戒名
[ 1:釈迦の仏教と戒名の関係 ]今から 2,500 年前に インドでお釈迦様が始めた仏教には、戒名の制度や習慣が存在したのでしょうか?。その答えは「 ノー 」です。戒名はお釈迦様の始めた仏教には存在せず、後世になって 作られたものなのです。従って戒名 ( 宗派によっては法名、法号とも言い、戒名が無い宗派もあります )) が無ければ、 死者が成仏できない、あるいは極楽浄土に行けないなどというのは仏教の 基本 を知らない者の言葉か、あるいは無知 (?) な衆生を 「 たぶらかして 」 カネ 儲けをはかる、僧侶や葬儀屋の勧誘、宣伝文句に過ぎないのです。
[ 2:戒名の起源 ]インドで生まれた仏教はその後、南と北の二つの ルートに分かれて アジア各地に伝わりましたが、北の コースを辿った仏教 ( 北方仏教、または北伝仏教ともいう ) は、ネパール、チベット、中央 アジアなどを経由して、500 年後の西暦元年頃に シルク ・ ロード ( 絹の交易路 )を通る商人達により、中国にもたらされました。蚕 ( かいこ ) の原産地は中国であり、絹織物はその頃中国でしか生産されませんでした。当時の中国には自分の名前を他人に知られることを好まず、そのため実名の他に 「 あざな、字 」 を付けてそれを使う社会的習慣がありました。出家の際には僧侶としての戒律を守ることを誓うと共に、「 あざな 」 を付ける習慣から 釈迦の弟子になった 「 しるし 」 として、師から新しい名前を授けられました。それが戒名の起源です。 例えば 7 世紀、唐の時代に困難を克服して前述の シルクロードを通り インドに赴き、仏教を学んだ僧、 玄奘 ( げんじょう )がいましたが、1 7 年後に サンスクリット語 { 古代インドの言葉、梵語 ( ぼんご )}で書かれた仏典 ( 原典 ) 657 部を中国に持ち帰り、仏教の発展に大きく貢献しました。彼は玄奘三蔵 ( 三蔵法師 ) と呼ばれていますが、その玄奘とは彼が 10 才で出家した際に、師から与えられた戒名でした。
注:) つまり 戒名とは
1: 生きている人が、だったのです。 この戒名授与の 基本原則 を、しっかりと覚えておいて下さい。
注:)戒
[ 3:日本における戒名 ]中国から朝鮮半島を経由して日本に仏教が伝来したのは、西暦 538 年に百済( くだら ) の聖明王 ( 在位523〜554年 ) が仏像と経典を日本に送ったのが最初といわれていますが、同時に戒名の風習も伝えられました。仏教を深く信仰し東大寺をはじめ全国に国分寺を建てた聖武天皇 ( 701〜756年 ) は、息子に天皇の位を譲り出家して上皇になりましたが、その際に授かった戒名は 勝満 ( しょうまん ) でした。平安中期に摂政として権勢をふるった藤原道長( 注参照 )も後に出家しましたが、戒名は 行覚 ( ぎょうかく )でした。その当時は天皇でも関白でも質素な 2 文字の戒名を、生前に授かっていました。つまりその当時は中国から伝わった戒名の 「 しきたり 」 がそのまま守られていて、 仏教と戒名との間の金銭が絡む 汚れた関係 は未だ存在しませんでした。
注:) この世をば、我が世とぞ思う望月( もちづき )の、欠けたる事もなしと思えばの歌で有名ですが娘 3 人を 3 代の天皇に嫁がせて皇后とし、天皇の外戚となって政権を独占し、藤原氏の全盛時代を築きました。上記の歌は 3 女が後一条天皇の妃になった、寛仁 2 年( 1018年 ) 10月の祝宴の際に詠んだものです。
[ 4:在家 ( 非出家者 ) への戒名授与 ]平安時代の末 (1180年 )に源氏と平家の戦いの結果、南都 ( 奈良 )の興福寺と、東大寺の大仏殿が兵火に掛かり炎上焼失したため、大仏殿再建のための資金集めが必要になりました。そこで東大寺再建の為の大勧進職を命じられた 重源 ( ちょうげん 、1121〜1206年 ) が アイデアを出して、資金を寄進した在家 ( 非出家者 )の信者には、これ迄出家者にしか授けなかった戒名を授けることにしました。それは阿弥陀如来の阿号を、名前の上に付ける ( たとえば 一太郎に 阿 を付けて、阿一太郎 ) という簡単な戒名でした。しかし当時の人達にとっては戒名とは、出家しなくても極楽浄土へ行ける切符を貰うようなものなので、人々は喜んで寄進し、その結果大仏殿が再建されました。これが出家者以外に戒名を与えた最初でした。
