■恩田 陸■
『ネバーランド』
『ねじの回転』
| ■恩田 陸 (おんだ りく) |
| 『ネバーランド』 集英社 (2000年7月刊) |
その高校は、九州のあるローカル線の終着駅の近くにある。 辺鄙な土地にあるが、偏差値は高く、全国でも有数の進学校だ。自宅から遠く離れて入学してくる生徒のために、寮もある。「松籟館」と名づけられた寮は松籟(しょうらい。松に吹く風の音)の名のとおり、松林に囲まれた木造の年代物。 ほとんどの生徒が実家へと帰省する年末、この寮には戻るところのない4人の少年だけが残った。両親が海外赴任中の美国(よしくに)。離婚争議中の両親の間で板ばさみになりたくない寛司。両親と死に別れ、後見人の金で生活している光浩。そして、寮生ではないものの、父子家庭で父親が単身赴任した為に一人暮らしをしており、しょっちゅう寮に出入りしている統(おさむ)。たくさんの少年がいる普段の生活と違い、たった4人だけしかいなくなると、普段の教室での役割分担では間に合わなくなる。食事の時間を決め、共同生活のルールを定め、少しずつ互いの距離感を取り始めるうちに、誰もが日常とは違った顔を見せ始める。 共同生活の最初の日、クリスマスイブ。美国と寛司、光浩が鍋をつついている最中に統が転がり込んでくる。酔っ払った統は「白い女の幽霊を見るんだ」と言い始めた。過去の暗い記憶をぶちまけようとする統を光浩は遮り、話の中に嘘をひとつ混ぜろと言う。そう思っていれば、俺たちはおまえの話を背負わなくてすむからと。その提案を受け入れた統は、一人の女の死を語り始める。母親の死。自分が殺したのだという統。彼の話に織り混ぜられたひとつの嘘はどこにあるのか―――。 恩田陸という作家は、正直言えば私にはあまり向いていない(ような気がする)。根が単純にできているせいか、私は基本的に読む話にはすっぱり決着がついて欲しいタチなので、ラストで明快なオチが着かないものは落ちつかない。というわけで、今までに何冊か手にとってみたものの、あんまり好みではなかった。そのなかではこれは割と好きなので取り上げてみようと思う。 毎晩、食事(+酒)のあとに始められるポーカーゲーム。負けた人間が「告白」か「実行」かを選ぶ。自分の母親の死を語り始める統に続いて、ゲームというかたちを借りて彼らは順番に自分の抱えるトラウマ(…というか、苦痛かな)を告白し始める。 この話には、「彼らを脅かすもの」の象徴がいくつも現れてくる。緑の手。電気かみそり。長い爪。学帽。開いた扉。その奥に広がる暗闇。彼らを脅かすものは、一義的には異性としての女性のかたちをとっていることが多い。けれど、もっと根本的に考えれば、彼らが本当に憎悪を抱いているのは「自分を所有し支配しようとする意思」なのだろう。 「優しくない俺。拒絶するのは残酷だ。話だけでも聞いてやれよ。ねえ、何か一言声掛けてやれば。人はそう言う。でも、俺はそれがどうしてもいやだったんだよ」 この美国の言葉に示されるような、全身で表される拒否感。そして、自分が生活する寮の部屋にまで踏み込んで覗こうとする両親に対する、「自分の居場所をこれ以上侵すな」という寛司の叫び。…私はこの彼らの感情に共感した。多分、だから私はこの物語が好きなのだ。 この話は、彼らの再生の物語なのだと思う。ひとつだけ少し私が不満なのは、光浩の物語だ。基本的に他の三人の抱える事情が「自分がその状態(あるいは過去)をどう消化し、受け容れてこの先を生きていくか」によって解消し得るものであるのに対し、光浩の物語だけが性質が違う。まさかこれほど重い話が提示されるとは私も思っていなかったし、その状況は考えただけで胸が悪くなるようなものだ。だからこそ、最後に示された手紙の内容について、その反応は分かれるのではないかと思う。その短い文面を贖罪と考えるか、それとも開き直りだと思うか。私は後者だと思った―――いや、思いたい。これが贖罪であるのであれば、それこそ私は身勝手だと思うだろう。 この話で面白いのは、彼らが決して善意ばかりではないところだ。あとがきで「私の書く高校生はきれいすぎるとよく言われるが」とあったが(確かに言葉使いはきれいだと思う……いまどきこれほど「てにをは」がきちんとした喋りをしている高校生を私は見たことない/笑)、決して彼らはいい子ばかりではない。なぜか大人になると「子どもは無垢だ」と思う作家が多いのは不思議なことだ。自分が子どもの頃に抱いていた悪意を覚えていないのだろうか。それはともかく、あまりソリの合わない統や光浩が抱く小さな悪意。互いに交わされる、ささやかな言葉のトゲ。きれいなばかりの物語にはもう素直にうなずけなくなった私だけれど、だからこそ最後に示される彼らの共感に、冬の朝の冷たい空気の中で交わされる会話に小さく笑うことができる(この光浩の台詞、考えてみたらその労力を思っただけで結構怖いと思う…)。 この物語がなぜ『ネバーランド』というタイトルなのかは、作中で明確には示されてはいない。この単語でまず思い出されるのは、ピーターパンの物語に登場する地名だ。そしてもっと字義通りに読むのならば、「どこにもない土地」ということになるだろうか。野暮を承知で解釈するなら、彼らは子どもの頃から囚われていた辛い記憶の夢から脱け出して、大人になろうと“ネバーランド”を出ていく…ということなのだろうか。そう、彼らはピーターパンではなく、現実の“大人の”世界へ帰っていくウェンディなのかもしれない。現実に向き合おうとし始めた彼らの姿は、きれいだ。確かに自分の高校時代を思い出せば、彼らは「きれいすぎる」のかもしれない。でも、本を閉じた時に、(作中での話が結構重いだけに)すっきりとした気分で読み終えられて良かったと思える一冊。 |
| 2002/08/04 |