■冲方 丁 (うぶかた とう)■
『マルドゥック・スクランブル』
『ばいばい、アース』
| ■冲方 丁 (うぶかた とう) |
| 『ばいばい、アース』(上)(下) 角川書店 (2000年12月刊) |
神の言葉を受けた王が支配する≪剣の国(シュベルト・ラント)≫。多様な種族からなるこの国で、いかなる種族的特徴も持たず、また大地との一体感も得られないラブラック=ベルは、自らの由縁を求めて「旅の者(ノマド)」になることを志す。“奇妙な小さき者”を意味する名を持つ彼女は、高名な教示者(エノーラ)である師・シアンを斬り、神の支配の理から外れて旅の者となる為の試練を受けるべく、≪剣の国≫の王の城へとのぼることになる。兄弟子である筆頭剣士ガフの庇護を受けつつ、彼女は愛剣「唸る剣(ルンディング)」とともに、最後の試練に向けて数々の戦いに赴くこととなる―――。 まだ『マルドゥック・スクランブル』が完結して間もない頃、Web上で私が見つけた書評の中に、同じ著者の作品としてこの『ばいばい、アース』に触れているものがあった。正確な言葉は覚えていないが、確か「読者を拒否するような作品」とか書いてあったような気がする。すごい表現だなと思った………書誌データを見るまでは。 『ばいばい、アース』。このタイトルを見て、どんな本だと思うだろう。あっさりした軽そうなタイトルから、ジュヴナイル系のレーベルから出た薄い小説だと思う人も多いのではないだろうか。………まさか各三千円超の二段組上下巻の単行本だとは思うまい。しかもファンタジーで独特の世界観が最初わかりにくく、おまけに非常に言葉にこだわる作家らしく、カタカナルビ、言葉遊びのオンパレード。冲方丁を知らない人が、書店で初めてこの本を手にとって購入する気になるか。正直、私なら本を棚に戻すだろう。いくらその前に何冊か本を出していたとはいえ、ほとんどすべてが富士見ファンタジア文庫の類。これを出すとはかなり冒険したな角川書店、と思わざるを得ない。……結果的には英断だと思う。最初の読みにくさを越えてしまえば、その長さをものともしない、十分に面白い物語だからだ。 なぜこの物語が当初読みにくいかと言えば、この作者がまったく地の文で世界の仕組みを説明しようとしないからだ。視点に「野蛮(ビースティ)」と呼ばれ、この世界とは異質な存在であるベルを据えることで、彼女がこの世界での“常識”を学ぶにつれて徐々に読者にも仕組みがわかってくるのだが、そこまで読み続けられるかどうかが分かれ目だと思う。魚も鳥も花として咲き、剣を精製する鋼は木に生り、そこから生み出された剣を剣士が感応することで育てあげていく世界。作物を実らせるのも雨を呼ぶのも歌の力によってなされ、剣を交わすことを「剣楽」と呼び、魔法と神言が支配する世界。時々ことさらに婉曲的な表現を作者が用いることもあって、「死を死に続ける」ってどういうことよとか思わないでもないが、物語の流れに乗っていれば、十分にこの世界に浸ることができる……と思う。あくまでここまでたどり着ければ、だが。地の文に、この世界の外からの視線に対する説明を一切入れないという作者の姿勢は、かなり強気だと思う(私は好きだが)。確かにひとつの世界の成り立ちを描く為には、これだけの厚さが必要なのかもしれない。 とにかく言葉に対するこだわりは本を読み始めた直後から気づくところだけれど(「『水媒花』に『さかな』とルビをふってあるのにうっとりした」と書いてた人がいたっけ)、正直ちょっとこなれてないかなという印象がないでもない。英語とドイツ語が場面によって混ざりあう為、音の響きに一貫性がないのだ。テーマの上からはしょうがないのかなとも思うけど、この辺りはいささか据わりが悪い。正直、≪唸る剣≫の擬音の意味は早々に読めてしまうのだが、細かい仕掛けの数々には拍手。特に王国を意味する言葉が「エモクルウー」であることの意味が終盤に至って「ああ、それでか」と思わされる。また、魔法にもいろいろあるのだが、筆記魔法が「グラマー」、演算魔法が「マセマティクス」辺りはともかくとして、物を飲み込んでしまう飲食魔法のルビが「レスト・ラント」だったのには笑ってしまった。こういったルビのセンスが面白い作家だ。 そして私としては、登場人物たちの名前も気にかかる。金色の体毛をもつ月瞳族の筆頭剣士の名前がシャンディ=ガフという辺りで「あれ」と思ったのだが、真紅の四蹄族の名が「キール=ロワール」と名乗ったところで「ああ」と思った。この物語、主要な登場人物の名前の大半が酒から名づけられているのだ。先の二人はいずれもカクテルの名。前者がビールベース、後者が白ワインとカシスリキュールのカクテルと言えば、由来も納得できるはず。他にもギネスにペリエ、カンパリにシェリー辺りは説明するまでもあるまい。ゴードンはジンの銘柄、カシスは黒すぐりのリキュール。