| We Wish You A Merry Christmas |
師走の街の空気はどことなく浮かれているようだった。駅のそばのデパート前。この街の繁華街である一角は、平日の午後だというのに人が溢れている。店のディスプレイはすっかりクリスマス一色に変わり、そこかしこからクリスマス・ソングが流れていた。あまり雑踏は好きではなかったが、それでも行き交う人々が明るい顔をしているのは悪くないと思う。 うちの会社が持っている店でも、キャバレーのようなところは接客もクリスマス用に趣向を凝らす。あの手の店では、クリスマスなどは大事なイベントだからだ。けれどブラディ・ドールは特にそれらしいことはしない。せいぜいカウンターの端に小さなツリーやリースを飾ることと、気紛れに沢村さんがクリスマス・ソングを弾くことくらいである。 秘書の「いらっしゃいますよ」という言葉にドアを開けると、仏頂面をした弁護士が「なんの用だ、坂井」と低い声で訊いた。外の明るい空とはうってかわって、この部屋の中だけ低気圧という感じである。これはさっさと退散した方がよさそうだなとは思ったものの、一度開けたドアを閉めるわけにもいかず、「お邪魔します」と言って後ろ手にドアを閉めた。 「用がないならさっさと帰れ」 「まだ何も言ってないじゃないですか――あれ?」 あからさまに機嫌の悪い宇野さんの言葉にもめげず、いつものようにソファに腰を下ろそうとした俺は、この部屋にはそぐわないものを発見した。 「宇野さん、宗旨替えですか」 文字通りの宗旨替えだ―――部屋の隅、普段は雑誌や新聞の類が載せられている小さなテーブルに置かれているのは、クリスマスツリーだった。そんなテーブルに乗るくらいの大きさだから、ごく小ぶりなものだ。けれどそこいらのおもちゃ屋で売っているような安っぽいものではなく、かなりいいものであろうことは、ツリーにぶら下げられた飾り―――「オーナメント」と呼ぶのだと、あとで安見が教えてくれた―――が一見して手の込んだ細工がされたものであることからも判る。 いったいにクリスマスのような浮かれた騒ぎが嫌いで、「うちの墓は代々寺にあるんだ。誰やらの誕生日なんか関係ない」と公言して憚らない宇野さんからすれば、わざわざ自分で買ってきたとは思えない。果たして宇野さんの眉間のしわはますます深くなった。どうやら今日の不機嫌の原因はこれにあるらしい。 「そんなわけあるか―――叶が勝手に持ち込んできたんだ」 しかも俺の留守中に上がり込んで、メモだけ置いて消えやがった。そう答える宇野さんの声のトーンが更に一段低くなるのに少し後悔しながらも、予想どおりの名前が宇野さんの口から出て、ああやっぱりなと思う。それにしても。 「そんなに気にいらないんなら、片付ければいいじゃないですか」 「よく見てみろ」 ツリーを右手に持ったパイプで指し示す宇野さんに、立ちあがって近くで見てみる。本物の木を使ったツリーは、てっぺんの星も少しくすんだような落ちついた金色で、よくできている。サンタの衣装を着た呑気なクマのヌイグルミをつつきながら、店のカウンターに飾ったら映えるだろうなと思う反面、これを抱えてきたのならさぞや重かっただろうと少し呆れる。しかし何の変哲もないツリーに見えるのだが、いったい何があるのだろう。 「別に普通のツリーじゃないですか。ちょっと高そうだけど」 「おまえの目は節穴か。よく見ろ、注意書きがついてるだろう」 「注意書き…?ああ」 公園の木の根元に植えてある名札のようなものなので気にも留めなかったが、確かにしっかりと固められた土に小さな立て札が挿されている。おおかた「メリー・クリスマス」とでも書いてあるのかと思いきや、その文面はちょっと違っていた。 「『注意。トラップがしかけてあります。勝手に片付けないように』…なんですかこれ」 「書いてあるとおりだ。おまえは字も読めんのか」 「読めるから訊いてるんじゃないですか―――宇野さん、これ本気にしたんですか?」 「その立て看板、抜いてみろ」 そう言われるとイヤな気分になるが、今更「イヤです」とも言えず、「こうですか」と指でつまんで勢いよく引っこ抜いた。その瞬間。 わーっはっはっはっはっはっ!! いきなり部屋中に男の笑い声が響き渡った。あまりの大音量に思わず耳をふさぐ。音源が手元の鉢であることに気付いて慌てて立て看板を戻すと、笑い声はぴたりと止んだ。 「―――なんですか、これ」 「だからトラップなんだろ」 耳にふさいでいた手をはずし、げんなりとした声で宇野さんが答える。よく見ると木の札は、土ではなくその中に隠された仕掛けにささっていたもので、抜くと笑い声があがるという仕組みらしい。