敗戦後の小学校教育

[ 1:私の通った小学校 ]

  1. 東京市 ( 当時 ) 豊島区巣鴨仰高北国民学校 ( 小学校 )
    ( 昭和 15 年 4 月から 19 年 7 月まで通 学) 昭和 20 年 4 月 13 日の空襲により焼失、廃校となり、現在跡地には都立、大塚聾学校が建っています。

  2. 長野県小県郡室賀村、室賀国民学校 ( 小学校 )
      ( 昭和 19 年 8 月から 20 年 9 月まで通学 )過疎のため廃校。

  3. 栃木県下都賀郡赤津村、富張国民学校 ( 小学校 )
      ( 昭和 20 年 9 月から 21 年 3 月まで通学 )地区統合のため廃校

以上の 3 校ですが、その後すべて廃校になりました。

注:1)
東京は昭和 18 年 ( 1943 年 )7 月 1 日から旧東京市と東京府 ( 多摩郡、島嶼を含む ) が合併して東京都になりました。なおその当時政府が任命した東京都の首長の正式名称は、知事ではなく長官でした。

注:2)
国民学校とは国民学校令に基づき、昭和 16 年 ( 1941 年 ) から昭和 22 年 ( 1947 年 ) まで存続した公立の初等学校 ( 小学校 ) の正式な名前で、現行の小学校は、米軍占領下の昭和 2 2年 4 月 1 日から施行された 教育基本法 と学校教育法 に基づき発足したものです。

注:3)
世界中の国々の教育関連法規に 必ずある 愛国心の育成 について、日本の教育基本法にはまったく記載がありません。国家や日本という言葉はほとんど使用されず、「 日本人としての自覚を失った人間 」、耳当たりの良い 「 平和を愛する人間 」 の育成の方針を示したものでした。

その理由は当時、占領地住民に対して 愛国心を教育 しないこと が、日本の弱体化を図るために必要であり 、米国の安全上の利益になると G H Q ( 占領軍総司令部 ) が判断した結果であり、 その監視、監督の下で教育基本法が作られた からでした。

そのため教育基本法には

自らの国や民族の文化、伝統を愛し、次の世代に引き継ぐという教育の重要な任務がすっぽりと抜けて落ちています。「 個人の尊重 」 を掲げるだけで個人と国とのかかわり方、つまり 「 民族 」や 「 日本 」についての教育方針が欠落していて、 国家不在の教育 換言すれば、 国家や国民としての意識を持たない児童の育成 に終始しています。
これを亡国の教育と呼ばずに、何と呼ぶのでしょうか?。

この日本人の国家観、愛国心を骨抜きにしようとする G H Q の意図は、その後の昭和21年11月に文部省が作成した教育法要綱案においても、多くの部分が G H Q の不当な介入により削除、変更させられました

[ 2:左翼 イデオロギー 対、 愛国心 ]

愛国心とはその国の国土、郷土を愛する心、そしてその住民である自分たちの家族、親類、隣人、友人などを愛する心です。それは明らかに戦時、平時などの時代の変化とは関係なく、世界中でそれぞれの国民が本来持つべき自然な心なのです。

占領政策により 愛国心の否定が強制され ましたが、講和条約発効後も政治的意図を持った左翼主義者および 一部の マスコミにより否定の考えが支持宣伝され、その結果日本では愛国心を口にするのも憚る状態のまま現在に至っています。

そういう人達も、ロシア人、中国人、韓国人、北朝鮮人などが、祖国に対して、 愛国心を持つことに反対しているわけではありません。

日本人だけが愛国心を持つべきではない 、と主張しているのです。その隠された理由は、そうすることが日本人の団結心を妨げ、国の弱体化をもたらし、ひいては彼等が憧れ、思いを寄せる 共産主義 ・ 社会主義国家の利益 につながるからです。

その根底にあるものは左翼主義です。左翼主義者にとって歴史とは、彼等の持つ思想の正しさ(?)を 主張するための道具 にしか過ぎないのです。その観点からしか歴史を見ようとせず、自分達の主義主張にとって役立つものは誇大に評価するが、都合の悪いものは無視するのです。そのようにして作られたものは歴史の真実とは程遠いものです。

