| ■伊野上 裕伸 (いのうえ ひろのぶ) |
| 『火の壁』 文春文庫 (1999年8月刊) |
| 損害保険調査員である相沢は、依頼を受けてある火災事件の調査を開始した。対象は群馬県の霧生市に住む樋川征治。この男は十年間で五度の火災に遭い、そのたびに保険金を得て自分の経営する鮨屋を大きくしてきているのだ。誰に訊いても、樋川という男の店の経営はうまく行っていない。周囲では、店がヤバくなると火事が起きるとの評判で、新しい店の再建については、町内会が地主に再建を拒否するよう署名を集めるほどの嫌われようだ。損害保険会社としては、素直の保険金を支払えるケースではなく、悪質な放火常習の疑いが濃い。そして相沢には、ただそれだけでないこの対象への思い入れがある。かつて仕事を指導してくれた中井という腕のいい保険調査員が、彼の前回の火災の調査を最後に失踪しているのだ。尊敬する先輩であるというだけでなく、かつて自分が好きだった女性がその妻となっている。この火災はやはり樋川の手によるものなのか、そして失踪した中井の行方は―――。 サントリーミステリー大賞読者賞受賞作、リスクマネジメント学会文学賞受賞作。 まず最初にマイナス点を挙げると、この人の書く女性に私は魅力を感じない。だからのっけから、調査の過程で会いに行ったスナックのママに吸引力を覚える云々の描写は、私には「なんで?」と思った。どうも曖昧で、いったいどこらへんに惹かれるのかがちっとも伝わってこないのだ。というわけで、私にとって、この主人公とかつての恋人のやりとりの辺りは、実はかなりどうでもいい。 しかし、ラストの辺りはかなり面白く読めた。法廷での弁護士の追及の辺りは、さすがに長い間実際に損害保険の調査人をやっていたという作者の体験が活きているのか、よくできていると思う。またその前にも、相沢が調査の対象者である樋川と1対1で、出火当時の状況を訊きに行く場面があるが、そこでの目のつけどころというのも、実務で培った経験なのだろう。実際に店がどういう経営状態にあったのかを計算する為に、何を訊かなければいけないのか、こういうことから導き出すのか…というのが判って、結構真剣に読んでしまった。この辺り、細部のリアリティが読ませる一冊だ。 そして、何よりもこの樋川という男が怖い。どう考えても、十年間で五度の火災は多過ぎる。そのたびに自分が手を焼く権利関係を整理し、かつ大金を手にしているとなれば、誰が考えても疑わしいのは間違いない。けれどそのような状況で、嫌われながらも自分が育った街から離れようとしない…しかも客商売を続けていけるというその神経。都合の悪いことを追究されるとすぐにキレかけるという激しい感情の起伏。こんな人間が自分のすぐ近くに住んでいたら……この街を出ていって欲しい、あの男が火事で得をすることなんかあっていいはずがない。けれどそう口にすることで、今度は自分の家に火をつけられるかもしれない……怖くて口をつぐむしかない。事件の背景として、かつては廓だったという街の成り立ちやそこでの人間関係も描かれているけれど、私には何よりも炎に魅せられた男の狂気が怖かった。 損害保険絡みの怖い話といえば、出色なのが貴志祐介の『黒い家』(角川ホラー文庫)。超常現象がない分だけ、余計に怖い。<この作者も、元は保険会社勤務。被保険者の死亡それ自体を支払事由にする生命保険と違い、損害保険は「偶然かつ外来の事故」によって保険金を支払う。それゆえに、自殺であれば支払われないし(生命保険はほとんどが契約後一年を経過していれば支払われる。最近は一年経過直後の自殺が著しく増加しているので、二年以上とする会社もあるが)、損害の査定が重要となってくる。就職活動中の私は、この本を読んで損害保険会社に履歴書を出すのはやめた。<友達で自動車保険の損害査定の仕事してる女の子がいるけど、やっぱりキツいらしい…。 他に同じような職業の男を主人公にした小説として、ドン・ウィンズロウの『カリフォルニアの炎』(角川文庫)も面白かった。ウィンズロウといえば創元推理文庫の『ストリート・キッズ』シリーズが代表作だけれど、単発のこちらもお薦め。ほろ苦い結末はいかにもこの作家らしいが、癖のある登場人物たちといい、火災損害鑑定人としての細部に渡る細かな描写といい、楽しめる一冊だと思います。 |
| 2002/08/03 |