| 池澤 夏樹 (イケザワ ナツキ) |
| 『骨は珊瑚、眼は真珠』 文春文庫、1998年4月刊 |
| 「おまえがわたしの骨を拾う。」その一文で始まる短編は、死んだ夫の一人称でつづられてゆく不思議な小説だ。彼自身にも自分がどんな存在なのかわからない。ただ彼はそこにある。そして病床にある自分と妻とのやりとりを思い返し、自分が死んだあとの妻の日常を淡々と眺めている。年下で大学の講師である妻に望んだ最後の望み。それは自分の骨を海へ返して欲しいということだった―――。 この表題作は、美しいタイトルと相俟って、私の偏愛の一編。ミステリとはほど遠い小説ですが、私はこの静かな話をとても愛しています。―――愛がこうじて、SSで三度もここからネタをパクりました。ていうか、他に愛情の表現の仕方はなかったのか、私…。 この短編集には九編の小説がおさめられています。もうひとつ私のお気に入りの話は、「北への旅」。 最後の瞬間に雪を見ていたいから。それだけの理由で、彼はアリゾナからカナダへと向かうことを決めた。世界の中で、おそらく生き残っているのは彼ただ一人。彼がシェルターの中に入っている間に、人々は空気感染するウィルスによって眠るように死んでいった。潜伏期間は四週間。シェルターを出た彼は、その間に完璧なクリスマスのための準備をする。雪山に小さな家を見つけ、賛美歌のCDを手に入れ、ツリーを飾り付け、チキンを焼いて。自分の演出に満足しながら迎えたクリスマス・イブ。ツリーに明かりをつけようと、電源を取るべく入った子ども部屋で彼が見つけたものは―――。 「しかし、これはアンフェアだ。」 孤独とか絶望とか。言葉にしてしまうと安っぽくて、私にろくな語彙がないことが悔しいのだけれど―――とにかく、私はこれ以上に「孤独」な話を知りません。他人事のようにやり過ごしてきた自分の死に、クリスマスの思い出に、死に絶えた世界に―――全ての「意味」にたった一人で向き合ってしまったこの名前のない青年が、残された数日をどうやって過ごすのか。それを思ったとき、上記の地の文章は心に刺さるように痛く感じられます。 著者の池澤夏樹は自然環境に深い関心を抱き、自然にまつわる著作も多い人ですが、これは環境破壊への危惧に関するエッセイを綴った『楽しい終末』(「週末」の誤植ではありません)という著作のある彼ならではの短編ではないかと。もっともそんなことを考えなくても、この短編は充分に価値のあるものだと思いますが。 池澤夏樹が描く人々は、いつも“静か”です。“理知的”というのとも違う、とにかく感情の働きが静かなのです。それは男であれ女であれ、変わらない。中性的とでも言えばいいのかな。「男である」「女である」と肩肘を張ったりしない、ごく自然な彼らのありようがとても好きです。とても疲れているとき、彼らの淡々とした語り口は、読んでいる私の心に染み入るようで(それを「起伏がなくてつまらない」ととる人もいるのかもしれませんが…)。ミステリジャンルで一番文章が似ている作品を挙げるとするなら、、北村薫の『水に眠る』でしょうか。私にとって、池澤夏樹の書く簡明で静かな文章はひとつの理想なんですが…先は遠いようです。 他に好きな作品を挙げるなら、中編集『スティル・ライフ』(中公文庫、第98回芥川賞受賞)、長編(あるいは短編連作集)『バビロンに行きて歌え』(新潮文庫)。エッセイならば、『インパラは転ばない』(新潮文庫)と『むくどり通信』シリーズ(朝日文庫)辺りでしょうか。どれもひとつひとつは長い話ではないので、手軽に読めるものばかりです。 関連リンク 池澤夏樹公式サイト 「Cafe Impara」 |