地 震 と 津 波、雑 感


[ 1 : は じ め に ]

地震分布図

世界 には 地 震 の 発 生 が 非常 に 少 ない 国 があることを ご存知 ですが ?。そのうち の 一つ が、 北 欧、ス カ ン ジ ナ ビ ア 半島の 東 にある フ ィ ン ラ ン ド です。 図 は マ グ ニ チ ュ ー ド 5 以 上 で 震 源 が浅 い 地震 の 世界分布図 ですが、1900 年 1 月 から 2015 年 4 月までの デ ー タ です。

この 図 を見れば 日本付近 の 地 震 は、 プ レ ー ト ( 後 述 ) の 境 界 ( 海 溝 や トラフ ) 付 近 で 多 発 し て いることが 分 かります。

フ ィ ン ラ ン ド の 国 土 面 積 は 日本 の 8 9.5 パーセン ト ですが、1958 年 ( 昭和 3 3 年 ) から行われている 計 器 による 震 度 測 定 の結 果 によれば、 5 0 年間 で 最 大 の 震 度 は、 マ グ ニ チ ュ ー ド 3.8 ( 1979 年 ) だった そうです。

それ以外 の ほ とん ど が マ グ ニ チ ュ ー ド 1 以 下 の 微 弱 な 地 震 であ り、フ ィ ン ラ ン ド 人の 多 く が、「 地 震 の 揺 れ 」 を 体 感 し た こ と が な い と いわれています。

その理 由 は、 フ ィ ン ラ ン ド が 安 定 した 地 殻 の 北 部 ユー ラ シ ア ・ プ レート ( Eurasia plate 、[ 4、プ レート 理 論 ] で 後 述 ) 上 に 位 置 して いるからであり、隣 接 す る 他 の プ レート と の 境 界 が、 非常 に 離 れている からで した。

それに比 べ て 日 本 の 国 土 面 積 は、 地 球 の 陸 地 面 積 の 僅 か 0.2 5 パ ー セン ト に 過 ぎな いのに、付 近 に プ レ ー ト の ト リ プ ル ・ ジ ャ ン ク シ ョ ン ( Triple junction、三 重 会 合 点 ) が 二 箇 所 もあり、世界 で 起 き る マ グ ニ チ ュ ー ド 6 以上 の 大 地 震 の 約 1 割 が 集 中 する 地 震 多 発 国 で す。


( 1-1、近 代 地 震 学 の 導 入 )

 西 欧 における 近 代 地 震 学 の 成 果 が 日本 に 導 入され、活用され 始 めたのは、当然 のことながら 明治時代 に入って か ら のことで した。

明 治 24 年 ( 1891 年 ) 10 月 28 日 に 濃 尾 ( の う び ) 地方 、 『 ( み の、岐阜県 ) 南西部 から ( 愛知県 ) 北西部 と、 三重県 北部 の 一 部 にかけて 』 、 マ グ ニ チ ュ ード の 大 地 震 が 発生 しま した。

これは 日本史上 最大 の 内 陸 型 地 震 ( 4-2、内陸型地震 を 参 照 ) で、愛知 ・ 岐阜 の 両 県 に 甚大 な 災 害 をもたら しま した。この 地 震 を きっかけに、 翌 明治 25 年( 1892 年 ) に 震 災 予 防 調 査 会 が 発 足 し、これ以後 の 地 震 について、 科 学 的 調 査 を 行うことが可能 になりま した。


[ 2 : 記 録 に 残 る 最 古 の 地 震 ]

 西暦 7 2 0 年 に 編 纂 された 日 本 書 紀 には、いくつかの 天 変 地 異 ( て ん ぺ ん ち い ) の 記録がありますが、[ 巻 、第 十 三 ] には 地 震 に 関する 記事 の 初 出 ( しょ しゅつ )がありま した。


( 2-1、允 恭 天 皇 5 年 の 地 震 )

第 19 代、允 恭 ( い ん ぎ ょ う ) 天皇 の 5 年、7 月 14 日 に 地 ( な い ) 震 ( ふ る ) とありま したが、 その 一 部 を 掲 載 します と、

五 年 秋 七 月丙子朔己丑、 地 震 。先是、命葛城襲津彦之孫玉田宿禰、主瑞齒別天皇之殯。則當地震夕、遣尾張連吾襲、察 殯 宮 之消息、時諸人悉聚無闕、唯玉田宿禰無之也。吾襲奏言「殯宮大夫玉田宿禰、非見殯所。」

[ 概 略 の 意 味 ]

