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休日のトキメキ (前編) Episode3 |
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Chapter2 |
「キ、キスしたぁ!? うそぉ〜!?」
あたしは思わず、素っ頓狂な声を上げてしまっていた。
「いやマジマジ。 先週一緒に出かけたときんさー」
その口調はいかにも得意げで、それでいて無邪気で。
ちょっとした武勇伝か何かのような、そんな感じにさえ聞こえた。
満開の桜に包まれた石造りの校門は、ちょっとした風物詩として近所でも有名なのだそうな。
なるほど去年入学したばかりの頃は登下校の度に足を止めたものだし、
ちょうど1年が過ぎた今にしても思わず深呼吸をしたくなってしまうほどで。
空気の色が、そこだけ少し違って見える。
息をすれば、それだけで胸の内側から桜色に染まっていくような気がする。
あと何日もすればもうすぐにも散りはじめてしまうそんな短い運命なのに、
惜しげもなく悠々と咲き乱れては豪快なまでにその身を舞い散らせていく。
「おいリョーコ。 なんだおめーそんなニヤニヤしやがって気色わりぃな」
……こいつ。
せっかくの夢心地にバケツで水をかけてくる奴はこいつ。
マッハでバックを取ってチョークの体勢に持ち込むと、空いた右腕でボディーを深々と抉っていく。
本当は右で締め上げながら左で叩き込むのがオリジナルなんだけど、あたしの場合は左右逆バージョン。
「ぐおわっ、なんだいきなりっ、やめろてめー!」
遠慮のない抵抗にボルテージはさらに上がる。
「どけよリョーコっ、おらぁっ、なめてんじゃねーぞ!」
負けん気あふれる怒号もなんのその。
「ぐふ…っ、わ、わかったっ、俺がっ、悪かったからっ…!」
威勢の割には口ほどにもない。
ただし、再犯の可能性が高いので5秒ルールを採用。
いーち、にー、さーん、しー。
……釈放。
「あんたね、弱っちぃくせに大口叩くのいい加減やめなって」
「お、俺が一体っ、何を言ったとっ…?」
「そんなことは自分の頭で考える」
「ちっくしょーてめークソリョーコが、いつか見てろよ……」
「はいはい。 ……って、誰がクソだって?」
それで結局また同じことの繰り返しで、結果も一緒と。
まったく昔から懲りない奴だと思う。
小さい頃からあたしに喧嘩で勝ったことなんて、ただの1度もないくせに。
ちょっとくらい威勢よく見えたって、実際にはチビで非力なガキのくせに。
……それでも、こいつは。
岩崎遊は……。
あたしにとっての遊はいわゆる幼馴染、家族ぐるみの親交からその付き合いは生まれ付きも同然だった。
物心付く前から同じマンションに住み合わせては幼稚園から小中学校とずっと同じ通学路を歩んできた仲で、
そんな関係は高校生になった今も変わることはなく、同じテニス部のよしみで一緒に下校したりすることもある。
遊の身長はほんとに低い。
その辺の男子はもちろん、あたしと比べてもまだ低い。
そもそも容姿自体が中学の頃からほとんど変わっていない。
それなのに突然あんな台詞を口にするものだから、思わず声を上げて仰天してしまったという訳なのだ。
先輩との、キス。
あたしたち2人の間にタブーの文字はない。
むしろ恋愛ごとやえっちネタについてはお互い身も蓋もないくらいで、
それこそ今日のお弁当から今夜のオカズまでなんでもありの総合ルール。
遊の台詞にあった先輩というのは、もちろんあの部長さんのこと。
そう。
あのどじでおっちょこちょい、でも一途で一生懸命な我らが部長さんのことだった。
「ユー、うまくいってたんだぁ…」
「おう、一応はな」
「そっかぁ……」
「……なんだおめー? らしくねぇな」
「え?」
「ため息なんざらしくねぇっつってんだよ」
そんなこと、わかってる。
「そっちはどうなんだ?」
「…うん」
「告るっつってたろ、年明けに」
「…うん」
「おめーな、何さっきから空ばっか」
「……ねぇ、ユー」
「なんだよ、リョーコ」
「あたしさぁ…、振られちゃったんだよね……」
……そう。
あたしはあの日、大好きな人に振られたの。
「ふ〜ん。 ……で?」
……で?
