四国へんろ題字

どこか遠くへ、1,200 キロの歩く旅

弘法大師像

昭和 37年 ( 1962 年 ) 頃に流行った歌に、永六輔作詞 ・ 中村八大 作曲の どこか遠くへ がありました。

知らない町を歩いてみたい / どこか遠くへ行きたい / 知らない海を眺めてみたい / どこか遠くへ行きたい −−−
という歌詞でした。私にとっては歌詞にある 、「 愛する人に巡り会いたい 」 ことなどありませんでしたが、退職後はこれまでの生業 ( なりわい )、世間の 「 しがらみ 」、時間的束縛から解放されて、松尾芭蕉が 「 奥の細道 」 でいうところの、 そぞろ神の物に付きて心を狂わせたのか? 、風の吹くまま、どこか遠くへ、「 さすらいの一人旅 」、「 自分の心と向き合う旅 」に出たくなりました。

そこで選んだのが四国霊場 八十八ヶ所の札所を 歩いて巡る 1,200 キロの旅、 四国遍路 です。信仰心からではなく、年齢に似合わぬ 漂泊の旅に対する憧れ、未知なるものへの好奇心 からです。


[ 1: 事前の準備、予算は 1 日 1 万円 ]

歩き遍路をするには

  1. 健康

  2. 体力

  3. 気力

  4. 時間的余裕

  5. 資金

  6. 家庭に心配事がない

のすべての条件を満足することが必要です。歩いて遍路をしていると車で巡る人達から、 うらやましいですね とよく言われました。そうなんです、長い人生においても、この 六つの条件をすべて満足できる機会は、あまりありませんから。

学生時代は ヒマと体力はありますが、カネには恵まれません。職業を持つと カネがあっても時間的余裕がなくなり、中高年になると役職に就くので、ますます休暇が取り難くなり、更に親の介護などの家庭的な問題も生じてきます。

しかし定年退職直後は体力にも余力を残し、ヒマに恵まれ、しかも退職金を貰い資金面でのゆとりもあります。もし家庭的な問題さえなければ、この時こそ遍路に出る絶好の チャンスで、時期をのがすと体力、気力が衰えてしまい、車でしか巡れなくなります。

定年退職者に限らず歩き遍路をする人は、若い人でも上記 六つの条件を程度の差こそあれ、ある程度 クリアーできた、 恵まれた人 の証拠で、別な見方からすれば 感心な人、奇特な人 の部類に入ります。

健康で体力がある人でも、荷物を背負って毎日 30 キロ前後の距離を歩き続けるには、事前にそれなりの足慣らし、歩行訓練が必要です。

携行品については可能な限り重量の軽減を図り、冬季以外はなるべく 5 キロ程度に抑えることが要点です。例えば靴下、下着類は 1 晩で乾く登山用の化学繊維製品を使用し、予備は 1 組のみにするなど、軽量化には 絶対必要な物だけを持参すること が必要です。

しかし真冬に香川県を区切り打ちした際には、石鎚山系にある標高の高い 60 番横峰寺、 66 番雲辺寺への山道が積雪、凍結の恐れがあるため 4 本爪の軽 アイゼンを用意しましたが、現地では実際にそれを使用しました。安全上必要な物は削るべきではありません。

冬季に遍路をする際の装備重量は、防寒着、手袋、耳当てを含めて 8 キロ前後になるため、それなりの体力が必要ですが、その反面発汗量が少ないため体力の消耗が少なくて済み、歩き易いという利点もあります。さらに オフシーズンの良い点は札所や宿泊施設がすいていることですが、冬季には休業する民宿などがあるので注意が必要です。

歩き遍路にとって嫌なものは 雨降りと、長い トンネルです 。現在遍路道の約 8 割は舗装道路ですが、風雨にさらされながら歩道のない狭い国道の端を、大型 トラック、ダンプカーの巻き上げる泥 シブキを頻繁に浴びながら 1 日中歩き続けるには、それなりの忍耐力が必要です。

2 度目の区切り打ち ( 後述 ) の際には 23 番札所 ( 日和佐 ) から 24 番 ( 室戸岬 ) までの 77 キロ、37 番札所 ( 窪川 ) から 38 番 ( 足摺岬 ) までの 87 キロの長い国道歩きをしましたが、その際にはあいにく強い風雨に遭い、目に泥 シブキが入らぬように苦労しました。

