天 災 と 人 災



[ 1: 大 震 災 の 序 曲 ]

平成 23 年 3 月 11 日の午後、地 デジ移行に備えて ブルー レイ ・ レコーダーの下見に家電量販店を訪れましたが、何気なく テレビの予算委員会の中継を見ると菅総理を初め閣僚たちが上を見あげたので、何かあったのかと思いました。関西では小さな地震の揺れでしたが、東京ではかなり大きな揺れとなり委員会室の天井にある照明器具が揺れたためでしたが、それが 14 時 46 分に東北 ・ 関東地方を襲った大震災の始まりでした。

テレビ画面では間もなく 三陸沖が震源地であり、地震の大きさを示す マグニチュード 8.4 の値が出ましたが、同時に大津波警報が出され、後には マグニチュードが 8.8 に変更され最終的には  9.0 と新記録に更新されました。


[ 2: 地 震 ・ 津 波 の 古 い 記 録 ]

最も古い地震の記録は紀元前 2,300 年頃で、中国の古文書 ( こもんじょ ) にあるそうですが、これは古代中国の伝説上の 天下を良く治めた 五帝の 1 人である舜帝 ( しゅんてい ) の時代に、 地震泉湧 ( じしん せんゆう ) と書かれているのだそうです。次に古い記録は紀元前 1831 年のもので、中国には紀元前だけでも 50 回 もの地震の記録があるといわれています。


( 2-1、古 代 日 本 の 記 録 )

日本に関しては 720 年にできた日本書紀の中で 允恭 ( いんきょう ) 5 年 ( 416 年 ) 7 月 14 日 地震 大和国で地震の揺れあり と書れているのが最も古い地震の記録だそうですが、被害の記録としては第 33 代 推古 ( すいこ ) 天皇の 7 年 ( 599 年 ) の 4 月 27 日の条によれば、

夏四月乙未朔辛酉、地動舎屋悉破、即令四方、伸祭地震神

[ 意 味 ]

夏 4 月の乙未 ( きのと ひつじ ) 朔 ( さく、新月 ) 辛酉 ( かのと とりの 年 )に、地震で舎屋 ( しゃおく ) ことごとく倒壊せり。 各地に地震神 ( ない の かみ ) を祭らせる

とありました。地震のことを古くは「 な い 」 といいましたが、「 な 」 は土地のこと、「 い 」 は 居の意味で 「 名 居 」 とも書きました。 大和地方を襲ったこの地震を契機に、各地に地震の神を祀る 「 名居神社 」 が建立されました。 また第 40 代 天武天皇の 13 年 ( 684 年 ) 10 月 14 日の条によれば、
大地震 ・ 土佐国の田畠 ( たはた ) 海中に没し、伊豆島 ( いずのしま ) 西北に島を生じ、家屋 ・ 人畜の被害多数。

との記録がありました。


[ 3 : 明 治 以 降 の 地 震 ・ 津 波 被 害 記 録 ]

参考までに明治以降の地震 ・ 津波による、死者 ・ 行方不明者が 1,000 人以上 出た大地震のみを、表に示 します。


地 震
発 生 年
マグニ
チュード
地 震 名死者数地 域
明治24・1891年8.0濃尾地震7,273中京地区
明治29・1896年8.2明治・三陸地震2,1959三 陸
大正12・1923年7.9関東大震災10万5千東京都
昭和2・1927年7.3北丹後地震2,925京都府宮津
昭和8・1933年8.1昭 和
三陸地震
3,064岩手県宮古
昭和18・1943年7.2鳥取地震1,083鳥取市
昭和19・1944年7.9東南海地震1,223三重県
昭和20・1945年6.8三河地震1,330愛知県
昭和21・1946年8.0南海地震2,306和歌山県
昭和23・1948年7.1福井地震3,769福井県
平成7・1995年7.3阪神・淡路
大震災
6,439神 戸
平成23・2011年9.0東日本
大震災
3万?東北・関東

( 気象統計情報 )


溺者

注目すべき点は今回の東北 ・ 関東大震災に限らず、三陸 ( 三陸とは、旧国名の 陸前 ・ 陸中 ・ 陸奥の総称 ) 沿岸における 津波による被害 の大きさで、過去にも明治 29 年 ・ 昭和 8 年 ・ 死者が少ないのでこの表には記載しませんが、昭和 35 年 ( 1960 年 ) にも 1 万 キロ 離れた チリ で発生した地震 ( マグニチュード 9.5 ) による チリ 地震津波 が 三陸沿岸を襲い死者を出しました。

リアス式海岸

地形が複雑に出入りする リアス式海岸 ( 注 : 参照 ) のために地震そのものよりも、 地震により発生した 津波 により昔から大きな被害が出ましたが、 今回も同じでした。 写真は テレビで津波被害の状況が連日放映されていた岩手県 ・ 気仙沼市 ( けせんぬまし ) ・ 陸前高田市 ( りくぜんたかだし ) ・ 大船渡市 ( おおふなとし ) 周辺の地形写真です。

気仙沼の市街が津波に襲われる動画はここにあります

注 : [ リ ア ス 式 海 岸 ]

シルクロード ( 絹の道 ) の名付け親として知られる ドイツの地理学者 リヒトホーフェン が、スペインの イベリア半島北西海岸で入り江が多く見られた事から、スペイン語で 「 入り江」 を意味する Ria ( リア ) の多い地方の海岸を、1886 年に 「 リアス 式海岸 」 と名付けました。

