毒へびの話

[ 1 : マムシ ]

昭和 20 年当時小学校 6 年生だった私が栃木県の田舎に疎開した村には、近所に伯父の家がありました。その家に遊びに行くと 「 いろり 」 の上の天井には、伯父が山で捕らえた 「 マムシ 」 を 「 とぐろ 」 に巻いた形にして蒸し焼きにしたのが何匹も吊してありましたが、時折それを砕いて粉にして飲むと、体の滋養になるとのことでした。

私達 一家が疎開していた家の裏には小川が流れていましたが、岸辺では蛙を狙う 「 ヤマカガシ 」 や 「 マムシ 」などを時折見かけました。毒のある 「 マムシ 」 には注意したものの、「 ヤマカガシ 」 についてはその当時は無毒と思われていましたが、最近では毒を持ち、咬まれると腎臓障害などを起こすことが分かりました。

ガラガラ蛇

中高年になってから始めた山登り、山歩きでは北 アルプスの 三千 メートル級の高い山や、近郊の 千 メートル級の低い山に登り、里山歩きもしました。あるとき京都府と福井県の境界にある若丹 ( じゃくたん、若狭の国と丹後の国 ) 国境尾根にある五波峠 ( 695 m ) を越える山道で、日本にはいるはずがない ガラガラ蛇 ? に遭いました。

カシャカシャカシャという聞き慣れない音を聞いたので立ち止まったところ、草むらに マムシのような模様をした蛇がいて、尻尾を立てて音を出していました。

ガラガラ蛇のことを英語で Rattle snake といいますが、「 rattle 」 とは 「 ガラガラ 」 とか、「 ガタガタ 」 の意味であり、私が聞いた 「 カシャカシャ 」、あるいは 「 シャラシャラ 」 という音ではありません。しかし日本では尻尾を振って音を出す蛇のことを聞いたことがないので、恐らく危険な蛇に違いないと思いました。

毒液吸い出し器

それ以来山に行く時には 「 マムシ 」 や 「 スズメバチ 」 などに咬まれ / 刺された時の用心に、デンマーク製の エクストラクター( Extractor ) という名前の「 毒液の吸引器具 」 を携行することにしました。

傷口の大きさに合わせて写真にある 四つの吸引口の アダプター( 接続器 ) から一つを選び、本体に装着して傷口に当てて白い レバー を押し込むと筒の内部が真空状態になり、マムシなどに咬まれた際に注入された毒液が傷口から吸い出されるという仕組みでした。

傷口の表面に吸い出されて来た毒液を拭い取り、吸引操作を 20 分程度繰り返す様に説明書に書いてありましたが、山などで医師の手当てを受けられない場合のことでした。

もちろん咬まれた / 刺された直後に使う必要がありましたが、こんな チャチな道具が毒蛇の咬傷に役立つのかと半信半疑でしたが、ハブの咬傷被害が最も多い鹿児島県の奄美大島では、これまで山林労働者などの希望者に対して、ハブ毒用のトキソイド ( 予防注射 ) をしていたのを最近廃止して、この吸引器具を配るようになりました。応急処置としてそれなりに有効であると、判断したからだと思います。


[ 2 : ハブのいる島、いない島 ]

毒蛇ハブ

南西諸島とは九州の南端から台湾付近にある与那国 ( よなぐに ) 島まで孤状に点在している島嶼です。そこに含まれる琉球諸島や薩南諸島 ( トカラ列島、奄美諸島 ) について調べてみると、ハブが生息する島と全くいない島とに分かれていますが、なぜでしょうか?。 その理由は太古における地殻の変動です。

今から約 1,500 万年前の時代には、南西諸島は台湾や中国大陸と陸続きでした。そのためそれらの地域に生息していた 「 哺乳類 」 や 「 爬虫類のハブ 」 なども当然陸地伝いに南西諸島にやって来ました。しかし トカラ列島の宝島、小宝島とそれ以北の島との間には トカラ海峡と呼ばれる深い海溝があったために、動物学者の渡瀬庄三郎が大正元年 ( 1926 年 ) に発表した 「 渡瀬ライン 」 と呼ばれる動物分布上の境界線ができて、ハブの奄美大島から北への移動が阻止されました。

さらに500万年前に海面の上昇が始まり大陸との地続きは絶たれ、宮古島、久米島、与論島、沖永良部島、喜界島などの平らな島は海面下に没し、そこに生息していた ハブは絶滅しました。しかし奄美大島の湯湾岳 ( 694 m ) や金川岳 ( 528 m )、徳之島の井ノ川岳 ( 641 m )、沖縄本島の与那覇岳 ( 498 m ) 、西銘岳 ( 420 m ) などのように高い山があった島々のハブは、山頂付近に逃れて絶滅を免れ現在に至りました。

