■神林 長平■
『戦闘妖精・雪風<改>』
『グッドラック 戦闘妖精・雪風』

『ライトジーンの遺産』

■神林 長平 (かんばやし ちょうへい)
『グッドラック 戦闘妖精・雪風』
ハヤカワ文庫JA (2001年12月刊)

※以下の文章は、前作『戦闘妖精・雪風<改>』の結末に触れています。未読の方はご注意ください。

ジャムとの遭遇、雪風の自発的な中枢機能の転送を経て、戦闘の最中に負傷した深井零中尉は、その後三ヶ月を経ても意識を取り戻さなかった。自分の顎の痛みやシステム軍との雪風引渡しに渡る攻防も含め、上官であり友人であるジェイムズ・ブッカー少佐の悩みは絶えない。そんな折、無人機として任務にあたっていた雪風が、FAFの前線基地を攻撃した。新型のジャムであるという雪風の通信内容にとまどう特殊戦司令部。その最中に、雪風と感応した零は意識を取り戻す。人間型のジャムが既にFAFに紛れ込んでいるという雪風と零の情報は、特殊戦の戦略を転換させるのに十分な内容だった。零は、新しく着任した特殊戦の軍医、エディス・フォス大尉のカウンセリングを受けながら、再びジャムとの戦闘に復帰する。あらためて雪風との信頼関係を再構築する過程で、零はジャムについて、雪風の意識について、自分自身について考えるとともに、これまで見ようとしてこなかった自分の周囲の世界について、見直そうとしている自分を意識し始めた―――。

前作の感想をアップしたあとで、「あのラストをどう読みましたか?」というメールをもらった。私は雪風ははっきりと零を切り捨てたのだと読んでそう書いたのだが、「あれは雪風が自身と零を救うために最善の手段だったとも読めるのでは?」という示唆を受けて、改めて最後の数頁を読み直してみた。結論として、私の意見は変わらない。零はあのとき、雪風に捨てられたのだと思う。その理由は@転送が終了するまで零を機体内にとどめておいたのは、転送中に自爆の必要が生じたときに人間の手が必要だったのであり、完了後すぐに零は射出されている。この場において、零は道具でしかない。A前線基地救難隊の「遭難者の体調を知らせよ」という問いに対して完全に無回答であったこと。B任務達成率を100%と自己評価していること。確かに、必ず生還し、情報ファイルを持ち帰れというのが特殊戦の至上任務だが、この判断は乗務員の不在をなんら欠陥要素として捉えていないことを示している。―――そして、この続編『グッドラック』において、零が雪風に対して強い畏怖の念を覚えていることからも、やはりあのとき零は雪風に手痛く裏切られたと私には思われるからだ。

前作の感想を書いた時に、私はブッカー少佐の「雪風は恋人じゃない。娘だ。無理解な父親など邪魔なだけだ」という台詞をあげたのだけれど、続編を読むうちにこれは少し違っていたのかなと思い始めた。「以前の雪風は、零にとっては、自己の一部であって、他者ではなかった」……幼児虐待についての本を読んでいると、赤ん坊を殴る母親の理由として「自分を罰するため」と答えるケースがある。唐突な例で恐縮だけれど、私がこの文章を読んで思い出したのがこの事だった。零にとって、雪風は自分の一部であって、人間の為に「雪風を楯にするのもやむを得まい」と感じることさえもあった…零は雪風が自分の操作に逆らうことなど思いもしなかったのだから。なんだかこの関係って、娘の行動を無闇に掣肘する無理解な父親というより、自分と子供との区別がついてない母親みたいだわ、と。そう、零にとって、雪風が自分を捨てるなんてことは、あっていいはずはなかったのだ。

意識を取り戻したあと、雪風と向き合い始める零の姿がまた面白い。彼は雪風との関係を見直す上で、雪風が自分のことをどう見ているかという視点から自分自身を見つめなおし始め、やがてフォス大尉によるカウンセリングとあわせ、自分自身だけではなく、やがて周囲の人間にも興味を徐々に抱くようになっていく。その際、まず私が面白いと思ったのは、零が世界や人間を見直し始めるきっかけが、雪風という「他者」…それも機械である他者の視点によるものだということだった。
精神分析に、ラカンという人が唱えた「鏡像段階」という理論がある。自我の発達の過程において、人は鏡に映った自分の姿を「自己」としてとらえる。世界と自分の間に差異がない、つまり自他の区別がついていない子供がどうやって「自分」という主体の認識を獲得するかという話なのだけれど、鏡に映った自分の虚像をもって世界と自分との関係を学んでいくというのが、この話の零とよく似ていると思ったのだ、私は(<ただ、このラカンの説は私も孫引きでしか読んだことがないので、理解を間違っていたらゴメンなさい……)。その印象をますます強めさせたのが、エディス・フォスとの会話の中で、自分の気持ちを尋ねられた零が「MacProUで確かめてみたいな」と答えて「本気ではないわよね?自分の気持ちを人工知能に訊いてどうするのよ」と返されるくだりだったのだけれど。
そしてラカンの説のもうひとつのポイントが、「他者の欲望」である。幼児は「他者」―――多くの場合は母親であるが―――の欲望を充足させ、それによって自己が欲望される存在となることを欲望する―――(でいいんだよな…)、これも常に雪風の思考を読み取ろうとする、意識を取り戻してからしばらくの零の状態と似てはいないか。…これまでいつも「それがどうした。俺には関係ない」とうそぶいてきた、社会的には「子ども」でしかなかった零が、雪風をはじめとする周囲の世界との関係を再構築する……私には前半の展開がそう読めてならないのだ。これまで意識しなかった「地球」への里帰りを考えるのもそうだし、新任のフライトオフィサについて、その能力以外の性格ことを気にかけるのも。