リアス式海岸とは起伏の多い山地が 地盤の沈下 または海面の上昇によって海面下に沈んで生じた 沈水海岸 のことですが、出入りの多い複雑な海岸地形をつくり、海岸線は ノコギリ の歯のように出入りし、背後は山地のところが多いという特徴があります。

東北地方の太平洋岸では 北は青森県 ・ 八戸市東方の鮫 ( さめ ) 岬から 、先端に金華山がある宮城県 ・ 牡鹿半島 ( おしかはんとう ) に至る 三陸沿岸は、リアス式海岸として日本で最も複雑な切り込みの多い海岸線として知られています。海岸には山肌がせまり、鋭く入り込んだ湾の奥に市町村の住宅が存在しています。

三陸沖の深海で発生した地震による津波が勢力を衰えずに沿岸に到達すると、入り江は太平洋に向き、湾口に較べて一般に奥の方が狭くなっているので、 V 字状 の陸岸により津波の エネルギーが集中し、波高が非常に高くなり 津波の被害が大きくなる特徴 があります。

また、湾内では一度押し寄せた津波が反射波となり対岸同士を繰り返し襲い、津波の継続時間が長いことも知られています。

日本海などのように、比較的陸地と陸地が接近している場合、対岸に押し寄せた津波が陸地境界に反射して戻ってくる反射波が繰り返し相互に襲う場合があり、平成 5 年 ( 1993 年 ) におきた北海道 南西沖地震、マグニチュード 7.8、震度 6 の際には、韓国 ・ ロシアなどの大陸を襲った波が、反射して再び奥尻島 ・ 北海道に押し寄せ、場所によっては 1 時間に高さ 3 メートル以上の津波が 13 回 も襲来したといわれています。


[ 4: 地 震 ・ 津 波 発 生 の 仕 組 み ]

地震や津波はなぜ起きるのでしょうか、1960 年代に発表された地球科学の学説に プレート理論、または プレート ・ テクトニクス ( Plate Tectonics ) がありますが、地球の表面が右図に示したような 十数枚の固い岩板 ( プレート、 Plate と呼ぶ ) で構成されていて、この プレートがその下で対流する マントル ( Mantle 注: 参照 ) に乗って 1 年間に数 センチというゆっくりした速度で動いていると説明されます。

注:)マントル 地殻の下から深さ 2,900 キロメートル までの部分で地球の体積の約 83 パーセント を占め、地質学的に長い時間でみれば流動していて、熱対流が地殻に力を及ぼして大陸移動や造山運動を起こすとされる説です。

日本列島の東には太平洋 プレートと北米 プレートの境界がありますが、太平洋 プレートが北米 プレートの下に徐々に潜り込んでいます。その動きに接する北米プレートも徐々に曲げられていきますが、 ストレス ( 歪み ) がある限界に達すると 曲げられていた プレートが突然跳ね上がり、もとの状態に戻ろうとします 。

この動きが地震であり、海底深くでこの現象が起きると、跳ね上げられた プレート に接する海水にも動きが伝わるため、津波が起きます。前述のように 三陸のはるか沖には プレートがぶつかって生じた境界面があるために昔から地震が多発し、言わば 地震の巣 ですが、三陸沿岸を襲った地震 ・ 津波のうち、明治以前の記録を挙げますと下記の通りです。


( 4-1、明 治 以 前 の 地 震 ・ 津 波 の 記 録 )

  1. 貞観 11 年 ( じょうがん、869 年 )、大地震により死者多数、 津波が襲来し、 死者 千 余名。 ( 清和 ・ 陽成 ・ 光孝天皇の 858~887 年までの歴史書である、三代実録の記述 )、現代で推定すれば 震度 6 の烈震 ~ 7 の激震に相当。

  2. 天正 13 年 ( 1585 年 ) 津波来襲

  3. 長 16 年 10 月 ( 1611 年 ) 地震の後大津波。仙台 ・ 伊達領内で 死者 1,783 名 、青森県の津軽 ・ 南部地方で 人馬の死 3,000 、津波の高さは岩手県 ・ 田老 ( たろう ) と船越 ( 現、山田町 ) の小谷鳥 ( こやどり ) で 15 ~ 20 メートル、宮古で 6~8 メートル

  4. 同年 11 月、大地震の後、津波が 3 度来襲。 仙台 ・ 伊達領内の 溺死者 5,000 名

  5. 元和 2 年 ( 1616 年 )、強震後、大津波あり

  6. 慶安 4 年 ( 1651 年 )、宮城県下に津波来襲

  7. 延宝 4 年 ( 1676 年 )、三陸海岸 一帯に津波。人畜多数死亡し家屋の流失も大

  8. 延宝 5 年 (1677 年 )、岩手県下に数十回の地震後、津波により宮古、鍬ヶ崎、大槌浦などで家屋流失

  9. 貞亨 4 年 ( 1687 年 )、塩釜をはじめ宮城県下沿岸に津波来襲

  10. 元禄 2 年 ( 1689 年 )、三陸沿岸に津波あり

  11. 元禄 9 年 ( 1696 年 )、宮城県石巻の河口に津波来襲、船 300 隻をさらい溺死者多数

  12. 亨保年間 ( 1716~1736 年 )、に津波あり、田畑に海水浸入

  13. 宝暦元年 ( 1751 年 )、岩手県下に津波

  14. 天明年間 ( 1781~1789 年 )、に津波来襲

  15. 天保 6 年 ( 1835 年 )、仙台地震による津波で人家 数百流失、死者多数

  16. 安政 3 年 ( 1856 年 )、北海道南東部に強震、大規模な津波あり

以上のように、 かなりの頻度で地震 ・ 津波が 三陸沿岸を襲いました。


( 4-2、津 波 の 高 さ )

