Fly High

「ジャック、おい、ジャックってば」
 見慣れた後姿を見つけて声をかけた。だが、通路のはるか遠くから呼びかけた声が耳に入らなかったのか、部屋を出てそのまま歩き出そうとするジャックに、業を煮やして俺は怒鳴った。
「ジャック!!」
 ようやく気づいてこちらをふりかえった彼に、俺は右手に持ったものを大きく振ってみせた。どうせそれがなんだか見えはしなかっただろうが、俺が用事があることくらいは伝わっただろう。その証拠に、なにやらいろいろと荷物を抱えたまま、立ち止まっている。俺は早足に近づいていった。

「何度も呼んだんだぜ。耳が遠くなったんじゃないのか、ご老体」
 なかなか振り返らない腹いせに、俺はわざとジャックが嫌がる呼び方をしてやった。案の定、俺よりも7歳年上の上官殿は嫌そうな顔をした。戦場では階級と実力がすべてだが、7歳という年齢はあなどったものではない。もっとも、年齢どおりにジジイからくたばるとは限らないのも、戦場の常だが。
「考え事をしていたんだ。悪かったよ。その呼び方はやめてくれ」
「ふむん―――また婆さんが新しい作戦でも押し付けてきたか?」
「いや、仕事のことじゃない。別のことなんだが―――で、用事はなんだ?」
 ジャックはちらりと俺の右手に視線を走らせた。さっき俺がふってみせたもの。
「ああ、そうだ。これ預かってきたんだ。あんたのじゃないか?この文庫本」
「確かに俺のだが―――どこにあった?」
「医務室。バルームから預かってきた。忘れものだから渡してくれって」
「よく俺のだとわかったな。蔵書印を押した覚えはないが」
「―――蔵書印?なんだそりゃ。とにかく、名前なんか書いてなくても、この基地でそんな本を読むような変わり者はあんた一人に違いないってさ」
 その意見には俺も同感だ。大昔に死んだ無名の音楽家の伝記なんて、書こうと思う人間もどうかしてると思うが、よく読む気になるものだ。文庫本を押し付けると、ジャックは苦笑しながらポケットに本をしまった。手に持たないのは、すでに荷物が両手をふさいでいるからに違いない。一番目をひくのは、彼が脇に抱えている、筒状に丸められた大きな紙だ。なにかの地図だろうか。彼について歩き出しながら、俺は尋ねた。
「すごい荷物だな。次の作戦の資料か?」
「いや、そうじゃない。これは俺の趣味の道具だ」
 どうやら道々聞くところによると、ジャックは新しい趣味を見つけたようだ。こないだまで木製のブーメランを作ることに熱中していたと思ったら、今度は木で作る飛行機の模型だという。まだ人類が空を飛ぶことをようやく覚え始めた頃のクラシックなデザインの図面を見て、自分でも模型を作ってみたくなったのだとか。―――もちろんちゃんと空を飛べるやつだ。
「それでその大荷物か?」
「そうさ。昔の記録をもとに、自分で計算して手で図面を引くところからはじめたからな」
 特殊戦のブリーフィングルームにたどり着いた。中には相変わらず雑然としたガラクタがいろいろ置かれている(おおかたの人間にとって、自分に興味のない他人の趣味の道具というのは、ガラクタにしか見えないものだ)。また先日と色が変わっている毛糸の玉(その癖、できあがった完成品を見た覚えはないのだ)をもてあそびながら、ジャックが机の上に広げた図面を覗き込んだ。精緻な図面にはそこかしこに見慣れたジャックの達筆な走り書きで書き込みがなされている。
「このしちめんどくさい図面を手で描いたって?しかも手で木を削るのか?信じられないな」
「そうさ」
「そんなの、コンピュータでやればいいだろう。あれならそんなでかい紙なんかいらないし、どこからだってデータが呼び出せる。それに計算だって正確だ」
「仕事なら、もちろんコンピュータを使うさ。だが、これは趣味だからな」
 細いペンで描かれた図面上の飛行機は、今自分たちが目にする飛行機とは似ても似つかない。なにしろ搭乗席が外気にさらされたままなのだ。信じられない。ごく原始的な動力、それにプロペラ。この木の骨組みに紙を貼っただけの模型が本当に飛ぶのかどうか。実にこころもとない造りだ。
「趣味でも、失敗したら意味がないだろ。コンピュータを使えば、図面のデータ通りの正確なものが作れるのに」
「機械で作ったのなら、飛んで当たり前だろう」
 ジャックは製図道具らしきものを広げながら、あっさりと俺の疑問をはねのけた。いろいろと取り出される道具を見ていると、なるほどここでジャックが作業をしようという理由がわかるような気がする。ここの机は、作戦会議用だけあって、個人用の机と比べると段違いに広いのだ。
「仕事で作るわけじゃない。失敗しても、また作り直せばいいだけだ。自分の手で計算して、自分の手で組み立てたものが、本当に飛ぶかどうか、それだって楽しみのうちなんだからな」
「そんなものかな」
「少なくとも、俺にとってはそうだな。失敗したら、また挑戦すればいい。試行錯誤の楽しみってやつだ」
 わかったような、わからないような。なんとなく納得していない俺の様子に、ジャックは笑って壁際のイーゼルを指し示した。
「趣味ってのは、出来上がりじゃないんだ。あの絵を見たらわかるだろ?」
「……確かに」
 抽象画に堕する寸前といった趣のその絵を見て、俺はようやく頷いた。ここのブリーフィングルームを使っているんだから、特殊戦の誰かが描いた絵に違いない。そいつが地球でどんな職業に就いていたにせよ、画家でないことだけは賭けてもいい。戦闘機乗りとしては並以上の腕を持っていることと、絵の腕にはなんの関係もないということがよくわかる一枚だ。
「成功しようが失敗しようが誰に迷惑がかかるわけでもないからな。不確定要素は逆に遊びになるんだ。正確過ぎるものはつまらない」
 完璧さを追求しようと思った時期もあったけどな。もうそういったものは、通り越しちまったみたいだ。そう言って、ジャックは頬の傷を示して笑う。
 俺はもう一度、ジャックが広げた図面を覗き込んだ。翼は細長い楕円形を二つ重ねて、間を何箇所か細いフレームでつないでいるらしい。翼は布張りで、機体はほとんどが木製だという。俺が知っている飛行機とはまったく形状が違う。不審そうな顔をしている俺に、ジャックは試しに作ったというミニチュアの模型を渡してくれた。木と布製の手に乗るサイズの飛行機は、エンジンがない分だけさらに軽く、どうみてもおもちゃにしか見えなかった。正面から見た姿は、まるで横倒しになったはしごのようだ。
「本当にこんなものが空を飛べるのかな」
「飛ぶさ。実際に飛んだんだから」
「風が吹いたら、落ちそうだ」
「そうだな、落ちる危険性ってのは大きかっただろう。それでも人は空に向かったんだ」
 
