リヤルなお伊勢さんに行きたい。
七之助目当てで映画『真夜中の弥次さん喜多さん』を観てからずっとそう言ってたら、「連休で遊びに来ませんか」と誘っていただいた。10月8日から10日の三日間を利用して、蒲生氏郷の城下町を眺め、本居宣長記念館に行き、伊勢神宮にお参りする、日本の文化に触れる旅です。
と言ったら、「日本の食文化に触れる、の間違いだろう」というメールが来た。……くっ。あながち外れていなくもない。<松阪牛、食べるつもり満々です。
関東組の秋芳さん、せのおさん、らんさんと私で新幹線を揃え、名古屋駅で待ち合わせ。さすが連休、四人一緒のボックスで指定席は押さえられませんでした………それにしてもおなかすいた。お昼は松阪の牛丼の予定です。もったいなくて朝の弁当なんて買えないわ!
「でもビールと水割りは買ってくるんだね、アネゴ……」
うん。だって、これは別腹だから。
十時半過ぎに名古屋で全員合流して、今日の目的地・松阪に近鉄線で向かいます。こちらで今回案内してくれる、ていくさん・げしょさんと合流。人数多いので、二台車を出してくれたのです………感謝!
せっかくの連休なのに、空はあいにくの雨模様。明日のお伊勢さんには回復するといいんだけどねーとか言いながら、お昼を食べる予定の「牛銀」に向かってぷらぷら歩いていく。このお店は松阪でも屈指の老舗だそうで、街のあちこちに看板で「牛銀 ココ曲ガル→」という看板が下がっています。
「ああびっくりした……『牛娘』かと思っちゃった……」
崩し字なので、ぱっと見、そう読めたのですよ。ウシムスメって直接的な名前だよね……(そんな昔の見世物小屋みたいな<それは蛇娘)。

それはともかく、小雨の中を「三井家発祥の地」(三越の前身の呉服商)だとかの前を歩いてるうちに、「牛銀」到着。あみ焼き・すきやきは座敷(牛銀本店)で、わたしたちは洋食部の方なので、外の大きな傘の下で順番待ち。ちょうどお昼どきなので混んでます。せっかくなので、お座敷の方のメニューを観に行く。
「いちばん安いメニューで7,350円、あみ焼き&すきやきセットで30,000円……」
さすがだ松阪牛。こっちの「洋食屋牛銀」も「ステーキ 23,000円」とかだし。でも初志貫徹、わたしは今日は牛丼を食べます。待つことしばし、出てきたのは東京でのいわゆる牛丼ではなく、牛肉の卵とじの乗った丼。上品なお出汁の味で美味しいです。あと秋芳さんにつきあってもらって、牛肉のお刺身もオーダー。こちらはしょうが醤油で頂きます。旨。ちなみにお値段は、牛丼(上)1,300円、お刺身は5切れで2,100円也。
「もーこんだけ食べたら、松阪牛食べたって言っていいかなー」
「いいと思うよ……お刺身、旨かったねえ」
またてくてく歩いて、次の目的地は「松阪商人の家」。木綿と呉服で発展した松阪の、当時の豪商の家が保存されているのです。全国の豪商番付でも関脇くらいにつけていたという小津家の家。火事を防ぐために地中に埋められた青銅の「万両箱」は重さ200キロだとか……千両箱が十個入るから万両箱。一両って今の貨幣価値に直すと10〜15万くらいですか。ほんとにお金持ちだ……そして千両箱って意外にちっちゃいんだね、と再確認する私。そういやテレビでも百両って手の上に乗るもんねー。ふーん、こんなもんか。
当主が引っ越したのを機に松阪市が買い上げたというこの施設、親切なおじさんとおばさんが説明してくれて、畳の上も自由に上がることができます。奥様の部屋は使用人たちのいるところから一段高くなってたりと、襖や障子は取っ払えるくせにまったくバリアフリーではないこの構造よ………使用人の場所は二階だそうです。あがる木の階段は側面が引き出し状でもの入れに使えます。
「ほんとだー、今でも使われてる。スリッパとかしまってあった」