薄暗い照明や、歩道の無い/狭い峠道の古い トンネルでは、袖をかすめるようにして通る車の轟音や風圧、トンネルの出口が霞んで見えるほど排気 ガスの充満した中を歩くため、交通事故の危険を含めて相当の覚悟や気力が必要です。トンネルの中を歩く際には、ドライバー から見え易いように懐中電灯を点灯すると共に、反射材の タスキ( 1,200 円 )を身に着けました。

予算に関しては野宿する場合を除き、中高年の場合には 1 日当たり 1 万円程度が必要です。その内訳は宿坊、遍路宿、などの宿泊費が 1 泊 2 食付きで 5,500 円ないし 6,500 円程度です。

これに加えて札所に納める費用が 1 ヶ所につき、最低でも納経帳への記帳代が 300 円、最大ですと、これに掛け軸への記入押印代 500 円、「 死に装束 」 用の白衣 ( 判衣 ) への押印代 200 円が加わり、合計で 1,000 円になります。その他に昼食費、疲労回復用の菓子、飲み物代などが必要となります。

多額の現金の持ち歩きは不用心なので事前に郵便局で キャッシュカードを作り、それで引き出すのが便利です。四国のどんな田舎を歩いても郵便局の前を毎日数回通るので現金自動支払機の利用は可能ですが、道中では 「 遍路 ボケ 」 をして曜日に無関心になりますので、週末の キャッシュサービスの時間制限に注意する必要があります。 松尾芭蕉と弟子


前述の 「 奥の細道 」 をはじめ、「 更科紀行 」、「 野ざらし紀行 」 などを書いた旅の ベテラン松尾芭蕉は、関西への紀行文、「 笈の小文 」( おいのこぶみ ) の中で

ただ 一日の願い 二つのみ、こよい能宿 ( よきやど ) からん ( 借らん )、草鞋 ( わらじ ) のわが足によろしきを求めん

と記しています。つまり 「 旅での 1 番の願いは、体を休めて安眠できる清潔な宿に泊まることと、履く草鞋が足にぴったり合い、しかも丈夫なものであってほしい 」と述べていますが、これは現代の歩き遍路にも当てはまります。

右の絵は弟子である森川許六の筆になる芭蕉行脚図で、容貌、旅の姿を正確に表したものとされていますが、弟子の曽良 ( そら )と共に 2 人の荷物の少なさが目につきます。

芭蕉は紀行文の中で 「 荷物は少なきがよし 」 と繰り返し述べていて、この姿で奥の細道の全行程 1,700 キロ ( 約 450 里 ) を、各地での滞在日を含めて 143 日、そのうち推定歩行日数 60 日で歩きましたが、1 日平均 30 キロ弱の計算になります。

[ 2 : 靴の重要性 ]

歩く旅の原動力である足を保護する靴は、その選定を誤ると リタイヤにつながり兼ねないため、注意が必要です。一般には防水性、撥水性、透湿性のある軽登山靴を履く人が多く、底の薄い スニーカーなどでは、毎日 4 万歩ないし 5 万歩あるくと、足裏に平らな大きい マメ ができたりして苦労します。

靴の サイズは歩き続けることによる足の 「 むくみ 」 を考慮し、また場合によっては膝や踵への ショックの軽減、足裏の マメ 防止のため中敷きを 二重にする( 又は踵部分のみ 二重にする )、人によっては分厚い ゴム製の中敷きの使用、などの中敷き調節をすることもあり、普段よりも大き目の サイズを選びます。

靴の中が雨に濡れたまま長時間歩くと、足がふやけて靴擦れや マメ が出来易くなるため、なるべく ゴアテックスなどの防水性と透湿性を兼ね備えた素材を内側に使用した靴 ( 値段が高め ) がお薦めです。

靴下については私の場合、5 本指の形で土踏まずまでの長さしかない石綿製の半靴下 ( 材質については絹製の物もあり、登山用具店で購入 ) の上に、普通の登山用の化学繊維製の靴下を履きましたが、そのせいかどうか分かりませんが、靴擦れや マメで苦労したことはありませんでした。

しかし納経所の夕方の門限に間に合うように急いで歩いた際に、踵に チクチク と異常を感じたのですぐに靴を脱いで踵を調べたところ、靴擦れで赤くなっていたので、バンドエイド を貼って事なきを得ました。