[ 5:死者にも戒名を授けた始まり、 没後作僧 ]初めに述べたように釈迦の仏教には戒名を付ける制度、習慣が無く、中国に伝わった仏教において初めて戒名の風習、制度が生まれました。しかし戒名はあくまでも、生きている出家者を対象にしたものでした。ところが室町時代(1336〜1573年 )になると禅宗において、修行の途中で志なかばで死んだ僧を弔う、 亡僧喪儀法( ぼうそうもぎほう )から頭の良い僧侶が ヒントを得て、 没後作僧 ( もつごさそう )という理屈を考え出しました。つまり 人が 死んだ後 に僧になった とみなすことにより、死者に戒名を授ける行為の正当化を図りました。それは1: 死者の頭を剃って僧になった 「 しるし 」とする。 2: 死者に読経して仏の道を教え導く。 3: 死者に戒名を授ける。 という方法でした。それによって生前に 故人が出家していなくても、受戒をしていなくても、葬式の際に 戒名が貰える という葬式をする側にとっても、僧侶にとっても 収入の面で好都合 な事態をもたらしました。 しかし没後作僧の便法に従えば、僧として守るべき戒律を死者に教えることもできず、受戒の件をどのように説明したのでしょうか?
[ 6:キリシタン禁制と僧侶の堕落 ]江戸時代になると キリシタン禁圧を強化するために、村人を 一人残らず村の寺に檀家として登録させる 檀家制度 ( 寺請け制度ともいう )ができました。そして葬式の際には死者や家族が キリシタンの信者では無く、仏教徒である証拠として戒名を授けるようになりました。しかし キリシタン根絶後は庶民に対する支配監視のための制度にも利用されて、人々の移動、旅行の際に必要な 往来手形( パスポート )の発行 や、就業に際して要求される一種の身分証明書でもある寺請け証文 ( 宗旨手形 )も発行するようになりました。 この檀家制度が 一部の僧侶を堕落させることになり、葬式の際に僧侶の 希望する金額の布施 を出さなければ死者に引導を渡さず、何日も 葬式を引き延ばす 嫌がらせをしたり、葬儀の施し物をねだり、あるいは 布施の金額 により 戒名に上下の差別を付ける などの僧侶の腐敗堕落が生じるようになりました。 ちなみに栃木県の我が村にある禅宗の寺の坊主なども未だにその根性が抜けきらずに、村人に米を持ってこい、お供えのまんじゅう作って持ってこいなどと命じ、年回忌には寺での法要が終えた後も、呼ばれもせずに町の料理店で開く精進落としの席にやって来ては大酒を飲んで帰るので、その賤しい振る舞いに嫌気がさし、檀家を離れる家もありました。
注:)引導
[ 7:戒名の階級と値段 ]恥ずかしながら義母の葬式にかかわるまで、戒名の階級について気が付きませんでしたが、義母の家は真言宗なのでそれに沿って説明します。位が高い順に左が男性/右が女性です。参考までに葬儀屋から聞いた首都圏での戒名の相場ですが、一般に都市部では高く、地方ではこれより低くなります。
1:院殿、大居士/清大姉、−−−−500 万円以上
2:院、居士/大姉−−−−−−−−100 万円
3:居士/大姉−−−−−−−−−−50 万円
4:信士/信女 ( 最低ランク )−−ーー30 万円、です。 かつて院号は院殿号よりも高い位にありました。平安時代に冷泉( れいぜい )天皇 ( 950〜1011年 )がいましたが、息子に位を譲り出家して上皇になる際に 冷泉院 という戒名をつけましたが、これが院号の初めとなりました。「 院 」 とは本来大きな建物の意味でしたが、次第にそこに住む上皇や貴族などの高い身分の人を指すようになり、戒名にも使われるようになりました。 院殿の戒名を最初に付けたのは室町幕府を開いた武家の足利尊氏( たかうじ、1305〜1358年 )で、 等持院殿 の戒名でした。その後武家の将軍たちが院殿号の戒名を付けたので、院と院殿の地位が逆転して、 院殿が最上位の戒名になりました 。 かつては 1文字でも長い戒名、位の高い戒名を親の戒名として付けて貰うのが、最上の親孝行であると思われていた時代がありました。