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富士ヨット学生服 ヨットシャツ 撮影:2001年12月 岡山県倉敷市児島田の口一丁目3-44、明石被服興業(株) |
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東レのナイロン.テトロン 鳩サクラ学生服 撮影:2001年10月 岡山県倉敷市児島田の口七丁目1-11、オゴー産業(株) テトロンの誕生は昭和32年。一般公募により命名されました。帝人の「テ」と東レの「ト」の組合わせなのだとか。 |
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太陽櫻学生服 撮影:2004年4月 岡山県倉敷市児島下の町五丁目5-3、日本被服(株) |
サクラ日本 学生服 シヤツ 撮影:2001年11月 岡山県倉敷市田の口七丁目2-16にあった石井産業(株)の看板。 鉄道沿線などでよく見かける看板です。他の学生服の看板も全国的に多いようです。琺瑯看板が多く作られた時期は団塊の世代が学生服を着ていた時期で、宣伝も随分行われたのでしょう。 |
ニッショウ学生服 撮影:2002年3月 もとは、岡山市磨屋町10-19にあった日本商工(株)のブランド。日本商工は昭和10年(1935)4月設立。昭和59年(1984)ごろなくなっているようです。昭和61年7月より岡山市西大寺中三丁目16-38の昭和被服総業(株)がブランドを継承しています。 |
大臣印学生服 撮影:2002年9月 岡山県倉敷市児島下の町八丁目8-25、(株)背板本店 |
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忠臣服 撮影:2006年10月
倉敷市児島小川にあった西原本店のブランドだったようです。 下は可愛らしい看板ですね。この顔で飛び出しぼうやを作ってもいいかもしれません。 |
![]() ![]() 上の酒看板共々消滅。 まるまん学生服 撮影:2002年3月 大正8年(1919)、岡野多郎松氏が織物業創業。昭和12年(1937)、学生服の製造を始め、昭和25年、岡野興業(有)に改組、○万印製品(学生服、作業服、布類)製造。翌年株式会社に。 丸万被服は昭和60年ごろまではあったのではないかと思われます。母体の岡野興業(倉敷市上富井509-3)はその後も織物業を続け、平成9年(1997)ごろよりゴルフ練習場等の入ったスポーツ施設、リンクスランドを経営しています。 |
ダイヤ学生服 撮影:2005年10月 3分割連結管版。建物のコーナー部分でも楽に張れる仕様。 岡山市北区富町二丁目3-8にあった丸三(株)のブランドだったようです。丸三は昭和11年(1936)創業。昭和25年(1950)会社設立。2000年ごろなくなっているようです。 |
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ダイヤ服 撮影:2001年10月 2002年10月の時点では、社屋はまだ富町二丁目4番にあり、屋上には「世界の子供服 トムソーヤ」と「ダイヤ学生服」の看板がありました。横の道路を本当に何度も通っていたのに、学生服工場だったとは気がつきませんでした。 |
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まるいし学生服
撮影:2002年11月 新潟県見附市(画像提供広坂兼六さん) 少なくとも昭和30年ごろまでは児島下の町一丁目11-27の石井織物(株)のブランド、2002年の時点では倉敷市児島下の町四丁目7-74、丸石(有)のブランドでした。同社は現在ではなくなっているようです。 |
サンスワロー 旭ツバメ 学生服 撮影:2001年11月 昭和25年(1950)1月創業、倉敷市児島稗田町1680にあった旭被服興業(株)のブランド。2006年ごろは岡山市北区駅元町15-1(尾崎商事と同じ)、エクセル(株)のブランド。 |
日の出桜学生服 撮影:2002年4月/ 日の出桜学生服シャツ 撮影:2002年4月 岡山県倉敷市児島小川二丁目4番60号、児島(株) |
児島半島周辺では、江戸時代より、塩分に強いといわれる綿花栽培が行われていました。明治より足袋製造が盛んになり、大正期には国内でもトップクラスの生産量を上げたそうです。
大正後期、将来の需要を見越し、数社が学生服の製造を始めました。
昭和27年(1952)、明石被服興業・尾崎商事・帝国興業(トンボ)・日本商工・備前興業の5社が東レナイロン系列に加入。
昭和29年、倉敷ビニロン系20数社が誕生(明石商事・旭被服興業・石井産業・児島(株)・背板本店・丸万被服等)。
昭和30年、東レナイロン系は赤崎興業・小郷産業・児島織物・西原本店・日本被服を加え10社に。これにより、織物から縫製まで一貫して行っていたシステムが消えていきます。
昭和30年代が学生服生産の最も盛んだった時期で、38年(1963)の生産高は史上最高。しかし、40年代に入ると生産過剰となり、景品付販売も行われましたが、企業の倒産は増えていきました。
現在は、ユニフォームやカジュアル衣料を手がけるところも多くなりました。それでも学生服生産量の6割以上は岡山県のメーカーが占めています。
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トンボ |
岡山県岡山市北区厚生町二丁目2番9号(岡山本社)、岡山県玉野市八浜町大崎1212(本店)、(株)トンボ |
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乃木服 |
