天 災 と 人 災![]() [ 1: 大 震 災 の 序 曲 ]平成 23 年 3 月 11 日の午後、地 デジ移行に備えて ブルー レイ ・ レコーダーの下見に家電量販店を訪れましたが、何気なく テレビの予算委員会の中継を見ると菅総理を初め閣僚たちが上を見あげたので、何かあったのかと思いました。関西では小さな地震の揺れでしたが、東京ではかなり大きな揺れとなり委員会室の天井にある照明器具が揺れたためでしたが、それが 14 時 46 分に東北 ・ 関東地方を襲った大震災の始まりでした。 テレビ画面では間もなく 三陸沖が震源地であり、地震の大きさを示す マグニチュード 8.4 の値が出ましたが、同時に大津波警報が出され、後には マグニチュードが 8.8 に変更され最終的には 9.0 と新記録に更新されました。[ 2: 地 震 ・ 津 波 の 古 い 記 録 ]最も古い地震の記録は紀元前 2,300 年頃で、中国の古文書 ( こもんじょ ) にあるそうですが、これは古代中国の伝説上の 天下を良く治めた 五帝の 1 人である舜帝 ( しゅんてい ) の時代に、 地震泉湧 ( じしん せんゆう ) と書かれているのだそうです。次に古い記録は紀元前 1831 年のもので、中国には紀元前だけでも 50 回 もの地震の記録があるといわれています。( 2-1、古 代 日 本 の 記 録 ) 日本に関しては 720 年にできた日本書紀の中で 允恭 ( いんきょう ) 5 年 ( 416 年 ) 7 月 14 日 地震 大和国で地震の揺れあり と書れているのが最も古い地震の記録だそうですが、被害の記録としては第 33 代 推古 ( すいこ ) 天皇の 7 年 ( 599 年 ) の 4 月 27 日の条によれば、 夏四月乙未朔辛酉、地動舎屋悉破、即令四方、伸祭地震神 [ 意 味 ] 夏 4 月の乙未 ( きのと ひつじ ) 朔 ( さく、新月 ) 辛酉 ( かのと とりの 年 )に、地震で舎屋 ( しゃおく ) ことごとく倒壊せり。 各地に地震神 ( ない の かみ ) を祭らせるとありました。地震のことを古くは「 な い 」 といいましたが、「 な 」 は土地のこと、「 い 」 は 居の意味で 「 名 居 」 とも書きました。 大和地方を襲ったこの地震を契機に、各地に地震の神を祀る 「 名居神社 」 が建立されました。 また第 40 代 天武天皇の 13 年 ( 684 年 ) 10 月 14 日の条によれば、 大地震 ・ 土佐国の田畠 ( たはた ) 海中に没し、伊豆島 ( いずのしま ) 西北に島を生じ、家屋 ・ 人畜の被害多数。との記録がありました。 [ 3 : 明 治 以 降 の 地 震 ・ 津 波 被 害 記 録 ]参考までに明治以降の地震 ・ 津波による、死者 ・ 行方不明者が 1,000 人以上 出た大地震のみを、表に示 します。
( 気象統計情報 ) ![]() ![]() 注 : [ リ ア ス 式 海 岸 ] シルクロード ( 絹の道 ) の名付け親として知られる ドイツの地理学者 リヒトホーフェン が、スペインの イベリア半島北西海岸で入り江が多く見られた事から、スペイン語で 「 入り江」 を意味する Ria ( リア ) の多い地方の海岸を、1886 年に 「 リアス 式海岸 」 と名付けました。リアス式海岸とは起伏の多い山地が 地盤の沈下 または海面の上昇によって海面下に沈んで生じた 沈水海岸 のことですが、出入りの多い複雑な海岸地形をつくり、海岸線は ノコギリ の歯のように出入りし、背後は山地のところが多いという特徴があります。 東北地方の太平洋岸では 北は青森県 ・ 八戸市東方の鮫 ( さめ ) 岬から 、先端に金華山がある宮城県 ・ 牡鹿半島 ( おしかはんとう ) に至る 三陸沿岸は、リアス式海岸として日本で最も複雑な切り込みの多い海岸線として知られています。海岸には山肌がせまり、鋭く入り込んだ湾の奥に市町村の住宅が存在しています。 