[ 3:日教組 ]

敗戦後の日本で 21 年間日本教職員組合 ( 日教組 ) の書記長、委員長を勤めた 槙枝元文 ( まきえだ、もとふみ ) 氏はその当時上智大学渡部昇一教授との対談の際に、 日本の学校教育は朝鮮 ( 北 ) を見習うべきである と発言しました。

ご存じのように金日成、正日父子による神格化された軍事独裁政権が続き現在に至る北朝鮮では、学問言論の自由は勿論のこと基本的人権さえも認められず、教育費は無料とはいいながら、大学進学率は 1 パーセント 未満です。( 参考までに日本では 36 パーセント 程度です。)

しかも学生の選抜方法が本人の知的能力によるのではなく、 出身成分 の善し悪し によって決まります。

出身成分 とは北朝鮮政府が全人民を先祖からの革命に対する貢献度に応じて、革命核心階層、監視の対象とされる動揺階層、特別監視対象とされる敵対階層の 3 階級、合計 64 種類に分類したものです。

それは余程の事情がない限り上位の分類には移動できない 革命的身分階級制度 であり、最下級の分類該当者 ( 64 番目 ) とは、かつて先祖が資本家であった者及びその子孫達です。

64 番目の分類に属する者については如何に能力が優れていても、大学教育を受ける機会は永久に与えられません。 槙枝氏がなぜこんな国に憧れ、その教育制度を見習う必要があるのか、私にはまったく理解不能です。

注:)日教組の組織率
平成 15 年度における文部科学省の教職員団体に関する調査結果によれば、公立の幼稚園から高校までの教職員の労働組合組織率は 49.7 パーセント で 1958 年の調査以来、初めて 5 割を割りました。このうち日教組の組織率は過去最低の 30.4 パーセント で、加入者数は約 31 万 8 千人 で前年比で 9 千人の減少でした。

[ 4:社民党の本質 ]

> 日教組を有力な支持母体とした当時の社会党(現社民党)は、友好関係にあった朝鮮労働党の代弁者として、戦後一貫して朝鮮半島を代表する国は唯一北朝鮮であると主張してきました。そして昭和 38 年 ( 1963 年 ) から平成 2 年 ( 1990 年 ) にかけて、約 20 回も社会党訪朝団を組織し派遣してきました。ところが昭和 63 年 ( 1988 年 ) になって、 社会党がそれまで存在を否定してきた国 でソウル、オリンピックが開催される事態になったのを見て、慌てて韓国の存在を認めることになりました。

その間、朝鮮労働党から指示されるままに朝鮮半島における政治支配の現実について 40 年以上も無視し続け、北朝鮮の軍事独裁政権による国際的にも悪名高い ラングーン爆破事件、大韓航空機爆破事件などの テロや基本的人権侵害の実状に対しては 一言も非難せず、人権侵害の事実さえも認めませんでした。これが 人の生命や、平和の大切さを声高に主張してきた社会党/社民党 の実態でした。

それどころか政治犯弾圧のため収容所半島といわれ、農業政策、経済政策の失敗から 1995 年には 数百万人の餓死者を出し、その後も長年にわたる飢餓と貧困に悩む北朝鮮を、かつては 地上の楽園 とまで党を挙げて虚偽の礼賛をしましたが、槇枝氏の発言も同じ趣旨のものです。

拉致の問題についても社民党は平成 9 年 ( 1997 年 ) 以来、 6 年間 も党の ホームページに掲載してきた下記の拉致否定論文を、小泉、金正日会談で拉致の真相が判明してから 17 日も経った 平成 14 年 10 月 4 日になって、他から指摘を受けてようやく削除しました。

拉致 疑惑 事件は朝鮮 ( 北 ) に食糧支援をさせないことを狙いとして、最近になって考え出され発表された事件であり、横田めぐみさんの事件についても、朝鮮 ( 北 ) には日本人少女を拉致する理由がない。
証拠は何一つ無い でっち上げ事件 である。