伝承碑

前述 したように 地震 によって海底 が 突然隆起 したり、沈降 したりすると、その上の海面にも変化が生 じそれが 波長 の 長 い 波 となって 四方 に伝わるのが 津 波 です。

津波 の 伝 わる 速度 は 水深 が 深 いほど 速 く、外洋 では 時速数百 キロ の ジェット 機並 みの 速 さで 伝 わりますが、浅 いところでは 遅 くなり 海岸 に近 づくと波高 を 増 し、三陸沿岸 では 明治 29 年 ( 1896 年 ) の 大津波 の 際 に 38.2 メートル の 高 さ の 津 波 を 記録 しま した。

明治 三陸 大津波 伝承碑


上記 の 津波 の 高 さは 伊木常識博士 と 宮城県土木課 の 手 算出 され 発表 されたものですが、それ以外の 津波 の 高 さと 地点 は下記 にあります。

  • 岩手県 ・ 気仙 ( け せ ん ) 郡 ・ 吉浜村 ・ 吉浜で、 24.4 メートル

  • 同郡 ・ 綾里村 ・ 白浜で、 22.0 メートル

  • 同郡 ・ 唐丹村 ・ 小白浜で、16.7 メートル

  • 同郡 ・ 同村 ・ 本郷で、14.0 メートル

  • 岩手県 ・ 下閉伊 ( し も へ い ) 郡 ・田野村 ・ 羅賀で、 22.9 メートル

  • 同郡 ・ 重茂村 ・ 姉吉で、18.9 メートル

  • 同郡 ・同村 ・ 千雜北側で、17.1 メートル

  • 同郡 ・ 普代村 ( ふ だ い む ら ) ・ 太田名部で、15.2 メートル、( 7-2 で後述します )

  • 同郡 ・ 田老 ( た ろ う ) 村 ・ 田老で、14.6 メートル

  • 九戸 ( く の へ ) 郡 ・ 野田川村 ・ 玉川で、18.3 メートル


( 4-3、津 波 と 地 震 の 大 き さ )

注意しなければならないのは 地震の大きさと津波の大きさとは 関連しない場合がある ことで、明治 ・ 三陸地震の場合は 震度 3 程度 の小さな揺れであっらにもかかわらず、巨大な津波が発生し、2 万人を超える犠牲者が出ました。

その理由は、この地震が巨大な力 ( マグニチュード 8.2 ~ 8.5 ? ) を持ちながら、ゆっくりと揺れ動く地震、つまり 津波地震 だったためであり、地震の規模を示す マグニチュード の割に不相応に大きい津波を発生させる地震だったからでした。

原因は、海底の地震断層がゆっくり動いたからであり、その規模が大きくても伝わる地震波が相対的に小さいためであるとされています。

 八木勇治 ・ 筑波大准教授の解析では、3 月 11 日の地震は 長さ 600 キロメートル、幅 200 キロメートル の範囲の断層が破壊されて起き、大きいところで断層が 8 メートル もずれ動いたと推定されました。

北米 プレートと太平洋 プレートの境界面には柔らかい堆積物が大量にたまっていて、それが数分間にわたってゆっくり動いたと推定されますが、その独特の動きが 激しく揺れる地震波よりもはるかに大きな エネルギーを海水に与えたと考えられています。

今回の長く続いた地震の揺れも 115 年前に起きた明治 ・ 三陸地震の揺れ方と同じであり、三陸沿岸ではこの種類の地震を昔から ヌルヌル 地震、 ゆっくり地震 などと呼びました。

今回得た地震の教訓は、

  1. 地震の大きさ ( 震度 ) と共に 「 揺 れ 方 」 にも注意 する。ゆらゆら長い時間揺れる地震は、高さ 10 メートル 以上の大津波をもたらす場合がある。

  2. 沿岸部に住む人は、グラッと 揺 れたら 津 波 の 用 心。

  3. 大津波の前には一旦潮が引く( 引き波がある ) とする、子供の頃に教科書で習った 「 稲 む ら の 火 」 の 俗説 は 間違 いで 、津波の 発生原因 を 考 えれば、いきなり寄せ波 ( 津波 ) が来る場合もある。

  4. 津波の第 1 波よりも、第 2 波、第 3 波の方が 大きい 場合 がある。

  5. 機 敏 な 避 難 こそが、究極 の 津 波 対 策 である。


( 4-4、津 波 予 報 に つ い て )

気象庁は日本の沿岸を 66 の地域に分けて 「 津 波 予 報 」 を発表 して いますが、すぐに津波が来る場所の地震についてはおよそ 3 分後に 、陸から遠く離れた地震についてはおよそ 7~ 10 分後 に 発表 します。