三陸沖の深海で発生した地震による津波が勢力を衰えずに沿岸に到達すると、入り江は太平洋に向き、湾口に較べて一般に奥の方が狭くなっているので、 V 字状 の陸岸により津波の エネルギーが集中し、波高が非常に高くなり 津波の被害が大きくなる特徴 があります。 また、湾内では一度押し寄せた津波が反射波となり対岸同士を繰り返し襲い、津波の継続時間が長いことも知られています。 日本海などのように、比較的陸地と陸地が接近している場合、対岸に押し寄せた津波が陸地境界に反射して戻ってくる反射波が繰り返し相互に襲う場合があり、平成 5 年 ( 1993 年 ) におきた北海道 南西沖地震、マグニチュード 7.8、震度 6 の際には、韓国 ・ ロシアなどの大陸を襲った波が、反射して再び奥尻島 ・ 北海道に押し寄せ、場所によっては 1 時間に高さ 3 メートル以上の津波が 13 回 も襲来したといわれています。 [ 4: 地 震 ・ 津 波 発 生 の 仕 組 み ]地震や津波はなぜ起きるのでしょうか、1960 年代に発表された地球科学の学説に プレート理論、または プレート ・ テクトニクス ( Plate Tectonics ) がありますが、地球の表面が右図に示したような 十数枚の固い岩板 ( プレート、 Plate と呼ぶ ) で構成されていて、この プレートがその下で対流する マントル ( Mantle 注: 参照 ) に乗って 1 年間に数 センチというゆっくりした速度で動いていると説明されます。 注:)マントル 地殻の下から深さ 2,900 キロメートル までの部分で地球の体積の約 83 パーセント を占め、地質学的に長い時間でみれば流動していて、熱対流が地殻に力を及ぼして大陸移動や造山運動を起こすとされる説です。 日本列島の東には太平洋 プレートと北米 プレートの境界がありますが、太平洋 プレートが北米 プレートの下に徐々に潜り込んでいます。その動きに接する北米プレートも徐々に曲げられていきますが、 ストレス ( 歪み ) がある限界に達すると 曲げられていた プレートが突然跳ね上がり、もとの状態に戻ろうとします 。 この動きが地震であり、海底深くでこの現象が起きると、跳ね上げられた プレート に接する海水にも動きが伝わるため、津波が起きます。前述のように 三陸のはるか沖には プレートがぶつかって生じた境界面があるために昔から地震が多発し、言わば 地震の巣 ですが、三陸沿岸を襲った地震 ・ 津波のうち、明治以前の記録を挙げますと下記の通りです。( 4-1、明 治 以 前 の 地 震 ・ 津 波 の 記 録 )
( 4-2、津 波 の 高 さ ) ![]() 上記 の 津波 の 高 さは 伊木常識博士 と 宮城県土木課 の 手 算出 され 発表 されたものですが、それ以外の 津波 の 高 さと 地点 は下記 にあります。
( 4-3、津 波 と 地 震 の 大 き さ ) 注意しなければならないのは 地震の大きさと津波の大きさとは 関連しない場合がある ことで、明治 ・ 三陸地震の場合は 震度 3 程度 の小さな揺れであっらにもかかわらず、巨大な津波が発生し、2 万人を超える犠牲者が出ました。 その理由は、この地震が巨大な力 ( マグニチュード 8.2 ~ 8.5 ? ) を持ちながら、ゆっくりと揺れ動く地震、つまり 津波地震 だったためであり、地震の規模を示す マグニチュード の割に不相応に大きい津波を発生させる地震だったからでした。 原因は、海底の地震断層がゆっくり動いたからであり、その規模が大きくても伝わる地震波が相対的に小さいためであるとされています。 八木勇治 ・ 筑波大准教授の解析では、3 月 11 日の地震は 長さ 600 キロメートル、幅 200 キロメートル の範囲の断層が破壊されて起き、大きいところで断層が 8 メートル もずれ動いたと推定されました。 北米 プレートと太平洋 プレートの境界面には柔らかい堆積物が大量にたまっていて、それが数分間にわたってゆっくり動いたと推定されますが、その独特の動きが 激しく揺れる地震波よりもはるかに大きな エネルギーを海水に与えたと考えられています。 今回の長く続いた地震の揺れも 115 年前に起きた明治 ・ 三陸地震の揺れ方と同じであり、三陸沿岸ではこの種類の地震を昔から ヌルヌル 地震、 ゆっくり地震 などと呼びました。 今回得た地震の教訓は、
