■恩田 陸■
『ネバーランド』
『ねじの回転』

■恩田 陸 (おんだ りく)
『ねじの回転』
角川書店 (2002年12月刊)

1936年2月26日未明。大雪の中を歩兵が行進していく。二・二六事件の幕開けである。その兵隊を率いる安藤大尉は覚めた目で懐中連絡機(ピリオド)を眺めていた。今回、「正規の再生時間」の中で、二度目の鈴木侍従長邸襲撃である。決起将校たちのうち、安藤と栗原の二人だけが、この後、彼らの辿る道筋を正確に見通していた。何故なら彼らは一度銃殺された身であり、この世界がやり直す為、戦前の日本にとって軍の強大化に向けての分岐点となる二・二六事件を再生・確定させるという使命を未来の国連から与えられた存在だったからである―――。

恩田陸という作家は、私はそんなに好きではない。
なぜかといえば、オチが明快でないからだ。私は本を読んであまりモノをいつまでも考えたい人間ではないので、すわりの悪いオチというのは好きではない。ことにそれがミステリに分類されるジャンルであっては。
なのに、どうして図書館に並んだ本の中からこれを選んできたか。決まっている。素材が二・二六事件だからである。が、一読してやっぱり「ヘンな話…」と呟いてしまった。

未来の世界。時間遡行装置が開発され、過去を修正する国際的プロジェクトとして「聖なる暗殺」(明確にはされないんだけど、多分これはヒトラーのことじゃないかな)が実施された。しかしその後、世界的に疫病が蔓延し、それが過去の無軌道な修正によるものだとされたことから、「シンデレラ」と名づけられた機械をもとに、過去を修正・確定するプロジェクトが国連主導で進められる。ただしこのプロジェクトは万能ではなく、史実とは異なる誤った箇所をやり直すことはできるが、すべてを通算してやり遂げねばならない時間のリミットが定められている。また、「シンデレラ」は老朽化しており、万全の信頼を置けるわけではない。そしてその史実の確定の為には、「ピリオド」と呼ばれる国連スタッフとの懐中連絡機を持つ、歴史上の人物の協力が必要なのである。彼らは国連からプロジェクトの趣旨を説明され、自分たちのたどる結末を知りながら史実と同じように行動しなければならない。もし史実と大きな齟齬が出れば「シンデレラ」が「不一致」と判断し、時間を一部巻き戻して再度やり直さなければならないのだ。史実上の時間と国連スタッフと同じ時間の双方を生きる協力者たちは、疲労を押し隠して何度も同じことをする破目に陥る。そしてその間も容赦なくリミットまでの時間は過ぎていく………。

で、このプロジェクトの為に日本の転換点として選ばれたのが二・二六事件。協力者とされたのが、決起将校からは安藤輝三大尉と栗原安秀中尉。そして鎮圧側の参謀本部からは石原莞爾大佐である。……なんだか微妙な人選だ。こーんな頑固な人たちじゃなくて、もうちょっとプロジェクト遂行の為にはマシな人選があったんじゃ、と思いながら私も真剣に考えたのだが、やっぱりこれ以上の人選は思いつきませんでした(不本意)。

そもそもこのプロジェクト、考えてみたらひどく残酷なことを強いるのだ。だって彼らは自分たちの起こした事件がどうなるのかを知っている。天皇がどう彼らを評したか、裁判がどのように推移したか、逆賊と呼ばれた自分たちの妻子がその後どのような苦難を経るか………それを知ってまだ「そのとおりの史実をなぞれ」と強要されるのだ。昭和維新への信念がどうの、という問題ではない。この与えられた「チャンス」をいかに活かすか………かつて犯した失敗を修正しようとする青年将校たち、彼らを手駒とせざるを得ないながらも制御しようとする国連スタッフ、そしてさらに事件のあとを見据えてより大局からの修正を図る中央将校。かつての史実を知っている三者の虚々実々の駆け引きだが………途中、海軍陸戦隊が登場した辺りで、なんとか史実と照らし合わせようとしていた私の頭は史実をなぞることを放棄した。

私が知っている限り、他に二・二六事件を扱ったSFとしては、宮部みゆきの『蒲生邸事件』がある。つい読みながら対比してしまうのだが、非常に対照的な話だ。その差異は物語の終盤に至ってくっきりと際立ってくるのだけど、共通しているところを挙げるとすれば、未来を知るという情報の力の怖さであり、また「歴史とは何か」ということだ。主題の明確さ、ひとつの物語としての収まりの良さからして、私は『蒲生邸事件』の方が好きだが、この『ねじれた回転』は逆に、並行して物語に挟み込まれるFragmentが示す「あり得たかもしれない世界」の曖昧さがひっかかる。多分それが私の思う「おさまりの悪さ」なんだと思うし、それによって私は考えざるを得ない。いったいどこでこの岐は分かれたのか、こちらの未来とあちらの未来はどちらがよかったのか、こちらが悪いとすれば修正するとしたらどこでそれはなされるべきだったのか………こうして私は恩田陸が仕掛けた罠にはまるのだ。

私は二・二六事件に思い入れがあるので面白かったのですが、果たしてこれ、予備知識がない人にはどうなんだろう?というのも疑問。『蒲生邸』はまったく歴史に知識のない少年を視点として据えたことで、彼と一緒に事件について知識を吸収していくのだけど、そもそもこの『ねじれた回転』は基本的な知識のある人たちの会話なわけです。それなりの解説はされるんだけど、これでわかるものかな。かなり登場する固有名詞が多いのも気になるところ。なんかこのあとで出番あるのかと思いきやそれだけだったりして……もう少しシンプルにしてもよかったんじゃないかと思いますが。

歴史上の人物を借りた人物造型としては、安藤はあんまり違和感ないです。石原莞爾は……不覚にも格好いいような気がしてしまったので、資料読もうかと思います……あんまり好きじゃないんですが、よく知らない人のことを「嫌い」とは反論できないので、とりあえず。そして栗原は微妙だなあ………確かに指揮権があって決起将校の中心人物の一人で、ということになると人選としては彼になるのかとも思うのですが、栗原が論理的?渾名が「やるやる中尉」だった人が?と首を傾げてしまったり。なんだか彼は村中や中橋をはじめとする抽象的な「青年将校」たち―安藤と磯部(彼は確実に一人で異彩を放っているから……)を除く―を象徴しているような気がしてならない。ちょっとこの辺りは違和感かなあ……。

やはり歴史は変えられないのか………と言い切ってしまうには、パズルがかちりとはまったオチは提示されないのが恩田陸流なのでしょうが。多分、この落ち着かなさこそが、著者の意図なんだろうなあ……と思いながら本を閉じる。多分、私の歯切れが悪いのも、その意図ゆえなのでしょう。

2004/09/23
【追記】
集英社で2005年12月に文庫落ちしています。
2006/03/05

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