追悼式で読まれた武豊さんのメッセージ

別冊「サラブレ」に掲載されていました。
サイレンススズカ。君は僕に素晴らしい時間を与えてくれました。
君は誰よりも強く、速かった。君と一緒に感じた風の感触は、今も僕の全身に残っています。
共にゴールを目指した7戦は忘れられません。君は本当に走ることが好きだった。
天国に行っても、きっと走り回って神様を困らせているでしょう。
サイレンススズカ、これからも速い馬に乗るたびに、君のことを思い出すでしょう。
天国から見守ってください。君と過ごせた時間を、決して無駄にはしません。
サイレンススズカ、本当にありがとう。


サイレンススズカ ,さようなら

サイレンススズカは、父サンデーサイレンス、母ワキアの間に生まれた栗毛の美しい馬。
3歳ではデビューせず、4歳の春1997年の2月1日、中京競馬場でデビューしました。
新馬戦1600mの芝コースを終始1番で走り抜けました。
2戦目、G2弥生賞ではゲートを潜り抜けて鞍上の上村騎手をゲートに挟み込みました。
外枠発走になって出遅れ、横を向いて出てきたサイレンススズカはまだまだ未完成な若駒でした。
その後プリンシパルSを勝って、ダービーに。しかし、着外に。
1997年秋の天皇賞、鞍上に河内騎手を向かえ大逃げ!アナウンサーの「大丈夫か!河内洋!」の
絶叫を今も覚えています。しかし4コーナーから失速。
それでも押さえずに早くいってこそサイレンススズカのイメージができてきました。

そして97.12月14日、豊さんを背に香港シャンティ競馬場で大逃げ!見せ場充分でしたが5着。
それでもスピードに惚れ込んだ豊さんが「乗せてください」とお願いしたとか。
1998年、武豊とサイレンススズカは2月14日東京競馬場の芝1800mを1分46秒3で駆け抜け1着。
その後の二人の気持ち良い走りは忘れる事はないでしょう。
向正面を「これが騎乗のお手本」みたいにきれいなフォームの豊さんを背に走るサイレンススズカ。

7月にG1宝塚記念を南井騎手を背に逃げ切って1着。
そして秋緒戦、G1クラスのメンバーが揃ったG2毎日王冠をみごとに逃げ切って1着。
だれもがサイレンススズカはかっていなかったスピードの持ち主、すてきな逃げ馬、スターホース
これから世界へむけて歩み出すのだと考えていました。

1998年11月1日、東京競馬場。4コーナーを前にして、、、。
週刊現代11.21号に豊さんの「サイレンススズカと僕の魔の一瞬」という記事がでています。
左前脚手根骨粉砕骨折、転倒してもおかしくない大ケガ。豊さんをかばうようにふんばってくれた。

サイレンススズカ、栗色の美しい馬、すばらしいスピードを持った馬。さようなら、わすれない。



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