ ◇ ◇
淡い、淡い光。
瞼の隙間ぼんやりと浮かぶ、橙色に薄暗い部屋の眺め。
暖かい、暖かい温もり。
抱え込んだその腕から伝わる、男の人特有の体温と大きな大きな存在感。
そうして1枚の毛布のなか2人寄り添いながら、あたしはこれ以上ない幸せに朦朧と微睡みはじめていた。
ときどき甘えるように頬擦りをすると、少しだけくすぐったそうに身をよじる。
ついさっきまでは、うんともすんとも言わなかったのにね。
……おやすみなさい、先輩。
今夜はちゃんと、帰れるといいね。
お姉さんもきっと、待ってると思うから……。
次回予告:
アドレスに残るひとつの名前。
かつて弟といた、ひとつ違いの年上の彼女。
いま再び着信する時、その眼差しはひとすじの棘と化す。
次回、二章第五話、 『ダブルロール』 。
ご期待ください。
Episode3
Episode4
Episode5 |
「…………!」
…………?
「…………! …………!」
…………う…ん……?
……なんだろ…、なんか…きこえる……。
「………まなっ、やま…っ、…のむからおき……っ! おきてく……っ!」
ん……?
おき、る…?
おきて、くれ…?
…………って、はっ!!
「……山名ぁあぁー! 起きてくれぇえぇー! お前ほらっ、よだれっ、よだれぇえぇぇー!!」
「わぁあぁあ! 先輩っ! おっはようございますっ……じゃなくってごめんなさいごめんさあーい!!」
Episode3
Episode4
Episode5 |