 即位 5 年 ( 西 暦 416 年 ? ) 秋 7 月 14 日、地 震 が 起 きた。これに 先立 ち、葛 城 襲 津 彦 ( か つ ら ぎ の そ つ ひ こ ) の 孫 の 玉 田 宿 禰 ( た ま だ の す く ね ) を、 崩 御 ( ほ う ぎ ょ ) された 瑞 歯 別 天 皇 『 み ず は わ け の す め ら み こ と = 第 18 代、反 正( は ん ぜ い )天皇 』 の 殯 宮 ( も が り の み や、遺 体 安 置 所 ) の 担 当 に 命 じ た。

地 震 があった日 の 夕 方 に 尾 張 連 吾 襲 ( お わ り の む ら じ あ そ ) を 派遣 して 殯 宮 ( も が り の み や ) の 消 息 ( ある かたち ) を 視 察 させた。

殯 宮 ( もがりのみや ) は全て 問題 な く、 壊 れてもいなかった。人々は集まっていたが、た だ、( 責任者の ) 玉 田 宿 禰 ( たまだの すくね ) だけがいなかったので、吾 襲 ( あそ ) は そ の 旨 を 報 告 した。

注意すべき 点 は、 「 日 本 書 紀 」 の 6 世紀 以前 の 記 述 に は 信 頼 性 に 欠 け る た め に、正確 な 年代 ( 西 暦 416 年 ) を 当 てはめることは できないと され、震 源 も 不明 で した。


( 2-2、古 代 地 震 の 被 害 記 録 )

 第 4 0 代、天 武 ( て ん む ) 天 皇 の 7 年 ( 西 暦 6 7 9 年 ) 12 月 の 条 によれば、

12 月 27 日、臘 子 鳥 ( あ と り、鳥 綱 ・ スズメ 目 ・ アトリ 科 ・ アトリ 属 の 鳥 類 ) が 、空を 覆 って 西 南 から 北 東 に飛 んだ ( 地震 の 前兆 ? )。こ の 月 に 筑 紫 国 ( ち く し の く に ) で 大 地 震  ( マ グ ニ チ ュ ー ド 7.0 ) が あっ た。

地面 が 幅 二 丈 ( 約 6 メートル )、長さ 三 千 余 丈 ( 約 9 キ ロ メートル ) に わたって 引 き 裂 かれ、どの 村 でも 多 く の 民 家 が 倒 壊 した。

この時に 丘 の上にあった 民 家 が 地 震 のあった後 に、丘 が 崩 れて 移 動 した。しか し 家は 壊 れず、家 の 住人は 丘 が崩れて家が移 動 したことに気 が 付 かず、夜 が 明 けてから大 いに 驚 い た。


( 2-3、白 鳳 地 震 の 被 害 )

 同 じ く 天 武 13 年 10 月 14 日 ( 西 暦、 6 8 4 年 11 月 29 日 ) に、 マ グ ニ チ ュ ー ド  8 の 大 地 震 が 起 きま した。日 本 の 文 化 史 における 時 代 区 分 に、 白 鳳 時 代 ( は く ほ う じ だ い ) があります。

広 義 には 大 化 改 新 ( 6 4 5 年 ) か ら 平 城 京 ( 奈 良 の 都 ) へ の 遷 都 ( 7 1 0 年 ) までの 約 6 0 年間 を い い ますが、684 年 に起きた 地 震 なので、 白 鳳 地 震 ( は く ほ う じ し ん ) と 呼 ぶことが あります。

亥 の 人 定 ( い の じ ん て い = 午後 10 時頃 ) に 大 地 震 が あった。国 中 の 男 も 女 も 叫 び あ い 逃 げまどった。山 は 崩 れて 河 は あふれた。諸 国 の 郡 の 官 舎 や 人 々 の 家 屋や倉 庫、神 社 や 寺 院 の 破 壊 されたものは 数 知 れず、人や 家 畜 の 被 害 は多かった。

伊 予 温 泉 ( 道 後 温 泉 ) は、湯 が出な く なった。土 佐 国 で は 五 十 余 万 頃 ( しろ、約 10 平 方 キ ロ メ ー ト ル ) の 田 畑 が沈 んで 海 になった。古 老 は 「 このような 地 震 は、これまでになかった 」 といった。
( 中 略 )11 月 3 日 に

土 佐 国 司 言、大 潮 高 騰、海 水 飄 蕩、由 是 運 調 船 多 放 失 焉

[ 概 略 の 意 味 ]

 土 佐 国 司 ( と さ の こ く し、く に の つ か さ ) の 報 告 では 、「 大 き な 高 波 が 押 し 寄 せ 海 水 が 沸 き 返って 、調 ( みつぎ、租 税 の 一 種 ) を運 ぶ 船 が たく さん 流 失 した 」 。