南西諸島には石垣島と西表島の周辺には 「 さきしまハブ 」、沖縄本島、徳之島、奄美大島などには最も人的被害の大きい 「 ハブ 」、トカラ列島の宝島、小宝島には「 とからハブ 」が生息しています。


[ 3 : ハブの被害 ]

昔から沖縄や奄美大島ではハブに咬まれて死ぬ人や、身体障害者になる人が大勢いましたが、参考までに島の人口以上に ハブが生息するといわれた、奄美大島の ハブによる被害統計を示します。

期間年間のハブの咬傷者年間の死亡者不具率
昭和元年〜10年263名/年5.7人/年7.0%
昭和22年〜32年 323名/年9.9名/年5.3%
平成元年〜10年98名/年0.2名/年−−−


不具率とはハブの咬傷により手足などの筋肉が広範囲に壊死した結果、運動の自由を失った者の割合です。

アメリカに 「 Animal Facts & Fears 」 という出版物がありますが、その 1982 年 ( 昭和 52 年 ) 度版によれば、奄美大島は世界で最も毒蛇の危険がある島であり、 毎年島民の 500 人に 1 人が ハブに咬まれている とありました。

ハブに咬まれた手

鹿児島県保健環境部の最近の統計によれば、平成元年 ( 1989 年 ) から平成 10 年 ( 1998 年 ) までの 10 年間に 1,070 人 が ハブに咬まれていて、そのうち 3 人 が死亡しました。左の写真は ハブに咬まれた手の写真ですが、茶色の ゴム手袋をはめたように赤茶色に変色し、腫れてきますが、ハブの抗毒血清が開発されたお陰で筋肉が壊死せず、従って以前のように不具になることはありません。

マムシ

ちなみに厚生労働省によれば、毎年日本全国で 「 マムシ 」 に咬まれる人は推定 3,000人 で、この内重傷者は推定200〜300人、死者は厚生労働省の人口動態調査によれば、 2001 年に 8 名、2002 年に 4 名、2003年には 8 名でした


[ 4 : へびの毒 ]

大別すると毒蛇には 「 コブラ 科 」 と 「 クサリ ヘビ 科 」 の 2 種類があります。

( 4−1 、 神経毒 )

コブラ に代表される 「 コブラ 科 」 の ヘビが持つのは 神経毒 で、咬まれると血流により体内に毒が運ばれ次第に人の神経系統を麻痺させて、遂には心臓を麻痺させて死亡することになります。後述する出血毒の蛇に比べて痛みで苦しむことがなく、言わば大量の麻酔薬を注射されるようなものです。

古代 エジプトの女王 クレオパトラ が自殺する際に毒蛇に乳房を咬ませたのは、「 アスプ 」 という エジプトに生息する コブラだと言われていますが、それは大きな 「 イチジク 」 のかごに入れられて監視人の目を盗み宮廷に密かに運び込まれました。 コブラなら苦しまずに死ねることを 、クレオパトラは知っていたのかも知れません

同時代の ローマの詩人 ホラチウスは 「 今や飲みけり 」 の詩の中で、

彼女は恐がりもせずに、冷たい蛇たちをつかんだ。死をもたらす毒が、誇らしげな胸元を流れるままにした。

と書いていましたが毒へびは 1 匹ではなく、同時に死んだ 2 人の侍女の分の コブラもいたのだと思います。

クレオパトラ像

プトレマイオス朝では代々同じ名前を称したので、クレオパトラ ( 紀元前 69〜前 30 年 ) は正確にいうと クレオパトラ 7 世 でした。

彼女は プトレマイオス王朝最後の女王でしたが、エジプト征服を目指した カエサル( シーザー )、次には アントニウスという 2 人の英雄を美貌を武器にして籠絡 ( ろうらく、まるめこんで思い通りに操る ) しました。

しかし紀元前 31 年に起きた クレオパトラ ・ アントニウスの エジプト連合軍対 ローマ ( オクタビアヌス ) 軍による天下分け目の 「 アクティウスの海戦 」 で、エジプト軍が敗北したため アントニウスは自殺し、クレオパトラも捕らえられた末に毒蛇で自殺し、プトレマイオス王朝は滅亡しました。

フランスの思想家であると共に科学者でした ブレーズ ・ パスカル ( Blaise Pascal、1623〜1662 年 ) は大気圧の研究でも知られ、世界的な気圧の単位として今も使用されている ヘクトパスカル ( h Pa ) [ Hectopascal、即ち 1 h Pa = 1 m b ( ミリバール ) ] にその名を残しています。 パスカルは フランス語で 「 思想 」 を意味する 「 パンセ 」 を書きましたが、その中にある 「 人間は考える葦 ( あし ) である 」 や、