低くて豊かな声量の笑い声は、なんというかよくある人形のサンタの笑い声にでもありそうな感じだ。 「あれでも一応プロだからな。まさかこの事務所が吹っ飛ぶようなバカなトラップは仕掛けてないだろうが、他にも何か仕掛けてあるかもしれん。それよりは安全をとって放っておくことにした。―――非っ常に不本意だが。」 「非っ常に」という部分に思いっきり力を込めて宇野さんが言う。「不本意」という言葉が顔面いっぱいに書かれているような、苦虫を噛み潰したような顔だ。来たらツリーを撤去させようと思っているのに、そういうときに限って叶さんが顔を見せない。そんなところだろう。おかげでちょうど迷いこんできた俺がとばっちりを食っているということだ。 「というわけだ坂井。俺は今、非常に機嫌が悪い。用事がないなら帰れ」 「ちゃんと用事はあるんですけど」 「どうせ厄介ごとだろう。帰れ」 「……どっちにしても帰れってことですか」 「そういうことだ。出口はそっち」 わざわざ出口まで指し示した挙句、宇野さんはそっぽを向いた。 「わかりました。じゃあ帰ります。……せっかく持ってきた招待状ですけど、安見には『宇野さんは欠席』と伝えておきますから」 「安見」というところに力を込め、わざとらしくポケットから取り出したカードをひらひらと振ってみせる。安見の手製の招待状が入った封筒の表書きには、まだ子供の字ではあるけれど、丁寧に書かれた「宇野雄一郎様」の宛名。 クリスマスパーティーをやりたいと言い出したのは安見で、なら休日の店を使えばいいと言い出したのは社長。それなら私がピアノを弾こうと沢村さんがいい、どうせなら久々に私の伴奏で歌いませんかと菜摘さんを誘った。娘に甘い秋山さんがホテルから料理を運ばせようと言い、なんとなく仕事の分担が決まった。俺の仕事はいつもと変わりなく酒の用意。私服でカウンターに入るというのがちょっと珍しいくらいだけれど。 「沢村さんが内輪向けでやるミニ・コンサートなら、宇野さんも来るんじゃないかって安見と言ってたんですけど…あれ、宇野さん来るんですか?忙しいのかと思ってたのに」 葛藤の末にプライドより沢村さんの演奏が勝ったらしく、「待て、坂井」という不本意そうな声がかかったのを聞いて、意地悪く俺は答えた。たまにはこれくらいの意趣返しは許されるだろう。少しだけ子供っぽい勝利感に浸りながら思い出した。そういえば叶さんも来るって言ってたっけ。とは言うものの、せっかく宇野さんが来る気になっているというのに、わざわざそんなことを言い出す必要はないだろう。当日来ればわかることだし、その程度のことは宇野さんだって予想がついてるに違いない。そう心の中で一人ごちて、俺はさっさと低気圧の名残り漂う事務所を後にすることにした。 クリスマスイブにもっとも近い、店の休日。人が集まり始める前から早めに顔を出してしまうのは、半分職業病というべきか。なんにせよ、ホテル・キーラーゴからのケータリング・サービスを受け取る人間が必要なのは事実だけれど。店はすっかりクリスマスの飾りつけになっている。カウンターに飾られた、シックな色合いのクリスマス・リースも悪くないが、やっぱり宇野さんの事務所にあったツリーを飾ればさぞ映えるだろうにと思うのも職業病だろうか。叶さんに教えてもらって…しかし結構いい値段がするんだろうし、十二月しか使えない飾りにそんな予算をかけるのも……などと考えているうちに、参加者が次第に顔を見せ始める。クリスマスの飾りつけがされた店内を見るのは初めての安見が嬉しそうな顔で見てまわるのを、いかにも甘い父親といった風情で秋山さんが眺めている。軽く打ち合わせるように菜摘さんと沢村先生がピアノの傍で話し始め、遠山先生と社長が言葉を交わすうしろで、ドクと山根と大崎先生が早くもビールのグラスを合わせている。そうこうするうちに、叶さんが現れた。このところあまり店に姿を見せなかったので、顔を見るのは久しぶりだ。 「なんだかバーテンの格好してないおまえがそこにいると妙に違和感があるな」 「久々に来ていきなりそれですか」 「ご無沙汰しておりますって挨拶する柄でもないだろう」 「そんな白々しい台詞別にいりませんよ」 「そうだろう」 あ、これ土産な。と手渡された赤ワインを受け取りながら、本題を思い出した。 「叶さん、あの宇野さんの事務所のクリスマスツリーなんですけど」 「ああ、あれなかなかいいだろ」 「そういうことは俺に言わずに宇野さんに言ったらどうですか。俺、とばっちりで大変だったんですから」 「あんまり殺風景な事務所だから、たまにはいいかと思ったんだけどな」 「勝手に置いてったのがいけなかったんじゃないですか」 「秘書にはちゃんと言ってったぞ。