つまり、畿 内 ( き な い、京 に 近 い 国 々 = 山城国 ・ 大和国 ・ 河内国 ・ 和泉国 ・ 摂津国 な ど ) や、 四 国 が 激 し く 揺 れ て、太 平 洋 岸 に 「 津 波 」 が 押 し 寄 せ、高 知 平 野 が 沈 んで 道 後 温 泉 の 湯 が出 なく なったが、今 で いう 南 海 ト ラ フ 、( 注 参 照 ) の 西 側 で 1,330 年前 に発 生 した 南 海 地 震 によるもので した。

[ 注 : 南 海 ト ラ フ ]

南海トラフ

南海 ト ラ フ ( Trough )とは 伊豆半島 南 端、 石 廊 埼 ( い ろ う ざ き ) の 南南西 沖 の 水 深 3,500 メ ー ト ル から、四 国 足 摺 岬  南 方 の 水 深 4,900 メ ー ト ル に 達 する 、 長 さ 700 キ ロ メ ー ト ル の 溝 状 の 海 底 地 形 ( 割 れ 目 ) を い う 。


[ 3 : 地 震 が 起 き る 原 因 ]

要石

茨城県 にある 有 名 な 神 社 といえば 鹿 嶋 市 宮 中 ( きゅう ちゅう ) にある 鹿 島 神 宮 ですが、 神 宮 の 境 内 ( 本 殿 の 東 約 450 メートル ) に は、 要 石 ( か な め い し ) を 祀 る 場所 があります。

そこには 地中 深 く 埋 まる 要 石 ( か な め い し ) があ り、 地 震 を 起 こす 鯰 ( ナ マ ズ ) の 頭 を 抑 え て い る と、古 く か ら 言 い 伝 えられて 来ま した。同じような目的 の 霊 石 ( 要 石 ) が、千葉県 香取市 の 香 取 神 宮 にもありま した。

寝返り

 地 震 の原 因 については、古 く から 地 下 に 潜 っ た 鯰 ( ナ マ ズ ) が 暴 れた りするために 起 こるとされ、こ の 要 石 ( か な め い し ) は 「 地 震  ナ マ ズ 」 を 永 遠 に 押 さえ 付 けると いう 信 仰 を 生 み ま した。


( 3-1、地 震 、 ナ マ ズ 、要 石 の 関 係 )

古 い 和 歌 に、

「 揺 ( ゆ )ら ぐ と も、よ も や 抜 け じ の 要 石 ( か な め い し )、鹿 島 ( か し ま ) の 神 の あ ら ん か ぎ り は 」

[ その意味]

地 震 によ り い く ら 要 石 ( かなめ い し ) が 揺 れ 動 い て も、鹿 島 神 宮 の 主 祭 神 である 武 甕 槌 大 神 ( タ ケ ミ カ ヅ チ ノ オ オ カ ミ ) がおられる限 りは、 要 石 が 地 面 か ら 抜 け 出 ることはな い であろう。

要石の頭

柵 に 囲 われた 中 央 には、 表 面 が く ぼ ん だ 要 石 ( か な め い し ) が 地面から 頭 を 出 し、さ い 銭 が 投 げ 込 まれて いま した。鳥 居 の 脇 には、江 戸 末 期 の 俳 人 小 林 一 茶 ( 1763 ~ 1828 年 ) の 俳 句

「 大 地 震 ( お お な え ) に、び く と も せ ぬ や 松 の 花 」

と 書 かれた 立 て 札 がありま した。

これは 文 化 年 間 に 諸 国 で 地 震 が 起き、 文 政 2 年 ( 1819 年 ) 6 月12 日 の 文 政、 近 江 地 震 、マグ ニ チ ュ ー ド  7.1 によ り、伊勢 ・ 美濃 ・ 近江 で 死者 多数 発生 の 後 で 詠 ん だ も の で し た。


( 3-2、慶 長 伏 見 地 震 の こ と )

文 禄 元 年 ( 1592 年 ) に 書 かれた 豊 臣 秀 吉 の 手 紙 によれば、

ふ し み の ふ し ん、 な ま つ 大 事 に て 候 ま ま

( 伏見城 の 普 請 で は、ナ マ ズ に 用心 せ よ )

と 書 かれて いて、これが 地 震 と ナ マ ズ の 関係 を記 した 最初 の 史 料 だといわれて います。

伏見城 は 築城開始 から 4 年後 の 1596 年 ( 文 禄 5 年 ) に 完 成 しま したが、その直後の 1596 年 9月5日に 近 畿 地 方 を 襲 った マ グ ニ チ ュ ー ド  7.1 の 地 震 により 天 守 閣 は 倒 壊 し、御 殿 や 御 門 も 大きな 被 害 を 受 け、石 垣 も 損 壊 しま した。

京 都 の 五重塔 で 有名な 東 寺 では、食 堂 ( じ き ど う ) ・ 中 門 ・ 講 堂 ・ 南 大 門 ・ 鐘 楼 ( しょうろう ) などが 倒 れ、 堺 と共に 死 者 の 合計 は 千 人 以上になったともいわれています。

