■大倉 崇裕 (おおくら たかひろ)
『ツール&ストール』
双葉社 (2002年8月刊)

白戸修(しらとおさむ)は寝不足の頭を抱えてクラクラしていた。一留、資格はほとんどなし。優もロクになし。ようやく取った内定がひとつだけあるものの、明後日の破産法概論を落としたら卒業できないのだ。おまけに去年まで持込可の楽勝科目だったはずが、急に持込不可の厳しい科目に変貌。右往左往している間にも時間は過ぎていき、教科書を前に呆然とするしかない始末。そんな切羽詰った最中に、昨年卒業したはずの大学時代の友人、八木が下宿に駆け込んでくる。「助けて欲しいことがあるんだ。こんなことを、君に頼めた義理ではないんだけど…」警察に追われているんだ。殺人事件の容疑者として。だけど俺は殺してなんかいない……いや、そんなこといきなり言われても―――。

小説推理新人賞受賞作。

買ったばかりの携帯電話が鳴り始めます。誰にも電話番号なんか教えてないのに。不思議に思いながら出てみると、案の定間違い電話。電話の向こうの相手は、こっちの事情なんか聞く間もなく、言いたいことばかり言って切ってしまった。あの切迫してる感じ、もしこれが間違い電話だったと気付かなかったら、さぞ困るだろうな…。
 さてここで問題です。あなたがいる場所は新宿駅。相手はどうやら中野駅にいるらしい。でも携帯でかけなおしてみたらもう圏外だというアナウンスが流れている。中野までは中央線で1駅。あなたはどうしますか?

私ならほっとく。だって間違えた方にも責任があるでしょ?相手方に電話まできちんとかけたんだから、これでつながらなければもうしょうがないよね。…というのが、大方の人の回答だと思います。が、この白戸くんは違う。うっかり中野方面の中央線に飛び乗ってしまって、わざわざ「間違い電話ですよ」と伝えに行き、その挙句に他人のトラブルに巻き込まれる。ほんとに人のいい青年なのだ。そんなお人好しの彼に探偵役が務まるのか?といえば、これが立派にその大任を果たしてみせるのである。新本格というジャンルには、奇矯な名探偵こそ多いけれど、私は彼に「お人好し探偵No.1」の称号をあげたい。

彼の不運はいつも中野駅北口で始まる。新宿でも渋谷でもなく、中野という辺りが微妙にいい。中途半端にごったがえしていて、でも渋谷や新宿辺りの雑踏とは違って、生活の匂いがいっぱい漂っている場所。友達にバイトの代打を頼まれて行ってみれば違法バイトだし、銀行に金おろしに行けば銀行強盗に捕まり、間違い電話を知らせに行けば探偵の手伝いをさせられ、入社式用のスーツを買いに行けば万引きを捕まえる手伝いをさせられる。かわいそうなくらいいつもふりまわされている白戸くんだが、真っ正直に生きているとたまにはいいこともある。彼を見ていると、私はついあの言葉を思い出す―――「情けは人のためならず」。

巻末の短い解説は有栖川有栖。その最後の文章、「がんばれ、白戸修。君は素敵で面白い。これからも色んな事件に巻き込まれ、もみくちゃになって、時には謎を解いて、愛されて、たまに損もかぶるけれどトータルでハッピー、という豊かな人生を送ってくれ。」という声援の言葉に大きく同意したい。往々にして、ミステリの名探偵というのは、日常生活でご近所づきあいするのは願い下げにしたい人が多いものだけど、彼となら友達になりたい。―――向こうの方で願い下げって言われるかもしれないけどね(笑)。

本の装丁は大路浩美という人。有栖川有栖作品を読む人なら、目にした覚えがある名前ではないだろうか。『海のある奈良に死す』『幻想運河』『ジュリエットの悲鳴』などを手がけている人で、私はこの人の装丁が好きだ(特にハードカバー版)。この本でも、各短編の表紙が統一されたデザインでなかなかかわいい。謎の元犯罪者組織(笑)や、世を忍ぶ清掃員などが出てくるので、全体としてはちょっと軽めな印象。少し頼りない感じの探偵、白戸くんのイメージもあって、気楽に読める短編集です。

季刊落語雑誌に配属された新人編集者の女性と、そのたった一人の上司である編集長が、落語に絡む事件の謎を解くというデビュー作『三人目の幽霊』も読んだけれど、私は正直これはあまり買わない。あんまりこの編集者コンビが私の好みじゃなかったので。<『このミス』なんかでは結構高い評価を得ていたんですけどね。だから単に私の好みではなかったというだけのことかもしれませんが。著者は普段から落語をよく聞く詳しい人のようだけど、舞台設定がそちらの世界の中だけにとどまってしまうので、普段落語を聞かない私には馴染みのない世界だってのもあるかも。

■関連サイト■

大倉崇裕「無法地帯」
2003/01/05
2006年6月、『白戸修の事件簿』とのタイトルで
双葉文庫に文庫落ちしました。
2006/07/31