「 クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、歴史は変わっていただろう 」

などの言葉が有名ですが、原文によれば 「 鼻がもっと短かったら、地球のあらゆる面は変わっていただろう 」 となるのだそうです。ギリシャの伝記作家 プルタルコス( Plutarchus、紀元 46〜120 年頃 ) が書いた 「 英雄伝 」 によれば、クレオパトラの美しさは並外れたものではなく、見る人に衝撃を与えるほどではなかったと書いてありました。


( 4−2、 出血毒 )

ハブ咬症者

「 コブラ科 」 の蛇に対して 「 クサリ ヘビ 科 」 の蛇である ハブ ガラガラ蛇 が持つ 出血毒 は強烈で、ハブの抗毒血清が開発される以前は咬まれると死亡するか不具になるかのいずれかでした。添付の写真は ハブに足の スネを咬まれた為に、スネの筋肉が広範囲に壊死し、骨だけになった状態で足に大きな後遺症が残りました。

ハブの毒は強力な消化酵素の集合体で、 毛細血管を破壊し筋肉を溶かす、腫れさせる、壊死させる という作用により、咬まれると長時間痛みに苦しみながら死に至る場合がしばしばでした。

前述した日本本土にいる 「 マムシ 」 も同じ クサリ ヘビ科の蛇ですが、毒はあまり強くなく私の友人が 30 年前に近所の溜め池で釣りをして帰る途中に マムシに咬まれました。足が 2 倍に腫れて、視野に異常をきたし物が 2 重に見えるようになり市民病院に 10 日間入院しました。病院中の医師が後学のために滅多に見られない マムシの咬傷を見に来たそうですが、マムシに咬まれても 「 マムシ抗毒血清 」 があるので人は滅多に死なないそうです。

沖縄や奄美大島では ハブによる咬傷被害を減らす為に道路で車にひかれた死体ではなく、生きている ハブを捕獲持参すると県が 1 匹 3 千円で 「 行政買い上げ 」 をおこない、それと共に各市町村が 2 千円を上乗せして合 計 1 匹 5 千円 という高価な値段で買い上げてくれるので、地元ではそれを職業にする 「 ハブ捕り人 」 がいます。

その後規則が改正され平成 19 年の最新情報によれば、保健所では ハブの大小にかかわらず 1 匹 4 千円で買い上げますが、民間経営の ハブセンターに持ち込むと、重量制で買い上げ価格が決まり、ハブの重量 10 グラム当たり100 円 ( つまり 100 グラム当たり 1 千円 ) で買い上げるのだそうです。これまでの最高記録は 1 匹で 2 万 4 千円でした。


[ 5 : コブラに咬まれた人 ]

参考までに 「 神経毒 」 を持つ 「 コブラ 」 に咬まれた人の話をしますが、場所は インドや タイではなく日本の話です。愛知県岡崎市の近くに中部地方では紅葉の名所として有名な 「 香嵐渓、こうらんけい 」がありますが、私も紅葉の季節にそこを訪れました。そこには 「 へび センター 」 があり、以前は日本で唯一の 「 コブラ 対、マング−スの決闘 」 ショウがおこなわれていました。

コブラのことを台湾や中国では 百歩蛇 とも言いますが、咬まれたら百歩あるく内に死ぬから(?)だそうです。

コブラとマングースの戦い

決闘場は前面を ガラス張りにした箱の中央に仕切板を置き、箱の両側からそれぞれ マングースと ハブを入れて、仕切り板を外すのです。 すると コブラの天敵である マングースがあっという間に コブラに襲いかかり、頭に噛み付き勝負が終わりましたが、コブラを殺されないように係の タイ人が マングースを引き離しました。

ある時 コブラを取り扱う タイ人が、コブラに咬まれました。初めは平静でしたが次第に言語が不明瞭になり、顔の瞼が垂れてきてやがて意識を失いました。直ぐに コブラの血清を注射しましたが、この血清は咬まれた患者には最多で 10 本しか使用できないのだそうです。6 本目を注射したところで容態の悪化が収まり、ようやく意識が回復しました。それ以後は快方に向かいましたが、「 神経毒 」 なので後遺症は無くその後も 「 へび センター 」 で働いているそうです。


[ 6 : ハブの駆除方法 ]

( 6−1、マングースの輸入 )

