| ■帚木 蓬生 (ははきぎ ほうせい) |
| 『ヒトラーの防具』(上)(下) 新潮文庫 (1999年5月刊) ※単行本時の『総統の防具』を改題 |
ドイツで行われる学会に参加するにあたり、私はドイツに駐在している大学時代の後輩に連絡をとった。後輩の在籍する商社が肝煎りとなってドイツで剣道場が運営されていることを知っていたからだ。ドイツ人たちと剣を交えたのち、旧東ドイツから参加している男から奇妙な話を聞く。ベルリン経済大学に剣道道具らしきものが存在するというのだ。興味を抱き同大学を訪れた彼らが目にしたものは「贈ヒトラー閣下」と書かれた剣道の防具一式と、日本語で書かれた大量の手記だった。いったいいかなる経緯があって剣道の道具がここにあるのか。「私」と後輩である駐在員は、その手記を借りて読むことで、ある一人の軍人のたどった数奇な運命を知ることとなる―――。 1938年春。香田光彦中尉は、駐独陸軍武官補佐としてドイツに送られ、その際に自らも属する大日本連合青年団が防具を贈呈する際の通訳として、ヒトラー総統と対面することとなった。まだ陸軍士官学校を卒業していくらも経たない若輩が、日本の同盟国であるドイツの武官補佐という重要な役目を与えられたのは、彼が日本人の母親とドイツ人の父親との間に生まれた日独ハーフであり、ドイツ語に堪能であることを見込まれたことによる。当初は素直に“偉大なるヒトラー総統”と対面する栄誉に浴したことに感激していた彼は、ドイツに傾斜する大島武官、逆にドイツへの警戒心を強める東郷大使といった上司たちと接し、また一足先に渡独し精神科の医師として勤務していた兄からナチスドイツのやり口を聞くにつれ、またドイツの中でもナチスに対し批判的な意見を持つ大家のルントシュテット夫妻らと交流を深めるうちに、今のナチスのあり方、そしてそれに追従する日本の行き方に対し、懸念を抱き始める―――。 最近何冊か立て続けに読んだ作家の本。現役の精神科医にして作家である彼は、東大の仏文科を卒業したのち二年間テレビ局に勤務、ADの仕事に見切りをつけて受験しなおし、九大の医学部を卒業したという変わった経歴の持ち主。最初に文学賞に入賞したのは1970年代とキャリアは長いながら着実な執筆ぶりで、多作とは言えないものの、ここ数年で吉川英治新人賞、山本周五郎賞、柴田錬三郎賞に輝いている作家である。 私は最初に読んだ『閉鎖病棟』(山本周五郎賞受賞作)が精神科病棟で起こる殺人事件を描いたものであった為、医師という経験を活かした医学ものが多いという印象を抱いていた。事実、書店に並ぶ本の多くが医療関係者を主人公としたものが多いのだが、その一方で戦後生まれながら日中戦争以降この国がたどった歴史にも深い関心を寄せており、この『ヒトラーの防具』もその興味が結実した作品のひとつである。 現存するヒトラーに送られた実在の防具を手がかりに紡がれたこの小説を、日本の陸海軍史に興味を持っていなかった一年前だったら手に取ったかどうか。1945年のドイツの敗戦に至るまで続くこの手記が始まるのが1938年、日中戦争の始まった翌年であり、日本は日独伊三国同盟の成立を境にして戦争へと傾斜していく。香田中尉の最初の上司である陸軍武官が大島浩という同盟成立の立役者、東郷大使は対米開戦時の外相として戦犯容疑に問われた人、その他にもちらりと顔を出す軍人たちが豪華だわ……などと大使館付武官リストなどひっくり返して読んでいる私のマニアな趣味(主人公が陸士46期てことはあの人の同期なのねvとか…)はさておき、この作家の文章は非常に読みやすく、主人公の香田という青年も読者にとって共感しやすい素直で誠実な人柄。この辺りの時代に予備知識がなくても読むのにさほど苦労はいらないと思う。 ネットでいくつか見た書評の中には、東郷大使が述べた「各国が誇るべき伝統文化がある、たとえば日本には天皇制」といったようなコメントに対し、「日本に対して甘すぎる」と拒否感を示しているものがあった。戦後の人間としては、もっと相対的な視点を持つべきだというものだったが、私はそうは思わない。この小説が第二次世界大戦下のドイツで過ごした一人の軍人の手記を基本として成り立つものである以上、戦後の視点を持ち込むことはむしろ逆にこの物語を歪めることになるだろう。未来の史観をもって自分の生きる時代を眺めることができる人間がいるとすれば、それは化け物―――『蒲生邸事件』(@宮部みゆき)で言われるところの「まがいものの神」だ。正直なところ、私はこの物語の主人公が陸軍士官学校を経てドイツ駐在武官補佐という経歴にしては、あまりにも軍から自由であり過ぎる視点を持っていると感じているくらいなのである。その説明としては、彼が日独の混血であることと下村湖人の大日本連合青年団に参加していたこと、そしてドイツで精神科の医師として働く兄の存在などがあるのだろうが……手記パートで書き込むのならこの点だったと思う。あるいは批判するとしたら、この「現代」と「第二次大戦末期」という入れ子構造の物語で、ベルリンで見つかった手記の器となる部分……手記を発見する「私」のパートが薄いところではないだろうか。彼が医師であるということは冒頭で明らかにされるが、香田大尉の数年にわたる滞独の手記を読んだ彼自身の物語があまりにあっさりとし過ぎているという憾みがある。あくまでこの小説のメインは香田大尉の物語なのだろうが、それを現在につなげるはずの彼が狂言廻しに徹しすぎているというか、最後まで彼自身の顔が見えてこないことが残念だ。 香田が自分を「僕」と称する手記の部分と三人称になる部分が混在している点など(読みやすさを考えての意識的な書き方なのかもしれないが、「私」がどの程度まで手記から情報を得ているのかがわかりにくい)、全面的に諸手を挙げて絶賛するわけではない。けれどこの作家の本は、物語の背に一本筋が通っていると思う。私はヒューマニズムという言葉は便利に使われすぎている気がして好きではないのだが、この作家の視点の温かさは好きだ。初期中編集の『空(くう)の色紙』では言葉の生硬さ(あまり救いのない二作目、三作目の純文学っぽい物語の結末も含めて私は好きだけど)が目立つが、その後の医学サスペンス風の作品を書く過程で文章も話の展開もずっと平易なものになっている。その視点の温かさ、わかりやすさを「甘さ」と取るかどうかは読み手次第かと思うが、私は評価する。正直言って私はあまりに救いのなさ過ぎる話は好きではない。現実だって薔薇色ではないのに、わざわざ金払って落ち込むような暗い一方のフィクションを読む趣味はないし、読むだけでうんざりするような汚い言葉を目にしたくもない。そういった意味で、この作家の書く内容は安心して読める。勿論、背景となる時代が時代であるだけに、物語の内容は甘いばかりではない。それでも一人のごく普通の青年が迎えた最後の決断を、おそらくこの上下巻の物語をたどってきた読者なら許容することができるのではないか。 このあと、気になる作品としては、敗戦後に国家から断罪される憲兵を描いた『逃亡』と、ぐっと時代はさがって大仏造営に駆り出される工夫を描いた『国銅』辺りか。いずれも上下巻にわたる大作ではあるけれど、追われる側、使われる側に視点を置き、一貫して“弱者の物語”を描くこの作家をしばらくは追いかけてみたいと思っている。 |
| 2003/12/01 |
| Cloister Arts |