( 以上は削除以前に掲載されていた、社民党のホームページから )
しかし社民党は拉致事件の真相発覚後も、朝鮮労働党との 友党関係を破棄したわけではありません 。数々の テロや拉致を引き起こした犯罪国家の北朝鮮を社会主義革命の手本として崇拝し、いつの日にか社会主義革命を実現しようとする願望があるからです。この恥ずべき左翼の 教条主義、朝鮮労働党への隷従、イデオロギーのしもべ ( 下僕 )の実態には呆れますが、
日教組の組合組織率の低下と並び、選挙の度ごとに議席を大幅に減らす社民党の衰退は、常識ある国民からそっぽを向かれた至極当然の結末です。

戦後 60 年以上も経つというのに、米軍占領政策の残滓 ( ザンシ、のこりかす ) である愛国心の否定や排除の考え方が未だに、教育の分野に はびこって いて、入学式、卒業式の際には国旗の使用や 「 君が代 」 の斉唱に反対し、沖縄など各地で 国旗、国歌に対する非礼な態度 をとる先生、生徒もありました。

これは社会主義国を含めて世界中の国々では日本だけの現象で、 日本の常識は 世界の非常識 、世界の常識は 日本の非常識 、と呼ばれる異常な状態です。


[ 5:戦犯ではない (? )国旗、国歌が存在するのか ]

社会主義、共産主義国が犯した数々の侵略行為

日教組や左翼主義者が日本の国旗、国歌を、戦争遂行の際に果たした役割の故に否定するのであれば、過去における ロシア( ソ連 ) の東欧諸国へのすさまじい侵略や、 北朝鮮 が昭和 25 年( 1950 年)6 月に韓国に攻め込み、朝鮮戦争 ( 1950 年〜1953 年 7 月 )を引き起こした侵略行為は否定できない事実です。

中国 についても世界が朝鮮戦争に目を向けている隙に、昭和 25 年 ( 1950 年 )10 月に、チベットの封建的農奴制から人民を 「 解放 」 し、母国に 「 統一 」 すると称して 4 万の大軍 で チベットを侵攻し、「 芝居小屋の兵隊 」 といわれた脆弱な チベット軍を簡単に打ち破り、昭和 34 年 ( 1959 年 ) には広大な チベットの国土を領有化した侵略の事実を我々は決して忘れていません。

チベットは過去に 1 度たりとも中国の領土になった事実はなく、中国の主張した解放と統一とは、彼等の侵略をごまかすための、政治的口実に過ぎませんでした。それだけでありません、朝鮮戦争の最中に劣勢に立たされた北朝鮮を支援するため、 数百万の大軍 で韓国に侵入し首都 ソウルの占領はもちろん、韓国南端の釜山近くまでも攻め込んだ侵略の事実もありました。

更にベトナム戦争終了後の昭和 54 年 ( 1979 年 )2 月には、ベトナムに懲罰を加えると称して 2 万 の大軍で ベトナムを侵略し 中越戦争 を引き起こしました。しかし朝鮮戦争 ( 1950 年 ) 当時の旧式な武器と人海戦術では、ベトナム戦争で鍛えられ近代化された兵器の ベトナム軍の反撃に抗し切れずに、6 万の死傷者を出して中国に逃げ帰った事実を我々は覚えています。それゆえに ロシア( ソ連 )、中国、北朝鮮は 明らかに侵略国家である 。 よってそれらの国旗、国歌についても 敬意を払うべきではない 、との理屈が当然成り立ちます。

それだけではありません。現在 G−8 など世界における主要国のうち、かつて他国を侵略しなかった国、植民地支配をしなかった国は無いと言っても過言ではありません。従ってそれらの国の国旗、国歌に対しても、国際的行事の場で、敬意を払う べきではない ということになります。