沖縄では ハブを駆除するために、東京帝大の渡瀬庄三郎教授が1910 年に コブラの天敵である ジャワ ・ マングース 29 頭を、インドの ガンジス川河口で捕獲し沖縄に輸入しました。マングースが ハブ対策に有効かどうかの公開実験では、周囲の騒がしさに気後れしたのか、マングースは ハブと睨み合いになり決着がつきませんでした。このとき マングースの隙をついて ハブが 2 度ほど攻撃し マングースを咬んだそうですが、マングースは耐毒性があり死ぬことはありませんでした。

会場を県庁会議室に移して実験を再開したところ、マングースは素早く身構える ハブに躍りかかり、くわえた頭を離さずに 2〜3 分で見事に ハブを仕留めたと新聞に報じられていました。

マングース

公開実験の後に 21 頭が沖縄本島で野外に放たれ、4 頭が渡名喜島に放たれ、残りの 4 頭は東京大学に持ち帰りました。現在沖縄本島には輸入された ジャワ ・ マングースの子孫が多数生息していますが、ハブを餌にするよりも容易に捕食できる家の 「 にわとり 」 や野生の生物などを捕食するため、沖縄の生態系を破壊する恐れがあります。


( 6−2、本土 イタチの導入 )

前掲した 「 ハブの被害の表 」 を見れば明らかですが、昭和 30 年代は奄美大島において ハブの被害が最も多い時期でした。鹿児島県では ハブ対策のために肉食獣の「 ホンドイタチ 」 を放しましたが、その数は 2,363 頭 にもおよびました。しかし放たれた イタチは予想に反して ハブを捕食するどころか逆に ハブの餌食になり、かなり早い時期に絶滅してしまいました。

奄美病害動物研究施設で実験したところ、観察箱に ハブと イタチを入れると、イタチは ハブの攻撃を避けることができずに殺されてしまいました。当時の奄美大島には 10 万匹を超える ハブが生息していたので、その餌食になったのでした。


( 6−3、奄美大島の マングース )
昭和 54 年 ( 1979 年 )頃に名瀬市の鹿児島県立少年自然の家周辺に、ハブの駆除目的で 20 頭前後の マングースを放した記録がありますが、その子孫が ハブの島で繁殖し現在では推定 1 万頭にまで増加しています。ハブを捕食するだけでなく天然記念物の アマミのクロウサギ も捕食され、絶滅が心配されています。

コブラとマングースの戦い

沖縄県衛生研究所の研究によれば マングースの血液には ハブの毒に対する抗体がありますがその量は十分ではなく、マングースの飼育経験者 ( ハブとマングースの決闘ショウの経営者 ) によれば ハブに咬まれて死ぬ マングースもいましたが、死なない マングースの方がはるかに多かったのだそうです。 対戦成績でいえば 20 対 1 で マングースが勝ちました。写真は野原で コブラの頭に噛み付く、天敵の マングース。


[ 7 : ハブが持つ第二の眼 ]

サーモグラフィー

ハブなどの毒蛇が暗闇の中でも ネズミや鳥などの生き物を捕食するのは、「 第 2 の眼 」 の役目をする、ピット ( Pit、窪み ) と呼ばれる 赤外線探知器官 ( センサー ) があるからです。恒温動物は右の赤外線 サーモグラフィー( 映像 ) のように、常に赤外線を放射しています。

ハブが持つ赤外線 センサーに写る映像は、相手の動きが速くない場合には高性能を発揮して、0.002 度の温度差を識別しますが、機敏に動く マングースなどの目標に対しては赤外線 センサーによる方向や距離が容易に定まらず、従って反応の遅れから攻撃も遅れるのです。

かつて沖縄で見た 「 ハブと マングースの決闘 ショウ 」 では両者を隔てる仕切板を外すと、マング−スは ハブの存在を見ると、アットいう間に襲い掛かりましたが、ハブは突然現れた相手を赤外線探知器官で見定める余裕もなく、頭や首を噛み付かれてしまいました。

サボテン荒野

左は一年中雨が滅多に降らない米国 アリゾナ州 ツーソン ( Tucson ) の荒野で撮った私の写真ですが、野にも山にも 1 本の木も生えず乾燥に強い サボテンと ヤブだけが生い茂っていました。

ガラガラ蛇はこうした厳しい環境にも生息していて、ある時現地の新聞によれば、小学生が ソフトボールの練習中に ブッシュの中に入った ボールを拾いに行き、ガラガラ蛇に咬まれましたが、救急車で病院に運ばれて命を取り止めました。


[ 8 : 動物愛護法の改正 ]

平成 12 年に動物愛護法が改正され、動物同士の噛み付きなどの行為をさせることが禁止されました。それにより観光客相手に催されていた沖縄や奄美大島の ハブと マングースの決闘 ショウや、高知県の桂浜近くの 「 闘犬 」 ショウなども禁止になりました。



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