災 害 の 原 因 は 現 在 の 有馬 - 高槻 ( たかつき ) 断 層 帯 、あるいは 六 甲 - 淡路島 断 層 帯 による 地 震 とされて います。


[ 4 : プ レー ト 理 論 ( プ レート ・ テク トニクス ) ]

地球内部構造

 地 震 について知 るためには、まず 地 球の 内 部 構 造 について 知 る必要 があります。約 4 6 億年前 に地 球 が 誕 生 した当 時、地 球 はとても 熱 く ド ロ ド ロ に 溶 けた 状 態 で した。

その後 時間と共に重 い 成 分 ( 鉄 や ニ ッ ケ ル ) は 地 球 の 内 部 へ 沈んで 行き、逆 に 軽 い 成 分 は 上 層 に浮 かび上がりま した。

地 殻 や マ ン ト ル ( mantle 「 覆 い の 意 味 」 、地球内部 の 核 と 地 殻 に 挟 まれた 部分 で、地殻 から 約 2,900 k m まで の 深 さ の 範 囲 を 指 す ) は主 に 岩 石 からできてお り、中 心 に 近 い 核 ( 内 核 や 外 核 ) は、 鉄 や ニッケル の 液 状 体 となって います。

ちなみに 地 球 の 最 も 外側 にある 地 殻 の 厚 さ は 、大 陸 で は 3 0 ~ 5 0 キ ロ メートル、海 洋 で は 5 ~1 0 キ ロ メートル ですが、人 類 は 未 だ に 地 殻 の 下 にある マ ン ト ル に 到 達 でき て いません。


 1 9 6 0 年代 後半 以降 に発 展 した 地 球 科 学 の 学 説 に プ レー ト 理 論 ( プ レート ・ テク トニクス、 plate tectonics 、地 質 構 造 / 地 殻 変 動 ) があ りますが、それによれば 地 球 の 表 面 は、十 数 枚 の プ レ ー ト( Plate ) と 呼 ばれる 固 い 板 状 の 岩 盤 で 覆 わ れ て います。

地震源

それらは ゆっくり と 動 いて いて、 地 震 の 多 く は プ レー ト と プ レー ト の 境 界 で 起きて います。日本列島 の 周 辺 では 陸 側 の プ レート に、東 から 太 平 洋 プ レー ト が、南 から フ ィ リ ピ ン 海 プ レー ト が 年 間セ ン チ ~ 最大セ ン チ の 速 度 で 移 動 して 来 て 衝 突 します。図 の 矢 印 は、海 の プ レー ト の動 き で す。

プレート沈降現場

そ の 衝 突 現 場 では 、 海 の プ レ ー ト が、 陸 の プ レ ー ト の 下 に 潜 り 込 む 動 きを して います。日本 に 直 接 関 係 の あ る プ レ ー ト と、 海 溝 ( か い こ う、海 底 地 形 の 溝 ) に つ い て は、北 か ら 列 挙 し ますと、

    日本海溝

  1. 北 米 プ レ ー ト ( 北 海 道 や 千 島 列 島 が 乗 る 陸 の プ レー ト ) の 下 に、太 平 洋 プ レ ー ト が 潜 り 込 ん だ 境 界 に 千 島 海 溝 ( または、千 島 ・ カ ム チ ャ ツ カ 海 溝 と も 称 さ れ る ) が 千 島 列 島 沿 い に 形 成 されて いて、最 深 部 は 水 深 9,550 メートル の 溝 ( トレンチ、Trench ) を 形 成 している。

  2. 北 米 プ レ ー ト ( 東 北 地 方 が 乗 る 陸 の プ レ ー ト ) の 下 に、 太 平 洋 プ レー ト が 沈 み 込 む 境 界 に 、海 岸 線 と 平 行 に 日 本 海 溝 ( に ほ ん か い こ う ) が形成されて いて、最 深 部 は 水 深 8,020 メ ー ト ル の 溝 で あ る 。

  3. ユ ー ラ シ ア ( Eurasia ) プ レー ト ( 陸 の プ レー ト ) の 下 に、フ ィ リ ピ ン 海 プ レー ト が 潜 り 込 む 境 界 に、 南 海 ト ラ フ ( Trough ) が 形成 され、最 深 部 は 水 深 4,900 メ ー ト ル で あ る 。

これらの 水深 6 千 メ ー ト ル を 超 える深 さで、海 底 が 細 長 い 溝 状 になっている 海 溝 ( か い こ う 、Ocean trench ) や、 水 深 が 6 千 メ ー ト ル よりも 浅 く 海 底 が 細 長 い 溝 状 の く ぼ み、 海 盆 ( か い ぼ ん、Sea basin ) に な っ て い る 所 に 向 かって、 海 の プ レ ー ト が 沈 み 込 む 動 き が、 地 震 発 生 と 深 い 関 係 が あ る と されます。