地震の揺れは波動として観測されますが、それには P ( Primary ) 波と S ( Secondary ) 波があり、P 波は 「縦 揺 れ」、S 波 は 「 横 揺 れ 」 の 波 です。

地震発生後 気象庁は コンピュータ で 速 やかに 震源 の 位 置 ・ 地 震 の 規 模 を決め、津波発生 の 有無 と 沿岸 における 津 波 の 高 さ を 予測 しますが、堅 い 地 殻 を 通 じ て 伝 わ る 地 震 波 は 津 波 よ り も 伝播速度 が 速 い の で、その 速度差 ( 換言すれば 時間差 ) を 利用 して 津波予報 を 出 します。

警 報 ・
注意報
予報 の
種 類
解  説発表される
津波 の高さ





高 いところで 、 X m 、 程度 以上の 津波 が予想
されますので、厳重 に 警戒 してください。
3 m ・ 4 m ・ 6 m ・
8 m ・ 10 m 以上

高 いところで、 X m 、 程度 の 津波が予想
されますので、厳重 に 警戒 してください。
1 m ・ 2 m







高 いところで、 X m 、 程度の 津波 が
予想されますので、注意 してください。
0.5 m


[ 5: 津 波 の 高 さ の 測 定 ]

日本には干潮満潮などの潮位を常時測り記録する地点が 186 箇所 あり、気象庁 ( 検潮所 )・ 国交省港湾局 ( 験潮場 )・海上保安庁( 験潮所 )・ 地方自治体などがそれぞれ 管理運用 しています。今回 の 地震 に関連 した 験潮場と しては、

  1. 港湾局 久慈 験潮場、岩手県 久慈市 長内町

  2. 気象庁 宮古 検潮所、岩手県 宮古市 日立浜町

  3. 海上保安庁 釜石 験潮所、岩手県 釜石市 魚河岸町

  4. 気象庁 大船渡 検潮所、岩手県 大船渡市 赤崎町

  5. 気象庁 鮎川 検潮所、宮城県 石巻市 鮎川町

  6. 港湾局 仙台新港 験潮場、宮城県 仙台市 宮城野区

  7. 国土地理院 相馬 験潮場、福島県 相馬市 原釜

  8. 気象庁 小名浜 検潮所、福島県 いわき市 小名浜

なので、巨大津波が襲った際の貴重な計測 データ が将来発表されることでしょう。 私が生まれた昭和 8 年に起きた 昭和 ・ 三陸地震の後に当時の中央気象台の 国富信一技師は、津波の高さを測る手がかりとして次の三つの方法を挙げています。

  1. 海中に設置された 検潮儀 ( けんちょうぎ ) による方法 この記録を調べれば海面がどの程度上昇したかがわかる。しかし、津波は海岸に達した時に異常なほどの高まりをみせるので、海面の上昇をそのまま津波の高さとするわけにはいかない。つまり 検潮儀による記録は参考資料とはなっても、津波の高さを測定するのは不適である

  2. 津波来襲後、海岸に打ち上げられて、残留している物体によって判定する方法

    樹木の梢 ( こずえ )・枝に海藻がひっかかっていたり、海中の岩石が山の中腹まで運ばれていれば、海面からその位置までの高さを測ることにより、津波の高さを測定することができる。

    しかし残留物の位置を参考に波高を測定することは、ある場所では正しい数値が出るが、津波が急にせり上がって海岸で一斉に砕けて村落の上から落下した場所では、 陸地に残された 痕よりも津波の高さは遙かに高く不正確である 。

  3. 海水が陸地に浸入した地域を海面と比較して津波の高さを測る方法

    これも平坦な土地と背後に山を背負うような場所では、大きな差がある。さらに海岸に河口のある場所では、浸水区域が一層奥の方まで延長する。海水が川筋をすさまじい勢いでさかのぼって走る。

    明治 29 年の明治 ・ 三陸地震の大津波では渓流を伝わって海から 3 キロ 奥の地 域まで海水が押し寄せ、近くの太い木を根こそぎ折り倒している。もしもその地域の高さを津波の高さとすれば、大変な数字となってしまう 。

このように 三つの方法ともそれぞれ不備な性格を持っていますが、それは 津波の多様性を示すもので、正確な高さを測ることは難 しいといわざるを得ません 。


[ 6: 最 悪 の 事 態 に 対 処 す る 考 え 方 ]

ここで話題を がらりと変えますが、物事 の 安全 に関する 考 え 方 に 「 人 は 必 ず 間 違 い を 犯 す 」 も の で あ り、 「 機 械 は 必 ず 故 障 する 」 というのがあります。 人 の 件 は さ て 置 き、今回 は 機 械 ( 動 く も の ) に 焦点 を 当 て て、話を します。


( 6-1、リ ダ ン ダ ン シ ー )

安全性に関する言葉に リ ダ ン ダ ン シ ー ( Redundancy 、 重複性 ・ 余剰性 ) というのがありますが、簡単に言えば、 

停止 しては 困 る重 要 な 機 械 に は、代 わ り に 動 く 予 備 の 機 械 を 予 め 用 意 してお くこと ( 二 重 の 安 全 性 ) 。そ れ も 使 え な い 場 合 に 備 え て 更 な る 機 械 を 用 意 し て お く こ と ( 三 重 の 安 全 性 )

