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看板・プレートに見る昔の姫路 電柱番号札4

―施設名(消滅・移転)編―


ウシオ工業・ウシオ電機

電柱番号札 高尾町(関西電力)、牛尾(NTT)

電柱番号札 牛尾

撮影:2010年11月 兵庫県姫路市高尾町


ウシオ電機(株)会長の牛尾治朗氏は、経済同友会代表幹事などを歴任した著名な財界人です。ウシオ電機はウシオ工業(株)から分岐した企業ですが、ネットでウシオ工業を検索してもほとんど情報が出てきませんので、地元資料を中心に、成り立ちを以下に列挙します。

大正5年(1916)11月

中国合同電気(株)の電球製造部門が独立し、姫路電球(株)設立。

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のちのウシオ電機(株)。中国合同電気(株)同様、姫路市大蔵前町(現在の関西電力姫路支店付近)にあった。中国合同電気(株)の前身は明治30年設立の姫路電燈(株)。

牛尾家は姫路市出身で、戦前、治朗氏の祖父梅吉氏と父健治氏が、不動産業、銀行業(のちの神戸銀行)、電力・ガス事業、製造業などの企業経営に係わり 、姫路市商工会議所の会頭を努めた。

大正7年(1918)9月

姫路製紐(株)設立。

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組紐やゴム紐を製造。象印というブランドがあった。ウシオ電機独立後のウシオ工業となる。大正8年当時の住所は、電柱番号札のある高尾町。

昭和7年(1932)

姫路電球(株)が日本電球(株)に社名変更。

昭和8年(1933)3月

日本電球が姫路市南畝町に工場を建設。

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昭和20年、高尾町の姫路製紐共々戦災で全焼。

昭和14年(1939)12月

姫路製紐(株)が山陽製紐(株)に社名変更。

昭和25年(1939)11月

山陽製紐(株)が山陽繊維工業(株)に社名変更。

昭和26年(1951)

日本電球(株)が日本真空工業(株)に社名変更。

昭和27年(1952)11月

日本真空工業(株)と山陽繊維工業(株)が合併、牛尾工業(株)に社名変更。

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戦後は本社神戸市。社長は昭和30年代より治朗氏の兄吉朗氏。
姫路市には、南畝町278に姫路工場の電機工場が、高尾町614に姫路工場の繊維工場が置かれた。

昭和37年(1962)

牛尾工業(株)がウシオ工業(株)に社名変更。

昭和39年(1964)3月

ウシオ工業の不採算部門だった産業用の光源製造部門が独立、ウシオ電機(株)設立。

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姫路市南畝町278の電機工場が独立。牛尾治朗氏社長就任。吉朗氏は取締役に(のちに会長)。

昭和45年(1970)5月

ウシオ電機が姫路市別所町に播磨工場を設置、東京証券取引所第2部に上場。

昭和46年(1971)8月

ウシオ電機が本社を東京に移転。

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ウシオ工業とウシオ電機の姫路工場は、新幹線建設に伴い廃止されたものと思われる。

昭和58年(1983)3月22日

ウシオ工業が神戸地裁に和議申請、倒産。

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当時の神戸新聞によると、関連会社の女性用下着メーカー(株)フォームフィットジャパンの負債を肩代わりしているうちに、親会社のウシオ工業の資金繰りが悪化したとのこと。ウシオ工業については「ゴム繊維・織物の大手」「兵庫県の"名門企業"」という扱いで報道されている。


姫路駅前のウシオ電機看板

ウシオ電機(株)及び牛尾治朗氏については、あらためて申し上げるまでもないでしょう。
ウシオ電機の創業の地である姫路駅前には、「Lamp&Laser USHIO」と書かれた大きな緑色の看板があります。ひっそりと働いている電柱番号札とは対照的で、JR姫路駅周辺が高架化され、列車からもさらに見やすくなりました。2013年12月看板の改修工事が行われ、白地に緑文字となり、一時的に消えていたネオンが復活しました。

ちなみに、右側の赤と白の看板のある建物は、解体工事が始まっている旧JR駅ビルのフェスタ。姫路駅前は、2014年の完成を目指し、再開発工事が進められています。2011年3月17日撮影。


参考文献

  • 『姫路市史 第五巻 下 近現代2』 平成14年9月28日 姫路市史編集専門委員会編 姫路市発行
  • 『会社総鑑 1971年版』昭和46年7月1日 日本経済新聞社
  • 『全国工場通覧 1972年版』 昭和46年11月10日 通商産業大臣官房調査統計部編 日刊工業新聞社
  • 『姫路商工名鑑 昭和38年版』 昭和38年4月1日 姫路商工会議所
  • 「ウシオ工業が和議申請」の記事 昭和58年3月23日 神戸新聞

(2011年7月10日作成)

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