( 4-1、海 溝 型 地 震 )

地盤沈下

海 側 の プ レート が 沈 み 込 む 際 に、これに 接 して し っ か り 固 着 して いる 陸 側 の プ レー ト も 引 きずられて 一緒 に 沈 み 込 み ます ( 図 の 左 側 )。

やがて 陸 の プ レ ー ト の 先 端 部 に 溜 ま っ た 「 ひ ず み 」 ( 応 力 ) が 限 界 に 達 すると、元 に 戻 ろ う とする 「 力 」 が 働 き、 陸 側 の プ レート が 跳 ね 上 が り ま す ( 図 の 右 側 )。

この時 の 衝 撃 エ ネ ル ギ ー により プ レー ト の 境 界 で 巨 大 地 震 が 起 きると 共 に、海 底 に 接 する 海 水 に も 「 上 向 き の 力 」 が 伝 わ り、 津 波 を 発 生 させます。

海底の陥没

海底の プ レー ト は 跳 ね 上 がる場合 だけでな く、時には プ レー ト の 破壊 により、引き下げられる場合もあります。その際には 地 震 が 起 き る と共 に、 海 面 が 水平面 に戻ろうと して 振 動 し、 津 波 を 起 こ します。

この タ イ プ の 地 震 を 海 溝 型 地 震 ( か い こ う が た 地 震、Ocean-trench earthquake ) と 呼 び、 東 日 本 大 震 災 は この タ イ プ の 地 震 が、同 時に 広 い 海 域 で 起 きま した。

広大な震源

地 震 の 規 模 は マ グ ニ チ ュ ー ド 9.0 で、発生時点 において 日本周辺 における 観 測 史 上 最 大 の 地 震 で した。震 源 は 広 大 で、岩手県 沖 から 茨城県 沖 までの 南北 約 5 0 0 キロ メートル、東西約 2 0 0 キロ メートル の広範囲が 震 源 域 とされま した。


( 4-2、内 陸 型 地 震 )

  海 の プ レー ト が 移 動 する 動 き は、海 溝 型 地 震 の 原 因 となるだけでな く、陸 の プ レー ト を も 圧 迫 し、内 陸 部 の 岩 盤 に も 「 ひ ず み 」 を 生 じ さ せ、 エ ネ ル ギ ー を 蓄 積 させます。

活断層

「 ひ ず み 」 が大 き くなり 限界を越 えると、 内 陸 型 地 震  ( 直 下 型 地 震 ) が 発 生 します。


  1. 地 表 面 近 く の 岩 盤 ( プ レ ー ト ) が 破 壊 されることによる 地 震 で、地 表 に 破 壊 面 が 現 れる、いわゆる 活 断 層 による 地 震

  2. 内 陸 部 の 地 中 にある プ レート 内 部 の 弱 い 部 分 で、 破 壊 が 起 こることによる 地 震

こう し て 起 こる 内 陸 型 地 震  は、海 溝 型 の 巨 大 地 震 に比 べると 規 模 は 小さい も の の、局 地 的 に 激 震 を 起 こ し 大きな 被 害 をもたら します。しか し 津 波 が 起 きる 可 能 性 は 、場 所 的 に 少 な い と されます。現 に 阪 神 ・ 淡 路 大 震 災 における 津 波 の 被 害 は、皆 無 で し た

ちなみに 平成 7 年 ( 1995 年 ) 1 月 17 日 未 明 に起きた マ グ ニ チ ュ ー ド 7.3 阪 神 ・ 淡 路 大 震 災 は、プ レ ー ト の 破 壊 による 直 下 型 地 震 です。

三菱ビル

これにより 死 者 6 千 4 百 名 以上 、全 ・ 半 壊 し た 住 宅 24 万 9,180 棟 の 被害 を出 しま したが、 写真は 神 戸 市 兵 庫 区 の 三 菱 銀 行 兵 庫 支 店 の ビ ル ( 6 階 建 ) の 被 害 状 況 で す。


( 4-3、断 層 と 活 断 層 )

阪 神 ・ 淡 路 大 震 災 の 震 源 地 は、明 石 海 峡 の 地 下 1 7 キ ロ メートル で したが、そこから始まった プ レー ト の 破 壊 は、北 東 にある 神戸市 の 地 下 および、南 西 の 淡 路 島 中 部 にまで 拡 大 し、約 1 3 秒 で 長 さ 4 0 キ ロ メートル、幅 1 0 キ ロ メートル の 断 層 面 を 形 成 しま した。

