海ゆかば
[ 1:続日本紀 ]続日本紀 ( しょくにほんぎ、797年成立 ) によれば、仏教に帰依した聖武天皇が奈良東大寺に大仏建立を始めましたが、その最中にこれまで海外からの輸入に頼っていた黄金が奥州で発見され、大仏建立のために寄進されたので、聖武天皇は喜んで 宣命 ( せんみょう、天皇の命令を伝える文書形式 )を発しましたが、海ゆかばの文言はその中にあります。宣命 ( 詔書 )を受けて大伴家持が長編歌 賀陸奥國出金詔書歌 を詠みましたが、その中に宣命の一部の文言である いわゆる 「 海ゆかば 」 も取り入れました。以下は宣命の抜粋です。
また大伴 ・ 佐伯宿祢 ( すくね、貴人に対する敬称 ) は常も云ふ如く、天皇が朝守り( 大君の御門の守護、朝と夕の守りに ) 仕へ奉る事顧みなき人どもにあれば、汝たちの祖どもの云ひ来らく、 海行かばみづく屍 山行かば草むす屍 王のへにこそ死なめ のどには死なじ 、と云来る人びととなも聞こしめす。是を以て遠 ( き ) 天皇の御世を始めて今 朕 ( ちん、天皇の一人称 ) が御世に当りても内兵 ( うちなるへい、近衛の兵 ) と心の中のことはなも遣はす。のどには死なじとは、のどか ( 穏やかで、静か ) には死なないの意味。
[ 2:賀陸奥國出金詔書歌 ]大伴家持が詠んだ 「 賀出金詔書歌 」 は次の 4 段から構成されています。
[ 3:現代語訳 ][1] 、 葦の生い茂る稔り豊かなこの国土を、天より降って統治された 天照大神を祖神とする天皇の祖先が 代々日の神の後継ぎとして 治めて来られた 御代御代、隅々まで支配なされる 四方の国々においては 山も川も大きく豊かであるので 貢ぎ物の宝は 数えきれず言い尽くすこともできない[2] 、 そうではあるが 大君 ( 聖武天皇 ) が、人びとに呼びかけになられ、善い事業 ( 大仏の建立 ) を始められ、「 黄金が十分にあれば良いが 」 と思し召され 御心を悩ましておられた折、東国の陸奥にある 小田という所の山に 黄金があると奏上があったので( 注参照 ) 御心のお曇りもお晴れになり 天地の神々もこぞって良しとされ 皇祖神の御霊もお助け下さり 遠い神代にあったと同じことを 朕の御代にも顕して下さったのであるから 我が治国は栄えるであろうと 神の御心のままに思し召されて 多くの臣下の者らは付き従わせるがままに また老人も女子供もそれぞれの願いが満ち足りるように 物をお恵みになられ 位をお上げになったので これはまた何とも尊いことであると拝し いよいよ益々晴れやかな思いに満たされる
注:)[3] 、 我ら大伴氏は 遠い祖先の神 その名は 大久米主 ( おおくめぬし ) という 誉れを身に仕えしてきた役柄 「 海を行けば、水に漬かった屍となり、山を行けば、草の生す屍となって、大君の足元にこそ死のう。後ろを振り返ることはしない 」 と誓って、 ますらおの汚れないその名を、遥かな過去より今現在にまで伝えて来た、そのような祖先の末裔であるぞ。大伴と佐伯の氏は、祖先の立てた誓い、子孫は祖先の名を絶やさず、大君にお仕えするものである と言い継いできた 誓言を持つ職掌の氏族であるぞ [4] 、梓弓を手に掲げ持ち、剣太刀を腰に佩いて、朝の守りにも夕の守りにも、大君の御門の守りには、我らをおいて他に人は無いと さらに誓いも新たに 心はますます奮い立つ 大君の 栄えある詔を拝聴すれば たいそう尊くありがたい
[ 4:万葉仮名で書かれた、海ゆかば ]海行者 ( ウミユカバ ) 美都久屍 ( ミヅクカバネ ) 山行者 ( ヤマユカバ ) 草牟須屍 ( クサムスカバネ ) 大皇乃 ( オホキミノ ) 敝尓許曽死米 ( ヘニコソシナメ ) 可敝里見波 ( カヘリミハ ) 勢自等許等太弖 ( セジトコトダテ ) 以下省略
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