2001.08.15

日本人

今日は、終戦記念日。 いつもは嫌で戦没者慰霊祭の模様は見たり聞いたりしなのですが、今日は車の
ラジオで聞きました。 その時まず「君が代」が歌われるのだということを初めて知りました。
そしてとても大きな違和感を感じました。サッカーや相撲の時の「君が代」も嫌ですが、もっと本質的な
ところでの違和感を感じました。 この慰霊祭というのは、戦争でなくなった人たちの慰霊と平和の誓い
みたいな場だと思っていたのですが、そこで歌われる「君が代」

「君が代は、千代に八千代にさざれ石の巌となりて、苔のむすまで」
天皇の下に、国民は小さな石が集まって、堅固な巌となるように一致して、いついつまでも苔のむすまで
って、何にも反省してない。第二次世界大戦の中で日本がなんであんなに多くの人々を死に追い込み
多くのアジアの人々を苦しめることになったか。
一人一人が持っていた疑問や意見を封じてしまって、巌とする意志が貫かれたからではないのか?
一つ一つの小さな石はそのままで、ちゃんと意見と意志をもって発言しなければ、民主的な国はできない
のではないのか? 私が受けた戦後教育の中で言われたことは、ちゃんと自分の判断と意志を持ち、
それをもとに行動しなさいということだったと思う。そして今私はそのように生きている。
でも、大きなうねりや波がきたとき踏ん張れるだろうか?巌にまとめようとする力にあがらえるだろうか。

NHKの「戦争を知らない君たちに」シリーズのなかで、沖縄で日本人捕虜の尋問を担当したことがある
ジャーナリストが「日本人は、大勢に対して違うということを言えない国民性だったが、今も本質的に
変わってはいないのではないか」というようなことを述べていたけれど、なるほどそうだなって思いました。

夕方のニュースを見ていたら、靖国神社への参拝が多かったとか。 ファッション感覚なの?怖い。

もう一つ。 「海ゆかば」っていう歌を知っていますか?
私が幼い頃(戦後です)、よく聞いていたので、どういう歌かなって気になってネットで調べてみました。
大伴家持の歌が歌詞になっていて、昭和12年に曲がつけられて、戦死者の名前を放送する時にこの曲
が使われたそうです。終戦直前、直後はすごくよく流れた曲なんでしょうね。

「海ゆかば水漬く屍、山ゆかば草むす屍。おおきみの辺のこそ死なめや、かえりみはせじ」
こんな歌が昭和12年にすでに作られていて、みんながこの歌を負け戦の歌としてではなく、国民決意の
歌として認識していたらしいということがよく理解できません。

日本の進む方向についても、いつも自分で深く考えていたい。ムードに流されていってはいけない。


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