2001.10.16

整理されない思い

9月11日から、私の頭がもう限界って思うほどの映像情報、本、雑誌、新聞を一生懸命見てきました。
その間にいろいろなことを考えてきましたが、まだまだちゃんと整理して自分の中でまとめられるものは
できていません。
でも、その中で問題意識みたいなものは整理しておきたいなと思います。

1) 今回のテロは本当にウサマ・ビン・ラディン一派=アルカイーダが行ったものなのだろうか?
     みんな何を今更って言うかもしれません。でも、なんか物的証拠が示されましたか?
     アメリカが一方的に犯人と言っているだけです。 内緒で各国首脳に証拠を教えたって言うことに
     なっていますが、支配者同志の合意っていうのは信じていいものなのでしょうか?
     明らかな証拠があれば、国際的に明らかにしてもいいのじゃないでしょうか?
     軍事的機密とかいうものに幻惑されていないだろうか。

    アメリカの諜報機関、CIAもFBIも本当に今回のテロをつかんでいなかったのか?
    そんなに無能なのかな。 知っていてやらせた、とんでもない結果になったってことはないのか。

2) 炭疽病の郵便物は誰が送っているのだろう。
     アメリカ国内での戦争への団結が必要な時に、またまた攻撃と言って、緊張を高める。
     戦争を遂行したいチェイニー、ラムズフェルド、ライスにとって必要な憎しみと恐怖の造成。
     アルカイーダってそんなに有能なのか?

3) アフガニスタンを空爆しつづける意味は何か?
     壊れて飛べない飛行機を空爆で潰して成果なのか。もともとタリバンには空軍力はなく
     パキスタン軍の空軍力に頼っていたと言う情報があった。パキスタンの支援がなくなった今
     タリバン単独では制空権はもともと無いに等しかった。

4) アフガニスタンについてタリバン後が語られるが
     北部同盟の支配は、タリバン以前に失敗しているがもう一度というのは無理じゃないか?
     86歳の元国王を担ぎ出すと言うのは本当にいいことなのか?
     アフガニスタン自身をはずして、政権構想をするのは変なことだ。

5) 今アフガニスタンの人々に本当に必要なことは何?
     11月になれば雪が降り始めるといわれるアフガニスタン。冬の寒さは零下になるという。
     そういう気候条件のなか、今爆撃で逃げ惑う人々。パキスタンの難民キャンプにたどり着く
     人々はまだ裕福で恵まれているほうになるようだ。もっとも困難な状況に置かれているのは
     国境を越えられないアフガニスタン国内にいる難民の人たちだ。
     アメリカ軍の軍事行動下では、NGO、NPOが入って援助をするのは困難になっている。
     国連難民高等弁務官事務所がどこまでがんばってくれるのだろう。
     国連難民高等弁務官事務所から、「アメリカの空爆を止めてほしい」という声が出ている。
     
6) 日本は本当に必要なことをしているのだろうか?
     ひたすらアメリカのご機嫌伺いをしてるように思えるが、本当に世界に歓迎されることを
     しているのだろうか?   
     経済の問題をちっとも解決しないでずるずると不況を引きずって、結局世界的な恐慌のもとに
     なっていっているのではないか。
     自衛隊の派遣をするような法律を成立させたが、パキスタンに地上軍が展開できる状態では
     ないから結局行かない可能性が大きい。(自民党幹部もそういったらしい)
     しかし、こういう法律を作ってしまったということは、自衛隊を作ってしまったのと同じように
     既成事実の積み重ねで結局憲法の曲解による骨抜きになっている。
     
私は、こんなにひどいことは許せない、何もしなくていいのか、いいのかって言われると心がゆれる。
「そうだ、そうだ」ってなりそうになる。 でも、本当にそうなのともう一度問い直している。
一方で、アメリカがこれまでやってきた国際的には孤立主義と言われる横暴を思うと、いつかぶったた
かれるのはあたりまえかと思う。それが、ああいういっぱいの人の命を奪うテロであって良い訳ではない。
しかし、ああいう事態がなければ、アメリカの人々は自分達が世界のある部分から憎しみを持って見られ
ているということを理解できなかったのではないだろうか。(今もそう思ってないかもしれないけど)

これまで私は民主主義、自由というのはほとんど無条件に受け入れられる価値観だと思っていた。
だからそれが実現していない国っていうのは、不幸な国だと思っていたし、非民主的と非難すればいい
と思っていた。しかし、今度のことで、民主主義、自由が実現されているかに見える国も実は偽物かも
しれないと思う一方、本当にそういう価値観を押し付けられるものなのかと疑問をもっている。

アメリカの人々=一般の国民は 無邪気に民主主義、自由の実現を他の国に押し付けることが正義の
実現と考えているように思う。 全くの善意であると言うことがむしろ恐ろしいのではないだろうか?
全くちがう価値観の世界があるかもしれない。わからない。

国という形も、近代資本主義のもと、欧米での概念で成立した。しかも、植民地を勝手に分割していたか
ら、不自然な国境線が設定されている。アフリカ、中東の国境線が直線と大きな河で構成されているの
をみればわかる。 どうもイスラム社会では国と言う捉え方がちがうみたいだ。勉強しなくちゃと思う。

現在の私の価値観はどっぷりとアメリカの価値観の中にある。しかし、冷戦終了後、資本主義、欧米主義
の勝利で世界的に支配されるようになると、大きな疑問をもってきている。
「神は、神に似せて人間を創りたもうた。」という人間こそ神に近い自然界の頂点にいてあたりまえという
考え方は本当に正しいのだろうか。自然を破壊している現状を見ていて大きな疑問をもっている。
マルクスもこの人間至上主義=キリスト教の基本的考えに支配されていたと思う。インドや日本古来にあ
った自然の全てに神のやどるという多神教文化(文明というべきなの?)こそ対置するべき価値観じゃない
のだろうか。 宮崎駿の「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」のメッセージはそれを言ってるように思う。

2001年9月11日から、心の中にいっぱいの??を抱えながら考え考え生きている。
なんかこれまで見たいに、底抜けに楽しめない気持ちだ。 豊さまや原田さんも、宝塚も楽しみの一つだ
けど、なんか今までのように乗り切れない。ちょっとした気晴らしに過ぎない気がする。
いままで不自由なく幸せな生活を送ってこられたことに感謝している。これからもまあまあの生活をして
死んでいけるのかもしれない。大波乱の中に放り込まれても生き抜いていくより無い。
まあ、大不況、恐慌には放り込まれそうだけど。 しっかり自分で立って生きていこう。悔いなく生きたい。
母たちの世代が経験した爆撃の中を逃げ惑うと言うことはまず無いだろうと思う。 原発の大きなダメージ
たとえば福井の原発が破壊されたりすると怖いとは思う。逃げられないからゆっくり死ぬより無いかな。
今のところ毎日を充分に生きていくことが大切と思う。

ケヤキがきれいに色づきはじめた。こういう自然の営みを楽しめる生活を十分に楽しもう。


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