■奥田 英朗■
『邪魔』
『ガール』

■奥田 英朗 (おくだ ひでお)
『邪魔』
講談社(2001年4月刊)
渡辺裕輔、17歳。三流高校生。大学に行って欲しいと顔色を伺う親を馬鹿にし、高校を辞めるつもりはないが、高校を中退した仲間とバイクでの暴走やオヤジ狩りなどで時間を潰している。
及川恭子、34歳。夫と二人の子どもを持つ専業主婦。夫の勤め先の移転にともなって郊外に念願のマイホームを買った。生活の足しにとスーパーでパートとして働いている。
九野薫、36歳。妊娠中の妻を事故で亡くして以来、不眠症に悩む所轄の刑事。副署長から同僚の花村の素行調査を命じられたことから花村に憎まれ、ストレスが絶えない。亡き妻の母親を大事にし、義母の家で過ごす時間が心の支えになっている。

発端はささいな放火事件だった。舞台は東京都下の本城市。典型的な郊外の住宅地である。自動車用品メーカーの支社で火災が発生し、宿直中の社員一人がケガをした。以前に本社の移転に絡んで暴力団に資金提供を求められた際、同社が警察の要請で組を告訴していることから、その報復という線で捜査は進められていく。そのケガをした社員の妻が及川恭子だった。九野は放火事件の捜査に携わる一方で、同僚の花村の内偵も行わなければならず、ますます署内での二人の関係は悪化していく。その花村の内偵中、精神的に疲れ果てた状態の九野は、カツアゲしようとした渡辺裕輔に反対にかなりのケガを負わせた。花村はヤクザとも関係が深く、九野を追い込む道具として裕輔を取り込もうと狙う。こうして三者の関係は絡み合い始める―――。

第4回大藪春彦賞受賞作。

「狂おしいまでの孤独と自由。奥田英朗はやっぱり凄い。」「現実逃避の執念が暴走するクライム・ノベルの傑作、ここに誕生!」―――これがこの本に着けられた帯の惹句。現実逃避ってのは執念かけてやるもんかな?と思いながらも読み進めていって―――脱帽。確かにここに描かれている現実逃避はすでに「執念の賜物」としか言い様がありません……。

本文はすべて三人称で書かれているが、話の展開は裕輔と恭子、それに九野の三人の視点が交互に入れ替わる形で進んでいく。このうち、一番比重が低いのが裕輔。「ついてねえな」と言いつつ、彼の行動はほとんど自業自得としか言い様がなく、共感はしにくい。というか、私の中ではどうでもいい。気になるのは、残りの二人、恭子と九野だ。

読み終えて、私の母にもまわしてみた。同じ専業主婦の身としては、恭子の人生がとてもシビアに感じられたという。郊外に念願の一戸建のマイホームを構え、ローンの助けにとパートに出る。幼い子供が二人。彼らが帰ってくる時間に間に合うようにパートを早めに終え、夕食の支度をする。たまには妹と子供が遊びに来たりして、愚痴を聞いてやる。目下の趣味は花壇作り。絵に描いたような「専業主婦」のイメージである。それが、放火事件をきっかけに少しずつほころびていく。周囲で広がって行く心無い噂。いじめられて泣いて帰ってくる子供。夫への疑念。ここから逃避することができれば―――ただそれだけの一心でパートの待遇改善運動にのめりこんでいく姿は、読んでいて鬼気迫るものがある。またこの改善運動をしているという女たちの描写が、私にはすごくよくわかるのだ……なんというか、大学時代によく見かけた手合いで、そこにもリアルさが覗けて、余計に苦しくなる。ましてパート以外に収入のなく、経験や資格のない専業主婦にとっては、夫が収入を失ったとき子どもを抱えてどうやって生活していくかという恐怖感は切実で、母はそれが殊更に怖かったという。

けれど、いまだ独身かつ家に寄宿(寄生?)している身の私にとって、さらに印象的だったのは九野だ。最初の粗暴な刑事という印象(これもまたテレビや小説でありふれたイメージ)は、不眠症と不本意な同僚の内偵とで疲れ果てた彼が浸る亡き妻との思い出や、義母の家を訪れた時の奇妙な安息感などを読み進めていくうちに、一転して内省的な人間へと変わっていく。死んだ妻の母親の家で、義母が自分をもてなす為に料理をしてくれる気配を聞きながら、まどろむような眠りに落ちる。時折よぎる微かな違和感。それは確かに、どこか不自然な関係なのだ。けれど彼が義母を大事にする姿は、むしろ彼が義母の存在にすがるかのようで、見ていて少し微笑ましい(少なくとも私は、日本の小説で、男が義母とこういった関係を築いているのを読んだことはない)。そして同時に、そこでしかくつろぐことのできない彼の孤独を見る。限界ぎりぎりに追いこまれた彼がどこへ行くのか・・・・・・それは是非読んでみて欲しい。私は読んでいて、不意に足元を掬われたような気持ちになったし、朝のラッシュの中で本当に息が一瞬詰まった。そしてこの惹句の意味を理解した。奥田英朗は確かにすごい。

この三人を見たとき、誰が本当に孤独なのか。閉塞感とか孤独というけれど、私たちが立っている現実はとても脆い。たった一歩踏み違えただけで、いともたやすく崩れていくのだということを見せるこの話は、口当たりのいい結末は用意しない。自由という言葉の厳しさを見せるラストよりも、むしろ私はこの話の本領は途中にこそあるのだと思った。

―――邪魔。

このシンプルなタイトルが示すとおりの、「あいつさえいなければ」という焦燥感にも似た怒り。誰々の為になどというおためごかしではなく、ただ自分が生きていく為にというエゴイスティックな感情であるために、それはいっそう強烈だ。読んでいて、私はそれを共有した。その感情は、間違いなく私の中にもある。だからこそ、この本は少し辛い。

好きなもの嫌いなもの、なにもかもひっくるめてしがらみを捨ててしまえば、多分私は自由になれる。けれどその自由は、圧倒的ではあるけれど、孤独であることと紙一重の自由だ。ラストに示されるこの怖いような自由を前に、私はやはりどんなものであれ、しがらみを引きずって歩くことを選ぶのだろうなと思った。こんな自由を選ばざるを得ない日が私に来ないことを、ただ祈るしかない。

あまりに苦しいことばかり書いたような気がするので(果たしてこの紹介で人が読みたくなるかは謎だし)、最後にちょっとだけ。九野の同僚で、佐伯主任という人がいる。私はこの人が好きだ。障害のある息子を抱えながらも、すぐ思考が内側に向かってしまいがちな九野のことを「おぬし」と呼んで見合い相手を紹介しようとする、いい人なのだ。気骨もある。それから後輩の井上。一冊とおして九野にふりまわされている印象ばかりだが、単体だとなかなかいい男なのでした。なんだよ九野、あんたそんなに孤独でもないじゃん。そう言って肩を叩いてやりたくなるような、そんな感じです。
2002/06/14
今月、文庫落ちしてました。講談社文庫にて上下巻です。

2004/03/15


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