……それはあけてはいけない、ということなのでは………とにかくあらん限り引き出しや戸の類は開けてみたい人がいますよ、この一行。奥が内蔵(「ないぞう」じゃないです、「うちくら」です)になっていて、そちらにいろいろ展示されとるから見てごらんとおじさんに教えてもらい、行ってみる。
「階段の上り下りにご注意ください」
どう油断のしようもないんですけどこの階段!木造の階段は一段一段の段差が高く、前に階段から落っこちて骨折して以来トラウマもちの私には恐怖の対象です……ねえ、日本人の体格が向上したってのは嘘なんじゃないの?足だって現代の私たちの方が長いはずなのに、なんだこの階段の急さは。以前に長野の松本城に行ったときに「この段差ってば……」「確かにこれなら敵が攻めてきても駆け上がれないよね」と言ってたのですが、ここの段差も負けず劣らず。別にあの城、敵がどうこうっていう理由ではなかったのだろうか………
二階の展示ケースの中には古文書や食器、周囲のケースにもいろいろ………ひときわ目立つ1.5メートル四方の紺地の木綿?の旗には、中央にでかでかと(50センチ四方くらいかな)白く染め抜かれていました。
「叶」
……ここまで来てこの一文字……階段をやれやれとのぼった私たちを本当にがっくりさせた旗でした。で、ここの蔵の中のもの、竹内っていう家のものらしいですが、小津家とどういう関係なのかしら。系図見てもよくわかんないんだけど。帰りがけにおじさんに「あの内蔵の中の竹内家って、小津家とどこでつながるんですか」と訊いたら、「ああ、あれは企画展やから、ぜんぜん親戚とは違うわ」と言われました。
……たまたまこの時期しかやってない企画展に来て、他人の家の展示みて、でもって「叶」なのか……ますますがっくりくる私たち。
しかし気を取り直し、激しくなる雨をついて車で移動。次の場所は、本居宣長記念館です。途中でかつて彼の住居「鈴屋」があったという場所を車窓から眺め、急な坂をのぼって記念館へ。入館料払って二階にあがり、企画展を観に行く。「『玉勝間』 作られた混沌<カオス>」というテーマで、彼の本とか手紙とか少年時代の手蹟とか使っていたものとかが並んでいるのを見てまわる。
この展示が、意外に面白いのですね………少年時代の手蹟というか、京都に憧れてた彼が写した京都の地図とかなんとかの地図とか。で、系図を見ると娘の名前は「飛騨」「美濃」「能登」だった……地図マニアですか。かと思うと、彼の長男・春村が写した長崎の地図も飾られていて「やはり血筋でしょうか」とのコメントがついている……遺伝する地図マニアの血よ。
「しかし、『おみの』さんはともかくとして、女の子に『おひだ』さんてのはどうよ」
「ちょっと語呂よくないよね……」
宣長の門人が刊行したという草花の図鑑を見て「こんなに細い線、丸ペンでもないとムリ」「いやー丸ペンでもこんだけ描いてたら潰れるでしょ」とか、今年寄贈されたばかりという表具を見て「宣長、紙のセンスがいいよね」「うん、この配色っつーか遊び紙っていうか……」とか、なんか違うとこ見てるしこの人たち。
その辺りで学芸員の方が顔を出してくださったので、いろいろ説明をして頂きました。なかなか展示だけじゃわからないことでも、説明がつくと面白い。勅撰和歌集一式を納めた手文庫が飾られているんだけど、これを見ただけで宣長の勅撰集に対する評価の順番がわかるそうです。
「あ、手垢のつき方が違うから……」
背表紙じゃなくて、本の地の部分(本を棚に立てたとき、床に立つところ)が見えるように収納されていて、その汚れ具合を見れば、古今・新古今の評価が高くて風雅集などはぜんぜん興味ないことが一目瞭然。展示の仕方もいいんでしょうね。面白い。
あとは娘の嫁入りのときに借金していくらいくらの櫛と笄を買った、とかいう家計簿もあったり。年収90両で200両を親戚から借りたら、そりゃ返済大変でしょうねー。
「そうですね、ちゃんとそのときの証文が、その親戚の人のうちに残ってます」