淡路断層 

最 大 変 位 量 を 記 録 した 淡路市 北淡町 ( 淡路島 北端 ) に は、「 断 層 保 存 館 」 が あり、被災 し た 民 家 と 共 に、垂 直 に 約 1 メ ー ト ル 変 位 した 野 島 断 層 が 見られます。


 私たちが住む街の地面を掘り下げていくと最後は固い岩の層にぶつかりますが、この 岩 の 中 には た く さんの 割 れ 目 があります。通 常、この 割 れ 目 は 互 いに しっかり かみ合 い 固 着 して いますが、ここに 「 大 き な 力 」 が 加 えられると、割 れ 目 が 再 び 壊 れて ズ レ が生 じま す。

この壊れて ズ レ ル 現象 を 「 断 層 活 動 」 と い い、その ズ レ た 衝撃 が 震動 と して 地面 に伝わったものが、前述 したように 地 震 です。そ して 「 断 層 」 のうち、特に 数 十 万 年 前 以 降 に 繰 り 返 し 活 動 し 、将来も 活動 すると考えられる 断層 のことを 「 活 断 層 」 と 呼 んでいます。

 現在、日本では 陸 域 で 約 2 千 箇 所 も の 「 活 断 層 」 が 確 認 されて いますが、地下に 隠 れて いて 地 表 に 現 れて いな い 「 隠 れ 活 断 層 」 も た く さんあ ります。それらは過去に 地 震 活 動 があった 可 能 性 を示 して います。活動の間隔は断層によって異なりますが、数千年 ~ 数万年とかなり長いものです。


[ 5: 三 代 実 録 が 記 し た、貞 観 ( じ ょ う が ん )大 地 震 ]

 東北地方を襲った大地震 と津波 の 最古 の 記録は、平安時代の 延喜 ( え ん ぎ ) 元 年 ( 9 0 1 年 ) に 成 立 した、『 日 本 三 代 実 録 』 ( さ ん だ い じ つ ろ く、巻 十 六 ) に 記 されて いま した。

三 代 実 録 とは 宇 多 天 皇 の 命 を受 けて 編 纂 された、 勅 撰 の 歴 史 書 で すが、第 5 6 代、清 和 ( せ いわ ) 天皇 ・ 5 7 代、陽 成 ( よ う ぜ い ) 天皇 ・ 5 8代、光 孝 ( こ う こ う ) 天皇 の 三 代 にわたる 天 皇 の 事 跡 について 記 されています。

具 体 的 に は 天 安 2 年 ( 858 年 ) 8 月 から、 仁 和 3 年 ( 887 年 ) 8 月までの、 3 0 年間 を 編 年 体 で 記 したものです。それによれば、

貞觀 ( じ ょ う が ん ) 十一 年 五 月 廿六 日 癸 未、陸奥國 地大震動 流光如晝隱映、頃之、人民叫呼、伏不能起、或屋仆壓死、或地裂埋殪、馬牛駭奔、或相昇踏、城郭倉庫、門櫓墻壁、頽落?覆、不知其數、海口哮吼、聲似雷霆、驚濤涌潮、泝洄漲長、忽至城下、去海數十百里、浩々不弁其涯?、原野道路、惣爲滄溟、乘船不遑、登山難及、溺死者千許、資産苗稼、殆無孑遺焉、

[ 概 略 の 意 味 ]

 貞観 1 1 年 ( 西暦 869 年 )5 月26 日 癸 未 ( み ず の と ひ つ じ ) の 日。陸奥国 ( むつの くに ) で 大 地 震 が起こった。夜であるにもかかわらず、 流 光 如 昼 隠 映 ( り ゅ う こ う ひ る の ご と く い ん え い す、= 空 中を 閃 光 が 流 れ、暗 闇 は まるで 昼 のように 明る く な っ た )。

しばらく の間、人々は 恐 怖 のあまり 叫 び 声を 発 し、地 面 に 伏 した まま 起 き 上 がることも できなかった。

ある者は、家 屋 が 倒 壊 して 圧 死 し、ある者 は、大 地 が 裂 けて 生 き 埋 め になった。馬 や牛 は 驚 い て 走 り 回 り、互 い を 踏 み つ け 合 っ た り した。 多 賀 城 ( た が じ ょ う 、注 参 照 ) の 城 郭、倉 庫、門、櫓 ( や ぐ ら )、垣 や 壁 などは 崩 れ 落 ちた り 覆 ( く つがえ )った り したが、その 数 は 数 え 切 れないほどであった。

河口 の 海 は、雷 のような音 を 立 てて 吠 え 狂 った。荒 れ 狂 い 湧 き 返 る 大 波 は、河を 遡 ( さ か の ぼ ) り 膨 張 して、忽 ち 城 下 ( 多 賀 城 下 ) に 達 し た。海 は、数十里 乃 至 ( な い し ) 百 里 に わ た っ て 広 々 と 広 がり、どこが 地 面 と 海 との 境 だったのか 分 からない 有 様であった。

