■冲方 丁 (うぶかた とう)■
『マルドゥック・スクランブル』
『ばいばい、アース』
| ■冲方 丁 (うぶかた とう) |
| 『マルドゥック・スクランブル The First Compression ―圧縮』 ハヤカワ文庫(2003年4月刊) 『マルドゥック・スクランブル The Second Combustion ―燃焼』 ハヤカワ文庫(2003年5月刊) 『マルドゥック・スクランブル The Third Exhaust ―排気』 ハヤカワ文庫(2003年6月刊) |
マルドゥック……「天国への階段」という意味を持つモニュメントの名を冠した都市。十五歳の少女娼婦ルーン=バロットは、今はカジノを経営する賭博師シェル=セプティノスに飼われる身だった。性的虐待を受け続け、施設から脱走して娼婦となり、その間に心を殻の中に閉じ込める術に長けていくばかりの彼女。シェルによって与えられた自分の偽りの身分がどのようなものか知りたくて、ただ一度データにアクセスしたことによってシェルの怒りをかった彼女は、爆発炎上するリムジンの中に閉じ込められた。なぜ、私なの?―――重度の火傷を負い、瀕死の彼女を助けたのは、シェルを追う事件担当官、ドクター・イーストとウフコックだった。マルドゥック・スクランブルと呼ばれる人命保護を目的とした市の緊急法令、そのなかでも09(オー・ナイン)と呼ばれる分野は、軍事転用されかねない為に禁じられている科学技術を用いることが法務局の許可のもと認められている。09の専門官である彼らは、かつてその科学技術に携わっていた存在であり、事件担当官として有用性を示し続けない限り、投獄または廃棄処分の運命をたどることとなる。シェルの背後にいるオクトーバー社は彼らの宿敵ともいえる存在であり、そのためにもバロットの前に何人もの少女を殺しているマネーロンダリング担当のシェルを法廷へと引きずり出したい―――だからバロットが必要なのだと彼らは言う。なぜ殺されるのは私でなければならなかったのか。ドクターの技術によって電子撹乱という能力を身につけたバロットは、シェルへの憎しみを糧に、彼らをパートナーとして闘いを始める―――。 文庫版で全三巻。前から気になっていたのは、書き下ろしを三ヶ月連続で刊行する、つまり毎月店頭に新刊として並んでいるから。それなのに今まで手を出さなかったのは、@作者の名前が一発で読めないAジュブナイル出身Bカタカナが多い……という私の敬遠する「ハズレの本に遭遇する可能性の高い本」の条件をすべて満たしているからである(ついでに私は超文系なので、SFにも弱い)。そんな本を何故私が手にとったのか。 ―――ネズミである。事件屋の片割れ、ウフコックは何にでも姿を変えることができる万能兵器として開発された、手のひらに乗るくらいの小さな金色のネズミなのだ。 私は毛皮に弱い。イヌネコから鳥、ハムスターにいたるまで、フカフカしたものにとても弱いのだ。小野不由美『十二国記』だって、延王をはるかに引き離してネズミの楽俊を愛している。一冊目の帯には「自らの存在証明をかけた少女とネズミの戦い」とあった。ネズミ…気になる。じゃあとりあえず一冊買ってみるか―――そうやって読み進めるうち、結局私は毎日一冊ずつ本屋に寄っては買って帰り、二日で全部読み終えた。面白かったのだ。すごく。 バロットは、幼い頃から辛い思いをし続けている。彼女の名、「バロット」とは、雛料理のこと。卵の殻の中にいる雛をそのまま煮殺して食べるという料理で、冷えた心のまま殻の中に閉じこもる人形のような彼女に売春宿の女主人がつけた名前だ。その名のとおり、辛いことの何もかもを殻の中でやり過ごそうとしてきた彼女が、はじめて「死にたくない」と思った。その彼女の願い―――依頼を受けてはじめて、事件担当官は動くことができる。そうやって有用性を証明し続けなければならないウフコックとドクター、それに何も信じられなくなったバロットが、どうやって信頼関係を築いていくかも見物。ウフコックは使い手によっていかなる武器にもなれるが、しかし使い手を選ぶ兵器でもある。彼の制止を超えて、バロットが暴走し、ウフコックを「濫用」するとき―――全巻完結してから読み始めてよかったと思った。