「あの、それって………」
「返済できてないってことですね!」
やっぱり無理なんじゃん……借金は計画的に。
その他にも、当時のオランダ人の発音を弟子が書き取ってきた紙があったり(当時のオランダ語では「J」は発音しなくてもいいそうで、そのせいで「J」だけ抜けてます。ちゃんとカタカナで発音が書いてあって、「Q」が「キウ」と書いてあるのがかわいい)、とにかくまめでメモ魔だった彼の姿が見えてくるような文書量。なにせ自分が死んだあとの葬式のやり方をはじめとする指示だけで和綴じの本一冊分。えー死んだあとのことなんでしょー。
しかも「葬式のときにはこうやって並んでいくこと」という指示を長男がメモした図が残ってて、宣長自身が母親の葬列についてメモした図と比べると明らかに違う。伝統的な松阪の葬式のやり方は母親の方が近いらしい。
「基本的に宣長は、古くからの伝統に従うというのが基本姿勢なのですが、なぜここだけ変えたのかも宣長研究の謎のひとつなんですよ」
ひそかに私たちは「俺のときは俺がしたいようにする、ただの『俺流』なのでは……」と思ってました。言えませんでしたが。
しかし自分葬の走りとして、財産管理などを取り扱う信託銀行が時々CMに使いたいからと頼みに来るそうです。なるほどねー。
私たちの適当かつ思いつきの質問にも丁寧に答えてもらえるので、調子にのる私たち。
「で、あの薬箱の表記なんですけどー、当時はそうやって書いたんでしょうか」
「いや、あれは宣長のあそびごころですね」
本業は医者で晩年まで診療を続けていた彼が、往診に持っていったという薬箱が飾られていて、正面から見ると「薬函」と書いてあるのだけれど、側面には「久須里婆古」とあった……見た瞬間つい「夜露死苦?」と呟いてしまうわたし。万葉仮名というよりむしろヤンキーの落書きのセンスかと……婆古はねーだろ、婆古は。「俺葬」とあわせてますますなにか違うイメージが脳裏に。愉快な人だったようです。
帰りには小冊子と無料配布しているという宣長CD-ROMまで頂きました。こちらはWeb上でも公開されてます(http://www.norinagakinenkan.com/norinaga/norinaga1/menu.html)。なかなか面白いので興味のある方はどーぞ。
移築された鈴屋も見てきました。こちらも別の学芸員の方が案内して下さいました。夕暮れ時、しかも雨のせいで空が暗いのもありますが、やっぱり江戸時代の家屋の中は暗いです。そんな中でも、やはり階段は急なのでした。
鈴屋というのは、床の間に鈴をたくさんつないだ紐をかけ、用事があるときや気分転換に鳴らしたことからついた名前……と日本史で習いました(遥か昔に)。が、二階の物置だったところを改造して書斎にした、というところまでは習わなかったよ。そしてやっぱりあがる階段は大変急なのでした……手すりついてないし。わたしには絶対のぼれません。
「二階の鈴屋は、宣長が五十三歳のときに、今でいうリフォームをしてつくったものです」
……53歳にしてこの階段……しかも着物。足元は足袋。無理!絶対無理!それだけで気が遠くなったのですが、一応訊いてみる。
「あのー、この鈴屋って宣長がいくつくらいのときまで使っていたんですか」
「晩年まで使ってましたよ」
彼、享年七十二歳って書いてあったよ!手すりついてないし!(絶句)
「実はこの階段は本物ではなくて、本物がぼろぼろになってしまったので代わりのものを置いてあります。本物はあっち」
指差された階段を帰り際に見て帰る。これってさー……
「あのさ、ここ、私の見間違いじゃなかったらさー」
「うん。どうみてもこの階段、ここから幅が違うよね」
「ぼろぼろになりました、とかいう以前の問題だよね……」
一段目、二段目の部分の幅が、左右に数センチずつ、その上の三段に比べて幅が狭いのです。危ないったら!
