2003.10.22

夢 邯鄲の夢か

阪神のリーグ優勝が決まって、たくさんの本が出されました。その中で唯一星野監督書き下ろしということで出版
されたのが「夢 命を懸けたV達成への647日」です。これを読んだとき、星野監督は辞めるんじゃないかって
直感しました。

始めの方に書いてあるのですが、
「スタンドの熱い熱い、くるったような熱気に全身を包まれ、焼かれているかのような、オーバーに聞こえるかもしれ
ないが当事者としては、そんな錯覚に襲われたりする。」って書いておられるのを見たとき、重荷なんだと思いまし
た。星野監督にとって、阪神の監督であることは、楽しみのある仕事ではなくて、むしろ大きな重圧としての方が
より実感される感覚なのだなって。

私もほぼ監督と同じ年齢。若くは無いけれど、元気な人にとってはまだまだ働き盛りでもあります。
しかし、人を束ね、何かをやっていくと言う立場に立つと、若いときに軽々と超えられた他人との軋轢が重いと感じ
られるようになってくる年代ではないでしょうか?
多分一人一人の個性によって大きく違うのでしょうが、いろいろ気配りして、自分の方に人の気をひきつけてきた人
ほど重たくしんどくなってくるのじゃないかなって思います。(ちょびっと実感)
若いときは、体はついていってくれたけど、この年になるとついてきてくれない。血圧の変化や不整脈となって体と
心の悲鳴は表に出てきてしまう。 体の不調は、つまりは心の拒否の表れでもあると考えられます。
だから、監督は辞めるより無いと感じました。
優勝することの喜びも、多分優勝するまで心配の種だったでしょうし、優勝したら、次の勝利、来シーズンのと期待
に堪え続けなければならない重圧。しかも、お金は自分の自由にはならない。たまらん仕事ですね。
多分、40台の体が元気なとき、名誉と地位を目指しているときには何の苦もなく超えられたことも、
ある程度のものをもうすでに手に入れ、ぎらぎらとしている必要の無くなった体には苦痛以外のものではないと。

だから、星野監督が辞めることはとてもよく理解できます。しょうがないと思います。

でも、阪神タイガースはこれからどうなる?って考えたら、うーん、元のタイガースに戻りそうだよって。

今年の優勝は、本当のつかの間の夢 -一炊の夢、邯鄲の夢-のような気がします。
そうならないように、今年がんばった選手たちが、自分たち自身で意識を高く持って戦い続けてくれることを祈りな
がら、なんとなく崩れていきそうな夢を見つめているまみっちです。
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