■古処 誠二■
『UNKNOWN』
『未完成』

『分岐点』
『接近』

■古処 誠二 (こどころ せいじ)
『分岐点』
双葉社 (2003年5月刊)

昭和20年、夏。新聞が軍の大戦果を報じ続ける一方で、本土は空襲を受け続けていた。その夜、相模湾に面した長塚の街も空襲でやられた。焼夷弾の火と煙にまかれかけていた対馬智は、同級生の成瀬憲之に助けられる。火にまかれて街の人々が死んで行くなかで、冷静な成瀬の指示によって智は命を拾う。つねに動作が遅いと言われ、学校へやってくる配属将校たちにも必ず睨まれる智と違い、成瀬は優秀だった。敵を憎み、まっすぐに国の為に働き、どんな状況に陥っても思考は前向き。その優秀さゆえに、同級生たちの愚痴や不平を白眼視するため、クラスの中でも浮き上がっていたが、成瀬は全く意に介する様子はなかった。
やがて、本土決戦に備えての土塁を作るために、智や成瀬たち中学生も労働へと駆り出される。食事も貧しく作業はきつく、軍曹たちには理不尽に殴られた。不満を溜め込むなかで、智と仲のいい梅野は、ことあるごとに軍人側につく優等生・成瀬への反感を募らせていき、険悪な関係となる。だが、悪いことばかりではなかった。智と梅野は、防空壕を掘る作業の途中で空襲に襲われ、農家へ奉仕作業に来ていた女学生二人と一緒に掘ったばかりの防空壕の中へ逃げ込むこととなった。狭い空間の中、くっつくような息苦しさのなかで、それでも誰にも監視されることなく、憚ることなく自分の言いたいことを言える解放感。確かに彼らはそのとき、「自由」を感じていた。
そんななかで「事件」は起こる。彼らのクラスを監督していた藤村という軍曹が、空襲が終わったあとも戻ってこない。逃げたのか。その不自然さに、小隊を預かる少尉・片桐は疑問を覚える。最後まで一緒にいたのは成瀬だ。「殺したのでは」という疑念が胸をよぎる。だが―――成瀬には動機がない―――。

こう来たか―――というのが私の感想だ。
福井晴敏と古処誠二という、自衛隊を舞台とした本を書いてきた作家が、同じように太平洋戦争末期という時代を素材に作品を書いている。ただしその方向性は全く異なる。いっそSFかと思うほどの壮大な国家規模のスケールで物語をつくる福井。あくまで現実の枠組みの中で、組織の末端にいる人々をリアルに描く古処。『UNKNOWN』『未完成』という自衛隊の話に見られたユーモアを期待して読む読者には、いささかきつい内容だと思う、この『分岐点』という作品は。よくこれが『小説推理』に連載されていたものだと感心。

これ、他の人に「面白かったから読んで」と率直に奨めていいものか……とちょっと迷っている。出来不出来とは別の次元で、私はこの物語を読み進めるのが辛かった。いや、むしろ出来が良かったから、それだけに辛かったのだと言える。物語は「自分は人を殺したことを後悔はしていない」と告げる少年の手紙によって始まり、そしてその手紙によって終わる。その間に語られる終戦間際の物語。同じ時間、同じ場所を共有しながら、立場によって考え方の異なる複数の心情が三人称で描き出される。動員されてきた中学生、智。小隊を率いる任官して日の浅い少尉、片桐。支那で戦ったことを誇りにし、できそこないの部隊へとまわされた現状に不満を抱いている先任軍曹、臼井。そして軍国主義下の優等生―――成瀬。物語の中で生まれた殺意は引き絞られた弓のように力を溜め、最後の場面へと向かって膨れ上がる。その過程がリアルであればこそ、私は辛かった。そう、この苦しさは、この出来栄えこそのものなのだけれど。

