| ■久世 光彦 (くぜ てるひこ) |
| 『陛下』 中公文庫 (2003年3月刊) |
陸軍中尉・剣持梓は、幼い頃から繰り返し見る夢の中で、「陛下」への想いをつのらせていた。時は昭和十年の暮れ。周囲は昭和維新だ革新の気運だと何かと騒がしかったが、彼には思想への傾倒はなく、ただ陛下への想いだけがあった。そんな折り、彼は同僚たちがその思想を仰ぐ北一輝と、三年前に戦死した兄・正行とに交流があったことを知る。兄の死以来、姉の遊子は緩やかに正気を失い始め、それゆえに陸軍次官候補とも言われていた父は軍を退いた。詩人にも似た線の細い兄が、なぜそんな維新運動へと関わっていたのか、それが知りたくて北と会うようになった梓は、やがて北に傾倒し始める。北の言葉に惹かれ、自分を兄正行と混乱したままに誘う姉の言葉に惑い、「あの人」のことを想いながら、梓は娼婦を抱く。白山上の安い娼家「花廼家」の弓は啄木のいた渋民村の生まれである。貧しさゆえに姉ともども身を売りながら、弓は自分を不幸だと思ってはいない。その弓の健全さを愛しながらも、やがて梓は「あの人」に殺されることを願う。殺すほど、殺されるほどの想い、それこそが本当の恋と信じて、彼は昭和維新の中にその身を投じてゆく―――。 久世光彦(てるひこ)という人の名前を、作家としてではなく、正月や盆の向田邦子ドラマのプロデューサーとして知っている人もいるかもしれない。が、失踪中の乱歩の姿を描いた『一九三四年冬――乱歩』(新潮文庫)での山本周五郎賞をはじめ、数々の文学賞を受賞している作家である。 本当はずいぶん以前に同じ作者の『逃げ水半次無用帖』という連作短編集のブックレビューを書きかけていたのだが、なんだか褒めているのか貶しているのかわからなくなってきたので、以前とは違う出版社(以前は新潮文庫に入っていたのだが、絶版になったらしい)から文庫落ちしたのを契機に、こちらを選んでみた。 この久世光彦という作家の本、すべてとは言わないが私は半分程度は読んでいる。じゃあ好きなのかといえば、一概に即答はできない。というか、むしろ私はこの人の言うことが嫌いである。エッセイを読むと、これでもかと言わんばかりに向田邦子と青木玉(幸田露伴の孫にして幸田文の娘)の書くものを礼賛しているのだが、それだけ頭いい女性が好きな癖に、実際に書く小説はといえばとにかく女が頭悪いのである。<ヒロインが自分でそう言ってりゃ世話ありません。こいつら頭じゃなくて下半身で物考えてるんじゃないのかと本気で私は疑っているくらいだ(と思っていたら、『陛下』に本当にそういう表現があった。やっぱり)。こういう女性の造形を、男ならかわいいと思えるのかもしれないが、生憎と私は男ではなく、しかもフェミニズムの本とか読んでた人なので、読むたびにカッチーンとくるわけで。……毎回毎回自分で金払った本に腹を立てている自分を馬鹿じゃなかろうかとは思うが。 じゃあ何もわざわざ金払ってまで読むことはないだろうと言われればそのとおりだ。それでも、つい文庫に落ちるたびに買ってしまうのは、私がこの人の文章に惚れ込んでいるからである。―――たとえば『逃げ水半次無用帖』の冒頭、首を吊った女のゆっくりと死体が揺れる様。母親の死体を目の前にして、狂ったように笑い続ける幼子。死や狂気といった「負」に向けられた退廃的な美しさではあるのだけれど、私は今の世にこの人ほど絢爛たる美しい文章を書く人を他に知らない。―――結局のところ、私は好悪のレベルを超えて、この人の書く文章の昏い美しさに魅せられているのだ。 この人の文章の美しさは、日の光に向いたものではない。『乱歩』で作中作として「梔子姫」という短編を書いてみせたように、同じく月光と夜の世界を好む人である。『死の風景』『怖い絵』などといったエッセイのタイトルからも示されるとおり、非常に死の匂いの濃い文章を書く人でもある。そして狂女。