私の育った村では 院号 を持つ家は、かつて代々村長を務めた家など、村の有力者の10軒程度でしたが、戦時中には戦死した人に院号を付けるようになり、戦後の高度経済成長期になると院号が急増しました。 全国の統計では平成の バブル期には、死者の 64 パーセント に院号が授けられたそうですが、その陰には戒名料として無税の莫大な金が寺院に流れたに違いありません。 しかも戒名の位と葬式の費用にはつながりを持たせるのが普通でして、院号を貰った人の葬式では祭壇の段数を増やすとか、豪華な飾りにしないと 祭壇が戒名に負ける などと葬儀屋に巧みに言われて、見栄を張る為の無駄金を使うことになります。
[ 8:戒名を決める方法 ]本来ですと亡くなった人を良く知る旦那寺の住職が、生前の職業、経歴、人となりを考えて、故人に相応しい戒名を授けたものです。しかし最近では特に都市住民は旦那寺が無く、従って葬儀の際には一面識もない僧侶( あるいは葬儀屋が、戒名販売業者や寺持たずの フリーター僧侶などから戒名を仕入れて、それを授けるようになりました。彼等は各宗派毎に出版され、市販されない 戒名辞典 を参考にしながら 予め戒名を数多く作成して手元に用意しておき 、注文に応じてその中から年齢、職業、性別、などから適当に選び F A X で寺や葬儀屋に送り、後日戒名の由来を書いた書類を届ける仕組みです。従って故人を知る旦那寺の住職が冥福を祈って作った戒名以外は、 既製品の戒名に故人の名前の1 字を加えただけ の、 「 心のこもらない 」 戒名 だということです。 そんな戒名をなぜ大金を払い、買い求めるのですか?。
[ 9:戒名の構成 ]心のこもらない戒名に対して前述のように、30 万円から100 万円もの無駄金を出すのは納得ゆかないと感じる人は、多いはずです。現に インターネットを検索すれば、戒名を販売する寺院や業者の ページを見ることができますが、 1 万円から 4 万円のお得な値段 で事前に購入できます。しかし見ず知らずの他人が作った既製品の戒名よりも、生前に自分の人生に相応しい オリジナルの戒名を自作すれば満足することができます。そこで、
徳栄 、が純粋な意味での 戒名 に当たりますが、ここには故人の名前の一文字を入れるのが普通で、「 栄 」 が入っています。 越山 が 道号 といわれるものです。 政覚院殿 、がいわゆる最高位の 院殿号 です。 大居士 、が戒名の 位号 と呼ばれるものです。 この五百万円以上はする立派な戒名は誰のものか、もうお分かりですか?。正解は元総理大臣、田中角栄の戒名です。参考までに他の有名人の戒名の例を挙げますと、福沢諭吉は 大観院独立自尊居士 の院、居士号で、作家の大佛次郎は 大佛次郎居士 というすっきりした居士の戒名でした。これは生前に自分で決めたものでした。
[ 10:戒名を自作する ]前述の如く信仰心に欠ける私は俗名で葬式を出してもらうつもりですが、義母の例からみてその場になると世間体がどうこう言う、横槍が入る可能性が無きにしもあらずです。そこで横槍が入る非常事態に備えて、自分の戒名を作ることにしました。それは
私の名前の 1 字である「 義 」と職業に関係のある 「 翔 」を入れて戒名を 義翔 とし、道号には、山、月、雪、花などの自然物や、愛、誠などの抽象的語を使う 「 しきたり 」 から、自然物の 「 峰 」を選び、孤高を保つに由来する 「 弧 」 から道号を 弧峰 と決めました。更に定年まで パイロットをしていたので飛雲院という院号にしましたが、これで院、居士の戒名ができあがりですが簡単なものです。ついでに女房にも サービスをして彼女の分も作りましたが、私の戒名との釣り合いを考えて院、大姉にしました。それは
園芸や花を好むので花賞とし、体操 クラブで健康体操を 27 年も続けているので道号を 愛操 、名前の 一字である 「 幸 」と、 本人の容姿とは似ても似つかぬ、 麗 の文字を入れて戒名を 麗幸 にしました。かなり立派過ぎた戒名になりましたが、43 年も一緒に暮らしているので、究極の女房孝行(?)を戒名でしたつもりです。本人もこれを見てまんざらでも無さそうでしたし、夫婦で軽く 200 万円 の戒名代の節約(?)です。友人曰く、まるで競馬の菊花賞みたいな戒名やねー!。