この数ヶ月、私は延々と太平洋戦争の記録を読み続けている。何が楽しくて読んでいるのかと自分でも思うが、結局のところ、私は人の去就に興味を抱いているらしい。もうちょっとはっきり言うと、「何でこの人たちこんなに仲悪いのかな」と思うくらいの派閥の潰しあいが面白いから……だと思う。だから私が読んでいるのは、歴史に名を残した高位の将官たちの伝記が中心だ。この本の中でさらりと「徹底抗戦指示」のラジオ放送が触れられている、終戦当時の陸軍大臣・阿南惟幾の伝記も読んだ。何故そういった指令を出さざるを得なかったかということを私は知っているけれど(終戦を公言することによって、陸軍内部―特に関東軍が暴発することが最大の危惧だった為らしい)、この物語を構成しているのは、そんな事情を全く知らない末端も末端―――動員された中学生たちと、それを率いながら揺れる現地部隊の下士官と士官だ。一番階級が高いものでさえ、大尉である。戦争末期、人心はすでに軍から遠く離れ、また軍の統制の基本である「命令と服従」さえも、軍規の緩みによって守られなくなっている。そんな時代、限られた情報の中でいかに人が揺れるかを痛烈に描き出した物語だと言える。

先日、宮部みゆきの『蒲生邸事件』を再読した。そこで問題とされるのは、未来を知っていることによる「まがいものの神」のあり方だが、この『分岐点』では、サンフランシスコ放送の短波の傍受によって、国民には知らされない真実の戦況を知ろうとする片桐少尉と服部伍長という存在がいる。いずれも他者が知らない「情報という力」を得ているというのがポイントだが、前者の力は「時間」に起因するものであり、後者は「知識」(語学力を含む)に起因するものだ。今とは違い、国民に与えられる情報は何もかもが統制されていた時代にあって、「情報」は確かに力なのである。13歳の皇国民。「自分の意思で殺した。後悔はしていない」という成瀬という少年の真摯さは、九年前に蹶起したニ・ニ六事件の青年将校たちの純粋さに通じるものがある。けれど、結局青年将校たちが信じ崇め続けた天皇に裏切られたように、成瀬もまた、信じた国によって―敗戦の真実とともに―裏切られることとなる。情報という力を得ることができない、いまだ幼い少年がその状況に誠実であろうとすればあるほど、彼の信念は真摯である一方で歪んでいく。いや、それを「歪んでいる」と評するのは、歴史の帰結を知っている人間の傲慢さだろう。それこそ「まがいものの神」の言葉だ。

複数の視点の中で、もっとも読者が感情を近づけていくのは、智だろう。彼はこの物語に登場するなかで一番の弱者である。「軍への奉仕」が最大の美徳とされた時代、父親のいない彼の家は「英霊を出していない家」として肩身の狭い思いをしてきた。智自身も、軍人から目をつけられやすく、要領がいいとは決して言えない。そんな彼にとって、成瀬の言動は重く眩しく、そしてだんだん反感をつのらせるものとして映っていき、その思いを読者である私も共有する。けれど、この物語の複数の視点の中で、ただ一人まったく揺らがなかった、つまり常に自分自身の考えで行動し続けていたのもこの成瀬という少年だ。その強さゆえに、中盤から後半にかけての彼は憎しみの対象となる。けれど、だからこそ、この物語を締めくくる手紙のラスト三行で、私は胸をつかれるような思いを覚えるのだ。

濃いグレー地に黒い文字のカバー。巻かれた帯は白地にグレーの文字。華やかさとは無縁な、思い切って無骨な装丁は、この内容にふさわしい。読む方にも相応の気力体力が要求されるので、気軽に手を出すには辛い本かもしれないけど、じっくり腰を据えて読む価値はあると思う一冊(ただちょっと難を言うなら、少々予備知識のない人には不親切かも。台詞の中に「地方人」という言葉が出てくるが、どこにも説明のないこの言葉は、軍人と対比しての「民間人」という意味の言葉だ。この辺り、全然説明がない)。

成瀬の言葉に応えるほどの言葉を私はいまだ持ち得ていないが、この本を読み終えて、私はつい先日観たばかりの野田秀樹の『オイル』という芝居の台詞を思い出していた。その台詞で、この感想を締めくくろう。「アメリカがそんなに嫌いなんですか」と問われたヒロインは「大嫌いよ」と答える。

「(原爆を)ふたつ落としたんだから、ふたつ謝らなくちゃ。それが復讐法というものでしょ」

2003/05/24

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