( 4-4、津 波 予 報 に つ い て ) 気象庁は日本の沿岸を 66 の地域に分けて 「 津 波 予 報 」 を発表 して いますが、すぐに津波が来る場所の地震についてはおよそ 3 分後に 、陸から遠く離れた地震についてはおよそ 7~ 10 分後 に 発表 します。 地震の揺れは波動として観測されますが、それには P ( Primary ) 波と S ( Secondary ) 波があり、P 波は 「縦 揺 れ」、S 波 は 「 横 揺 れ 」 の 波 です。 地震発生後 気象庁は コンピュータ で 速 やかに 震源 の 位 置 ・ 地 震 の 規 模 を決め、津波発生 の 有無 と 沿岸 における 津 波 の 高 さ を 予測 しますが、堅 い 地 殻 を 通 じ て 伝 わ る 地 震 波 は 津 波 よ り も 伝播速度 が 速 い の で、その 速度差 ( 換言すれば 時間差 ) を 利用 して 津波予報 を 出 します。
[ 5: 津 波 の 高 さ の 測 定 ]日本には干潮満潮などの潮位を常時測り記録する地点が 186 箇所 あり、気象庁 ( 検潮所 )・ 国交省港湾局 ( 験潮場 )・海上保安庁( 験潮所 )・ 地方自治体などがそれぞれ 管理運用 しています。今回 の 地震 に関連 した 験潮場と しては、
[ 6: 最 悪 の 事 態 に 対 処 す る 考 え 方 ]ここで話題を がらりと変えますが、物事 の 安全 に関する 考 え 方 に 「 人 は 必 ず 間 違 い を 犯 す 」 も の で あ り、 「 機 械 は 必 ず 故 障 する 」 というのがあります。 人 の 件 は さ て 置 き、今回 は 機 械 ( 動 く も の ) に 焦点 を 当 て て、話を します。( 6-1、リ ダ ン ダ ン シ ー ) 安全性に関する言葉に リ ダ ン ダ ン シ ー ( Redundancy 、 重複性 ・ 余剰性 ) というのがありますが、簡単に言えば、 停止 しては 困 る重 要 な 機 械 に は、代 わ り に 動 く 予 備 の 機 械 を 予 め 用 意 してお くこと ( 二 重 の 安 全 性 ) 。そ れ も 使 え な い 場 合 に 備 え て 更 な る 機 械 を 用 意 し て お く こ と ( 三 重 の 安 全 性 )があります。 換言 すれば 通 常 は 必 要 ではない 物 を、 万一 の 場合 に 備 え て ど の 程度 の 必要性、( 安全性 を 確保 する た め の 余分 な 出 費 ) を 認 め る かという経営側 の 方針 と、設計技術者 の 考 え 方 ・ 良 心 と の 妥 協 に 基 づ く も のともいえます。
![]() ![]() [ 7: 福 島 原 発 の 電 源 は、僅 か 二 重 の 安 全 性、し か も ]( 7-1、悪 夢 の 始 ま り は 停 電 か ら ) 情報 の 詳細 が 開示 されないので 詳細 は 不明 ですが、地震 の 翌日 ( 12 日 ) に 原子炉 1 号機、14 日には 3 号機 の 水素爆発 で 始まった一連の事故が起きましたが、その 原因は停電にありま した。 地震による 停電 が 起き 、原子炉 を 冷 やすための 冷却水 を 送 る ポンプ が 動 かなくなりま した。 さらに 予備 の デイーゼル 発電機 も 津波 により 使 えな く なりま した。つまり原発にとって 「 いのち 」 の根源 である 電源 が全て失われる事態になりました。 問題の ポイント は、
