2001.05.30

靖国参拝の問題点

就任以来一ヶ月たっても依然驚異的に高い支持率をマークしている小泉政権。
実は、わたしもね、「いままでのとちょっとちゃうな。こういうのいいと思うな」っていう心情です。
ハンセン病裁判の控訴をしなかったこととか、派閥に対抗してっていうのとか、あんまり権力とかお金に
執着していない様子とか、、、。でもね、ちょっと用心しないといけないところ、むしろこれが本質かも?
って思うところはよく考えて反対しないといけないと思います。

私は、靖国参拝って漠然と反対、戦争を肯定する行為だから反対って思っていました。
でも、自分の知識のなさといい加減な感覚だけで反対って言っても、他人は説得できないし、私自身も
ふわふわした考えではいけないと考えました。
問題は、靖国神社とはどのような性格を持っているのかということである。これを明確に知れば、そこに
参拝することの意味が明確に見えてくる。

靖国神社は、明治期、近代天皇制のもとで国家神道の教義に適合する神社として、明治政府によって
創建された。 神社は全国にいっぱいあったが、それは土着の信仰に基づいたもので、天皇を神とあがめ
国に忠誠を誓わせる国家神道の教義に合致するものではなかった。そこで、明治政府は国家神道の教義
に沿う神社を創建し、社格の高い神社とした。
その中で 「近代天皇制国家のための戦没者を祀る神社」として 靖国神社、招魂神社、護国神社を創り
なかでも靖国神社は、別格官幣社として、天皇、神社、軍を結合した宗教施設として、天皇崇拝と
軍国主義の普及に強大な役割を果たしたということです。(講談社:日本宗教辞典参照)

1932年靖国神社で行われた「満州事変戦没者合祀臨時大祭」でカトリック系大学の一部学生が参拝
を拒否したことに対し、文部省は、「神社参拝は宗教行為ではなく忠誠心の表現であるから、いかなる
宗教上の理由によっても参拝を拒否することはできない」としました。
靖国神社が宗教施設、戦没者を祀るという単純な性格のものではなく、天皇に対する忠誠を試される場
となっていたことが明確です。

靖国神社は、戦争で亡くなった人のみを祀る神社であったそうです。従って、戦場で死ななかった乃木大
将、東郷元帥も靖国には合祀されていないのです。
ところが、太平洋戦争の極東裁判で裁かれた戦犯は全て合祀されているのです。東條英機も。
何ゆえ、戦死でない戦犯が靖国神社に合祀されているか?
それは、戦後は 靖国神社が国家とは関係がなく単なる一民間宗教法人に過ぎないということになって、
そこがかってに誰を祀ろうが国も政府も国会も干渉できないということだからです。

つまり、戦前は天皇を神とする国家神道の中心的な機関であり、戦後国家神道の否定とともに、単に
一民間宗教法人としてのみ存続している神社なのです。いえば、オウム真理教の本山と同格なのです。

そういうところに、政教分離でなければいけない政府の代表が公人として参拝していいのでしょうか?

ハンセン病裁判の控訴断念の時に見せた涙の熱い感情の小泉首相のその熱さが危ない。
戦争で死んでいった人たちに敬意をという思い、特攻隊に涙する心だけで靖国参拝に向かうことは、
論理と理性の否定であり、もし、これが論理的行動なのなら、極めて危険な思想が根底にあると考え
なければならないでしょう。

小泉首相が提起している問題は今後の日本の進路に関わる大きな問題を含んでいます。
気分で、いいないいなって言うのじゃなくて、一つ一つの問題を真剣に考えていくことが大切。
そういことをちゃんと論議し、論点を整理して、国民に明確にして論議してくれることが野党に望まれて
いることではないでしょうか。 がんばれ!野党。 いまこそ力が問われているよ。

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