原 ・ 野 ・ 道 路 は、すべて 蒼 々 ( あ お あ お ) と した 海 に 覆 われて しまった。船 に乗って 逃 げる 暇 ( い と ま )も な く、山に登って 避 難 することもできなかった。溺 死 する者も 千 人 ほ ど いた。人々 は 資 産 も 稲 の 苗 も 失 い、ほとんど 何 一つ 残 る も の が な か っ た。

[ 注 : 多 賀 城 と は ]

 現 ・ 宮城県 多賀城市 に かつてあり、初 代 の 鎮 守 府 将 軍 大 野 東 人 ( おおの の あずまび と ) によって、神 亀 元 年 ( 724 年 ) に 初 めて 多 賀 城 がこの 地 に 築 かれたと される。

奈良時代 か ら 平安時代 に 陸 奥 国 府 や 鎮 守 府 ( ち ん じ ゅ ふ、 古代 に 軍 政を 司った 役 所 ) が 置 かれ、11 世紀 中 頃 まで の 東北地方 の 政 治 ・ 文 化 ・ 軍 事 の 中心地 で あり、 歌 枕 にもなった

この 被 害 状 況 を 読 む 限 り、 平 成 2 3 年 ( 2011 年 ) 3 月 11 日に 東 北 地 方 を 襲 った 東 日 本 大 地 震 と、それに 伴 う 津 波 により 引 き 起 こされた 東 日 本 大 震 災 の 被 害 状 況 と、 同 じ 状 態 が 起 きて い た ことが 分 かります。

参考までに 福 島 県 の 原子力発電所 の 津 波 による メ ル ト ダ ウ ン 事故 に関 して、「 こ れ ほ ど の 大 地 震 と 津 波 が 起 き る こ と は、 想 定 外 だ っ た 」 と 、東 電 と 仲 良 し だった 原 子 力 村 の 地 震 学 者 た ち は、 言 い 訳 を しま した。

1142 年 前 に 起 き た 貞 観 大 地 震 の こ と を 忘 れ、 「 自 分 た ち に 都 合 の 悪 い こ と は 起 き な い、従 っ て 想 定 も し な い 」
と いうこ とで し た。


( 5-1、歌 枕 、末 の 松 山 )

歌 枕 ( う た ま く ら ) とは、和 歌 に 詠 まれて 有 名 になった 各 地 の 名 所 ・ 旧 跡 のことですが、貞 観 ( じ ょ う が ん ) 地 震 による 津 波 は、皆さん ご 存 知 の 百 人 一 首 にも登場 します。

「 方 丈 記 」 ・ 「 徒 然 草 」 と 共 に 日 本 三 大 随 筆 ( 集 ) に数えられる 「 枕 草 子 」 でおなじみの 、清 少 納 言 ( 9 6 6 年 頃 ~ 1 0 2 5 年 頃 ) の 父 親 である 清 原 元 輔 ( きよはら の もとすけ、908 ~ 990 年、三十六 歌 仙 の 一人 ) は、貞 観 津 波 を 題材 に して 次 のような 和 歌を 詠 み、勅 撰 の 後 拾 遺 和 歌 集 ( ご し ゅ う い わ か し ゅ う ) に 選 定 され、後に 百 人 一 首 に も 選 ばれま した。

契 ( ち ぎ ) り き な、か た み に 袖 を し ぼ り つ つ、末 ( す え ) の 松 山 ( まつ や ま ) 越 さ じ と は

[ そ の 意 味 ]

末の松山石碑

約束 し ま し た ね。お 互 い に 涙 で 濡 れた 袖 を絞 り な が ら、「 末 の 松 山 」 を ( 津 ) 波 が 越 すことが な い よ う に、私 たち も 決 し て 心 変 わ りは し な い と。( そ れ な の に ---)

こ の 歌 の 詞 書 ( こ と ば が き ) によれば、 「 心 変 ( か ) は り て 、は べ り け る 女 に、人 に 代 ( か ) は り て 」 ( 詠 め る ) とあります。

つまり、永遠 の 愛 を 誓 った と いうのに、女 性 の 方 が 心 変 わ り を し て しま い 落 胆 し た が、女性 を 想 う 心 は 変 わらずに いる 女 に 裏 切 ら れ た 男 に 代 わ っ て 詠 んだ 和 歌 で し た。