つっけんどんな言い方が癇に障る。
「ちょっと、ユーっ…!」
「なんだよ、リョーコ」
とっさに噛み付きかかるも、咎めるような口調に出鼻をくじかれる。
時折見せるその不釣合なほどの迫力は一体どこからくるんだろう。
「もういいのか?」
「もう終わりにすんのか?」
「藤崎先輩のこと、諦めたのか?」
あたしは夢中になって首を横に振っていた。
「…だろ? んなら2回や3回フラレたくれぇなんだってんだ」
「俺なんて見ろよ、こんな中坊みてぇなナリで。 取り付く島もなかったんだぜ?」
「それに比べりゃリョーコ、おめーなんてよぉ……」
突然うしろに回られると、そのまま胸を鷲づかみにされる。
「藤崎先輩なんざぁこいつで悩殺しちまえって!」
「こ、こらっ、ユーっ! どこ触ってっ……わぁあぁあ!!」
「中学ん時ゃまな板だったくせに何食いやがった!? 教えろ!! そしたら俺だって!!」
「触んなってゆってんのっ、こんのエロガキっ! どけぇーー!!」
全身の力で何とか抜け出すと、バッグを振り回しながら襲いかかっていく。
遊の方もすぐさまラケットを振りかざして応戦してきた。
「毎日牛乳飲んでたら勝手にこうなっちゃったんだもん!! しょうがないでしょー!?」
「うるせー牛乳ぐらい俺だって毎日飲んでらー!! 巨乳はいらねえから身長よこせ!!」
「巨乳ってゆうなーー!!」
「てめーこそガキっつーんじゃねーー!!」
こうしてあたしたちの泥仕合は果てしなく続いていく。
「あーくっそっ、早く一発ヤリてえなぁ!! せんぱぁあぁい!!」
「こおんのドエロガキがー!! 根性叩き直してやるー!!」
「なんだてめーだって藤崎先輩とヤリてぇくせによー!!」
「わあるかったわねーー!!」
◇ ◇ ◇
「ただいまぁ……」
……疲れた。
ただいまの声がまるでため息みたく聞こえる。
それもこれもみんな遊のせいだ。
あいつと一緒に帰ってくるとほんとにろくなことがないんだ。
薄暗いリビングで電気をつけると、バックを放り出しソファへと雪崩れ込んでいく。
新年度の初日だった今日はこれといった予定もなくて、いくつかの式典をこなせばそれだけでお終いだった。
それで明日明後日とまた土日を挟んでいるものだから、実際の学校生活は来週からということになる。
携帯の時計を見れば1時を少し回っていた。
お腹が空いたので何かないかと探してみると、スパゲティとホールトマトを発見。
すぐさま深めの鍋に水を張ってコンロにかける。
思えば、学校から帰ってきてひとりお昼を食べるなんて今までにはあり得なかった。
そう、あたしのすぐとなりにはいつだって優紀お姉さまがいて。
でも、そのお姉さまはもう卒業して大学生になってしまっていて。
会おうと思えばいつだって会える。
携帯もメルアドも変わってないし、実家通いだから住所だって保土ヶ谷のまま。
……だけど、それって。
意識して会おうとしないと、今まで通りにはもう会えないってことなんだよね。
洗面所の鏡に映る、下着姿のあたし。
鍋のお湯が沸くまでのあいださっと汗を流してしまうつもりだった。
たたでさえいいお天気なのにそのうえ遊と競り合ってしまったものだから、もう汗だく。
『中学ん時ゃまな板だったくせに何食いやがった!?』
ブラ、また少しきつくなってきちゃったな。
『巨乳はいらねえから身長よこせ!!』
背だって、少しずつでもちゃんと伸びてきてる。
「でもさー、あいつさー」
「チビでエロガキなくせにさー」
「ちゃんと彼女いるんだよねー」
「なんでだろーお、なんでだろ♪」
脱いだ下着を洗濯カゴに放り込むと、鼻歌交じりのままバスルームへと入っていく。
――あたしって、翔先輩にとっての何なんだろ?
ボディーソープを泡立てながら、ふとそんなことを考えている自分がいた。
最初に告白したのはちょうど1月の半ば頃。
あのあとお姉さまたちが卒業して、あたしたちも進級して、なんだかんだでもう3ヶ月になる。
振られた。
きっぱりと振られた。
……で?
それで何が変わった?
それで何か変わった?
学校に行けば必ず顔を合わせるし。
遊びに誘っても普通に付き合ってくれるし。
ていうか、春休み中なんてほんと遊びまくってたし。
……全然何も変わってない気がする。
むしろ進展してるような気さえする……。
リアリティがないんだ。
振られたっていう実感が、いつまで経ってもちっとも湧いてこない。
『俺、いま好きな人がいるんだ』
誰それ?
