| ■横山 秀夫 (よこやま ひでお) |
| 『半落ち』 講談社 (2002年9月刊) |
ようやく幼女に対する連続暴行事件の犯人が検挙されようとする朝。W県警捜査第一課強行指導官である警視・志木は、身柄確保の連絡を待っていた。遅すぎる連絡にいらだちを覚え始めた頃、別件で所轄から連絡が入る。県警本部教養課次席の梶警部が自首してきたというのだ。妻を殺したという。現職警察官の犯罪、それも殺人ともなれば、県警に傷がつくことはまず間違いない。動揺する上層部。警察庁からキャリアで出向してきている本部長や警務部長たちは、とにかく組織に傷をつけないように調書を取れと志木に命じる―――例えそれが自白の誘導であったとしても。保身ばかりを考える上の人間に怒りを覚えながらも、志木は次第に梶の心情に興味を持ち始める。アルツハイマーになった妻が、死んだ息子の命日すら忘れるくらいなら、いっそ殺してくれと懇願したという嘱託殺人の経緯ははっきりと自白しながら、殺害から自首に至るまでの空白の二日間の行動については、決して語ろうとしないのだ。妻の殺害を素直に供述しながらも、彼は決して「落ち」てはいない。「半落ち」―――なぜ梶は自白しようとしないのか―――。 『陰の季節』で第5回松本清張賞を、『動機』で第53回日本推理作家協会賞短編部門賞を受賞した作家の、初の長編。これまでと同じく、地方の警察や法曹関係者、警察関係を担当する新聞記者たちを主人公とした、連作長編である。 「事件というものは、被疑者がそれらしい自白をして書類が整えば、警察も検察も裁判所もフリーパスで通過してしまう。まるでベルトコンベアーのようなものです」 この言葉のとおり、この物語の一方の主人公は、このベルトコンベアーに乗ったまま、罪に服しようとする四十九歳の警部・梶だ。そしてもう一方の主人公は、組織の論理にふりまわされながらも、黙秘したままの梶に困惑し、そしてその困惑を次の人間へと伝えていく六人の関係者たちだ―――まるでリレーのバトンのように。取調べを行った警察官・志木。彼を起訴する検事・佐瀬。スクープを狙う新聞記者・中尾。私選で弁護を引き受けた弁護士・植村。判決を書く判事・藤林。そして刑務所で彼の処遇に携わる定年間近の刑務官・古賀。書をよくした梶が書斎に書き残していた「人間五十年」という言葉の意味を全く遠いものとして感じられるほどには若くなく、組織の思惑とぶつかりながらも、それをはねのけられるほどの強さもなく、打算もあり―――でも梶の黙秘の意味を捨ておいたままにはできない男たち。立場を違えながらも、彼らの間にはかすかな共感のようなものが芽生える。彼らが背負った人生にも、重いものはある。彼らが抱え込んだこの事件に関する屈託は、いわば彼らの人生の試金石のようなものなのだ。 ―――薦めてもらった本、面白かったけど、もうちょっとロマンスの要素があってもいいんじゃないかしら。 …と言われたばかりだというのに、こんな本を買ってる私って…<しかも面白かった。地味な話だ。ほんとに地味なのだ。おまけに途中までかなり辛い。淡々と自白の中で綴られる、アルツハイマーにかかった妻が殺してくれと頼むまでの経緯は、ものすごく重い。ロマンスなどかけらもない。正直言うと、「空白の二日間」をどう過ごしていたかはわからなくとも、途中でなんとなく推測はついてくる。が、この話の興趣は謎解きだけにあるわけではないので、それはちっとも瑕にはならないと私は思った。 この作家の『陰の季節』という短編集は、ある県警の中で起こる事件について、一話ごとに主人公が変わるために、一人の人物の内心を読むと同時に、周囲の人間から彼がどう見られているかということがわかる仕掛けになっていて、その齟齬が面白かった覚えがある。この本も同じである。黙秘し続ける梶という被疑者に既に関わった人間たちに対し、誰もがいらだちを覚えている。なぜ自白を捏造したのか。なぜ空白の時間を追及しないのか。身内だからか。かばうのか。そのいらだちを読みながら、しかし読者は前任者たちの内心を既に知っている。その中でただ一人、穏やかな顔の下で何を考えているのかわからないのが「梶」なのだ。 この連作の中で、一番好きなのは志木。取調べの名人であり、辣腕の検事からも「県警刑事部のエース」と目されていながら、彼の取調べは実に穏やかだ。その穏やかさの理由も、そして筋を通したいと思う姿勢も、実にかっこいい(…と、私は思う。<ロマンス要素足りない私は段々自信がなくなってきた)。ストーリーとしては、判事の藤林の章でしょうか。同じくアルツハイマーにかかった父親を抱えた彼と妻との会話。ロマンスではないけれど、私は好きだ。そして、ほとんど内心を洩らさない梶という元警部―――書をよくし、教官としては下に慕われ…そんな彼の、妻を殺した彼の悲しそうな顔が、私の脳裏には浮かぶような気がする。 途中まで、ちょっと(ちょっと?)辛いのですが、頑強に黙秘する梶の心情が明かされる最後の場面は、頑張った甲斐があると思わせてくれる温かい話です。女性一般に薦められるかどうかはちょっと自信がありませんが(渋過ぎて…)、私は面白かったと思う一冊。 |
| 2002/10/28 |