注:)
第 2 次大戦後武力により領土を拡大し、現在もそれを保有している国が 3 ヶ国 ありますが、その内の 2 ヶ国が 社会主義/共産主義国です。

  1. 前述のように チベットを侵略し、昭和 34 年 ( 1959 年 )には チベットにおける最高の宗教指導者 ダライ ・ ラマ を武力で インドに追い払い、チベットの広大な領土を手に入れた 中国
  2. 日本との相互不可侵条約を破り昭和 2 0年 8 月 8 日( 終戦の 1 週間前 ) に日本軍を攻撃し、北方領土 4 島 ( クナシリ、ハボマイ、シコタン、エトロフ ) を占領して、今も占有し続ける ロシア ( 旧ソ連 )。
  3. 数次にわたる中東戦争の結果 ヨルダン川の西岸地域と ガザ地区を占領し、パレスチナ人を追い出して、そこへ自国民を入植させて支配地域を拡大した イスラエル です。

    [ 6:新しい国旗を制定すべし、の根拠? ]

    戦犯である(?)日の丸に代わり新しい国旗を制定すべきであるという根拠の一つとして、戦時中連合国に対して枢軸国と呼ばれていた日本、ドイツ、イタリアの 3 ヶ国のうちドイツ、イタリアの 2 ヶ国が国旗を変更したにもかかわらず、日本だけが変更せず、日の丸に固執するのはおかしいとの説が一部にあります。

    ドイツについては昭和 8 年( 1933 年 )に ヒットラーが率いる ナチスが政権を取ると、それまでの国旗から「 カギ十字 」 の ハーケンクロイツ ( Hakenkreuz ) に変更しました。しかし戦後になると今度は ハーケンクロイツ から元の ドイツ共和国 ( 1919 年に成立 )の国旗に戻したものです。

    イタリアについては 1861 年 に イタリア王国が成立しそれ以来王制を敷いてきましたが、戦後の 1947 年( 昭和 22年 ) になって王制から共和制に移行したため、それまで縦に赤、白、緑の3色に分けられていた国旗の中央にあった イタリア王国の紋章を外したものです。換言すれば国旗の デザインの 一部を変更したものに過ぎません。

    即ち ドイツ、イタリア の 2 ヶ国とも 「 新しい国旗の制定 」 という意味での国旗の変更は、していないというのが真相です。

    詳しくは、ここをクリック

    [ 7:国旗国歌の法制化の経緯 ]

    社会党 ( 社民党 )、共産党、部落解放同盟などの支援を受けた日教組が学校教育の現場で、国旗国歌の強制は平和教育に反し、差別につながる ( ? ) という理由を掲げて反対すると共に、国旗国歌に関する法的根拠の欠如も反対理由の一つにしていました。

    ところが広島県では教育委員会による日の丸掲揚、国歌斉唱実施の職務命令と、高校教員組合との対立の板挟みから、広島県立世羅高校の石川敏浩校長が平成 11 年 ( 1999 年 ) 3 月 1 日の卒業式の前日 ( 2 月 2 8日 ) に自殺するという事件が起こりました。

    注:)
    「 立て!、日本 」 ( 高木書店発行 ) における渡部昇一氏の発言によれば、国旗国歌の件で教員組合との対立からこれまで自殺した校長は 5 名、教育関係者は 2 桁になるとのことでしたが、世羅高校の事件以外はほとんど報道されませんでした。

    この事件が契機となり、学習指導要領だけに頼るのではなく、教職員、生徒を完全に指導服従させるには国旗、国歌を明確に法制化すべきである。 これは単に教育の分野だけの問題だけでなく、国家や国民としての根幹にかかわる問題、つまり日本国の構成員としての 「 アイデンティティー、在り方 」 に関連する問題である との世論が高まり、小渕内閣は平成 11 年 8 月 13 日に国旗国歌の法制化をおこないました。

    国旗国歌に関する法律 ( 法律第 127号 )

    第一条、国旗は、日章旗とする。日章旗の制式は、別記第 1 のとおりとする。

    第二条、国歌は、君が代とする。君が代の歌詞及び楽曲は、別記第 2 のとおりとする。( 以下省略 )


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