3:東 京 裁 判 の 違 法 性

(1)、聖 書 に 恥 よ !

一 般 に キ リ ス ト の 言 葉 と し て 知 られている 「 罪 な き 者、石 も て 打 て 」 がありますが、詳 し く 言えば、新 約 聖 書 の 「 ヨ ハ ネ による 福 音 書 」 ・ 第 八 章 ・ 七 節 〜 九 節 に、その 記述 があります。 ( ) 内 は 管理人 の 説明

イ エ ス は 身 を 起 こ し て 彼 らに 言 わ れ た

あ な た が た の 中 で 罪 の な い 者 が 、ま ず こ の ( 姦 淫 = か ん い ん し た ) 女 に 石 を 投 げ つ け る ( 石 投 げ の 刑 = 死 刑 に す る ) が よ い

そ し て ま た 身 を か か め て、地 面 に も の を 書 き 続 け ら れ た。

これを 聞 く と 、彼 ら は 年寄 り か ら 始 め て 、一 人 ひ と り 現場 か ら 出 て 行 き 、つ い に、イ エ ス だ け に な り、女 は 中 に い た ま ま 残 さ れ た。

換言 す る と 「 人 を 責 め る 際 は 、 自 分 自 身 も 真 に 潔 白 で あ る か ど う か を 問 え 」  と 言 う 意 味 で も 有 り ま した。

東 京 裁 判 ( 極 東 国 際 軍 事 裁 判 所 ) に お い て 英 国 を は じめ 欧 米 諸 国 は、 そ れ ま で 彼 ら 自 身 が お こ な っ て き た 侵 略 戦 争 や、数 百 年 に 及 ぶ ア ジ ア ・ ア フ カ に 対 する 植 民 地 支 配 を してきたにも 拘 わらず、 そ れ と は 無 関 係 の 如 く に 振 る 舞 い ま し た

そ して 日本を 侵 略 国 家 と 断 罪 し、ア ジ ア 侵 略 の 汚 名 を 一 身 に 着 せ、 日本を ス ケ ー プ ゴ ー ト ( い け に え ) とすることにより、自 ら の 侵 略 行 為、植 民 地 支 配 責 任 を 覆 い 隠 そう と したのです。

英 語、フ ラ ン ス 語、ポ ル ト ガ ル 語、ス ペ イ ン 語 など 世 界 の 言 語 地 図 を 見 れ ば、ど こ の 国 が どこを 侵 略 し、植 民 地 支 配 を し た の か が 一 目 で 分 か り ま す

これまで 武力侵略 により 植民地支配 を してきた 連 合 国 には、日本を 侵 略 の 罪 で 裁 く 資 格 な ど 全 く 無 く その 恥 知 らずな 行 為 に 対 して 日 本 は  聖 書 に 恥 よ 、と 叫 ぶ べ き な の で す。

東京裁判 を 構成する 11 ヶ 国 の 代表判事 の 中 で、その 当時 国際法関係 の 著書 があったのは、カ ル カ ッ タ ( 2 0 0 1 年 か ら コ ル カ タ、 K o l k a t a に 変 更 )大 学 法学部教授 を 務 めた イ ン ド 代 表 の ラ ダ ・ ビ ノー ド ・ パール 判 事 ( R a d h a b i n o d - P a l ) だけで した。

判 事 は 英 文 2 5 万 語 ( 日本語 の 訳文 にすると 1 2 1 9 頁 ) に 及ぶ 判決理由書 を 書 き 、その中で 判事団 では 唯 1 人、日本人被告 全員 の 無罪 を 判 決 しま した。

その 根拠 は 東京裁判 そのものの 違 法 性 と 起 訴 の 非 合 理 性 を 指 摘 したもので、

第 2 次大戦 以前の 国際社会 では、一 国が 他国 に対 して 征服支配 し ( 武 力 に よ り ) 侵 略 することは、 犯 罪 で は な か っ た 。 犯 罪 では なかったが 故 に 、これまで 欧 米 諸 国 も ア ジ ア、 ア フ リ カ を( 武 力 に よ り ) 侵 略 し、植 民 地 化 してき た で は な い か。

戦争 が 犯罪 でな いのであれば、なぜ 日本 と ド イ ツ の 指 導 者 のみを 裁 く の か?。戦 争 に 勝 っ た が 故 に 正 義 であり、負 け た が 故 に 罪 悪 で あ る と す る の で あ れ ば、も は や そ こ に は、 正 義 も 法 も 真 理 も 存 在 し な い。