があります。

換言 すれば 通 常 は 必 要 ではない 物 を、 万一 の 場合 に 備 え て ど の 程度 の 必要性、( 安全性 を 確保 する た め の 余分 な 出 費 ) を 認 め る かという経営側 の 方針 と、設計技術者 の 考 え 方 ・ 良 心 と の 妥 協 に 基 づ く も のともいえます。

  1. 車の ブレーキ ( 二重の安全性 )

    私が最初に車を購入したのは昭和 45 年 ( 1970 年 ) のことで したが、車種 は トヨタ の マーク 2 ( 現在の マーク ・ エックス の 前 身 ) で、初期 の マーク 2 の ブレーキ 系統は 現代 の 高級車並 に、 2 系統 ( Dual Braking System )が装備されていました。

    つまり 前輪 の 右 と 後輪 の 左、前輪 の 左 と 後輪 の 右 とに ブレーキ 系統 が 分 かれていて、走行中 にたとえ 一方 の ブレーキ 系統 が ブレーキ ・ オイル の 漏 れなどで 機能 を失 っても、残 り の ブレーキ 系統 で 安全 に 走行 できる 性能 を 持 っていま した。

  2. 飛 行 機 の 油 圧 システム ( 四 重 の 安 全 性 )

    飛行機 が 飛行中 に 左右 に 旋回 ・ 上昇降下 を す る 際 に は 補助翼 を 動 か し、着陸時 に は 低速 で 飛行 し 失速 を 防 ぐ た め に 主翼 の 後部 に フラップ ( Trailing Edge Flap ) を 下 げます。

    着陸 と 同時 に 自動 または 手動 で 主翼面上 に 抵抗板 ( Ground Spoiler ) を 立 てて 揚力 を 急激 に 失わせ、車輪に機体の重量 を 掛 けて 車輪 の ブレーキ 効果を高めます。

    つまり 大型旅客機 の 場合、車輪 の 上げ下げ を 含 めて 機体 の 動 く 部分 のほとんどは、エンジン で 駆 動 す る 油 圧 ポンプ と、電 動 油 圧 ポンプ で 発生 させた合計 4 系統 ~ 3 系統 の 油圧 を 通 じ て 動 か します。

    ところで 3 エンジン の 飛行機 が 飛行中 に 二つの エンジン が 故障 しま したが、残 り の 一つ の エンジン だけで 安全 に 飛行 を 続け、羽田空港 に 無事 に 着陸 した 出来事 がこれまで 2 件ありま した。

    エンジン で 駆動 する 1 個 の 油圧 ポンプ と、 1 個 の 電動油圧 ポンプ に よ り 2 系統の 油圧 が 使用可能 で した の で、パイロット は 安全 に 操縦 を 続 けることができま した。

    ちなみに 1985 年 に群馬県 の 御巣鷹山 ( おすたかやま ) に墜落 し、520 名 が 死亡 した 日本航空 123 便 の 場合 は、客室内部 の 気圧 を 地上付近 に ほぼ等 しい 圧力 に 保 つ 機体最後部 の 圧力隔壁 ( Pressure Bulkhead ) の 外側に、 4 系統全部 の 油圧 パイプ が 集中 して いたために、手抜き 修理 を した 圧力隔壁 が 破裂 した 際 に 全部 の パイプ が 被害 を 受 け、油圧系統 の 全 ハイドロ ・ オイル ( Hydraulic Fluid )の 喪失 か ら 操縦不能 となり 墜落 し た の で した。


  3. 非 常 用 電 源 ( 三 重 の 安 全 性 )

    練習船

    私 は 海上保安大学 出身 のため 練習船 に 乗 り 遠洋航海 にも 行 きま したが、船の頭脳でもある ブリッジ ( 船 橋 ) のすぐ下の 階 の 右側 には、海 の 慣例 に 従い 船長室があり、学生 は 船長 の 休養 ・ 安眠 を 妨 げないように 神 聖 な (?) 右舷 の 階段 を 使用 せずに、左舷側 の 階段 を 使用 して ブリッジ に出入りしました。

    船長室 の 左後方付近 には 非常用電源 ( 小型の非常用発電機と バッテリー ) を設備した 区画 がありま したが、船 が 遭難 し て 船 内 に 大量 の 浸水 を し た 場合 には、船底 の 機関室 にある 発電機 ・ 予備の発電機 が 真っ先 に 使用不能 になります。

    沈没の危機に直面した際に、 S O S ( Save Our Souls / Save Our Ship 、我々の魂 / 船の救助 を求む ) の 遭難通信 を 最後 まで 送受信 するために、非常用電源 は 船 の 高 い 場所 に 設備 してあると 聞 きましたが、55 年以上 前 のことで した。

    右上の写真は 三代目の練習船 「 こじま 」 3 千 トン ですが、毎年 5 月頃 には 新卒業生 を 乗せて 世界一周 の 訓練航海 に出 ます。

    天測

    左は学生 たちの 天測実習 で 昼間 は 太陽 の 高度を、水平線 と 星の両方が見える 夜明 けや 夕方には 星 の 高度 を 測 り、天測暦 ・ 天測計算表 を 使用 し、航海時計の秒単位の読みを基 に して、大洋上で船の位置 ( 緯度 ・ 経度 ) を計算で求める天文航法の訓練です。