靴擦れについては仮に 1 秒間に 1 歩、歩くとすれば、10 分間靴擦れを我慢して歩くと歩数の半分 ( 片足分 )で 300 回擦れるため、無理して歩き続けるとたちまち皮膚がむけてしまい、後で痛い思いをします。それゆえ歩行中に少しでも異常を感じたならば、直ぐに立ち止まって靴擦れの手当をすることが必要です。そのための  バンドエイド や絆創膏、あるいは テーピング 用 テープは遍路にとって必携品です。


[ 3 : 泊まる場所 ]

遍路の泊まる所としては、寺の宿坊、昔からの遍路宿、民宿、都市近郊では ビジネスホテル や旅館です。お寺の宿坊は最近では 100 名から、大きい所では 300 名( 61 番香園寺 ) も宿泊可能な鉄筋 コンクリート 製の立派な建物に建て替えられていて、主に団体客を専門に扱い、1 人旅の遍路では予約の段階で断られる場合もあります。

宿坊は宿泊料金が 一番安いのですが、アルバイト の人達による機械的 サービス でしたり、そのうえ夜または早朝の 「 勤行 」 に出なければなりません。車遍路には問題ありませんが、歩き遍路には多少不便な場合もあります。

遍路宿 ( 遍路が主に宿泊する宿屋 / 旅館のことで、そのような看板を掲げているという意味ではない ) は札所の付近や遍路の道筋にあって、昔から主に遍路を客の対象としていたたために、その扱いに慣れていて家庭的な サービスが特徴です。宿に着くと直ぐに風呂に入れてくれますし、時には 「 お接待 」 で洗濯物を洗ってくれる宿もあります。

早出、早着き が歩き遍路の原則ですが、朝早い遍路のために朝食も 6 時半から暖かい食事を用意してくれる宿が多いようです。また夏季などに夜明けから歩き始める場合には、朝食用の 「 おにぎり 」 を用意してくれる宿もあります。

経営者はたいてい 70 才台の老人夫婦で、昔の遍路の話を聞くなどの触れ合いの機会もありますが、商売の跡継ぎをするはずの子供達は家を出てしまい、建物や設備も古いままというのが一般的な遍路宿の状態です。

宿の予約は シーズン 中の混雑期を除いて次の宿泊地がほぼ確定的となる前日か、遅くとも当日の午前中にするのが普通ですが、遍路宿の場合昼間に電話すると不在の場合があり、前日の夕方ないし夜間がよい場合があります。札所のそばには公衆電話がたいていありますが、それ以外は役場、農協などがある村の中心部にしか公衆電話がないので、道中の連絡用に携帯電話の持参が推奨されます。


[ 4 : 札所の巡りかた、用具 ]

1 番から 88 番まである札所のうち、どこの札所からまわり始めてもかまいません。ただ初めての人は、遍路用具、衣装などを揃える必要があるので、遍路用品販売所のある札所から始める必要があります。まわり方は番号順にまわってもよし、逆番号順でもよし、また何年かかってもかまいません。

ただ逆番号順にまわる方法 ( 逆打ち ) は、番号順にたどる道しるべが利用できないため、慣れた人以外はやらないのが普通です。

遍路用具 としてなにを揃えるかは、その人の考え方によりますが、納経帳の他に、遍路の表看板である、菅傘、杖、納経帳などを入れるずだ袋の 遍路 3 点 セット を身につける人が多いようです。

その他に白衣と輪袈裟をつければ完全ですが、白衣を着ない人、輪袈裟を着けない人、風の影響を受け易い菅笠をかぶらない人、ハイカーと見分けがつかない服装の人もいます。

しかし初めて遍路をするのであれば、一見すぐに遍路と分かる服装をしていた方が、誤った方角に歩くのを注意してくれるとか、お接待を受け易いとか、なにかと便利なことが多いようです。私は真冬に巡った際は防寒のため白衣の替わりに、白い ウィンドブレーカー を着ました。遍路用具の費用は最低 5 千円から 1 万 5 千円位でしょう。


[ 5 : 区切り打ち ]

札所にお参りすることを 「 打つ 」 と言います。昔の人がお参りした 「 しるし 」 に木片に名前を書いてお寺の柱、鴨居などに釘で打ち付けた習慣に由来するそうです。全 コース を中断せずにお参りすることを 「 通し打ち 」、区切ってお参りすることを 「 区切り打ち 」 と呼びます。

また阿波の国 ( 徳島県 )、土佐の国 ( 高知県 )、伊予の国 ( 愛媛県 )、讃岐の国 ( 香川 ) のように一つの国 ( 県 )に限って打つことを 「 一国打ち 」 とも言います。私は 4 回に分けて区切り打ちをしました。



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