| ■北方 謙三 (きたかた けんぞう) |
| 『水滸伝』 集英社 全13巻刊行予定 一 曙光の章(2000年10月刊)/二 替天の章(2000年10月刊)/三 輪舞の章(2000年11月刊)/四 道蛇の章(2001年5月刊)/五 玄武の章(2001年9月刊)/六 風塵の章(2002年1月刊)/七 烈火の章(2002年5月刊)/以下続刊 |
塩は国家の専売事業だった。それを密かに精製、密売する。「闇の塩」である。為政者からすれば立派な国家への反逆行為だ。物語は闇の塩をめぐる暗闘から始まる。この宋という国が間違っていると思う男たちは、塩の利益を元手にこの国を変えようとしている。その動きをきな臭く感じる政府の青蓮寺という組織は、叩き潰そうとする。この国は腐っている。どちらもそう思いながら、一方は国を覆すことで、他方は腐った国の仕組を少しでも立てなおそうとすることで、この状況を打破しようと考えた。決して相容れることのない信条のぶつかりあい。その中で国に対する民の怨嗟の声は大きくなり、叛乱の芽は大きくなっていく。やがて「この国を変える志」を説いた『替天道行』という本が広く読まれるようになり、その思想に共鳴した人々が梁山泊という山塞に集い始める―――。 『水滸伝』というのは、評価が変転してきた物語である。 もともとは巷の伝説や歴史の切れっ端がごっちゃになったものを講談としてまとめたものから出来た話だが、盗賊が梁山泊に拠って国に反乱を起こすという筋から、革命の物語として再評価が進められたりした。・・・ところが、原作を読んでみると、とてもそんな立派なお話ではないのだ。確かに禁軍を追われた人物もいないではないが、これってほとんど盗賊やってたのが食い詰めて逃げ込んできただけじゃ?とか、血筋だけで引っ張ってこられたのでは?とか、果てはさんざん乱暴を尽くしておきながら、結局のところ「招安」ということで、帝に仕える軍になってしまった挙句、他の叛乱を鎮圧する部隊にされ、一人死に二人去りして、最後は離散して終わってしまうのである。・・・・・・なんじゃそりゃ?だ。 そう思った人は他にも多いらしく、梁山泊に108人揃って祝宴をあげる70回までで切ってしまうという版が中国では長らく出回っていたらしい(これは「反体制派が帝に尻尾をふるなど革命の堕落だ」というイデオロギー的な理由などにもよるものだが)。元々の話に付け加えて後日談などがくっついた版などもあるから、いろんな長さの『水滸伝』があることになる。最後(一番長い版は120回本)まで読むと、結構情けなくなるような結末だったりして。 そもそもが『水滸伝』というのは、封じられていた108の魔物が役人の手違いで解き放たれ、人となって梁山泊に拠るという話で、序列の刻まれた石盤が発見されるという設定になっている。つまり、序列がはっきりしているのだ。そしてその序列は能力のみならず血筋によっても決まってくる。先祖が英雄(例えば関羽とか)だったりすると、なんでこんなぽっと出の男がいきなりこんな上に来るの?というくらいの序列に置かれるのだ。・・・そして結構使えない(特に第二位の蘆俊義…)。こういうのを見ると、結局のところ首領である宋江が帝に許されて遇されることを願っていることから見ても明らかなように、彼らは「宋」という国から追われてはじかれてしまったから寄り集まっただけで、その国を倒そうなどとは微塵も考えていないのである。 ここまでが長い前振り。北方版『水滸伝』に戻る。 北方の水滸伝が原作とかけ離れているのは、まずあからさまな序列を設けなかったことだ(一応、官の将軍を受け入れる必要性や指揮伝達の為に、ある程度の序列は定めているのだが)。序列が刻まれた石盤という設定を排し、ただ「この国の有り様は間違っている」だとか「『替天行道』という本に惹かれたから」「誰々と出会ったから」という「志」と「人の縁」だけで、この梁山泊という山塞はできあがっていく。あまり元々その国の中でどのような身分だったかということは関係なく、むしろ個々人が持っている特技を組み合わせて組織が発展していくというかたちになっているので、例えその特技が石積みであろうが盗人であろうが、その特技を活かす場においては貴重な人材なのである。 