■神林 長平■
『戦闘妖精・雪風<改>』
『グッドラック 戦闘妖精・雪風』
『ライトジーンの遺産』

■神林 長平(かんばやし ちょうへい)
『ライトジーンの遺産』(上)(下)
ソノラマ文庫NEXT (1999年1月刊)
※追記:2003年5月に重版がかかり、上下巻が一冊にまとめられました。

人間の臓器が理由もわからないまま溶け出すという奇病が蔓延する世界。人々は崩壊した臓器の代わりに人工臓器を補うことで生きている。かつて人工臓器はライトジーン社の独占市場であったが、ほとんどすべての人間が人工臓器を使わざるを得ない以上、生殺与奪を一社が握るという状況は危険であるとして、各部門が複数の臓器製造メーカーへと解体された。ライトジーンの遺産―――それは人工臓器製造技術だけではなかった。完全なる人工人間、世界でたった二人だけの真のサイファ、MJとコウだ。五月湧ことMJはサイファとしての特殊能力を活かしてある人工臓器会社の専属の警備担当として生きる道を選んだが、コウ…菊月虹は社会保障番号さえもたない「自由人」として生きている。何を考えているのかわからない市警中央署第四課の課長であるしたたかな申大為、その部下であるタイス・ヴィー、そして相容れない生き方をする「兄」MJ―――人造人間という出自、そしてそのサイファの能力ゆえに、人工臓器絡みの事件に巻き込まれることも多く、また生きていく上では不本意な仕事をせざるを得ないこともあるが、コウは酒と本とを友として、日々を楽しみながら生きている―――

2003年1月現在、この本は出版社品切れである。同じ会社から前の月に出た同じ作者の文庫本の帯に「絶賛発売中」とか書いておきながらこの所業。客舐めてんのか朝日ソノラマ。とぶつぶつ呟きながらネットの古本屋で買ったこの本だったのだけれど、私はこれ非常に面白かった。というわけで、ぜひ増刷を希望する。できることなら続編も読みたい、そう思うような連作だった。

何よりも魅力的なのが、このコウという主人公だ。この話は彼の視点によって物語られる一人称のハードボイルド風の連作なのだけれど、彼は「何があっても自分は自分だ」と思っている。そして強大なサイファとしての能力を持ちながら(普通人にもサイコキネシスや読心、予知などのサイファの力を持つものはいるが、完全な人造人間たるコウとMJほどの存在はいない)、その能力をまったく特別なものだとは思っていない。「集中すればウィスキーの栓を閉めることはできるが、手があるんだから手で閉めた方が早いしラクじゃないか」という。自分はライトジーン社に造られた人間であるし、他の人間とは違う能力を持ってはいるけれど、それを素晴らしいものだとは思わない代わりに、出自を卑下もしない。そんなものがなくたって自分は自分。そう考えられる人間なのだ。彼は非常にタフな男(中年なので、それなりにくたびれてはいるのだけれど…<41歳らしい)だというが、私が彼の中で一番タフだと思うのは、彼のその心の在りようである。

その考え方が、その「兄」であり、今はコウよりも年下の女性となってしまったMJには理解できない。自分と同じ存在であったコウが、こんなに冴えないみすぼらしい存在となったことが、まるで自分自身をも侮辱するように感じている。それでも話を重ねるにつれて、少しずつ彼らは兄弟(というのも変だけど。MJは自力で若い女性に自分自身を造り変えているから←性転換とは違うらしい…)として、歩み寄りを見せていく。

MJには理解できないようだけど、私はこのコウという人はすごくいいなと思う。普通人はサイファという存在に対して恐れを抱いていることが多い。けれどその恐れに対し、彼は丁寧に説明することの煩雑さを厭わない。「そう思っているんだろう」とコウが問いかけると、相手はきまって「俺の心を読んだのか」と怯えとともに返す。「そうじゃない。サイファじゃなくたって、あんたの言うことを聞いていればわかることさ」―――そうコウが言うように、彼は多分、そんな力がない普通人であったとしても、コミュニケーション能力の非常に高い、人の感情を慮ることのできる人だと思う。その力は、出自ゆえに周囲の人間の心を窺わなければ生き延びてこられなかった経歴も関係するかもしれないが、結局のところ、コウは人間というものが好きなんだろうなと思わされる。それほどに、他の人間と他愛ない会話をするときのコウは楽しそうなのだ。