トム=コリンズならスタンダードカクテルのひとつ。ティツィアーノはチンザノ社が出している赤ワインの銘柄だとか。ローハイド王の名は古いサントリーのウィスキーにそんな名のものがあったらしい。驕慢な美女の水族(マーメイド)ベネディクティンは、ベネディクト派修道院でつくられたハーブ系リキュールの名。 酒にちなむ数々の名前の中でも、私は特に飢餓同盟に属する水族の剣作家、ドランブイの名に引っかかった。彼女の名には「値するもの」というルビがふられているが、これはゲール語のdram(飲む)とbuidheach(満足な)を合成した“満足できる酒”の意をもつハーブ系リキュールだとか。そのドランブイが鍛えた剣の名が「錆びた爪」であり、ドランブイというリキュールを使った代表的なカクテルが「ラスティ・ネイル」だということを知っていれば………酒好きにはたまらない仕掛けだ。他にもシェリーがただ一度フルネームを名乗るシーンがあるのだが……それを読めばなるほどと思う。彼女と同じ名前の作家が紡いだ物語はなんだったか。こんな風に名前に二重に意味が込められているのが面白い。 物語はベルを中心として、≪剣の国≫というひとつの国の中で、「正義」と「悪」、「王国」と「飢餓同盟(タルト・タタン)」、そして「神」と「魔」と、さまざまな価値転換が行われ、「理由(ことわり)の少女」たる彼女に関わった人々もまた変わらざるを得ないというところまで行き着く。この物語の中で「自分」を探すのは、由縁を持たないベル一人だけではなく、彼女に連なる人々すべてなのだ。 私自身の好みとしては、個人戦の剣技による戦いよりも、むしろ集団戦の場面が面白い。「剣楽」というだけあって「楽隊」が編成される戦いがあり、脚本家、演出家、指揮者がいて、彼らの個性によって楽隊は生きも死にもする。集団戦である以上、ベル自身も他者と一緒に戦うことを学んで行き、また互いに背を預けられるようになる信頼関係を築くまでの流れも読みどころ。特にカタコーム戦は、異種混合楽隊だけにその辺りが面白い。このカタコーム戦以降、キャラクターがどんどん魅力的になっていく。私の贔屓としては、戦術からさらに戦略へと目を向け始めるギネス、隻眼の弓使いベネット(この二人の会話は大好き♪)、それに丁寧な言辞を崩さず、愛嬌のある旅の長耳族(ラビッティア)たるキティ=≪賢者(ザ・オール)≫。仲間でありつつも決して馴れ合わない彼らのスタンスが好き。また、言葉だけではなく色も細かく描写が入ること、また動きを言葉にするのが巧いので、場面のイメージが頭の中でつかみやすい。読んでいて華やかな集団戦の場面が楽しいのは、こういった作家の持ち味が十分に出ているからでもある。 この物語は、一応の決着はつくが、ベルが旅を続ける限り、また新たなこの世界の物語を紡ぐことは十分に可能だ。それを読んでみたい気もする一方で、この物語の続きは読者の中にあるのがいいような気もする(でも≪硬貨の国(デナーリ・ラント)≫の物語は読んでみたいなあ……)。悩むところではあるけれど、もし万が一続編が出たなら今度こそ、単行本が例え上下巻1万円だと言われても買ってしまうに違いない、それくらい私はこの物語が好きだ。 最後に苦言をひとつ。角川書店というところは本に誤植が多々目につくところだが(「ソファが手を伸ばした」というのは有名な誤植。正しくは「ソファ」→「メフィスト」……「フ」一文字しかあってません)、こちらの本も同様。私が気づいただけでも上下巻で5箇所はあった。 誤:「時代の王」→正「次代」、以下同様に「大義であった」→「大儀」、「適格な剣」→「的確」、「ベル自信」→「自身」……ちょっと読めばすぐわかるような誤植なのに。一箇所「ぬ」が「ね」になっているのを発見したときは本当にがっくり来た。「死なぬ剣」とかそんな感じの語だったと思うのだけど、それが「死なね剣」……戦闘シーンのクライマックスにこれをやられると、本当に萎える。いくら長い本だとはいえ、もうちょっと校正はちゃんとやってほしい。三ヶ月連続刊行というタイトスケジュールにも関わらず、一読してそれとわかる誤植を出さなかった早川書房を見習ってくれ。 2000年末に出た本なら、そろそろ4年近く経つ。『マルドゥック・スクランブル』も評価高かったことだし、そろそろ文庫化してはもらえないだろうか。4分冊か、6分冊くらいで。そうしたら今度こそ全巻揃えて買いなおすのだけれど。角川には、もう一度冒険に踏み切ってほしい。 |
| 2004/09/05 |
| やっと!文庫化です。 『ばいばい、アース』として、「理由(ことわり)の少女」以下4分冊、2007年9月から4ヶ月連続で角川文庫から刊行。 表紙はいかにもなイラストになってて単行本の方がよかったのですが、とりあえず楽しみに揃えようと思います……誤植がちゃんと修正されていますように(祈)。 |
| 2007/09/24 |