■北村 薫■
『盤上の敵』
『空飛ぶ馬』

■北村 薫 (きたむら かおる)
『空飛ぶ馬』
創元推理文庫(1994年4月刊)

ある私立大学の文学部に通う「私」は、近世文学の加茂教授の紹介で、学内誌の対談に出ることになった。相手は教授の教え子で「私」の先輩にあたる春桜亭円紫師匠。暖かい芸風が持ち味で、中学時代から大好きな落語家である。無事に対談が終わり、教授の研究室でコーヒーを飲んでいるとき、たまたま織部の茶碗から、不思議な話になった。加茂教授は子どもの頃から古田織部が怖くてならなかった。彼の切腹のイメージが、そんな史実など知っているはずもない幼い頃からずっと焼きついて離れなかったからだ。もう何十年もの間、その謎を抱えているという加茂教授の話に「私」も首を傾げたが、円紫さんだけはこともなく真実を言い当ててみせた―――

私の大好きなシリーズ。久々に再読したので、感想を。

この本が単行本で出たのは1989年のこと。いまでこそ『日常の謎』と呼ばれる、犯罪ではなく日常のなかの不思議な出来事を扱ったミステリは珍しくなくなったが、「殺人事件が起きなくてミステリは成り立つんだ」ということを教えてくれたのはこの作家だったように思う。残念ながら私がこの本を手にとったのはだいぶんあとのことで、出版された当時から書店で目にしていたものの、「落語の師匠と女子大生が云々」という帯だけをみて敬遠していた。多分、赤●次郎の『幽霊シリーズ』かなにかを連想していたのでしょう。実際に手にとってみたら、趣はだいぶん違ったのだけれど。あのとき見落としたことをだいぶん悔しい思いもしたし、反面、まとめて読むことができたことを嬉しくも思った。―――それくらい、私の偏愛するシリーズだ。

円紫さんは四十歳くらい、お雛様のように色白でやさしい顔だちの落語家だ。小学生の娘を大事にしていて、夏休みの自由課題を手伝ってやるような子煩悩さももっている。「私」と知り合った円紫さんは、彼女が遭遇する謎にこともなげに答えを導き出してくれる。落語好きな「私」との会話にはたびたび落語の話も出てくるが、「この部分はどうしてこういう風に演じているのですか」という彼女の質問への答えに、彼の人柄の優しさが窺える。―――あ、落語は知らなくても全然大丈夫。私もまったく素養がないのですが、ちゃんと会話のなかに粗筋を織り込んでくれるので、戸惑うことなく読みすすめていくことができます。

なによりも好きなのは、この世界で「私」や、彼女と会話する円紫さんの目をとおしてすくいあげられる景色なのだ。同じものを見ていても鈍感な私が見落としてしまうことを、彼らはこれ以上ない繊細さでとりあげて教えてくれる。新本格では「人間が描けていない」という批判は的外れなものではあるらしい(……と私が読んだ本には書いてあった。私はまだ異議を唱えているけれど)。綾辻、法月、二階堂といったトリッキーで奇矯な作風、これが新本格だという方向に流れかけたとき、そこに一石と投じたのがこの物語だ。美しいロジックと日常の風景がとけあって、こんなにもすてきなミステリになるということ、そしてそれに気づかせてくれたのが、自ら「本格原理主義者」を名乗るほどの人であったことが嬉しい。

一作目では「喫茶店で隣のテーブルに座る女の子たちは、なぜ競うように紅茶に何杯も何杯も砂糖を入れるのか?」という魅力的な謎を投げかけてくれる「砂糖合戦」が一番好き。私がこのシリーズを好きなのは、日常の生活のなかにひそむ、どうしようもない悪意までも提示して、それでも最後に救いを見せてくれることだ。

『夜の蝉』(1996年2月刊)
『秋の花』(1997年2月刊)
『六の宮の姫君』(1999年6月刊)
『朝霧』(2004年4月刊)

いまのところ、出ているのは『空飛ぶ馬』を入れて5冊。大学生だった「私」も、卒業論文に取り組み、社会人としての道を歩み始める。私が一番好きなのは日本推理作家協会賞をとった『夜の蝉』。誰もが振り返るような華やかな5歳年上の姉と「私」の間に流れるぎこちなさ。血のつながりゆえに微妙な反発(また、そのエピソードが秀逸)を伴う関係に変化がもたらされる表題作を、私はとても愛している。続く『秋の花』は、シリーズで初めて人の死を扱った長編。高校の屋上から墜落死した女子高生は、「私」の後輩だった――往々としてただの記号でしかない薄っぺらな死体ばかりが転がる新本格のなかで、この物語は敢然として異を唱える。シリーズを前作から読みすすめてきた人なら「あ、」と思うだろう。四作目の『六の宮の姫君』は、卒業を控えた「私」が卒論のテーマとして、同じ今昔物語の素材を扱う芥川と菊池寛を追う文壇ミステリ。そして五作目は、社会人として足を踏み出した彼女の出会う謎を扱う短編集だ。続きを切望しているのだけれど、著者は「うーん、あんまり続きに気乗りがしないんですよねえ」などと意地悪をインタビューを言っていた。そんなことを言わずに、また上質な続編を書いて欲しい。

このシリーズは、謎を解いてみせるのは円紫さんではあるけれど、同時に「私」が成長していく物語であるとも言える。私が好きなのは、「私」が決して諦めないことだ。答えを教えてくれるであろう円紫さんの前でも、考えることを放棄しない。それが一番よく現れているのが、円紫さんがあまり登場しない『六の宮の姫君』(まあ、卒論ですからね、自分で考えなきゃいけないのは当たり前といえばそうなのですが)だろう。こちらも国文学の知識などなくても十分に面白いミステリに仕上がっています。

この本では、衣と食費はけずっても本代だけは削れないという国文科の女の子が語り手だけあって、実に多様な本が登場する。そもそもこの著者の北村薫自体が、埼玉県の某高校の国語の先生だったのだとか。その経験が活かされているのか、高校の国語の女性教師が主人公となる不思議な物語『スキップ』(新潮文庫)を読んでいると、こんな先生に国語を習ったらどんなに面白かっただろうと思わされる。

残念ながら著者から授業で国語を習うことはできなかった私だけれど、本というかたちで彼の授業に触れることができるものがある。それが『詩歌の待ち伏せ』だ。私は単行本で上下巻で買ったが、続巻があるらしく是非買いに行こうと思う。ちょうど前の2冊が文春文庫に収録されたばかりなので、手に取りやすいのではないかと。タイトルは、待ち伏せのように不意に出会う言葉こそが心に残るという趣旨で、著者にとってのそんな本を紹介したいという気持ちを表したもの。博覧強記でアンソロジストとしてもたくさんの業績を残している著者ですが、そんな彼がやさしい言葉で紹介してくれる詩を、私も好きになりました。ひとつひとつの章は短いので、もし書店で見かけたら、ぜひ手にとってみてください。

2006/03/11