娼婦。腐り落ちる寸前の爛熟の美しさとでも言うようなもので、ねっとりと足を絡め取られるような、息苦しいような思いにさせられる文章だ。 幼い頃、隠れて父や兄の本を持ち出して読んだ思い出を綴る『花迷宮』(新潮文庫)を読むと、この人の描く世界の基底にあるものがわかる。それは、こっそりと禁じられていた『新青年』などの本を読んだ部屋を包む金木犀の甘い匂いであり、その出窓の上から彼を見下ろす陛下の「御真影」であり、街で出会った狂女であり、兄妹の悲しい心中の歌であり……そして作者の父親が軍人であったと聞けば、この『陛下』の世界はなるほどと頷ける。 この世界の背景になっているのは、ニ・ニ六事件だ。かつて読んだ頃にはよくわからなかったが、このところひたすら昭和軍閥の資料ばかり読んでいたので、再読してみたら少しはわかるようになった。梓の父の友人として現れる斎藤瀏予備役少将は、ニ・ニ六事件の「皇道派」決起将校の擁護者として一緒に処罰された人であるし、時折、歴史上の人物が見える。もちろん北一輝もそうだ。この物語は、ニ・ニ六事件の決起将校の心情の美しい(あるいはそう見える)ところばかりを拾い出した本である。実際の記録を読めば、彼らには熱い至誠と行動力を除けば何もなかった。ただ「君側の奸」を除きさえすればあとは天皇がなんとかしてくださるというばかり、計画も杜撰で、革命が成った後の国家の見通しもなければ、ほとんど行き当たりばったり不手際はなはだしく……ていうかあの人とあの人返して……っ(<私は「統制派」寄り)。 …という私の憤りはさておいて、この話は、思想も当時の軍内の力関係もなにもかもをうっちゃって、ただ天皇を想う一人の青年士官の心情を追った物語だ。だから歴史の知識などほとんど必要ない。これを読んでも歴史のことなどわからない。「恋闕(れんけつ)」という言葉がある。「闕」とは宮城の門のこと。すなわち、そこにおわす方を恋い慕うといったほどの言葉であり、そういった心情を官能的な物語に仕立て上げた本でもある。新潮文庫版では「金木犀の香りに包まれて―――陛下、あなたに愛されたい」という扇情的な帯がつけられていた。戦前なら不敬罪必至という感じの内容であり、読んだ私はああいかにも久世光彦の本だなあと思うのである。 今にして読めば、絢爛たる文章の出来としては、近作の『逃げ水半次無用帖』が上。『陛下』を見ると、時折あれ?と思うようなひねりのない表現が散見される。ただ、ヒロインを比べるなら『陛下』の弓と『半次』のお小夜では私は弓の方が好きだから、こちらをとった。私にとって、久世光彦とは、愛憎相半ばする作家である。多分、これ読んで「絶対あわない」と思う人も結構いるだろうなと思う。そう思いながらも、文庫に落ちるたびにやっぱり買ってしまうのだった。……ほとんど業に近い。 エッセイとしては、先に挙げた『花迷宮』を一番愛しているが、最初に装丁の美しさに惹かれて買ったのは『蝶とヒットラー』という本だった。鳥獣の剥製やナチスの軍服、ドールハウスにステンドグラスといった、非実用的なものを扱う実在の店ばかりを手がかりに紡がれる玩物喪志譚。今はハルキ文庫に収められているが、この無粋な装丁にはがっかりさせられる。単行本を出したのは、日本文藝出版というとても美しい装丁の文芸書を出す出版社(<その代わりほんとに高かった)で、この本はBunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞している。 ―――口惜しいけれど、私にとってこの人の文章は憧れだ。ひとつひとつは特別な言葉を用いているわけでもない、ごく普通の文章なのに、まとまると昏い世界が姿を現す。変哲もない糸を使って織られた美しい織物のようだ。腹を立てながらも、その文章の秘訣を知りたくて、私はこの作家の本の頁をめくるのかもしれない。 |
| 2003/4/5 |