■浅田 次郎■
『天切り松闇がたり』
『シェエラザード』

『あやし うらめし あなかなし』

■浅田 次郎 (あさだ じろう)
『あやし うらめし あな かなし』
双葉文庫 (2008年12月刊)

その男女は、月のない真冬の暗い山道を二人っきりでのぼってきたのだという―――赤い帯揚げで手首を互いにしっかりとくくりつけたまま。
夏休み、布団の中で怖い話をとせがむ子どもたちに対して、年の離れた美しい伯母が語ってくれたのは、彼女が幼い頃に奥多摩の山頂にあるその神社にたどり着いた恋人同士の話だった。帝国大学の学生と、まだあどけない遊女との不釣合いな二人は、親に認められないままに死ぬ場所を探していたのだった。神主である祖父は諄々と若い二人に道理を説いたが、結局その二人はその夜―――子どもたちの教育上、ふさわしいとは思えない話だったが、きっとあの伯母は多くの従兄弟たちのなかでたった一人、私だけに向けてその物語を語ったのだと思う。それは私だけが、夫と別れて夜の酒場勤めをしながら私を育ててくれる母を通じて夜の世界を知っていたからだ―――

怪談が好きだ。そのなかでも好きなのは、本を閉じて夜灯りを消してから、しんと怖くなるような怪談。
ただ怪物がガバッと現れるようなのはつまらない。そんなのはしょせん、物理的な恐怖にしか過ぎない。怖いのは人の心だと、そう思わせてくれるような怪談が好きだ―――それさえ見せてくれれば、むしろ超情現象なんかなくたっていい。すっきりした終わりなんていらない。
そして、目を閉じたあとで、その怖い話がありありと瞼の裏に浮かび上がるような、そんな豊かな情景描写があれば完璧だ。

結局、怪談の怖さというのは、私の心の中で浮かび上がりさえすればいいのだから。
『新・耳袋』のような実話系の話もありますが、私はやっぱり物語としての怪談が好きだ。

さて、この『あやし うらめし あな かなし』。 七編の怪談をおさめた短編集である。
そのなかでも私にとって白眉は、なんといっても冒頭の「赤い絆」。大正年間、なにひとつ灯りのない奥多摩の山道を闇夜にはぐれることがないようにと手首をくくり、抱き合いながら霊廟にたどりついた二人。その手首には赤い帯揚げ―――二人が吐く息の白さまで見えるような情景に、いっぺんで心惹かれた。
実は浅田次郎の母方の一族は、本当に奥多摩の神官なのだそうで、この話も子どもの頃に聞いた話がもとになっているのだとか。ただその話をなぞるだけではないのは、この短い怪談が入れ子構造になっていることからもわかるのだけれど。結末が読者に残されているところも怪談として素敵だ。古い、美しい言葉があてられているところも。

二作目以降の怪談は一本ごとにがらりと趣を変えるのだけれど(本当に怪談らしい「客人(まろうど)」と、ユーモアのなかにほのかに悲しい「昔の男」が私は好き)、最後の一本、「お狐様の話」になって、舞台はまた奥多摩の神社、伯母の少女時代へと戻ってくる。
「赤い絆」も「お狐様の話」も、いずれも本当に浅田次郎の母方の実家に伝わっている話なのだと、巻末の自作解説で語られていました。いずれはその奥多摩の神社を舞台にした「遠野物語」のような怪談集をも出したいとのこと。いいなぁ、それ、ぜひ読んでみたい。

2009/01/12

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