「 末 の 松 山 」 は 現在 の 宮城県 多賀城市 にありますが、高 台 のため マ グ ニ チ ュ ー ド 8. 3 以上 と 推定 される 「 貞 観 地 震 」 の 際 に 起きた 津 波 から 難 を逃れることができ、マ グ ニ チ ュ ー ド 9. 0 という 日本 の 観 測 史 上 最 大 規 模 の 東 日 本 大 震 災 の 際 にも、 大 津 波 は 「 末 の 松 山 」 を 越 えられませんで した。

ちなみに 江戸時代 中 期 の 時 宗 の 僧 で、 俳 人 の 五 升 庵 蝶 夢 ( ご し ょ う あ ん ち ょ う む、1732 ~ 1796 年 ) の 「 芭 蕉 翁 絵 詞 伝 」 ( ば し ょ う お う え こ と ば で ん ) によれば、

末 の 松 山 に は、 末 松 山 ( ま つ し ょ う ざ ん ) と 号 する 寺 が 建 てられて いる。松 の 木 の す い た ( 空 い た ) ところは 皆 墓 地 になって いる。

「 は ね を か は し( 羽 を 交 わ し 、男 女 の 愛 情 がこまやかで ) 枝 を つ ら ぬ る 契 ( ち ぎ り、比 翼 連 理 の 枝 = ひ よ く れ ん り の え だ、= 唐 の 詩 人 ・ 白 居 易 ( は く き ょ い ) の 『 長 恨 歌 』 ( ち ょ う ご ん か ) の 中 で、玄 宗 皇 帝 と 楊 貴 妃 ( よ う き ひ、719 ~ 756 年 ) が 愛 を 誓 い 合った 言葉 ) を 交 わ し て も、その 末 に は このように 墓 に入ることになると 思 う と、人 の あわれを 思 っ て 悲 しみ に 暮 れ た 」。

とありま した。その 位 置 は 仙 石 線 ( 仙台 と 石巻 を 結 ぶ J R 鉄 道 ) の 多 賀 城 駅 から 南南西 500 メートル の 位置 にあり、仙 台 湾 の 海 岸 線 からは 2.4 キ ロ メートル の 所 にあります。

貞山運河

写真は 多 賀 城 市 内 を 流 れる 貞 山 運 河 ( て い ざ ん う ん が ) で、東 日 本 大 震 災 の 津 波 の 激 流 に ほ ん ろ う される 船。


[ 6、 震 度 と は ]

かつて、震 度 は 体 感 および 「 周 囲 の 状 況 」 から、目 視 により 推 定 していま したが、平成 8 年(1996 年 ) 4 月以降は、「 計 測 震 度 計 」 により 自動的 に 観 測 し 速 報 しています。最新 の 気象庁の 震度階級 は 下表 にある 如 く 、 「 震 度 0 」 から 「 震 度 7 」 までの 10 階 級 となって います。

震度計

震 度 計は 揺れの 加速度 と 周期 から 「 震 度 」 を 算 出 し、算出された震度を 装置前面の 液晶画面 に 表示 すると 同時 に I P 通信等 で 情報発信 することができます。画 面 では 震 度 6 弱 と 発生時刻 を 表 示 して います。


震 度 震 度 と 揺 ( ゆ ) れ  の  状  況
人は揺 れを感 じな い
屋内で静かに している人のなかには、
揺 れを僅かに感 じる人がいる
屋内で静かに している人の大半が、揺 れを感 じる
屋内にいる人のほとんどが、揺 れを感 じる
ほとんどの人が 驚 く
電灯などの釣り下げ物は 大きく 揺 れる
座りの悪い置物 が、倒れることがある
5 弱大半の人が恐怖を覚 え、物につかまりたいと感 じる
棚にある 食器類類 や 本 が落ちることがある
固定 していない 家具 が移動することがあり、
不安定なものは倒れることがある
5 強物につかまらないと、歩くことが難 しい
棚にある食器類 や 本で 落ちる物が多 くなる
固定 していない家具が倒れるこがある
補強されていないブロック 塀が 倒 れることがある
6 弱立っていることが 困難 になる
固定 していない家具の大半が移動 し、倒れるものもある
ド ア が開かなくなることがある
壁の タイル や窓 ガラス が破損、落下することがある
耐震性の低い木造家屋は、亙 が落下 したり建物が傾いたりすることがある
倒れるものもある
6 強這 わないと動くことができない飛ばされることもある
固定 していない家具のほとんどが移動 し、倒れるものが多くなる
耐震性の低い木造家屋は、傾 くものや、倒れるものが多 くなる
大きな地割れが生 じたり、大規模な地滑 りや 山体の 崩 壊 が発生することがある
耐震性の低い木造家屋は、傾くものや、倒れるものがさらに多くなる
耐震性の 高 い 木造家屋でも、まれに傾 くことがある
耐震性の 低 い 鉄筋 コンクリート 造の建物では、倒れるものが多くなる

気象庁 H P



since H 29、Oct. 20

 

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