「この続きはまた来月」とか言われたら、私、耐えられないかも。 傷ついたバロットの心を溶かしていくウフコックとドクターのキャラクターもまたいい。科学技術を民間に転用することなく、ただ研究だけを繰り返す場所、“楽園”――そこに閉じこもり続けるという安楽な道を自ら投げ捨てて事件担当官となることを選んだ彼らは、ひどく優しい存在である。もうこれは読んで欲しいとしか。ウフコック、変化する能力なんかなくてもいいから、うちに来てくれないかと真剣に思うくらい、私は気に入った。バロットの事件は法廷へと持ち込まれるのだが、被告であるシェルの側にも事件屋がついている。ディムズデイル=ボイルド。彼はウフコックと以前に組んでいた事件屋で、「濫用」によって殺戮を繰り返したことで袂をわかったが、ウフコックに執心し続けている。何故あんな小娘を選んだのか。なんとしても取り戻したい―――シェルなんか小物に見えてくるくらいの最強の敵といっていい彼が向ける執着も、対象がウフコックならわかる。……私だって欲しい。こんな優しいネズミなら。 もちろん、エグい部分だってないわけじゃない。バロットがこれまで歩んできた道は、美しい幼い女の子がたどる最悪の道といっていいし(著者が参考文献としてあげていたなかにティモシー・ベイネケの『レイプ 男からの発言』があったのも評価したい。男性が書いた文章としては、バロットの怒りは女性にも共感できるものだと思う)、また1巻で登場するバロットを狙う始末屋グループは、人体パーツコレクターで人体改造を繰り返した異形(精神的にも)の存在である。ここで挫折したら負けと思いつつ……気持ち悪い。はっきり言って。苦手なタイプの敵である。でもそこを乗り越えて、読んでよかった。彼らを相手として派手なアクションシーンも繰り広げられるが、この物語の中盤のクライマックスは、シェルの持つカジノでのカードゲームの勝負だ。三冊中まるまる一冊分をギャンブルでの勝負が占めるというのも意表をつかれるが、ここでの駆け引きはカードゲームのルールを理解できない私でも引き込まれた。またここに登場する二人のディーラーも魅力的なのです(特に六十代の女性ディーラー。格好いい)。最大の敵であるはずのオクトーバー社については書き込みが足りないという不満はあるが、シェルとボイルドという、バロットたちが闘うべき正面の敵については「なぜ」という点まできちんと背景が書かれていて、単なる悪役に終わらせてはいない。彼らもまた、ある意味で魅力的なキャラクターなのだ。 この小説は、頁をひらけば一見してわかるとおり、非常に漢字へのフリガナが多い。私はそういった文章の書きぶりはあまり好きではないのだけど、この本についてはしばらくして読んでいくうちに気にならなくなった。非常に言葉遊び的な要素の強い文章で、そこに必然性が見られるからだ。バロットと同じように、ウフコックの名前にも意味がある。「煮えきらないやつ」……バロットが殻から飛び出すように、ウフコックもまた、苦しい決断を迫られていく。読み進めた人なら、物語の最後にいたって、彼が最初にバロットに示した優しさをきっと思い出すに違いない。 冒頭、バロットが殺されかける場面を読みながら、私は神林長平の『蒼いくちづけ』を思い出していた(同じハヤカワ文庫だし)。物語はその後、まったく違った流れをたどるのだけれど、言葉への強いこだわりといい、神林長平を好きだという人にはちょっと読んでみてほしいなと思う一作です。 |
| 2003/08/03 |
| 追記。第24回日本SF大賞受賞作らしいです……(2004/09/06) |
| 『〜スクランブル』以前を描く『マルドゥック・ヴェロシティ』3部作が同じくハヤカワ文庫JAから刊行されています。 "楽園"からマルドゥック市に来て09法案に携わり、そうしてボイルドとウフコックが訣別するまでの物語。かなり文体が変わっているので戸惑うこともありますが、やはり『スクランブル』を読んだ人にはお奨め。これを読んだあとに『〜スクランブル』を再読すると、ボイルドのウフコックへの執着がまた違って読めてきます。 |
| 2006/09/24 |