ですが、常に事故と隣り合わせの船舶 や 飛行機 の 設計 にみられる 安全性確保 への 意欲 が、福島原発 の 設計 には 全 く 感 じられませんで した 。 たとえば 予備の ディーゼル 発電機 のうち、なんと 地下室 に 設置 されていたものもあり、 電源 に 対 する 津波対策 など ゼ ロ で 、原子炉 にとって 命取 りになる 全電源喪失 の 非常事態 など 、起 こるべ く して起きたことで した。 想定 された 津波 の 波高 について、東京電力 は 2002 年 ご ろ、 津波 の 専門家 が 1 人 もいない 土木学会 の 指針 に 基 づき、 最大規模 の 津波 の 高 さを福島第 1 原発 は 5.4 ~ 5.7 メートル と 想定 しま した。 今回の地震による 津 波 について 東電 は 当初、津 波 の 高 さは 第 1 原発では 10 メートル、第 2 原発では 12 メートル だったと 発表 しま したが、その後、両方とも 高 さ 14 メートル の 津 波 に 襲 われたことが 判 明 しま した。 [ 注 : 想 定 と は ] 辞書の大辞林によれば、想定とは状況 ・ 条件などを 仮 に 決 め る こ ととありま したが、この津波の 波高 は 想 定 した 波 高 の 実 に 2.5 倍 もありま した。 このことは 東京電力 の 想定自体 に 大きな 誤 り があった 証拠 であ り 、 その原因 は 前述 した 三陸 を 襲 った 過去 の 津 波 の 高 さを 無 視 した からで した。 ( 7-2、村 長 の 先 見 の 明 ) ![]() ![]() ( 7-3、津 波 に 対 す る 危 険 性 の 指 摘 を 無 視 ) 東京電力 ・ 福島第 1 原発 ( 福島県 ) の地震に対する想定をめぐり、2009 年の経済産業省 ・ 原子力安全審議会で、「 産業技術総合研究所 」の岡村行信 ・ 活断層 ・ 地震研究 センター 長が、「 福島原発の安全性は、より十分な余裕を持つべきだ 」 と福島原発の安全性に関する問題点を指摘していたことが判明しました。 それによれば前掲した平安時代の貞観 ( じょうがん ) 11 年 ( 869 年 ) に起きた、陸奥国東方 ( 現、三陸沖 ) を震源として発生した巨大地震 ( 死者 1,000 人、マグニチュード、8.3 ~ 8.6、注:参照 ) に伴い発生した大津波の痕跡を調査した結果、津波の跡が少なくとも宮城県 ・ 石巻市から福島第 1 原発近くの福島県 ・ 浪江町まで分布していることを確認しました。 『 注 : 死 者 の 人 口 比 』 平安 時代 ( 900 年 ) の推定 人口は 約 550 万人 でしたので、人口が少なかった当時で 1,000 人の死者とは、現代に換算すれば 23 倍の 23,000 人 に 相当 しま した。 津波により運ばれた土砂が海岸から最大で 3 ~ 4 キロ 内陸まで入り込んでいた事実から 、福島原発を大津波が襲う危険性を指摘しましたが、東電側は 「 十分な情報がない 」 として地震想定の基準引き上げに難色を示し、設計上は耐震性に余裕があると主張して、 津波に対する想定は先送りされました 。 処世術の極意 官も民も、自分達にとって やっかいな ・ 不利な事態 ( 大津波 ) は起こらない ことにする 。その結果たとえ大津波が起こっても 想定外 だったと言い訳をすれば、杜撰 ( ずさん ) な想定がもたらした 人災 に対する責任は 津波と共に流れ去り、後で問われることは決してない。 つまり 「想定外」 とは責任を免 ( まぬか ) れるための、 無責任 な 口実 ・ 言 い訳 に しか過ぎない。 ( 7-4、責 任 者 の 個 人 的 謝 罪 ) ところで政府の原子力安全委員会の班目 ( まだらめ ) 春樹委員長は 3 月 22 日の参院予算委員会で、東北関東大震災による東京電力 ・ 福島第 1 原発 の 事故 に 関 し、 ( 原発設計の ) 想定 が 悪 かった。想定 について 世界的 に 見 直 しがなされなければならない。原子力 を 推進 してきた 者 の一人と して、 個人的 には 謝罪 する気持ち はあると述 べ、陳謝 しま したが、事故後に 個人的に 謝罪 されても 何 の 意味 もありません。