コウの趣味は読書とそして酒。上質なウィスキーだ。彼の本の楽しみ方も、濫読積読型の私からすると「ああ、私ももうちょっと本を丁寧に読まないと…」と思わず我が身をふりかえってしまうようなものなのだけど、私がしみじみと羨ましく思ったのは、彼の酒との付き合い方。「アル中ではなく、ただ酒が好きなだけだ」というコウは、酒の飲み方も上手な人だと思う。…あんまり彼が幸せそうにモルトを飲んでいるので、つい羨ましくなって私も酒屋で買ってきたシングルモルトの「タリスカー」、はっと気がつくと昨晩いつの間にか1/3が無駄に消えている…大事に飲もうと思ってたのに…ああ勿体ねぇ…(敗北感)。という人間からすると、酒に飲まれることなく、ウィスキーの芳醇さを味わうコウという人の飲み方は、手本にしたいくらいだ。こんな人と一緒に酒を飲んだら楽しいだろうな、と。<酒が減っていく時のコウの気持ちを取材しました(要するにひたすらウィスキーを飲んだ)、という著者本人のあとがきも面白かったけど。

サイファは強い能力を持っていて、やる気になれば、相手を誘導して、自分が欲しいと思うものを持ってこさせることだってできる。でも彼はそれをしない。部屋にしつこく入り込んでくる蟻を退治しようと奮闘してみたり、カビの生えてないパンを手に入れるために仕事を探しに行ったり、馴染みの古本屋で古書を運んで整理して入力する仕事で手に入れた臨時収入で上等のウィスキーを買ったり。―――人生を楽しむことの上手い人間なのだ。世渡りは上手くないかもしれないけれど、彼の目を通してみる世界は楽しい。―――そう、私は彼と友達になりたいのだ。

コウとよくコンビを組む羽目になる市警中央第四課の刑事、タイス・ヴィーもいい。第1話で新人刑事として妙に意地を張ったり、不必要にサイファであるコウに警戒心を抱いたり、するべきでない攻撃をすることで足を引っ張ったり(その結果、高い代償を払うことになるのだが)、ああもう。と言いたくなるようだった彼が、話を追うごとに刑事として練れてきて、コウの軽口に対して応酬することができるようになり、いい男に成長する。ただひとつ、事件と関係ないままに終わるコウの休日を描いた「ヤーンの声」は、友人としてティーヴィー(そう呼ばれることを彼は嫌がるのだけれど)がプライベートの顔を見せる一話。非常に読後感のいい、読んでいる私が幸せになるような一話だ。

『ライトジーンの遺産』とは、英語で書けば“RIGHTGENE's Heritage”…ライトジーン社とは「正しい遺伝子」の意。それが解体されてできた人造臓器メーカーたちの名前を冠した各話は、上巻が「アルカの腕」「バトルウッドの心臓」「セシルの眼」「ダーマキスの皮膚」、下巻が「エグザントスの骨」「ヤーンの声」「ザインの卵」。これも英語で書けばA、B、C、Dときて、X、Y、Zと終わることになる。箸休めのように嬉しくなる「ヤーンの声」のあと、最終話の「ザインの卵」は、一転してコウとMJにとって最大の危機に至る話。ちょっと辛い話でもあるけれど、その一方でコウという人間の本当の心の強靭さが示される一話でもある。終始得体の知れなかった市警中央署第四課長・申大為についても明らかになり、一応の決着を見るこの物語は、タイトルの構成を見てもこれで完結している。―――ということは頭ではわかっているのだけれど、それでも私は心の片隅で思うのだ。「またコウに会えたらいいなあ」と。続編を期待したい一作。

2003/01/19


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