  4. 海 事 法 規 ( 船 舶 設 備 規 定 )

    今回 念のため 船舶設備規定 第 6 編 ・ 電気設備 ・ 第 6 章 ・ 非常電源等 の 項目 にある 「 非常電源等の配置 」 を 調 べる と、そこには、

    第 302 条の 2  

    外洋航行船、内航 の ロールオン ・ ロールオフ ( Roll on - Roll off 船、カーフェリー専用船のこと ) 、旅客船 、係留船及び国際航海に従事する総 トン数 500 トン以上の漁船に備える 非常電源、臨時の非常電源及び非常配電盤は、次に掲げる要件に適合する場所に配置 しなければならない 。

    1. 最上層の全通甲板の 上方であること 。

    2. 主電源、これと関連する 変圧器 若 しくは 主配電盤 を 設 けた場所 、又は 特定機関区域内 の 各場所 の 外部 であつて 、これらの 場所 の火災 その他 の 災害 による 影響 をできる 限 り 受 けない場所 であること。( 以下省略 )

    と書いてありま した。今回なぜ上記のような安全性に関することをわざわざ書き記 したのかといえば、福島第 1 原 発 の 杜 撰 ( ずさん ) な 設備計画 ・ 対応 を知ったからで した。


[ 7: 福 島 原 発 の 電 源 は、僅 か 二 重 の 安 全 性、し か も ]

( 7-1、悪 夢 の 始 ま り は 停 電 か ら )

情報 の 詳細 が 開示 されないので 詳細 は 不明 ですが、地震 の 翌日 ( 12 日 ) に 原子炉 1 号機、14 日には 3 号機 の 水素爆発 で 始まった一連の事故が起きましたが、その 原因は停電にありま した。

地震による 停電 が 起き 、原子炉 を 冷 やすための 冷却水 を 送 る ポンプ が 動 かなくなりま した。 さらに 予備 の デイーゼル 発電機 も 津波 により 使 えな く なりま した。つまり原発にとって 「 いのち 」 の根源 である 電源 が全て失われる事態になりました。

問題の ポイント は、

  1. 原子力発電所の安全性確保のために、予想される津波の 設計波高を何 メートルと決めたのか ?

  2. 津波来襲の緊急事態における非常電源確保のために、 予備の発電機を どの高さに設置したのか ?

  3. 第 1 原発には 1 号機から 6 号機まで 6 基の原子炉がありながら、第 3 の非常用電源を なぜ設備しなかったのか?


ですが、常に事故と隣り合わせの船舶 や 飛行機 の 設計 にみられる 安全性確保 への 意欲 が、福島原発 の 設計 には 全 く 感 じられませんで した 。

たとえば 予備の ディーゼル 発電機 のうち、なんと 地下室 に 設置 されていたものもあり、 電源 に 対 する 津波対策 など ゼ ロ で 、原子炉 にとって 命取 りになる 全電源喪失 の 非常事態 など 、起 こるべ く して起きたことで した。

想定 された 津波 の 波高 について、東京電力 は 2002 年 ご ろ、 津波 の 専門家 が 1 人 もいない 土木学会 の 指針 に 基 づき、 最大規模 の 津波 の 高 さを福島第 1 原発 は 5.4 ~ 5.7 メートル と 想定 しま した。

今回の地震による 津 波 について 東電 は 当初、津 波 の 高 さは 第 1 原発では 10 メートル、第 2 原発では 12 メートル だったと 発表 しま したが、その後、両方とも 高 さ 14 メートル の 津 波 に 襲 われたことが 判 明 しま した。

[ 注 :  想 定 と は ]

辞書の大辞林によれば、想定とは状況 ・ 条件などを 仮 に 決 め る こ と

とありま したが、この津波の 波高 は 想 定 した 波 高 の 実 に 2.5 倍 もありま した。 このことは 東京電力 の 想定自体 に 大きな 誤 り があった 証拠 であ り 、 その原因 は 前述 した 三陸 を 襲 った 過去 の 津 波 の 高 さを 無 視 した からで した。


( 7-2、村 長 の 先 見 の 明 )

村長の先見

三陸沿岸、宮古市の北にある岩手県 ・ 下閉伊郡 ( しもへいぐん )・ 普代村 ( ふだいむら ) では今回の大津波による 死者は ゼロ でしたが 、その理由は村を津波から守るために築かれた高さ 15 メートルを超える、防潮堤と水門のお陰でした。

村は明治 29 年 ( 1896 年 ) に起きた明治 三陸地震と、昭和 8 年 ( 1933 年 ) の昭和 三陸地震の際には、主に津波による 439 名 の犠牲者を出しましたが、昭和 42 年 ( 1967 年 ) に防潮堤 ・ 防潮水門を作る際には 当時 の 和村幸得 村長 ( 故人 ) が、明治 の 津波では 15 メートル の 波 が 来 たという 言 い 伝 えに 基 づき、防潮堤 ・ 防潮水門 の 高 さを 15 メートル にすることを主張 し、高 すぎるとする 批判 を 浴 びたものの、計画 を 変更 せずに 完成 させま した。

今回 の 大津波 の 際 には、村民 は 命 の 恩人である ( 故 ) 和村 村長 の 津波災害 に対する 先見性 と 防災意欲 の 成果 に たいへん 感謝 しま したが、せめて 原子力安全 ・ 保安院 のお 役人 や 東京電力 の 経営者 がこれに 匹敵 する 先見性 や 防災意欲 を 持 っていたならば、---と 悔 やまれてなりません。

