敗戦直後の鉄道
鉄道の被害統計敗戦当時の鉄道は、相次ぐ空襲により施設、車両などに、甚大な被害を蒙っていました。全国では
客車の保守整備空襲の被害を受けずに使用中の客車も貨車も、戦時中の酷使と物資不足のため、大部分の車両はきわめて保守が悪く、窓 ガラスは破れたまま、座席の表面を覆う布は剥ぎ取られて スプリングが露出し、車内の照明もその 3 分の 2 が電灯の タマ 切れから消灯したままで、薄暗い車内でした。金属部品も盗まれたまま補給がつかず、便所の カギ も破損したままで、洗面所にいたっては蛇口も盗まれて、水などはほとんど出ないという状態でした。しかも 一部の路線では客車の不足から有蓋貨車 ( 雨に濡らさない荷物を載せる貨車 ) や無蓋貨車を使用して人を運び、客車の屋根にまで人が乗る混雑ぶりでした。 また車両の整備不良が原因で中央線の電車の ドア が走行中に外れてしまい、乗客が神田川に転落する事故もありました。
(鉄道終戦処理史より) 当時 3 等車の緑色や 2 等車の青色の座席に使用されていた表面が ケバ 立った布が、6 センチ幅で長さ 30 センチ に カット されて靴磨き用に闇市で売られていたそうですが、これが客車から盗まれ、剥ぎ取られた布の行方かも知れません。
|