俺からだって」 「肝心の宇野さんに言わなかったら意味ないじゃないですか」 「いる時に持ってったら、突き返されるだけだろう」 突き返されるとわかってるものを持ち込むなよな、という俺の視線にはまったく気にした様子もなく、叶さんは機嫌よさげに店の中を見回している。 「あれ、キドニーは?」 「来るはずですけど…おおかた来る面子思い出して渋ってるんじゃないんですか」 「ああ、川中も来てるしな」 心の中で、多分叶さんもそうですよと言いかけたところにドアが開き、相変わらずの仏頂面の宇野さんが顔を見せた。見れば時計は招待状に書かれた開始時刻ちょうどを示している。几帳面というべきか、それともできるだけ顔を合わせたくない面子が揃ってるからギリギリまで来なかっただけなのか、微妙なところだ。 珍しく時間どおりに揃った面子を前に、安見が嬉しそうに挨拶をしている。そう、今日の主催は安見なのだ。結局、普段いくら秋山さんを親バカ扱いしたところで、みんな彼女には弱いということか……仏頂面の宇野さんもそうだというだけのことかもしれない。 人前で歌うのは久しぶりだと言いながらも、余裕のある歌いっぷりを菜摘さんが見せ、いつにも増して楽しそうに沢村さんがピアノを弾く。遠山先生が案外いい声で歌いだしたりする場面もあったりして、休日の店内の空気は実になごやかなものだったけれど、カウンターの中でいつもと同じく酒の注文に答えながら、俺はちらちらと叶さんの動向を伺っていた。宇野さんはまだツリーのことを訊きに来ない。何が起こるか手を出してみるほど危険を冒すつもりはないけれど、叶さんが仕掛けた「トラップ」というのが気になってしょうがなかったのだ俺は。宇野さんは殊更に叶さんを避けるように遠山先生とずっと話している。叶さんはと言えば、大崎先生、ドクの医者二人とバカ話でもしているらしく、時折りその辺りから大きな笑い声があがる。カウンターの中というのはいつだって店の中を傍観する立場で、こうやって見回しているとなんとなく人間関係図が見えるようで面白いのだ。勿論手は休むことなく動かしているが。勤務中というわけでもないので、時折り自分の分も作る。味見半分、結構いい値段のするウィスキーをグラスに注いだりするのも役得のうちだろう。 こじんまりとしてはいるが温かな時間が過ぎて―――安見は菜摘さんと一緒にとうに引きあげ、宇野さんも既にいない――、日付も変わろうとする頃、残っていた人たちも帰ろうとするそぶりを見せ始めている。グラスを洗っていた俺は、コートを着込もうとする叶さんを見咎めて話しかけた。 「叶さん、宇野さんの事務所のクリスマス・ツリー、どうする気ですか?」 「気になるのか?」 「そりゃそうですよ。わざとらしく『トラップがあります』なんて書かれてちゃね」 「キドニーは何も言ってなかったぜ」 プライドの高い宇野さんのことだから、あのツリーが気に障るということすら口に出す気になれなかったのだろうが、思いっきり気にしていることはこないだの不機嫌さからもわかる。それを言うと、叶さんは明るい声で笑った。 「キドニーが気にしてるんなら、それで俺の目論見の半分は成功だな」 「半分?」 「そう。あの弁護士センセイの事務所に異物を持ち込んでやるってのが俺の目論見でね」 「撤去させないことには成功したみたいですよ」 「そうだろう。いろいろ工夫したからな」 工夫の一環があのすばらしい大音量の笑い声というわけか。罪がないトラップと言えば言えるが―――でも俺が気になっているのは残りのトラップなのだった。 「あの立て札にあったトラップって結局なんなんですか?」 「ん………そうだな、じゃあ26日の昼、キドニーの事務所に来られるか?」 「26日?25日じゃなくて?」 「当たり前だろう。クリスマス・ツリーってのは25日いっぱいまで飾るもんだろうが」 とりあえずその日までは宇野さんの事務所に近寄るのはやめにしようと心の中で誓いかけたが、そのとき肝心の宇野さんの予定を知らないことに気がついた。 「で、その時、宇野さんの予定って大丈夫なんですか?」 「最近あそこの事務所の事務員とは友好関係を築くことにかなり成功してるんでね」 自信ありげに笑う叶さんを見ながら、あんたがそうだから宇野さんが毎年事務員を変えてるんじゃないのかと思った。しかし、叶さんがそういうなら、宇野さんがその日事務所にいるのは確かなんだろう。ほがらかに残った人たちに手を振って店を出て行く叶さんの姿を見ながら、俺はぼんやりと叶さんの情報網のことを思った。うちの店も叶さんのスパイがいないか調べた方がいいかもしれない。 