■神林 長平■
『戦闘妖精・雪風<改>』
『グッドラック 戦闘妖精・雪風』
『ライトジーンの遺産』

■神林 長平 (かんばやし ちょうへい)
『戦闘妖精・雪風<改>』
ハヤカワ文庫JA(2002年4月刊)
※1984年2月に刊行された原書に加筆されたもの。

 南極大陸の一点に超空間<通路>はある。その存在を人類が認識したのは、三十年前にジャムと呼ばれる異星生命体が地球へと侵攻してきたときだった。地球側は、地球防衛機構を設立、南極と通路がつながる惑星フェアリイに基地を作り、ジャムの侵攻を食い止めることになる。惑星フェアリイに設けられた地球防衛機構の主力・FAF(フェアリイ空軍)最強の戦闘機「シルフィード」。そのなかでも戦術偵察用に改造され、高度な電子頭脳を搭載された十三機によって編成されたFAF・特殊戦第五飛行戦隊は、通称「特殊戦」と呼ばれ、特殊な任務に就いている。彼らに課せられた任務はとにかく情報を収集して帰還すること。至上命題はとにかく「情報ファイルを守って基地に生還すること」であり、たとえ僚軍が全滅しようと、それを援護する必要はない。その過酷な任務ゆえに、搭乗するパイロットは非情であることが求められる。目の前の機体が撃墜されようと、それに心を動かされるような人間ではダメなのだ。
その特殊戦に属する三番機、パーソナル・コードネーム「雪風」。彼女を操るパイロット・深井零少尉が信じるものは、ただ一人の友人であり、上官でもあるジェイムズ・ブッカー少佐と、そして愛機・雪風のみ。過酷な任務に就き、何度も傷つきながら、正体の見えないジャムと戦い続ける零は、いつしかこの戦争における“人間”の意味について、考え始めるようになる―――。

 私はとにかくSFと呼ばれるものが苦手である。まずカタカナがダメ。人の名前が覚えられない。理系の成績もどん底だったので、それっぽい説明が出てきただけで思考停止。ましてそれが翻訳ものだったりすると完全に読む気力が失せる。<カタカナがダメなのでファンタジーも敷居が高い…というか、ほとんど読まないうちに挫折する。

 こういう人間でも読めるSFというのはきわめて貴重だ。まず文章がとても平明であること。巻末の「雪風<概説>」という機体の機能の辺りは理解を諦めてきれいさっぱり飛ばしたが、それでもなんとかなる。とりあえずある日突然に通路ができて、ジャムっていう正体不明の異星からの敵が攻めてきて闘ってるのね、ということだけわかれば、なんとか最初は読み始められる。すばらしい(<ついでに主人公の名前が漢字であることもポイント高い)。…星雲賞を受けていることからも、SF読者たちから高い評価を受けているらしいが、私みたいな人間でも読める辺り、きっと読み手によって多様な読み方のできる本なのねと私は(勝手に)思った。

 続編の『グッドラック』をまだ読んでいない時点で感想を書いているのだけれど、文庫『グッドラック』の裏表紙には「人間と機械の相克」とあった。辞書によれば、「相克」とは「相いれない二つのものが、互いに勝とうとして争うこと」である。そうだろうか。私が読む限り、これは「機械による人間の疎外の物語」だ。気候の厳しい惑星フェアリイにおいて、脆弱な人間は機械なしでは何もできない。ここで機械に見放されたら、人間はどうしようもない。闘うことはおろか、生存することすらも、機械に依存しているのだから。

 特殊戦のパイロットたちは、非情な人間たちの集まりだという。その中で主人公として描かれるのが、雪風のパイロットである深井零中尉だ。だが彼はほんとうに非情な人間なのだろうか?本編の中ではなく、短編の扉に記された短い文章によって、彼が本当は冷たい人間なのではなく、地上での辛い経験によって殻の中に閉じこもってしまった人間であるということが示唆されている。……彼はただ、自分と関係のない人間たちを、尊重するに値する“存在”だとは見ていないだけのことだ。その証拠に、彼は初めて任務をともにする相手であっても、認めた相手―――ただ一人といっていい友人・ブッカー少佐や、任務の途中で出会ったトマホーク・ジョン大尉、ヒュー・オドンネル大尉たち―――であれば、ちゃんと会話を成立させ得ているのだ。ただ僚軍機であるというだけで無闇に自分の仲間だと思わない、ただそれだけのこと。徹底した個人主義ではあるかもしれない。…でもそれって、「非情」とは違うのではないだろうか?私たちの周囲にだって、そんな人間はいくらでもいる。仲間や自分と利害関係のある人間以外の視線を気にしない、電車の中ですれ違う人々の中にだって、そしてそう思う私の中にも。