村長

写真 は 防潮水門 を 海側 から 撮 ったものですが、押 し 寄 せた 津波 は 5 階建 て の ビル の高 さに 相当 する 15 メートル の 防潮水門 ・ 防潮堤 を 超 えずにいて、内側 の 住民 と 家屋 を 無事 に 守 り 通 しま した。


( 7-3、津 波 に 対 す る 危 険 性 の 指 摘 を 無 視 )

東京電力 ・ 福島第 1 原発 ( 福島県 ) の地震に対する想定をめぐり、2009 年の経済産業省 ・ 原子力安全審議会で、「 産業技術総合研究所 」の岡村行信 ・ 活断層 ・ 地震研究 センター 長が、「 福島原発の安全性は、より十分な余裕を持つべきだ 」 と福島原発の安全性に関する問題点を指摘していたことが判明しました。 それによれば前掲した平安時代の貞観 ( じょうがん ) 11 年 ( 869 年 ) に起きた、陸奥国東方 ( 現、三陸沖 ) を震源として発生した巨大地震 ( 死者 1,000 人、マグニチュード、8.3 ~ 8.6、注:参照 ) に伴い発生した大津波の痕跡を調査した結果、津波の跡が少なくとも宮城県 ・ 石巻市から福島第 1 原発近くの福島県 ・ 浪江町まで分布していることを確認しました。

『 注 : 死 者 の 人 口 比 』 平安 時代 ( 900 年 ) の推定 人口は 約 550 万人 でしたので、人口が少なかった当時で 1,000 人の死者とは、現代に換算すれば 23 倍の 23,000 人 に 相当 しま した。

津波により運ばれた土砂が海岸から最大で 3 ~ 4 キロ 内陸まで入り込んでいた事実から 、福島原発を大津波が襲う危険性を指摘しましたが、東電側は 「 十分な情報がない 」 として地震想定の基準引き上げに難色を示し、設計上は耐震性に余裕があると主張して、 津波に対する想定は先送りされました 。

処世術の極意 官も民も、自分達にとって やっかいな ・ 不利な事態 ( 大津波 ) は起こらない ことにする 。その結果たとえ大津波が起こっても 想定外 だったと言い訳をすれば、杜撰 ( ずさん ) な想定がもたらした 人災 に対する責任は 津波と共に流れ去り、後で問われることは決してない。

つまり 「想定外」 とは責任を免 ( まぬか ) れるための、 無責任 な 口実 ・ 言 い訳 に しか過ぎない。


( 7-4、責 任 者 の 個 人 的 謝 罪 )

ところで政府の原子力安全委員会の班目 ( まだらめ ) 春樹委員長は 3 月 22 日の参院予算委員会で、東北関東大震災による東京電力 ・ 福島第 1 原発 の 事故 に 関 し、
( 原発設計の ) 想定 が 悪 かった。想定 について 世界的 に 見 直 しがなされなければならない。原子力 を 推進 してきた 者 の一人と して、 個人的 には 謝罪 する気持ち はある

と述 べ、陳謝 しま したが、事故後に 個人的に 謝罪 されても 何 の 意味 もありません。彼が言った想定 ( 設計思想 に 基 づ く 基 準 ) の 中身 と は、福島原発に危機的事態をもたら した 津波 を 防 ぐ ための 設計波高 の 誤 り や、原発 が 持 つ 電源 の 脆 弱 性 ( ぜい じゃ く せ い ) が当然含まれます。

もし---していたらというのは 事故 が 起 きた 後 では 無意味 ですが、せめて 前述 の ( 4-2、津波 の 高 さ ) にある 明治 ・ 三陸大津波 の 際 の 津波 の 高 さ ( 14.0 ~ 38.2 メートル ) から、最大値 と 最小値 を 除 い た 津波 の 平均波高 は 18.9 メートル で したので、それを 基準 に して 安全係数 を 1.5 ( 倍 )にとり、 28 メートル ( 10 階建 て の ビ ル ) の 高 さ に 予備電源 ・ 予備 の 冷却水 ポンプ を 設置 していたならば、津波 による 全電力 喪失 の 事態 も 起こらず、従って 原子炉 からの 放射能漏 れの 事態 も 起 こらなかったに 違 いありません。


( 7-5、ノ ー モ ア フ ク シ マ )

墓石

航空界 に は 墓石 の 安全 ツームストン セイフティー ( Tomb stone Safety ) という 言葉 がありますが、飛行機事故 が 起 きて 犠牲者 の 墓 石 が 数多 く 建 ち 並 ぶ と、会社 も 国 もそれまで 無視 してきた 安全対策 をようやく 実施 し、安全性 が 少 しだけ 向上するという意味です。

今回の福島第 1 原発 の 事 故 が 炉 心 の メルト ・ ダウン ( Melt Down 、熔 解 ) の 大事故 に 発展 し、日本 にとって 三度目 の 原爆投下 に 相当 する 放射能 の 広範囲汚染 の 事態 にならないことを 、切に切に 祈 っております。