そして、もともとが虚構の話だという特性をフルに活かし、原作とまったく違う展開になっていることもその特徴と言える。だいたいが108人揃う前に死ぬ人間がいる水滸伝など、私は聞いたことがない(それも結構有名どころの武将だったりする)。 私が読んだ限りでは(※一応、著作の三分のニくらいは読んでます)、北方は現代物よりもむしろ歴史小説の方が面白い作家だと思っている。それは、現代の社会において「義」だとか「志」ということが馴染まないゆえに、ハードボイルドというジャンルではある程度その動機が絞られざるを得ないことがある。結果として、同じ作家のものをずっと読んでいけば、ある程度のマンネリ化は避けられない。 それに対し、時代物であれば、「革命」や「世直し」というのは絵空事ではないという利点がある。ただ歴史物の場合には、史実という縛りがある。例えばこの場所で死ぬと記録が残っているのならば、その場で彼は死ななければいけないのだ。その制約を踏み越えてしまえば、それは最早歴史小説ではなく、「Ifもの」と呼ばれるジャンルになってしまう。そのジレンマを解消し得たのは、元々がフィクションである水滸伝の世界を借りたことにあるのではないか。 とにかく、原作と全然違うのだ。あの『金瓶梅』のヒロイン、潘金蓮の最期など「嘘。」と言いたくなるくらいのかけ離れ方で、呆然とした。水滸伝を書いた作家はいろいろいたが、どれも原作の翻案にとどまっているのに比べ、ここまで完全に話を書き換えた話は読んだことがない。108人揃う前から準主役クラスがあっさり死ぬなど、とにかく先が読めない。面白い。 時々、女からすると「あーあ」と苦笑したくなるような女性の描き方があったりはするものの、目から鱗が落ちるような展開には正直脱帽。原作では地団駄踏みたくなるような使えない面々が、きちんと原作の属性を活かした上で生まれ変わっている。―――ただひとつ、文句を言いたいのは燕青の扱いだけ。原作だと「浪子(ろうし=「遊び人」の意)」と二つ名を持つくらいの、実にいい男なんですが……なんで蘆俊義の寵童なの……(がっくり)。伊達男で要領も良くて忠義者で、けれど最後には道を外れた主人の元から決然として去るだけの意思の強さのある彼は、原作で私の一番のヒイキなのです。なのに彼の良さが今までのところひとつも出てきてません。彼についてだけは私は厳重抗議を申し込みたい……(涙)。 と、まあ欠点がありつつも(笑)面白いので、特に原作のお話を知ってる人にはオススメ。 108人も覚えてられないよ!!という人には、原作対応『水滸伝人物辞典』(高島俊男著、講談社刊)を。定価4,800円というお値段は痛いのですが、それだけの価値はある労作。しかも一人一人にとても個人的なツッコミが入っていて、それだけでも面白い。<中国文学専攻の学者さんだけど、『本が好き、悪口言うのはもっと好き』(文春文庫)でエッセイの賞を取るなど、一般向けにも楽しめる本を書く人です。 ついでに、『水滸伝』の続編も紹介。 平凡社東洋文庫で出ている陳忱作(<多分)の『水滸後伝』全三巻。120回本で生き残った人々がジャワに集って国を築くというお話なんですが、三巻敵役で出てくる日本人が噴飯モノの設定。なにしろ関白が白い象に乗って攻めてくるのでした(笑)。確か清代末期かなんかに書かれた本だったと思うんだけど、その頃でも日本人の印象ってこんなんだったんか…という、ツッコミどころ満載な展開です。 3冊で7〜8千円するというお値段が辛いところですが(おかげで私も持ってない)、図書館に入ってたりするので、読んでみてください。鳥居久靖という人(平凡社古典文学大系の「三侠五義」の訳者と言えば、わかる人がいるかも)の訳も平易で、読みやすいと思います。 関連リンク 北方謙三『水滸伝の世界』公式サイト (身長・体重などの公式設定付…) |
| 2002/06/17 |
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