彼が言った想定 ( 設計思想 に 基 づ く 基 準 ) の 中身 と は、福島原発に危機的事態をもたら した 津波 を 防 ぐ ための 設計波高 の 誤 り や、原発 が 持 つ 電源 の 脆 弱 性 ( ぜい じゃ く せ い ) が当然含まれます。 もし---していたらというのは 事故 が 起 きた 後 では 無意味 ですが、せめて 前述 の ( 4-2、津波 の 高 さ ) にある 明治 ・ 三陸大津波 の 際 の 津波 の 高 さ ( 14.0 ~ 38.2 メートル ) から、最大値 と 最小値 を 除 い た 津波 の 平均波高 は 18.9 メートル で したので、それを 基準 に して 安全係数 を 1.5 ( 倍 )にとり、 28 メートル ( 10 階建 て の ビ ル ) の 高 さ に 予備電源 ・ 予備 の 冷却水 ポンプ を 設置 していたならば、津波 による 全電力 喪失 の 事態 も 起こらず、従って 原子炉 からの 放射能漏 れの 事態 も 起 こらなかったに 違 いありません。 ( 7-5、ノ ー モ ア フ ク シ マ ) ![]() [ 8: あ と が き ]実は 3 月初めから別の題名で サンデー 毎日の記に掲載する随筆を書き始めていましたが、 3 月 11 日 の 午後 に 東北関東大震災 が 起 きたので、急 いで 内容 を 「 天 災 と 人 災 」 に変更 して 9 日間で書きあげた次第です。 その間に横浜に住む 食 べ 盛 り 育 ち 盛 り の 子 供 三人 を 抱 えた 娘 から、 コ メ や カ ッ プ ラ ー メ ン などの 保存食料 をは じめ、トイレット ・ ペーパー、テイッシュ ・ ペーパー などが 商店 に 品切 れで 入手 できずに 困 っているとの 連絡 があったので、早速関西 で 品物 を 買 い 集 め近くの クロネコヤマト へ 荷物 を 出 しに 行 くと、そこも 関東地方 に 救援物資 (?)を 送 る 人 たちで 混雑 していま した。 なぜ 品不足 になったのか 理由 がわかりませんが、ガソリン までも品不足になり 被災地 の近くでは リッター 当たり 140 円代 だった ガソリン を 200 円で売る店が現れたと テレビ で報 じて いま した。 ところで 大 きな 災害 が 起 きれば 絶好 の チャンス とばかりに、住民 たちによる 集団 での 略 奪 ( りゃくだつ、Looting、戦利品獲得 ) が 付 きもの 諸外国 に比べ、阪神大震災 ・ 今回 の 災害 でも 略奪 などは 起きず、外国 メディア の 報道 によれば 被災 した 日本人 たちが 水 や 食料 の 配給 を 静 かに 並 んで待ち、避難所暮 ら しでも 秩序 を 守 り、規律 のある 生活態度 は 実 に 立派 であると 報 じて いま した。 その一方で 地震 と 津波 により 全電源喪失 から 原子炉 の 冷却機能 が 失 われ、翌 12 日には 福島第 1 原発 の 1 号機 が 水蒸気 ( 水素 ) 爆発 を 起 こ して 建屋 が大きく 破壊 し、高濃度 の 放 射 能 を 帯 びた 死 の 灰 を 煙 と共に 上空 に 吹 き 上 げたというのに、枝野官房長官 の 記者会見 で は爆発の 事象 は 確認 し て い ま す が、 今 の ところ 人体 に 影響 はありません。 原子炉 そ の も の に、 いま 問題 があるわけではございません。などと 放射能に対する 危険防止 に 呆 れるほど 無知 ・ 無能 ・ 無為 ・ 無策 ( むい むさく )であり、まるで 他人事 のような 能天気 な 政府 の 発言で した。 そのために 事故 に対する対応が後手後手にまわり、アメリカ 政府 による 放射能拡散防止 に 関 する 技術支援 の 申 し 出 を 断ったことを 1 週間も国民に隠し、明らかなった後には 「 東京電力 が 要 らないと いったから 」 などと 言 い 訳 しま した。 ![]()
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