この 事故 を 契機 に 経産省 ・ 原子力安全 ・ 保安院 が 定 める 地 震 ・ 津 波 に 対 する 安全基準 が 抜本的 に 改善 され、日本に 55 箇所ある 原子力発電所 で、今後 福島第 1 原発 のような 事故 が 二度 と 起 きないように、 ノー モア フクシマ を 願 っております。


[ 8: あ と が き ]

実は 3 月初めから別の題名で サンデー 毎日の記に掲載する随筆を書き始めていましたが、 3 月 11 日 の 午後 に 東北関東大震災 が 起 きたので、急 いで 内容 を 「 天 災 と 人 災 」 に変更 して 9 日間で書きあげた次第です。

その間に横浜に住む 食 べ 盛 り 育 ち 盛 り の 子 供 三人 を 抱 えた 娘 から、 コ メ や カ ッ プ ラ ー メ ン などの 保存食料 をは じめ、トイレット ・ ペーパー、テイッシュ ・ ペーパー などが 商店 に 品切 れで 入手 できずに 困 っているとの 連絡 があったので、早速関西 で 品物 を 買 い 集 め近くの クロネコヤマト へ 荷物 を 出 しに 行 くと、そこも 関東地方 に 救援物資 (?)を 送 る 人 たちで 混雑 していま した。

なぜ 品不足 になったのか 理由 がわかりませんが、ガソリン までも品不足になり 被災地 の近くでは リッター 当たり 140 円代 だった ガソリン を 200 円で売る店が現れたと テレビ で報 じて いま した。

ところで 大 きな 災害 が 起 きれば 絶好 の チャンス とばかりに、住民 たちによる 集団 での 略 奪 ( りゃくだつ、Looting、戦利品獲得 ) が 付 きもの 諸外国 に比べ、阪神大震災 ・ 今回 の 災害 でも 略奪 などは 起きず、外国 メディア の 報道 によれば 被災 した 日本人 たちが 水 や 食料 の 配給 を 静 かに 並 んで待ち、避難所暮 ら しでも 秩序 を 守 り、規律 のある 生活態度 は 実 に 立派 であると 報 じて いま した。

その一方で 地震 と 津波 により 全電源喪失 から 原子炉 の 冷却機能 が 失 われ、翌 12 日には 福島第 1 原発 の 1 号機 が 水蒸気 ( 水素 ) 爆発 を 起 こ して 建屋 が大きく 破壊 し、高濃度 の 放 射 能 を 帯 びた 死 の 灰 を 煙 と共に 上空 に 吹 き 上 げたというのに、枝野官房長官 の 記者会見 で は

爆発の 事象 は 確認 し て い ま す が、 今 の ところ 人体 に 影響 はありません。 原子炉 そ の も の に、 いま 問題 があるわけではございません。

などと  放射能に対する 危険防止 に 呆 れるほど 無知 ・ 無能 ・ 無為 ・ 無策 ( むい むさく )であり、まるで 他人事 のような 能天気 な 政府 の 発言で した。


枝野官房長官談話


そのために 事故 に対する対応が後手後手にまわり、アメリカ 政府 による 放射能拡散防止 に 関 する 技術支援 の 申 し 出 を 断ったことを 1 週間も国民に隠し、明らかなった後には 「 東京電力 が 要 らないと いったから 」 などと 言 い 訳 しま した。

菅首相

国民 の 生命 と 安全 を 守 るという 政府 の 最 も 基本的 な 責 任 を 回 避 しようと しま したが、 東京工大 の 学生時代 から 「 ズ ル 菅 」 ・ 「 逃 げ 菅 」 と 言 われていた 菅 首 相 の 性 格 がもたら した結果で した。未曾有の 非常事態 にもかかわらず、自身の P R だけは 抜 け 目 な く、カメラマン を ヘ リ に 同乗 させ、P R 写真 を 撮影 させていま した。

水蒸気爆発 による 建屋 の 被害写真 ・ 建屋周辺 で の 放射能 の 測定値 を 公表 せ ず、 爆発 による 放射能 汚染分布 の 予想 に必要 な 現場付近 の 風向風速 などの 原発事故 に 関 する 情報 を 隠 蔽 ( いんぺい ) する 対応 には、外国 の メディアから 菅総理 の 統治能力 を 疑 う とまで 酷評 されま した。

たまりかねた 米国政府 は 最悪 の 事態 を 考慮 して、福島第 1 原発 か ら 80 キロ 圏内 を 米国人 の 立 ち 退 き 範囲 に 指定 しま した。

日本政府は 20 キ ロ ~ 30 キ ロ 圏内 で 採 れた 特定 の 野菜 や 牛乳 を 出荷停止 に しま したが、住民 についてはなるべ く 屋内 にいることが 望 まし く、風で運ばれる放射能 を 帯 びた チ リ ( 粒子 ) を 避 けるために 肌 を 露出 するな 、 同じ理由から雨に濡れるなという 勧告 を しただけで した。

相手 に 要 求 する 言葉 だけが 巧 みだった 市民運動家 出身 の 菅総理 にとって、国民 の 安全確保 に 必要 な 対応能力 の 限界 を 大き く超え、 総理 の 器 ( うつわ ) ではない ことを 外国 の メディア が 見守 る 中 で 大き く 露 呈 ( ろ て い ) した 結果 になりま した。 あーあ 情 け な い、 はやく 安全 な 状態 になって欲 しい。

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