いるならいるでここへ連れて来てみせてよ。
『お前とは、付き合えない』
2人きりで遊びに行って、映画見て、ケーキ食べたりしてるのに?
バレンタインのチョコだってちゃんともらってくれて、ありがとうって言ってくれたのに……。
ふわふわのバスタオルで体を包み込むと、そのままもう一度鏡に向かって立つ。
思わずため息が出た。
なんていうかほんっとに子供っちい顔つきだなぁ。
こんなんじゃちっとも遊のことなんて言えないなぁ。
髪の毛が短いからかなぁ。
でも伸ばすとまた手入れが面倒だし、これからさき気温は上がる一方だし。
少しヤケになってタオルを投げ捨てると、鏡の前でひとりせくしーぽーずを取りながら、
「んふ♪」
とか言ってみたりする。
……これがお姉さまならきっと様になるんだろうけど。
早く大人になりたいのはあんただけじゃないんだよ、ユー……。
本日のランチはスパゲティ&トマトソース。
スパゲティの方は最初に塩を足しておいた鍋で時間ぴったりアルデンテに茹で上げる。
塩加減は海水と同じくらいがいいみたいで、そうすると身が引き締まって味のある美味しいスパゲティになる。
ソースだって自分で作る。
オリーブオイルで炒めたタマネギに水とホールトマトを加えて、スープキューブと一緒に煮込めばハイ出来上がり。
シンプルだけどトマトの美味しさをまるごと楽しめる特製ソースで、バジリコを振りかければ香りだって抜群なのだ。
「んんんーーー!」
んまい!
マジマジ!
これなら売れる!
ちょっと量を茹で過ぎちゃったけど、これぐらい食欲に任せてぺロリだ。
もうお腹いっぱい。
それでもデザートは別腹。
バイト先で仕入れてきたシュークリーム片手に紅茶を飲むことにする。
銘柄はやっぱりアールグレイで、ミルクティーにするともうたまらなく美味しかった。
実際こういうパスタや紅茶って外で食べると結構高く付くし、だから何とかして家でも楽しめないものかと思う。
自分で作ればお金なんてほとんどかからない。
そのうえ美味しければもう何も言うことはない。
好きな物にはいくら払ってもいいけれど、例えお金がなくたってそれだけでは諦めないのがあたしだった。
洗い物を済ませてメールをチェックすると部屋に戻ってくつろぐことにする。
机の時計は3時ちょっと前を指していて、窓の外を見ればまだ日も高いし風も涼しそうだ。
なのに、そんな外の陽気とは裏腹に気分の方はいまひとつ晴れてこない。
帰り際に遊とやり合ったみたく体を動かしてさえいれば全然いつも通り絶好調なんだけれど、
こうして部屋にひとりいるとなんとなく鬱に入っちゃってその度に春休みボケかなぁとか思ったりもしていた。
あたしだって、何も1日中翔先輩のことばかり考えてる訳じゃない。
『らしくない』 なんて台詞は正直心外だし、それを恋愛ごとのせいにされるのはもっと嫌だ。
「……あー、もうっ!」
ベッドの上で1度手足をバタつかせると、ガバッと跳ね起きて携帯をつかむ。
電話だ!
こういう時は電話に限る!
マッハでアドレスを検索して……!
「あ、翔先輩ですか? あのですね、もしお暇でしたら明日の土曜日デートに……っ!」
……ピッ。
……。
き、切られた!?
そ、そんな、ご無体な……!
……くっそてめー、もうゆるさねー!
「ごめんなさぁあぁい……。 お友達として一緒に遊びに行きませんかぁあぁ? ぐすん」
「…お友達として?」
「はぁい。 そうですよぉう。 えぐえぐ」
「……」
「えぐえぐ、くすん、じゅるるる」
「……わかったよ。 わかったからもう嘘泣きはやめろ」
そんなこんなで、なんとかデートの約束を取り付けたものの。
……なんだかちょっとムカついてきた。
昂ぶる感情にクローゼットからサバゲー用のエアガンを引っ張り出すと、
ベッドで悠々と寝そべっているイルカに向かって半身になって射撃姿勢を取る。
抱き枕用にと買ってきた、青いイルカの縫いぐるみ。
ボリューム感のある抱き心地が最大のウリで、あたし的には何気に翔先輩人形。
「んんんーーー!!」
トリガーを引いてBB弾を撃ちまくる!
「てめーこのやろーー!!」
周囲の被害もなんのその!
「ガウー!! ガウガウッ!!」
弾が切れたら白兵戦に突入!
