2002.05.12

日本国憲法-有事立法-パレスチナ

日本国憲法の前文をちゃんと読んだことがありますか? 学校で習った覚えがありません。
ここに前文を書いておきます。

  「 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、
 諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて
 再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この
 憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、
 その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理で
 あり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除
 する。

  日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、
 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、
 平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、
 名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうち
 に生存する権利を有することを確認する。

  われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の
 法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする
 各国の責務であると信ずる。

  日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。」

私はこの前文を読むとき、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと
決意した。」という部分に大きな共感と感銘を受けます。これは言葉の上のきれい事にしてはいけないと強く
思います。 我々が平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼しと言う時、私たち自身もまた公正と信義を他の
国に示さなければならないと思います。それゆえにアメリカの受けた9・11のテロについて無関心であっては
ならないのと同様に、アフガニスタンの人々の置かれた状況、受けた攻撃についても黙っていてはいけないと
考えていました。
そして今パレスチナの人々が置かれている状況について、無関心であるということは自らの寄って立つ基盤を
固めていないと思うのです。

 アフガニスタンの人々が受けた攻撃は本当に正当なものだったのでしょうか?
国際社会はそれ以前に何をしてきたのでしょうか?とりわけ、アメリカが行っていたことを事実を知ることは
大切なことだと思います。 殴られた!殴り返せ!では、平和的に物事を解決しようという基本的な姿勢から
外れてしまっていると思います。しかも殴った相手が殴り返している相手とは違ったら?!
 
 パレスチナについても、事実を積み重ねてしっかりと見なければならないと考えています。
自爆攻撃が始めからあったのでしょうか? パレスチナの置かれた状況がどのようなものであるかを見なけれ
ばならないと。 

 アメリカ-アフガニスタン、 イスラエル-パレスチナ そこにある圧倒的な不均衡な武力が事実を押し曲げて
正義が力の側にあるかのように見せていることを見なければならないと思います。

 私たち日本国民は上の日本国憲法を制定した時、武力の放棄を決意したはずです。
今、武力を持って物事の解決にはどうしたらいいのかという議論をする前に考えるべきことがあるはずです。

中国の領事館の対応に見られるように、外交が大きな意味を持つ世界でちゃんとした外交をできないで
何が有事なのでしょうか? 
国連のイスラエル非難決議に棄権してしまうような外交が日本の独自外交なのでしょうか?

小泉が言うように平和時にではありません。今世界で起こっている戦争に、紛争に対して日本がしっかりと
した平和を守る側に立つスタンスを独自に確立する努力こそが要求されているのです。
今、平和時と考えて応えている日本国政府こそ、情勢認識が甘い、国民を守る体制の無い姿勢ではないで
しょうか。

たくさんの思いが整理されずに頭と胸に詰まっています。 少しづつでも整理しながら前進します。


 
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