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姫路城工事エリア見学会2


東側入母屋破風の両端

入母屋破風の両端はこのようなデザインになっています。避雷針のワイヤーが通してあるのが見えますね。真ん中あたりに漆喰がマシュマロのようにこんもり盛ってある部分もおもしろいです。

私は建築物の構造などは全くわからない素人ですが、姫路城はデザイン的には、どの方向から見ても、全景でも一部を切り出しても、瓦のようなパーツ単位でも、もれなく隙なくぬかりなく美しくてすばらしいですね。

北西側隅鬼 北西側隅鬼

左は北西側、右は南西側の隅鬼。四隅の鬼瓦は池田家の家紋であるびっくり目の揚羽蝶。周囲に漆喰がきれいに塗られているのがよくわかります。鬼瓦の上は鳥衾瓦、下のあごを出している瓦は隅巴といい、左は桐紋、右は揚羽蝶紋になっています。先端部だけあって瓦の葺き方も複雑ですね。

瓦は滴水瓦で、軒丸瓦は揚羽蝶と五七の桐、軒平瓦は揚羽蝶と五三の桐が交互に葺かれているのが確認できました。右の画像の四角い瓦は隅木蓋瓦で、釘隠の漆喰がこんもり塗られているのがよくわかります。

屋根目地漆喰行程説明 屋根目地漆喰上塗

天空の白鷺に展示されていた屋根瓦のカットモデル。屋根目地漆喰の行程も説明されていて、それによると、①墨出し(ここまで漆喰を塗るという線を瓦に引く)、②下付け、③中塗盛上げ、④上塗とのこと。行程によって漆喰の材料の配合も違うようで、最後の上塗は一段と白いのが印象的でした。

右の画像は上塗部分を拡大したものですが、縦・横・丸全てのこんもり塗ってある周囲に、帽子のつばのような縁取りがあるのがご覧頂けるかと思います。これがあることによってラインがさらにきれいに出るのでしょう。屋根目地漆喰は建物でも塀の瓦でもすべてこのようになっています。縁取り部分の名前は、ダンナは「はえがしら」じゃないかと言ってましたが、確実なことはわかりません。


以下、今回の見学会で気づいたことをいくつか。
その1、蟇股の紋様

南側軒唐破風 大天守二層~五層

天空の白鷺8階からは五重屋根の南側軒唐破風が目の前に見えます(右の画像の赤丸部分)。
破風の奥の壁には蟇股(かえるまた)という、寺院建築に用いられる意匠が見えますが、その中に剣酢漿(けんかたばみ)という、最後の城主となった酒井家の家紋が入っていました(赤四角の部分)。下から眺めたときこの部分は影になっていることが多く、地上からも遠いので、紋様がはっきり確認できたのは今回が初めてです。

南側軒唐破風

2005年10月に、大天守真下の備前丸より撮影した南側軒唐破風の様子。紋様は見えると言えば見えますが、当時持っていたコンデジの限界でこれ以上は無理でした。

北側軒唐破風

こちらは北側の軒唐破風。天空の白鷺からは見えない側です。破風の斜めに降りている部分は、軒丸瓦の左下に丸瓦を入れて階段状にしているんですね。このあたりの瓦の葺き方も見どころのひとつでしょう。

蟇股の紋は、見学会の資料によると「巌敷雪(がんじきゆき)?」とのこと。何の紋様か確定していないし、誰の家紋かもわからないとか。次回の大修理は50年後とのことなので、私がこの紋を間近に見られることはもうないでしょう。

北側軒唐破風兎の毛通、蟇股

正面より。手前の兎の毛通(唐破風の懸魚)は、目がハートでかわいいですね。上下反転させて見ると、機嫌良く笑っているように見えます。このハート形は「猪目(いのめ)」と言います。

蟇股は南側、北側とも、工事用のバリケードなどと重ならないように撮影するのはむずかしかったです。
ちなみに蟇股は、塗り込めているので鏝絵に見えますがそうではなく、こういう蛙が足を広げたような形のものを木で造って据え付けています。すでに奈良時代には寺社建築で見られ、上の木を支える役割を果たしていたのですが、次第に装飾的な意味合いの方が大きくなってきました。厚さは十数センチくらいでしょうか。

その2、七三の桐

降棟鬼瓦(左右) 降棟鬼瓦(中央) 南側軒唐破風

左の画像が左側降棟(くだりむね)鬼、真ん中の画像が中央の降棟鬼です(赤丸部分)。
中央の鬼瓦のみヘアスタイルがセンター分けで、中央、左右とも七三の桐紋になっています。七三にしてあるのは、デザイン的な理由なのではないかとの説明がありました。五三だと真ん中の五の上が空いて五七だと両サイドの五の上が窮屈だからということでしょうか? 七三の桐紋はここで初めて見ました。軒丸瓦の桐は五七、軒平瓦の桐は五三のようでした。桐紋は全て池田家の官位を表すものとのことです。

その3、瓦の食い込み

大天守の軒唐破風は中心が少し前にせり出して、前のめりになった格好になっています。軒瓦は軒丸瓦が手前、軒平瓦が後ろになるように葺かれていますが、破風の中心のせり出しから戻っていく段階で、破風板と垂木の境目付近で瓦が食い込んでいます。担当の方の説明を自分なりに解釈して、軒唐破風の右側を真上(空の方)から見た図を描いてみました(黄色は破風部分、ピンクのラインは丸瓦中心線)。

軒唐破風、瓦の食い込み部分(図)

北西側での様子。このような食い込みは、五重屋根以外の軒唐破風や門にも見られます。

北西側軒唐破風、瓦の食い込み部分

食い込み部分の丸瓦の列を右にずらせるのは、平瓦の幅が決まっているので不可能でしょう。唐破風の前方へのせり出しがなく、ラインの上下移動だけなら食い込まないはずで、こういう切れ込みのある瓦を特別に焼いてでも、破風のせり出しにこだわった設計者の意図はどこにあったのでしょう。

蟇股の家紋様が、芸能人のように帽子を目深に被っているみたいに見えました。そもそも、五層南側の蟇股は、築城当初および修理の度に、歴代城主の家紋を入れていたんでしょうか。下層の蟇股は○があるのみで紋なしですが、入れる予定があったのかなかったのか。家紋が目立ちすぎるなら別の文様を入れてもよかったんじゃないのか――発見と謎の増えた見学会となりました。

(2013年2月21日作成)

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