そう考えると、前作との相違点も見えてくる。―――前作を読んだとき、私はこの戦争を「奇妙な戦争」だと思った。惑星フェアリイ上ばかりに限定される戦争、戦術ばかりで戦略のない戦争、国家の利権や思惑が絡まない戦争。そういった要素をあらかじめ排除することによってはじめて「この戦争に人間は必要なのか」という、いわば個人の頭の中だけの、哲学的な思考が可能となる。しかし続編である『グッドラック』では、FAFになぜ犯罪者同然の人々が多く集まるに至ったかという理由、軍内部のパワー・ゲーム、国家間の思惑などが姿を現し、単純に「対ジャム」だけでは済まされない雑音が聞こえてくる。雪風と零がジャムと接触した唯一の存在であるという特殊な立場ゆえに上層部の関心を惹いたというのもあるだろうが、それだけではなく、これは零の視野が広がったことと関係するのではないだろうか。

上の私の読み方の当否はともかくとして、雪風と対峙した零のぴりぴりするような緊張感(……私は読みながら「なついていると思っていたのにいきなり噛み付かれたイヌにこわごわ手を出してる子供みたいだ」と思ってました…<ま、普通は雪風にもう一度捨てられたら死ぬので、誰だって必死になるでしょうが)や、もう一度雪風に乗るために、担当医であるフォス大尉に自分の状態を言葉で納得させようとする努力―――それらの零の変化を私は快いものとして読んだ。広がっていく視界。周囲に向けて自分の言葉を発し始めた零と、向かい合う人が交わす言葉の応酬。『雪風』の世界の人々の言葉は実に明晰で、読んでいて気持ちがいい。

そう、もうひとつ前作との差異を挙げるならば、以前は心中の詳しい描写があるのは零とブッカー少佐、それに「フェアリイ・冬」の天田少尉くらいだったのだが、『グッドラック』ではより多くの人の内面の呟きが立ち現れてくる。悪夢にも似たメイル中尉のパートも印象的だったけれど、私がこの本で本当に魅力的だと思ったのは、零とジャック(=ブッカー少佐)の上官であるリディア・クーリィ准将である。『<改>』では、二人に「婆さん」呼ばわりされる彼女は何を考えているのかわからない―――むしろ二人に難題を与える厄介な上官だった。それが、物語も大詰めに向かう辺りから、彼女はしたたかな内面と、パワー・ゲームに左右されない強い意志と野望を見せ始め、「特殊戦」という部隊が実は「彼女自身」だったことを示す。特殊戦の最大の難局にあたって「必ず帰還せよ。これは私の要望ではない。命令である」と言い切った彼女はかっこよかった―――まさに特殊戦の指揮官たる面目躍如、である。彼女が何歳でどんな容貌なのかはどこにも書いてないけど、そんなことは関係ない。彼女は私にとってとても魅力的な女性だ。

話がそれたけれど、私はやはり雪風は前作のラストで零を捨てたのだと思う。その雪風にもう一度零を必要とさせたのは、人間をターゲットに含めたジャムの戦略の転換によるものだ。地球側の機械知性体たちが不要な存在として切捨てる方向に向かいかけた人間を、逆にジャムの方こそがコピー人間を作ることによってもう一度戦闘の場に据えたということも面白いけれど、その過程で再び零を必要とした雪風が彼に話しかける短いメッセージがとても素敵だった。ギリギリの簡潔な英文で綴られる雪風の「意思」。滑らかに人間の言葉に変換された長い台詞よりも、むしろよほど直截的なメッセージ。そこに込められた「機械」の感情を思わせる言葉―――そこには生まれ変わった零と、新しい機体へと進化した雪風の間に再構築された信頼関係がのぞいている。いいな、と思った。そしてその信頼関係が向かうラスト―――一面に敵を感知して赤く染まる地図、機械の欺瞞なのか、味方と敵の区別さえもつかなくなった混乱のただ中にある戦場―――読みながら私は背を押されるように急いていて、けれど同時に一気に読み終えてしまうことへの躊躇いをも覚えていた。この世界から離れるのが惜しかった。この続きを読みたいと思いながら―――けれど、この続きは各人の心の中にあるのがいいのかもしれない。形になってひとつに定まってしまうよりも。最後の一行を読み終えて、私は本を閉じる。―――脱帽。


2002/11/01

読み終えた興奮が冷めないうちにと感想をアップしてみたのですが…
全然言葉がまとまりませんでした。
でも本当に面白かった。
今まで読んでなかったのが勿体ないくらい。

しかし既知の理論と既存の言葉を借りてしか、
「面白かった」という感想が語れない自分が悔しいです…
一度エディス・フォス大尉にMacProUで診察してみてほしい…(笑)


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