■本多 孝好 (ほんだ たかよし)
『ALONE TOGETHER』
双葉文庫 (2002年10月刊)

かつての恩師は、三年ぶりに会った僕に「ある女性を守って欲しいのです」と伝えた。三年前、僕は入学して三ヶ月で医大を辞めた。そのわずかな在籍期間、たった一度だけ授業で言葉を交わしただけの僕に。脳神経学の権威とされ、次期学長とも噂されていた笠井教授は、今は殺人者として告発される身だった。自殺を図った入院患者を死に至らしめたのだ。彼はそのことについて口を閉ざし続けている。そんな彼が守って欲しいと依頼してきたのは、十四歳の女の子―――彼が殺したとされる女性の娘だった。僕は断らなかった。知りたいと願い続けてきたことの答えを得られないまま医大を辞めて以来、僕は不登校の中学生たちを受け入れる塾で働いている。そこにやってくる中学二年生にして街のトラブルシューターのミカちゃんや、バイト仲間で恋人未満の熊谷、塾の経営者である渡さんたちとの日常の合間に、僕は教授に依頼された女の子…立花サクラと関わりを持ち始める―――。

―――これは「呪い」の物語だ。

本多孝好という名前は、「このミステリがすごい」のランキングで国内作品10位の前作『MISSING』の書名とともに目にしてはいた。手に取るのはこの本が初めてだったけれど、一読してその透明感のある文章とはうらはらにシビアな内容に驚いた。

数年前、人並みにいろいろあって疲れていた私は、カウンセリングでも受けてみれば少しは楽になるものかと大学の診療所に足を運んだ。……結局のところ、ここなら受けてもタダだと思ったからだ。金を払ってまでは行かなかっただろう。結果として、私のセコい計算はともかく(いやその不埒な考えのせいか)、私の喋る言葉はちっともカウンセラーには届かなかった。もどかしさとわずかな失望とともに私が覚えたのは、「結局この人にはわからない」という奇妙な安堵だった。それでも言葉にしてみれば気持ちの整理になるだけ少しはマシで、鏡に向かって話すよりは寂しくないと思ったから、私は何度か彼のところに通った。―――この本を読みながら、私はあの時の自分の感情を思い出す。

もしもその鏡が、自分も知らない本当の感情を引きずりだす力を持っていたらどうだろう?鏡に映る姿は自分自身と同じだ。自分に嘘をつくことはできない。意識していない本音が口からこぼれだしていくのを止めることはできない。白日にさらされた正視したくない思いを、鏡はさらに容赦なく糾弾する―――声高な叫びによってではなく、冷静な論理をもって。一度気づいてしまえば、もう自分自身を騙すことはできない。―――その告白を強いる行為を、鏡に映る人だけではなく、鏡自身すらも止めることができないとしたら。それがこの本に描かれた「呪い」だ。

「透明感のある文章」という裏表紙の売り文句は嘘ではない―――と私も思う。なんというか、この作家の書く人々は汗の臭いがしないのだ。もう少し違う表現をすれば、欲望が感じられない。物欲だとか出世欲だとか…そういった強い感情や欲望が感じられない。普段私が殊更に感情過多な本ばかり読んでいるせいかもしれないけど。私は別にそれが悪いと言っているのではない。ただ最近そういう作家が増えてきたなと思うばかりだ。<何しろ私が読む本、古い本や年輩の作家が多いので…私が旧世代なのかもしれないけど(苦笑)。
ただ驚いたのは、その文章の印象に比べて、そこに描かれた言葉があまりにも辛辣だったからだ。私がこれを読んだのは、ゆっくりと走る電車の車窓から朝の日差しがのぞける気持ちのいい休日であったけれど、正直私は少し固まった。決してただ甘い結末を提示したりする作家ではない。そこに覗けるのは一抹の救いかもしれないが、万人を幸せにするような結末など存在しないのだ。

この物語で「呪い」に対置されるのは「祈り」だ。けれど私は疑問を抱く。軽い呪いを発するのにたいした労力などいらない。<現に私は毎日通勤ラッシュの中で呪いの言葉を呟き続けている(レベルの低い呪いだが)。しかし祈りはそんなに簡単なものなのか。「僕」は言うだろう、僕自身と大切な人の為に祈ることで精一杯なんだよ、それ以上は僕の手に余るんだ、と。けれど私は疑問を抱く。じゃあ彼のその祈りから洩れた人々はいったいどこへ行くのか。終盤近くで語られる、この物語で彼が関わった人々の現在……それを聞いてもまだ祈ろうと思う、それが彼の強靭さなのかもしれないけれど(私なら、メフィストフェレスのようにつきまとう男の声に負けてすべてを投げ出してしまいそうだ)、それは最後まで私の心に棘のように残った。単純にいい話、めでたしめでたしで終わらないのはそのせいだ。

ミステリではあるけれど、これはトリックや犯人を捜す物語ではない。日常の理屈では答えの出ない現象もある(何しろこの「力」自体が特殊能力だし)。むしろ、その人の心の中に潜む真意こそが解かれるべき謎なのだ。

読了後、前作『MISSING』(双葉文庫)も読んでみた。短編集ではあるけれど、淡々とした主人公たちの語り口は変わらない。私がこれまでに読んだミステリの中で一番近いと感じるのは藤原伊織の描く主人公たちだろうか。藤原作品はどれも何かに挫折し傷つき、その後世間から一歩身を引くようにしている男が語り手となる。それゆえに少し世の中の動きや人の欲といったものを突き放して醒めた視線で見ている……そんな感じ。この本多孝好という作家の描く人々は、挫折云々以前にそもそも物欲一般が乏しそうだなというのが私の感想だけど。
最初に読むには『MISSING』がお薦めかも。私の好きな話としては、崖から飛び降り自殺を図った教師を助ける少年の話、それに子供の頃に死んだ妹の名を名乗り続ける女の子“幽霊ちゃん”と出会った兄妹の話二編。―――涙腺が緩い人は、外で読む時はご注意を、とだけ言っておきましょう。

最新作『MOMENT』(集英社刊)も、他の二冊を気に入った人ならお薦めできる内容。病院で死を間近に迎えた末期患者たちの間で囁かれる、たったひとつだけ願いをかなえてくれる「仕事人」の話。その噂に関わってしまった苦学生のバイト清掃夫「僕」の視点で綴られる、重い病を抱えた人たちが心に抱く悩み。淡々とした文章の下で、死の匂いの濃い話を書く人だなと私は思ったが、その中で秀逸だと思ったのは、第三話の「FIREFLY」。乳癌が再発した三十歳の女性の孤独は怖いくらいだった。―――いずれの依頼人も一筋縄ではいかない「願い事」をする。少し残酷で、でも優しい物語だ。

2002/11/17

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