 数百年前、人間はこんな単純な造りの機体に乗って、空を飛ぼうとしたんだぜ。すごい勇気じゃないか?その頃から考えると、われわれはなんと遠くに来てしまったんだろうな―――。

 そう言って、ジャックは笑う。だからもう一度、その頃の飛行機というものが飛ぶのを見てみたかったんだ。残念ながら人が乗るサイズのは無理だけど、小さくすれば手作業で作ることができるだろう?もっともこのサイズじゃ当時のエンジンを再現することは難しいから、その辺りは改良せざるを得ないけどな。―――ジャックは本当に楽しそうだった。だから、俺もこの飛行機が飛ぶ姿を見てみたくなった。青い空の下で、木目の残る大昔の型の小さな飛行機が風を受けて飛ぶ。休日に眺める風景としては悪くない。

「ちゃんと飛ばせるやつを作るんだろう」
「もちろん。試験飛行には招待してやるよ」
「どうせ俺がいやだといっても呼ぶ癖に。先に一人で試運転してからの方がいいんじゃないのか?墜落して恥をかかなくて済むように」
「そんな無様なものを俺が作ると思うのか?」
「どうだか。あんたのこないだの黒焦げのパイを見るとな。あの本なんだったかな、『メイド夫人の料理ブック』だっけか?」
「―――『ミード夫人の家庭料理百科』だ。残念ながら、あれは失敗だった。家庭用のキッチンと基地では火力が違うことに思い至らなかったんだ」
「ほら、やっぱり試運転しといたほうがいいぜ、ジャック」

 憮然としたジャックの顔がおかしくて、俺は笑った。

「じゃあ、俺は行くよ。早いとこ試験飛行に呼んでくれ」
「ああ、期待しててくれ」
「どうだか。―――仕事の出撃編成の時はちゃんとやってくれよ。そんな『飛ぶかどうか』の賭けじゃなくてさ。飛ぶのは俺なんだから」
「当たり前だろう」

 呆れ顔のジャックに手をふって、俺はブリーフィングルームを出た。行き先は決まっている。格納庫の上階、整備・発進準備階だ。三番機位置に彼女はいる。雪風。俺の相棒。どんなに人間が遠く離れたところまで来てしまったにせよ、俺に応えてくれる彼女以上の機などいやしない―――。彼女の定位置へと足早に歩きながら、俺はふとつまらないことを考えた。俺のスーパーシルフに「雪風」という美しいパーソナルコードをつけたように、ジャックはまたあの素朴な木製の飛行機にも、達筆な漢字で名前を書き付けるのだろうか。今度あったらどんな名前をつけるつもりなのか訊いてみよう。ジャックのことだから、さぞや凝った名前をつけることだろう。
 整備・発進階に入った俺の視界に、整備を済ませた雪風の姿が入る。鈍く輝く、どの機体よりも美しいシルフィード―――俺の、雪風。

【Fin】
20030209


町屋伊織さんの、時期をすっかり逃してしまった(<痛)誕生日祝に。
神林長平『戦闘妖精・雪風』より、ジャックと零です。

彼女が「ジェイムズ・ブッカー少佐後援会」を作る予定だというので
私も入れてもらうことになっています。
三番席を空けてもらえました…あらもしかして雪風と一緒かしら☆<三番

最初の短編「妖精の舞う空」の頃の二人の他愛ない会話が好きなのですが、
どうもその頃の話と思い込み過ぎたのか、
私の零は雪風に依存しまくりです…なんかなー。

本当に偶然なのですが、2003年はライト兄弟が有人動力飛行を行ってから
ちょうど百年に当たるそうです。
こちらのサイトにお世話になりました。
ジャックが作ろうとしている飛行機、こんな感じのやつです。
ちゃんと飛ぶといいな。<おい

>町屋さんへ。
すっかり遅くなっちゃってゴメンね〜。
お誕生日、おめでとうございます♪