 この物語は、すでに人間を必要としない機械に恋着した人間の悲劇なのだと私は思う。その状況をもっとも端的に示しているのは、零に対するブッカー少佐の台詞だ。

「雪風は恋人ではなんかじゃない。娘だ。…(中略)…おまえはいずれ、雪風にとって邪魔者になる。無理解で馬鹿な父親など無用だ」

 私にとって興味の対象は深井零中尉よりも、むしろジェイムズ・ブッカー少佐にある。ストーリーの大半は、雪風とともに飛ぶ零の視点で語られていくのだけれど、彼の「戦争に人間は必要なのか」をはじめとする数々の問いは、結局のところ、愛機・雪風との関係への不安の延長だ。それに比べて、ブッカーはより複雑な感情を抱えているようにみえる。元戦闘機乗りとしての自負。出撃管理担当として、友人である零を含めたパイロットたちを、帰還しないかもしれないフライトへ送り出さなければならない苦悩。彼らの生還を待つ間の不安。理不尽な上官からの命令に対する諦観……けれど彼はそれでも毎日の職務に潰されることなく、自分の懸念を実名でジャーナリストに訴えようとする強い意思と、なによりも広い視野を持っている。死地に送り出したパイロットたちを案じながらも、同時にジャムという敵を前に非人間的になっていく人間への危惧をも抱き、有人機の開発を主張する。…実に矛盾に満ちていて、魅力的だ。そしてこの人は公平だし、温かい。私は彼が大好きだ。

 元々が彼のような温厚なタイプというのは私の好みではあるのだけれど、ブッカーという人を印象づけたのは、零のほとんど出てこない「フェアリイ・冬」という短編である。好きと言い切ることもできないが、この本の中で一番心にひっかかる話を選べと言われればこれだ。

 犯罪者同様に地球で食い詰めてきた人間が消耗品同然に使われる除雪隊。資材はぼろく、給料は安く、使い物にならない人材として他部隊からさげすまれる存在。寒さの中で待機させられる身としては、飲みながら仕事をするしかなく、身体はとうに酒でぼろぼろ。そんな隊の平凡な一員であったはずの天田守少尉(<惑星フェアリイ勤務としては最底辺の階級)が、突然勲章を授与されることになった。それも英雄に与えられるはずの最高位の勲章が。本人はおろか、授与する司令官たちですら何故彼に与えられることになったのかわからない。周囲からは孤立し、間違いで勲章を得た男と蔑まれ、ますます酒に溺れた彼は、偶然出会ったブッカー少佐―――はじめて出会った自分を公平な目で見てくれる人間―――に、何故自分に勲章が与えられたのか調べて欲しいと依頼するが―――。

 読み始めたばかりの頃、奇妙な物語だと私が首を傾げたのは、敵であるジャムがどんな存在であるかまったく言及されないことだった。読み進めるうちに、そもそもこの世界の人々が実態のジャムと遭遇したことがないのだとわかるのだけれど、正体が見えないがゆえに、そこに関わる人間たちの思考はより内側へと向かう。この戦争に果たして人間は必要なのか。この戦争はいったい誰のものなのか。零の思考に引きずられるようにして、読者である‘私’もその思考への道筋を辿ることになる。

 その‘私’の思考の道筋は割愛するけれど、このフェアリイという惑星での戦争は、私が地上で知る限りの戦争とは様相を異にする、いわばこの惑星の上だけで完結する戦争だ。戦略ではなく、ひたすらに戦術ばかりが描かれる戦争。そこでは「戦争に人間は必要か」という命題は、雑音を排したきわめてシンプルな問いとなっている―――その戦争の中にいる「人間」は、「有権者」でもなければ、人道的ヒューマニストたちが言うところの「地球よりも重い生命」でもない、単なる「人間」だからだ。

 そう考えたとき、脆弱で間違いの多い人間という存在は、機械の正確な判断と耐久性からすれば、邪魔になるだけなのかもしれない。けれど、ここで不要だと答えてしまえば、じゃあこの戦争で死ぬ人間とはいったいなんなのだという問いへと行き着く。無意味だとすれば、ここに存在する自分自身の意味さえも否定されることになる。それでは人はなぜここにいるのか。‘零’の感情に取り込まれながら、ぐるぐると巡る思考に決着をつけられないままの‘私’という読者をよそに、この物語は結末を迎える。

 冒頭にも書いたとおり、私はこの物語を「機械による人間の疎外の物語」と読んだ。それにも関わらず、機械に恋着した人間が零、逆に機械に危惧を抱いたのがブッカー少佐であり、「フェアリイ・冬」は、この物語のテーマを示す短編だと思っている。だから‘私’はこの人間を突き放すような結末を(‘零’に同調したわずかな痛みとともに)当然の帰結だと思う。―――けれど同時に、その「当然の帰結」にあがいて、人の居場所を作り出そうとするブッカー少佐を愛しく感じるのだ。

 私は普段、あまりものを考えずに本を読む人間だ。読み捨てというのに近い。…けれど、この本では零やブッカーの思考に引きずられるように読みながら考えていた。‘私’ならこう答える。‘私’はこう考える―――それは彼らの問いが内省的で(これほど戦闘シーンが多いにも関わらず)、かつ曖昧さがないからだ。

 単純に「面白かった?」と一言で訊かれて「面白かったよ」と返事はできないかもしれない。SFを読み慣れている人の読み方とは違うかもしれない。でも、私は私なりに楽しんで読んだ一冊です……感想を言葉にするのは難しかったけれど(笑)。<やたら「私」という言葉が出てくるのはそのせいかもしれません。
2002/10/27

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