■宮部みゆき■
『初ものがたり』
『長い長い殺人』
『名もなき毒』
| ■宮部 みゆき (みやべ みゆき) |
| 『初ものがたり』 新潮文庫 (1999年9月刊) |
回向院の旦那と呼ばれる岡っ引きの茂七が、その奇妙な屋台の話を初めて耳にしたのは、ある新年の一月十六日、奉公人に宿帰りが許される藪入りの日の朝だった。商いものはごく普通の稲荷寿司だが、いくら宵っ張りの多い富岡橋の辺りとはいえ、丑三つ時にまでやってるというのは無謀というものだ。しかも地回りのやくざをたばねる梶屋の勝蔵の縄張りのうちでありながら、しょば代を払っている様子もなく、一度などじきじきに勝蔵本人が訪ねてきたこともあるという不審さ。そいつぁ解せない話だと思っていたところに、大川に女の土左衛門があがったという知らせを受ける。年の頃は三十、身投げにしてはこの寒空に素っ裸というのが不審だ。やがて女の身元も割れ、彼女が執着していた男の存在もあきらかになる。ところが生前の彼女の姿を見られた時刻からすると、その男が殺して戻るには時間がなさ過ぎる。絶対やつに違いないんだが……なかなか考えがまとまらずうろうろしているうちに腹もすいてきた。ならば稲荷寿司でも食いにでかけてみるか―――。 屋台にいたのは、落ち着いた風情の、茂七と同年輩の男だった。稲荷寿司も汁ものも滅法旨い。その挙措を見るうちに、彼は気がついた。この屋台のおやじ、もとは武士に違いない―――。 宮部みゆきという作家は時代小説をたくさん出しているけれど、最初にタイトルを見たとき私は思った。「ああ、お初という女の子の話なんだな」と。その前に刊行されていた『震える岩』という話が「霊験お初捕物控」だからして、そんなに的外れな感想だったとも思わないのですが、この話についてはハズレ。これは「初」「ものがたり」ではなく、「初もの」「がたり」なんですね……その折々の食べ物を織り込みながら綴られる捕物帖なのです。 この話で(三人称ではあるけれど)語り手を務める回向院の茂七という親分は、他の宮部作品にも顔を出している。深川の七不思議をテーマにした短編集『本所深川ふしぎ草紙』(新潮文庫)では一貫して彼が話に関わってくるし、最近講談社文庫に落ちたばかりの『ぼんくら』では、既に現役を退いてはいるけれど、まだまだ手下をたくさん抱えてにらみをきかせる老練の岡っ引きとして名前が出てきます。けれど他の話では他人の視点で彼のことが語られるのであって、茂七自身の心情が一番あきらかになるのはこの『初ものがたり』。なかには人殺しではなく縄張り内の小さなもめごとを持ち込まれる話もあって、その解決の仕方を見れば、茂七という人が信頼されているわけも頷けようというもの。 そして茂七が行き詰ったときにひょいとヒントをくれる、謎の多い屋台の親父。彼の言葉で事件が解決に向かうその展開もさることながら、その折々に季節に触れて彼が出してくれる料理がとても旨そうなのです……屋台でありながら、煮物焼き物なんでもござれ、汁物に甘いものまで出そうというのだから、固定客で繁盛するのもわかろうというもの……寒い冬の夜、会社からの帰り道などにふと彼の作る小田巻き蒸し(茶碗蒸しのなかにうどんを入れたもの)をうっかり思い出してしまい、あああ腹減ったーなどと思うこともしばしばです。江戸の初ものと言えば勿論かつおですが、ちゃーんと初鰹をテーマにした短編もあります。派手な話ではないけれど、茂七親分の人柄が見えて私の好きな話。それから私が好きなのは、(事件自体は悲しい話ではあるけれど)「白魚の目」かな。私もあんまり白魚って得意じゃないので、「あ、それわかるなあ」と。ハウス栽培や養殖によって、本来の旬の季節ではないものもスーパーに並ぶ今と違い、旬にしか食べられないという時代の話だけあって、歳時記のように季節の移り変わり(新年からはじまって翌年の桜の季節にかけてがこの一冊で語られる)が食べ物で示されるのですが……美味しそうなんです。近くにあったら夜中だろうと私だって通おうと言うものです。茂七親分が羨ましい。 茂七を取り巻く人たちもいい。下っ引きの二人、ひょろりとして下戸でおしゃべりな二十歳そこそこの糸吉と、対照的にどっしりとした四十絡み、お店をしくじって下っ引きとなった元お店者の権三。腕のいいお針子として茂七を支えるおかみさん。霊能力を持つとして「日道」と崇めたてられている十歳の三好屋の長吉(時おりもらす本音が悲しい)―――宮部みゆきという作家は、現代ものを読んでいてもドキリとするようなシビアな指摘をする作家だが、この本でもそれは健在。「女でも、女みたいな夢見ちゃ生きていかれねぇ女もいるんです」という冒頭の「お勢殺し」(関係ないけどこのタイトル、乱歩の「お勢登場」や谷崎潤一郎の「お艶殺し」を思い出してしまう…)や、江戸に出て奉公人となった弟と近在で百姓を続ける兄との悲しい確執を描く「太郎柿次郎柿」。 当初PHP研究所で小さな変型の単行本として刊行された本書はそののちPHP文庫に落ち(私が持っているのはこれ。単行本と同じくイラストが入っていて今でも買えます)、それから新潮文庫にうつり、現在はPHPから愛蔵版も出ている。私が腑に落ちないのは、一番最後に出た愛蔵版にだけ、最初の単行本・文庫には収録されていない短編「糸吉の恋」が入っているということだ。<これは下っぴきの糸吉が菜の花の咲く季節に恋をする話。梶屋と屋台の親父との因縁も、最後でほのめかしこそされているものの、本当には明らかにされてはいない。続きを書いて欲しいなあとずっと思っているのだけど、果たしてそれが現実になる日は来るだろうか。 NHK金曜時代劇『茂七の事件簿 ふしぎ草子』では、この『初ものがたり』の他、宮部作品の時代ものをいろいろ取り入れていたようですが(私は観てないので話聞いただけ)、他に私が気に入っているものといえば、先に挙げた『本所深川ふしぎ草紙』。「お勢殺し」に少しだけ言及される前の茂七親分の手下の文次にもこの本で会える。あとは同じく新潮文庫の短編集『かまいたち』かな。冒頭の一話は、大岡越前が江戸町奉行を務める時代、辻斬りの頻発する中でその犯人の顔を見てしまった女の子の話。後半の二話「迷い鳩」「騒ぐ刀」は、講談社から出ている『震える岩』『天狗風』の「霊験お初」シリーズの原型となった話。ほぼ設定は一緒なのですが、何故か植木職の次兄、直次だけが初期設定にしかいないのでした……(好きだったのに)。長編も『ぼんくら』など好きなものもありますが、まずは短編集辺りからがオススメかと。 |
| 2004/05/22 |