昭和3年(1928)、備前織物(のちの備前興業(株)、岡山市昭和町4-7)により乃木将軍学生服として売り出されました。岡山ではTVCMもやっていました。昭和60年7月より、ニッショウ学生服同様、昭和被服総業がブランドを継承しています。 |
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大楠公 |
倉敷市児島小川の児島織物(株)のブランドでした。 |
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萬点印 |
倉敷市児島赤崎の赤崎興業(株)のブランドだったらしい。赤崎興業は昭和3年(1928)設立。昭和55年(1980)ごろまではあったようです。あるいは(株)ケニントンと改称されたのかもしれませんが、タウンページ検索では見あたりません。 |
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サクラサンエー |
岡山市昭和町7-3の山尾被服工業(株)のブランドだったらしい。同社は昭和25年(1950)創業。昭和45年(1970)ジーンズの製造を開始。昭和48年(1973)(株)ボブソンに社名変更。本社は岡山市北区平野788番地に移転しました。2009年、ジーンズのボブソンブランド譲渡、社名変更予定。 |
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幸福印 |
倉敷市児島下の町三丁目12-37の洲脇産業(株)のブランドだったらしい。洲脇産業は昭和29年(1954)、倉敷ビニロン系列に参加。 |
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ヒカリ富士 |
昭和30年12月のデータによると、倉敷市児島小川の前野産業(有)のブランドだったようです。 |
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富士スワン |
昭和30年12月のデータによると、倉敷市児島小川の中村被服興商(株)のブランドだったようです。児島小川には日の出桜、まるまん、忠臣学生服、大楠公等のメーカーがありました。 |
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ワニ錨 |
昭和30年12月のデータによると、岡山県倉敷市児島下の町の、西山興業(株)というメーカーのブランドでした。「ワニ錨」。すごい名前です。学生服のネーミング大賞を進呈したく思います。眠そうなワニが錨に前足をかけ、「丈夫ですが何か」と言っている場面を想像してしまう……。製品は丈夫だったのに、メーカーの方が持たなかったようで残念です。 |
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ブランドのネーミングは、大きく分けて、乃木服のような日本男児系、サクラ日本のようなニッポン系、まるいしのようなメーカー名に由来するもの、学生系、良さげ系(良さそう、丈夫そう等)に分けられるようです。以下、いくつか例を挙げてみます。 日本男児系:乃木服、大臣印、忠臣服、大楠公、東郷印、大西郷印、カブト印など 大楠公などはいかにも戦前からのブランドらしいネーミング。平和富士、鳩五輪は戦後ものでしょう。 オノト学生服(小野藤(株))は通っていた高校の指定メーカーで、野田屋町の工場に制服の追加注文に行ったことがあります。当時は何とも思いませんでしたが、メーカーに直接買いに行けたのは岡山ならではのことだったのですね。女子の制服はメーカー指定は無理なので、学生服のCMなんて意味があるのかと、子供の頃は思っていました。 オノト、まるお(マルオ・ライオン:(株)荻野本店)、(株)アサヒデフネ、宝富士を持っていた河合産業(株)は健在。名誉印を持っていた(株)サンアミ(旧(株)角南本店)は近年までがんばっていましたが、2008年10月16日倒産。○尾印は日本で最初にジーンズを製造した(株)ビッグジョンのブランドで、同社は昭和30年ごろは、丸尾被服工場として学生服を製造していました。 | |
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スクールタイガー学生服 撮影:2002年10月 大阪府東大阪市石切町七丁目4番3号、瀧本(株) 琺瑯看板は見つかりませんでしたが、岡山以外の大手学生服メーカーということで掲載しました。大阪も繊維業が盛んだったので、中小メーカなら他にもあったと思われます。兵庫県では、ニッケ(日本毛織(株))がウールの学生服を製造しています。こちらは生地も自前なので、昔ながらのシステムですね。 |
参考文献
2002年11月27日:まるいし学生服追加。2004年2月18日:菅公学生服差替え。2004年5月10日:太陽櫻学生服差替え。
2007年3月8日:忠臣服、ダイヤ学生服、まるいし学生服拡大画像追加。まるまん学生服差替え。コメント修正。
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菅公学生服 撮影:2001年12月
岡山県岡山市北区駅元町15番1号 岡山リットシティビル5階 (旧本社:岡山県倉敷市児島田の口三丁目10-25)、尾崎商事(株)
尾崎商事は安政元年(1854)、綿糸業創業。大正12年(1923)より学生服の製造開始。昭和4年(1929年)、株式会社設立。平成17年(2005)、本社移転。
ブランドの由来は、尾崎邦蔵氏が琴浦天満宮(菅原道真公)を信仰していたため、「菅公」の商標を神田の帽子店から買い取ったのが始まりとのこと。