と述 べま した。


(2)、適 用 す べ き 法 律 の 有 無

判事 の 意見 を 要約 すると、本来 戦犯裁判 に 適用 す べき 法 律 が 国 際 法 上 か ら は 存 在 せ ず

戦 争 に 対 す る 共 同 謀 議 ・ 平 和 に 対 す る 罪 ・ 人 道 に 対 す る 罪 を 、 戦争終了後 に 裁判所条例 により 新 たに 制 定した 東京裁判 それ 自体 が、以下の 法 の 真理、司法 の 原則 に 反 する 違法 なもので、 起訴 すべきではなかったというものでした。


  • 国 際 法 優 位 の 原 則
    事実上 米国大統領 により 指名 された、連合国軍最高司令官 に 過 ぎ な い マ ッ カ ー サ ー が 制定 した 東京裁判所 条例 よ り も 、国 際 法 が 上 位 の 法 規 範 で あ る の は 自 明 の こ と 。

  • 罪 刑 法 定 主 義
    文明国 における 法律 の 大原則 と し て 広 く 採用 されている、法 に 規定 が 無 け れ ば 罪 に は な ら ず 、法 に 規 定 が 無 け れ ば 刑 罰 を 受 け な い と す る 原 則。

  • 法 の 不 遡 及 ( ふ そ き ゅ う ) の 原 則
    実行時 に 適 法 で あ っ た 行 為 は 、そ の 後 に 作 ら れ た 法 に よ り 遡 っ て 罰 っ せ ら れ な い 、とするもの。


(3)、談 合 裁 判

戦争末期 の 昭 和 20 年 ( 1945 年 ) 6 月に 米、英、仏、ソ 連 ( 当時 ) の 4 ヶ国は ロンドンで 会 議 を 開 き、今後 の 戦 争 裁 判 の 方 針 を 決 めました。

きたるべき 戦 犯 裁 判 では 連 合 国 の 行 為 は 問 題 とされてはならず 、あくまでも 枢 軸 国 ( 日 本、ド イ ツ、イ タ リ ア ) の 過 去 の 危 険 の み を 裁 く ことにするという、 いわゆる ロ ン ド ン 協 定 を 結 びま した。

この 事実 を 見 れば 自分 たちの 犯 罪 行 為 を 棚 上 げに した 彼 らに、正義 と 文明 の 名 の 下 に 他 国 を 裁 く 資 格 など 全 く 無 く 、あるのは 敗 者 に 対 す る 復 讐 心 だ け なのは 明 白 で した。 パー ル 判事は、

戦 犯 裁 判 が 常 に 降 伏 した 者 の 上 に 加 えられる 災 厄 であるとするならば、 連合国 は 法 を 引用 したのでもなければ、適用 したのでもない。 単 に 戦 勝 国 の 権 力 を 誇 示 し た にすぎないと 述 べ ま したが、 けだ し 名 言 で し た。


監獄 と 刑務所、雑感の頁に戻るには こ こ を ク リ ッ ク


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正義 と 文明 の 正体 に 戻 るには、 ここを ク リ ッ ク


判事 の 意見 は 法 律 に 照 ら し て 裁 判 を す る という 国 際 的 に 普 遍 性 のある 司法制度 の 根 幹 から 導 き 出 されたものです。

東条首相 を 初 めとする 戦犯 に 対 する 復 讐 心 と 日本人 に 対 する 蔑 視、 偏 見 から、刑 罰 を 加 えるという 政 治 目 的 のために 司 法 の 原 則 を ね じ 曲 げて 戦 犯 裁 判 をおこなう 連 合 国 の 行為 に、パ ル 判事 は 法 と 正 義 を 護 る 立 場 から 反 対 したので した。

さらに 判 事 によれば 日 本 が 戦 争 に 踏 み 切 ったのは、自分 勝手 な 侵略 の ためではなく、むしろ 独 断 的 な 現 状 ( ア ジ ア における 植 民 地 支 配 ) の 維 持 政 策 をとる 欧 米 諸 国 によって、 挑 発 さ れ た た め であると しま した。


残 虐 行 為 に 対 す る 政 治 指 導 者 の 責 任

非戦闘員 の 生命 と 財産 の 無差別破壊 が 違法 と いうのであれば、 原 子 爆 弾 投 下 の 決 定 こそ、「 第 1 次 大 戦 ( 1914〜1918 年 ) における ド イ ツ 皇帝 の 指 令 ( 注参照 )、第 2 次大戦における ナ チ ス 指 導 者 ( ア ド ル フ ・ ヒットラー ) の ユ ダ ヤ 人 抹 殺 指 令 に 近 似 し た 唯 一 の も の だ 」 と 述 べ て いま した。