あとで秋芳さんが「わざと急にしているっていうより、日本の家屋だと狭すぎて、階段つくれるスペースからすると、あれくらい段差つけないと天井まで高さが届かないんじゃないの」と言われて、そういやそうかーと思ったのですが、せめて手すりは作ろうよ!(怖)
建物の外に出て、石段の上にあがってみると、鈴屋の窓がよく見えます。すごくでかい窓です。床から天井まで、ほとんど壁一面?っていうくらいの大きさ。移築される前は、人通りの多い道に面して立っていたそうなので、思索するのも人の声が聞こえるところでするのが好きだったらしいですよ、と学芸員さんは教えてくれました。
……そんな話をしてくれる彼の前で、隣の人たちの心の中では、宣長と、彼より8歳年下で、向かいに住んでいた日本屈指の豪商・長谷川くん(<下の名前不明)とのめくるめく物語が繰り広げてられていたようです……なんで宣長の資料がこんなに大量にきちんと残っているかというと、長谷川くんが預かってて、そこの番頭さんたちが質草と同じようにきっちり台帳を作っていたから、だそうですよ。
物語の詳細については、あとで聞きましたが、差し障りがある(ような気がする)ので差し控えさせていただきとうございます……。
そんなことを考えているとは露知らない気の毒な学芸員さんは、さらに石段を上がって、幕末の下級武士の長屋がそのまま残ってる町並みの説明をしてくれました。ちゃんと今でも子孫の方たちがそこに住んでるのだそうで、それが眼下に見えるのです。うちの辺りは新興住宅地だから、こういう景色って、見られるの嬉しい。
ところで松阪はいい匂いのする街でした。
ウシの焼ける匂いが。
……ではなく。
そこかしこで金木犀がちょうど盛りで花をつけているのですが、こっちで見るのとぜんぜん違う!私の家の辺りとか都内で見るのは、香りがするのをたどっていって花が咲いているのに気づくという感じなのですが、松阪で見た金木犀は、どれも葉に負けないくらい小さな花がオレンジ色に染まっていて、たとえ香りが流れてこなくても、「ああ花の季節なんだわ」ってすぐわかるくらい。いい季節に行きました。ちょうどここの石垣の上(旧松阪城址、でいいのかな?)にもあって、楽しませてもらいました。
とても親切だった学芸員の皆さんとお別れしてから、夕食時には少しまだ時間があったので、ていくさんとげしょさんオススメというコーヒーのお店へ。
すっごく雰囲気のいいところで、内装も素敵だし、カップもきれいだし(コーヒーの種類に合わせてるのかな……私のはローラ・アシュレイだった)、コーヒーも美味しいし、近くにあったらまた来たいようないいお店でした。
そのあと、夕食たべる店で待ち合わせしようということで、私はげしょさんのうちへ。彼女のうちは初めて。
「金魚見に来る?」と誘ってくれたので、「見たい見たい」とかるーい気持ちでついてきたのですが、彼女の部屋に行くために、思いっきり夕食の準備中のご家族のど真ん中に乱入してしまう私……す、すいませんすいません!(汗)
狼狽えまくった私は、その挙句にげしょさんのお母様に車で店まで送っていただきました……車だとげしょさんお酒飲めないから。というわけで、車の中でちょこっとお話し。
「そうそう、これがアネゴ。いつも話しとるやろ」(<何を言われているのだろう……)
「あらあら、どうもはじめまして。いつもげしょ(仮名)がお世話になります〜」
「いっ、いえいえ、こちらこそ、げしょさん(仮名)には大変お世話になっておりますっ」
「ところで、アネゴさんはお名前なんだったかしら?」
「はるか(仮名)ですが、なんでもお好きなように呼んでください……」
「これで意外に若いよこの人」
「あら、それでなんで『アネゴ』さんなのかしら?」
「それはわたしが大酒飲みで、人よりたくさん酒を飲んでいたからです……」
もう、人としてどうしようもない返事をするわたしに、げしょさんのお母様は親切な方でした。ありがとうございました。ほんとに夕食時に乱入してゴメンなさい……。
ていくさんに連れていっていただいた夕御飯のお店も、美味でした。ふかふかのエビチリオムレツとか。
私が普段行かないような(笑)若いお客さんの多いお店でしたが、よく食べて大満足。
やっぱり地元の人に連れていってもらうお店はいいですね。美味しいし。
夜はていくさんの家に泊めていただきました。
日記にも登場するにゃんこたちと戯れ、書庫の本棚に溜め息をつき、しあわせ。
明日はいよいよお伊勢参りです。
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