そこで友人達にも
ところが先日、待ちに待った第 1 号の希望者が現れました。女房が地域の老人会で毎月 1 度 ボランティア活動をしていますが、雑談の中で自分が戒名を既に持っている話をしたところ、80 才の女性が私にも戒名を作って欲しいと言ってきたそうです。お迎えが間近になった予感がしたのかも知れません。帰宅した女房にその人の宗派を尋ねたところ、大事な宗派を聞いてこなかったというので、これでは戒名は作りようがありません。来月の老人会までお預けになりましたが、さらにその女性はお酒を飲まないらしいので、謝礼の件( ? ) も天に見捨てられた気がしてきました、残念至極!。 自作の戒名が葬式の際に、果たして有効ですかって?。葬儀に来る僧侶や葬儀屋は戒名料やその手数料が貰えないので、不満に思うかもしれませんが、自分の葬式を俗名でしようが自作の戒名を使おうが基本的には個人の自由です。しかし旦那寺と檀家の関係があり必然的に永代供養をして貰う場合には、旦那寺の住職に葬儀を依頼することになるので、住職が授けた戒名を使わなければややこしい問題になる可能性があります。それ以外では葬儀をするのに俗名でも自作の戒名でも問題はありませんし、近所の仏具屋に依頼すれば白木の位牌にも、高価な漆塗りの位牌にも、自作の戒名を書いてもらえますのでご心配なく。
[ 11:戒名は誰のもの ]寺院の数は全国で 7万5千 あり、仏教関係の宗派は 60 にも及ぶそうです。寺院の住職向けの雑誌に 「 月刊住職 」 というのがありますが、平成 10 年 2月号の中で戒名についての アンケート調査の結果を載せています。それによれば寺の檀家の人間で、戒名が絶対に必要と考えている人は 1 割弱しかいません 。
住職の 75 パーセント が信士/信女、禅定門/禅定尼といったような基本的戒名 ( つまり最低の ランクの戒名 )については、檀家に限り戒名料無しで授けることに賛成しています。この結果を踏まえてある住職が提言をしていますが、その中でとしています。これに対して別の住職は
釈迦の教えには葬式もなく、戒名もない。と述べました。 注:)死に臨んだ釈迦の言葉
仏典によれば 死期 ( 豚肉料理による食中毒死 )が近づいた釈迦に弟子の 1 人が葬式の仕方について尋ねると、弟子達にこう言いました。
あなた方出家者は私の葬儀、遺骨の供養礼拝にかかわってはならず、修行に専念せよ。遺骨の供養は在家 ( 非出家者 ) の信者達がするであろうから。そう言って亡くなりましたが、80 才になった年の 2 月15日でした。写真は福岡県篠栗町にある篠栗八十八箇所霊場の 1 番札所である、南蔵院にある世界最大( 長さ 41 メートル ) のブロンズ製の釈迦涅槃像です。涅槃 ( ねはん ) とは煩悩が消滅し、苦しみを離れた安らぎの境地、悟りの世界のことですが、一般にはお釈迦様の死のことを言います。
[ 12:最後に ]葬式仏教と言われ、僧侶は死者の葬祭儀礼に従事するのが主な仕事ですが、これは前述の釈迦が臨終の際に述べた遺言に反するものの、誰かがしなければならない必要な仕事です。これまで高額の戒名料について反対の立場から意見を述べましたが、何事も多面的に見る必要があります。キリスト教や イスラムの教えでは、収入の 10 パーセント を教会や モスクの経営維持管理の為に寄進せよとしています。ひるがえって仏教ではそのような制度はなく、檀家と旦那寺との関係の中で住職の生活費まで恒常的に檀家が負担するわけではありません。前述のごとく檀家制度が都市部では崩壊しつつあり、高額の戒名料を無駄、不要と判断し、 俗名で葬式をする者が 3 割に達する 現状の中で、寺の維持管理や住職の生計を何に頼り、今後戒名料をどのようにするのかが問題です。
座して葬式や法事を 待つだけで 、人々の信仰や心の問題に積極的にかかわることもなく、人生の悩み事の相談や 布教活動を殆どしない 仏教寺院の問題を含めて今後、戒名や仏教の在り方について考える際の参考になれば幸いです。 ( 合掌 )
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