何十万人 も の 非 戦 闘 員 を 原 爆 により 虐 殺 した、米 国 大 統 領 による 「 残 虐 行 為 」 の 責 任 の 存 在 を 間 接 的 表 現 ながら 指 摘 したものでした。

注:)
第 1 次大戦当時、オーストリア、イタリアと 3 国同盟を結んでいた ド イ ツ の 皇 帝 ウイルヘルム 2 世 ( 在位 1888〜1918 年 ) が 、オーストリア 皇帝 の フランツ ・ ヨーゼフ に 送 っ た 悪 名 高 い 手 紙 によれば、

すべてを 炎 と 剣 の、生 け 贄 ( に え ) に しなければならない。 男、女、子供、老人 を 殺 戮 ( さつりく ) し、1 本 の 木、1 軒 の 家 さえ 立 ったまま 残 してはならない。
と命じました。

(4)、判 決 の 締 め 括 り

パ ー ル 判事 が 書 いた 判決理由書 の 最後 は、次 の 言葉 で 締 め 括 られて います。

時 が、熱 狂 と 偏 見 を やわらげた 暁 には、また 理 性 が 虚 偽 からその 仮面 を 剥 ぎ 取 った 暁 には、その 時 こそ、正義 の 女神 は 秤 ( は か り ) の 平衡 を 保 ちながら、過去 の 賞 罰 の 多 く に、その 所 を 変 えることを 要求 するであろう。

現在では 東京裁判 の 正当性 を 主張 する 国際法学者 は、国際的 にも、国内的 にもご く少数 に しかに 過 ぎません。パール 判事 が 予言 した 如 く、時 が 正義 の 仮面 を 引 き 剥 が し、 偏 見 と 復 讐 の 素 顔 を、 白 日 ( は く じ つ 、光 輝 く 太 陽 ) の 下 に さら したからで した。

厳正中立であるべき 法 の 真 理 が、 政治目的化 した 東京裁判 により 歪 められた 事実 を、前述 の オランダ 代表判事 を 勤 めた レーリンク を 初 め、世界 の 国際法学者、研究者達 が 認 めるように なったからです。

外交官 の 経歴 を 持 ち 英国 法曹界 の 長老 でもあった ハ ン キ ー 卿 は 「 戦 犯 裁 判 の 錯 誤 」 と 題 する 著 書 ( 昭和 27 年 10 月 日本語訳出版 ) の中で、パー ル 判事 の 日本人 戦犯 無罪論 に 100 パーセント 賛 成 する 考 えを 述 べ ま し た。

パ ル 判事 は 昭和 2 7 年 ( 1952 年 ) に 国連 から、国際法委員会 の 委員 に 任命 され、その後には 委員長 の 職を 務 めま したが、 東京裁判の 関係者で 国連の 国際法委員 に 任命 された者 は、 パー ル 判 事 ただ 1 人 で し た。

彼を除きその職にふさわしい 見識 と 能力 の 持ち主 が、いなかったのかも 知れません。

昭和 4 1 年 ( 1966 年 ) 10 月に 来日 し、国際法 の 分野 での 活躍、 功 績 により、天皇陛下 から 勲 1 等 瑞 宝 章 を 授 与 されましたが、 翌年 82 歳 で 死 去 しま した。

注 : A )
ロ ー マ 法 王 の 発 言

征 服 者 が 非 征 服 者 を 裁 判 することには 不 当 な 点 がある。 そ して 中 立 国 の 裁 判 官 を 加 える 必 要 が あ る。

と 国際刑法学会 で 演説 しま した。( シ カ ゴ ・ ト リ ビ ュ ー ン 紙 が 昭和 2 8 年 = 1 9 5 3 年 に 報 道。)

注 : B )
朝鮮戦争 ( 1950〜53 ) 勃発 直後の、昭和 2 5 年 ( 1 9 5 0 年 ) 10 月 15 日、ハ ワ イ と 東京 の 中間 にある ウ エ ー キ 島 で ト ル ー マ ン 大統領 ( 当時 ) と会談 した マ ッ カ ー サ ー は、自己の管轄下でおこなわれた東京裁判に 言及 して、

裁判を したことは 誤 りであった と 述 べ ま し た。

注 : C )
米国の著名な月刊雑誌、フ ォ ーチ ュ ン の当時 の 記事 ( 昭和 2 4 年 4 月 号 ) に依れば、

法廷 に 証 人 と して 出廷 せず、従 って 宣 誓 無 しに 作成 された 検事側 書類を 証拠 と して受理 し、検事 と 弁護人 に 異 なる ( 大 差 あ る ) 審理手続きで 弁護側 に 不利 を 与 えた 東京裁判 は、判決 に 批判 の 余地 を 残 した。

