Challenge in USA

2000.06から2001.01


* 2000年6月(ハリウッドパーク)
*       7月 (ハリウッドパーク)
*       8月(デルマー)
*       9月(デルマー)
*      10月(サンタアニタ)
*      11月(ハリウッドパーク)
*      12月(サンタアニタ)
(2001.01.31まで)


2000年6月から、パサディナに住居も移して始まった豊さんのアメリカ挑戦。
2001年1月31日の8レースで閉じることになりましたが。
その戦績を残しておきます。

豊さんにとっては、思いもよらない苦戦だったと思います。
何よりも、騎乗機会を得ることの難しさにぶちあたった、ほんとうに苦しい戦いだったと。
いろいろな意見があると思いますが、ちょっとだけ私見を述べておきたいと思います。
アメリカ競馬をよく知らない、競馬もよく知らない、ただの豊さんの一ファンの思いです。

アメリカは、馬という点では優れた馬が生まれる素地を持っているのだと思います。
なによりも生活の中に馬が生きています。 サラブレッド以外にも多くの馬がいます。
しかし、競馬ということでみれば、非常にマイナーな存在です。
そして、スポーツとは見られていないと思います。日本でもマイナーですが、もっとマイナー。
賞金も少なく、レースに出る馬の数も少ない。当然、競馬関係者が食べていくためのパイは
小さい。 従って、その小さいパイの分け前ということになると、そこで必死で生きていこうと
する人に食べられるのは当然で仕方のないことでしょう。
そういう目からみると、豊さんは、日本のスタージョッキー。年間所得が、億の単位で言われ
るような高額所得者です。 豊さんがアメリカでずーっと生きていくのじゃなければ、わけて
あげるなんて考えられないことじゃないでしょうか?

デルマーでロングショットジョッキーであったことが、一層警戒感を増幅したように思います。
日本に帰っているのも、騎乗機会を減らすことになったでしょう。
でも、ニック・コサトが言うように、アメリカにずーっといても騎乗が増えたでしょうか?
私は、増えなかったと思います。

日本は、どちらかというと拝外主義なくらい、騎乗させますが、アメリカもヨーロッパも、日本
とは違うと思います。自分のところが一番と思っているでしょうから、日本のトップジョッキー
といっても、そのことが武器にはならない。むしろ、大きな顔をさせないという圧力になる方が
可能性としては大きいと思います。
その感覚の違いが、日本とアメリカ、ヨーロッパの間にある抜きがたい相違でしょう。

豊さんが、スターであり、トップジョッキーであるほど、海外では壁が高くなると思います。
私は、今回、ファンとして、覚悟を決めてヨーロッパ行きも見守りたいと考えています。
決して甘いものではないと。

はじめに、お金を積んで買っていかれる野球選手、サッカー選手とは全く違うスタンスである
ことを考えていなければならないと。 競馬の騎手は、全く0から始まるのですから。
使わなくても向うは損をしません。
競馬社会という小さなギルドの中に、異国から割り込んでいくことの難しさがわかりました。

豊さんが、ヨーロッパでも苦労するのだと思いますが、気の済むまで戦ってみてください。
日本に帰ってきて、また素敵な騎乗を見せてくれることを、スポーツとしての競馬を見せて
くれることを待ちながら、海外の豊さんをおっかけて行きます。
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