……今夜はよく眠れそう♪
◇ ◇ ◇
四角いテーブルの向こうには見るからに大柄な男の人。
ときおり口へと運ぶマグカップがなんだかこちらの物より小さく見え、
かと思えばやけにこじんまりとした仕草も見せたりして、つい可笑しくて笑ってしまう。
「たまにはこういうのもいいね、山名」
「そうですか? えへへ♪」
「ほら、やっぱり俺ひとりだとさ。 正直いい気分転換になるよ」
気分転換。
春休み明けとはいえ、連日の講習で大分ストレスも溜まっていたのかも知れない。
こういうちょっとした時間でも何かのリフレッシュになるなら、一緒にいるあたしとしても嬉しく思う。
「山名、知ってたか? アメリカ人って中国茶に砂糖入れて飲むらしいぞ」
「はい? えっと中国茶っていうと、ウーロン茶とかジャスミンとかですか?」
「そうそう。 ちょっとあり得ないよなー、緑茶に砂糖入れることを考えるとさ」
「あ、でも抹茶ミルクとかもあるじゃないですか。 抹茶アイスも大人気みたいだし」
「いや、あれはあれで美味しいんだけどね。 普通のお茶としてみるとどうかなーって」
翔先輩はコーヒーを飲まない。
こうしたコーヒーショップでも決まって紅茶を注文する。
かといって別にこだわりがあるかといえばそういう訳でもなくて、
なんとなくコーヒーよりは緑茶に近そうだからという理由なのだそうな。
なるほど確かに砂糖やミルクの類を加えようとはしないし、
もしかしたら本当に緑茶のつもりで飲んでいるのかも知れない。
と、そんなことを考えてはまた可笑しくなって笑ってしまう。
――このままでいいの?
時折、頭の奥で何かがそう囁く。
楽しくて充実感あふれる、そんな休日の午後だと思う。
お昼過ぎになって横浜に出てきて、単にふたりして西口周辺をぐるぐる回っていただけなんだけど。
どこに行った訳でも何を買った訳でもないし、今だってこうして一緒にお茶を飲んでいるだけなんだけど。
それでも、翔先輩と一緒にいればただそれだけで笑顔が絶えなかった。
同じ物を見ていても、同じ物を食べていても、ひとりきりでは決して味わえない手触りがそこにあった。
――楽しいだけで、本当にいいの?
そう囁く度に、頭のなか必死に掻き消そうとする。
夕方からはそれぞれにまた別の予定が入っていた。
翔先輩はこのあと予備校で、あたしの方も5時から地下街の喫茶店でアルバイト。
だから、こうして一緒にいられるのはあと少しだけ。
先輩と過ごす週末のひと時も、もうあと少しでお終い。
喫茶店を出る頃には3時半を少し回っていた。
しばらくその辺りをぶらつくと、頃合を見て別れることにする。
「休みの日も塾だなんて、ほんと大変ですね」
休みの日くらい、もっと一緒にいたい。
「いやいや、今日は資料集めのついでに自習してくるだけだから」
それが終わってからでもいい。
もう一度、会いたい。
「そうなんですか。 でも自習だからって居眠りしてちゃだめですよ?」
「ま、適当にな。 そっちもバイトの商品とかつまみ食いしちゃダメだぞ?」
「何ゆってるんですかぁ、しませんよそんなことー♪」
「本当かぁ? お前食いしん坊だからなー」
「えへへへ」
「はははは」
ずっと抱え込んでいた翔先輩の腕を、そっと静かに手離す。
体の方はなかなか素直にはいかないけど、なんとかがんばって引き剥そうとする。
…その時だった。
「…翔くん?」
不意に鼓膜へと響いてくる、聞き慣れない声色。
はっとして振り返ると、そこにはふんわりと笑う女の人の姿があった。
つい最近切り揃えたような端整なショートカットが、なんだか爽やかなくらい印象的。
「……香澄、先輩…」
翔先輩が、半ば絶句しながらそう口にする。
それを聞いたあたしの方も一瞬固まってしまった。
かすみ、先輩?
……えっと。
その名前、どっかで聞いたような……?
「あははは、やっぱり翔くんだ。 思わず声かけちゃったよー。 元気してたー?」
「あ、いや、香澄先輩こそっ。 …じゃなくって、こっちは全然元気なんですけどっ、はははっ」
かすみ、かすみ、かすみ。
きしもと、かすみ。
岸本香澄。
……ちょっと待って?
それじゃもしかして、この人が……!?
……翔先輩の、元彼女。
次回、後編をお送り致します。
ご期待ください。
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