イ ン ド の 判事 パー ル は、 勝者 が 決 めた 定義 による 裁判 は、 文 明 を 抹 殺 するものである と 爆 弾 宣 言 を したが、フ ォ ー チ ュ ン 誌 が 3 年前 に 表明 したのと 同 じ 趣 旨 のものである。

国際条約 では 侵 略 の 定 義 は 定 め ら れ て お ら ず、( 侵 略 で あろうと 無 かろう と ) 一 切 の 戦 争 を 犯 罪 と は し て い な い。

更に 個人 を 罰 する 規定 は 存在 せず、国 連 人 権 宣 言 第 11 条 ( 犯罪 の あ っ た 当時 の 刑法 以上 の 重 き 刑罰 を 科 す べ か ら ず ) の 精 神 に 違 反 する ものである。 侵 略 に 対 する 法 的 制 裁 は 事 後 法 で あ り、 支 配 者 によって 創 ら れ た 罪 状 で あ る。 要 す る に 本 裁 判 は、法 の 精 神 に 反 するものである。

と 述 べ られて いま した。


注 : D )、レ ー リ ン ク の 発 言

昭和 58 年 ( 198 3年 ) 5 月 に 東京 で 東 京 裁 判 国 際 シ ン ポ ジ ウ ム が 催 されま したが、東京裁判において オ ラ ン ダ 代表判事 を 務 めた 国 際 法 学 者 である レ ー リ ン ク も 出席 しま した。その 際 の 講 演 で 彼 は

侵略戦争は 第 二 次 大 戦 の 開戦 の 段階 では、国際法上 の 犯罪 ではなかった。そして 侵 略 戦 争 の 罪 は 明 らかに 敗 戦 国 に 対 してのみ 適 用 されたが、二 つ の 裁 判 ( ニュールンベルクも 含 めて ) とも、その 源 に ( 敗 戦 国 に 対 する ) 悪 意 が あ っ た ことは 真実 である。 それ( 裁 判 ) は 政治目的 のために 誤 用 され、多 かれ 少 なかれ 不 公 平 であった。
と 述 べま した。

つまりその当時、戦争 は 犯罪 では 無 かったにもかかわらず、敗 戦 国 に 対 する 復 讐 と い う 政 治 目 的 か ら、「 平和 に 対 す る 罪、 戦争 に 対 する 共 同 謀 議 」 などの 罪 を 事 後 法 によ り 制 定 し、 被告達 を 極 刑 に 処 しま した。

裁判の 不公平さ については「 多 か れ 少 な か れ 」 の 程 度 ではな く、審 理 の 進 め 方 、証拠 の 採用 などの 手続 き に お い て、 極 め て 不 公 平 で あ っ た と い う の が 実 状 で す。

レ ー リ ン ク は 東京裁判 に オ ラ ン ダ 代 表 判 事 と し て 直 接 かかわり 、 有 罪 判 決 の 片 棒 を 担 い で お き な が ら、3 5 年 も 経ってから 今 更 なにを 弁 解 するのかと 言 いた くなります。彼 は 東京裁判 当時、パー ル 判 事 の 爪 の 垢 でも 煎 じ て 飲 む べ き で し た。



4: 米 国 流 の 正 義 と は

(1)、国 際 刑 事 裁 判 所 の 設 置 に 反 対

平成 14 年 7 月 1 日 から、国 際 刑 事 裁 判 所 ( I n t e r n a t i o n a l - C r i m i n a l - C o u r t ) の 設 立 条 約 が 発 効 し、これまでに 1 3 8 ヶ 国 が 署名 し、そのうち 7 6 ヶ 国 が 既 に 条約 を 批准 しま した。

この 裁判所 は 虐 殺 や 戦 争 犯 罪 など 非 人 道 的 な 行 為 を した ( 国 で は な く )、 個 人 を 裁 く 初 めての 国 際 裁 判 所 で、オ ラ ン ダ の ハ ー グ に 常 設 されま した。

注目 すべき 点 は この 裁判所 が 裁 くのは 前述 の 「 人 道 に 対 す る 罪 」 だけで、 東京裁判 で 日本人 を 戦犯 と し て 裁 い た 「 平 和 に 対 す る 罪 」を 裁 く ことはありません。なぜだと思 いますか?。

戦争の 原因 について 一 方 の 国 が 正 し く、他方 の 国 が 正 し く な い な ど と、 容易 に 決 め ら れ な い か ら で す。中国 の 諺 に 「 春 秋 に 義 戦 な し 」 つ ま り、乱世 の 春秋時代 ( BC 770〜 BC 403 年 ) に 正 義 の 戦 い な ど 存 在 せ ず、というのがありましたが、 ヨ ー ロ ッ パ に も、 「 正 義 は 国 の 数 だ け 存 在 す る 」 と い う 諺 が あるからです。

米国 は 以前 からこの 裁判所設置 には 大反対 を してきま した。現在米国は 130 ヶ国 に 25 万 5 千人の 陸 海 空 軍 兵 士 や 海 兵 隊 員 を 派 遣 して いますが、 海外 での 戦 闘 で 米兵 が 戦犯 と して 裁 かれる 恐 れがあると いう 理由からです。

そのため 米 国 は 過去 何度 も I C C ( 国 際 刑 事 裁 判 所 ) 設立 準 備 委 員 会 で 米 兵 を 訴 追 対 象 から 除 外 する 規 定 の 設 置 を 求 めてきま した。そ して 未 だにこの 条約 の 批准 を 拒 否 して います。

ベ ト ナ ム 戦 争 当時 の 昭和 4 3 年 ( 1 9 6 8 年 ) 3 月 16 日、ウ ィ リ ア ム ・ カ ー リ ー 中 尉 に 率 い ら れ た 第 1 1 旅団 の 米兵達 が、多数 の ベ ト ナ ム 民間人 女 性、子 供 を 虐 殺 したことで 有名 となった、 ソ ン ミ 村 事 件 が 起きま したが、たとへ 米兵 がこのような 戦争犯罪 を 犯 しても、起 訴 を す る な という 要 求 です。 な ん と 身 勝 手 で し か も 恥 知 ら ず な 要 求 で しょう か!。

(2)、ベ ト ナ ム で の 虐 殺 責 任 者 の そ の 後

虐 殺 事 件

事件 の 詳 細 は ソ ン ミ 村を含む、ソ ン チ ン 地区 における住民の 大虐殺 で、 カーリー 中尉 と 彼 の 部下 が 合計 3 4 7 名 の 老人、女性、子供、赤 ん 坊 を、掃 討 作 戦 の 際 に 部 落 の 数 箇 所 に 集 め た う え で 銃 により 虐 殺 しま した。

裁判 において 女 性 や 子 供、赤ん坊 を 殺 害 した 理 由 を 問 われた 兵 士 の 1 人は、

女 性 は V C ( V i e t n a m - C o m m u n i s t 、 ベ ト コ ン = 民 族 解 放 戦 線 兵 士 ) の 子 供 を 産 む、そ して 子供 は 成長 すれば V C になる、だから 殺害 した。

と 述 べま した。


大 虐 殺 で も こ の 刑 罰

内部告発により 虐 殺 命 令 を 下 し た 指揮官 の カーリー 中尉 1 人だけが 軍 事 裁 判 に 掛 けられて 終身刑 を 宣 告 されま したが、合衆国 退役軍人協会 ( U.S- V e t e r a n s - A s s o c i a t i o n ) の 強 い 政治的 圧力 により、 間 もなく 判決 は 2 0 年 の 刑  に 覆 され、さらに 10 年 に 減刑 されま した。 裁判中 もその 後 も ニ ク ソ ン 大統領から 自宅謹慎 の 特権 を 与 えられ、 身 柄 拘 束 や 収 監 もされませんで した。


無 罪 判 決

昭和 4 9 年 ( 1974 年 )10 月 には 地元 ジョージア州、コ ロ ン バ ス の 地方判事 ロ バ ー ト ・ エ リ オ ッ ト が、正当 な 理由 もな く 原 判 決 を 破 棄 したため、カーリー中尉は 虐 殺 事 件 から 6 年後 には 晴れて 自由 の 身となりま した。

過去に多数の 日本軍 兵士 を 不公平 な 戦犯裁判 で 死刑 にするなど 厳 しく 処罰 しておきながら、自国 の 兵士 が 戦争犯罪 や 非人道的行為 を し た 場合 には、 イ ン チ キ な 裁 判 で 無 罪 と し、その後も 米兵 が 国際刑事裁判所 で 裁 かれる 事 には 大反対 をするのです。


正 義 の 正 体

「 他 国 民 に は 厳 し く、自 国 民 に は や さ し く 」、この ダブル ・ スタンダード ( 二 重 基 準 ) こそが 米国 の 唱 える 正 義 の 正 体 であり、「 東 京 裁 判 は 復 讐 劇 に す ぎ な い 」、と 喝 破( か っ ぱ、物事 の 本質 を 明言 すること ) した パー ル 判事 の 正 しさを 証明 するものです。

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