クリスマス当日はやはりというか、店の中は盛況だった。客の出足もよく、注文がひっきりなしに入るから、カウンターの中は慌しいことこの上ない。それでも客商売だから、暇よりは忙しいに決まっている。それに普段の接待などが多い日に比べると、客が楽しそうにしているのは見ていて楽しかった。いつもよりやや遅くなった閉店時刻、明日はいつもより早く来るようにボーイの連中に指示を出す。クリスマスが過ぎても飾りつけが残っているなどというのは客にとっても興醒めで、明日の開店時刻までには片付けて新しい花などに取り換えねばならない。 「雛人形を3月3日過ぎても飾ってるのは縁起がよくないってうちのばあちゃんが言ってましたけど、似たようなもんですかね」と一人が言うのと「似たようなもんだが一緒にするなよ」と笑って送り出す。これは縁起というよりは、客商売の心得みたいなものだ。他の連中が全員帰ったあと、ガランとしたホールにたって周囲を見回してみた。日付が変わって、もう用済みになったクリスマスの飾りつけ。子供の頃、自分が過ごしていたクリスマスはどんなふうだっただろう。もう遥か遠い昔のことで記憶も曖昧だが、なんとなくそんな感傷を抱いてしまうのは、丁寧に作られた飾りつけの影響か。やっぱり来年はもっといいツリーを購入することも考えてみよう。叶さんにあのツリーの出所を尋ねてみようと思いながら、俺はホールをあとにした。鍵をかけようと振り返ると、妙にリアルな表情の天使のオーナメントが、静かな顔で天井からこちらを見下ろしていた。 翌日、叶さんにならって宇野さんのところの事務所の秘書に電話を入れてみると、「叶さんですか?まだお越しになっていませんが。多分お昼頃見えると思いますよ、宇野先生は十時半から法廷ですから」と親切に教えてくれた。ありがとうと答えて電話を切る。周到な殺し屋を見習って、気働きのいい彼女に手土産のひとつも持っていくべきかもしれない。 正午には少し時間があるという昼前、宇野さんの事務所に顔を出してみると、下に見慣れたフェラーリが停められていた。遅れたかと思って事務所を覗くと、秘書が心得た様子で奥の部屋を指した。彼女に教えてもらうまでもなく、叶さんが来ているのは、なにやら機嫌の悪そうな宇野さんの声がすることからもわかる。俺は手土産のケーキを彼女に渡すと、宇野さんの部屋のドアをそっとノックしてあけてみた。 最初に視界に入ったのは、また邪魔なやつが来たと言わんばかりの宇野さんの無愛想な顔。視線を手前に戻すと、振り返った叶さんが「よう、来たな」とひらひらと手を振っていた。ここに来たことが吉と出るか凶と出るか。「好奇心は猫を殺す」、そんな言葉もあったっけと思い出したりしながら部屋の中に滑り込む。 「坂井、何しに来たんだ」 「いや、叶さんにここに来いと言われたから……」 「だから!おまえらは勘違いしているようだが、ここの事務所の主は俺で、ここの事務所への立入りの可否を判断するのも俺なんだ!勝手に入ってくる叶も叶だが、それを真に受けてのこのこ来る坂井も阿呆だ。やっぱり川中のところで働いているだけのことはある」 何があっても必ず社長のことをけなす言葉を忘れない辺りはいっそ感心したが、えらくひどい言われようでもある。なんとか言ってくださいよと横目で叶さんを睨むと、それを受けたように叶さんが愛想よく「まあまあ」と取り成す。 「そのツリー、いつまでも飾っておいたままじゃ、相談に来る客にも申し訳ないだろ?というわけで撤去しようかと」 「勝手に置いていったのはおまえだろうがっ」 噛み付くような宇野さんの語勢に、叶さんに仲裁を頼むのはもしかして事態を悪化させるばかりなんじゃないかと思った。かといってここで「じゃ、これで」と言って帰れる雰囲気でもなく、うっかり好奇心でやってきた俺はちょっと後悔した。やはり好奇心は猫を殺すらしい。 「まあまあ、このツリーだって、そう悪くはないはずだがな」 まったく宇野さんの怒った表情を気にしない風情で、ふらりと叶さんが立ち上がる。なにやら窓際のテーブルに置かれていたツリーをごそごそといじっているので、まさかまたあの大音量の笑い声が響くんじゃといつでも耳をふさげるように用意をしていたら、思いがけずツリーから流れてきたのは穏やかなピアノのクリスマスソングだった。手のやり場に困ったまま拍子抜けしていたら、宇野さんが「おい、この演奏…」というのでツリーの方を見ると、してやったりという風情で叶さんが笑っていた。 「わかるか、これ」 「わかるもなにも、先日沢村さんが弾いていた曲だろうが」 「さすがキドニー。もってきた甲斐があるというもんだよ」 それに引き替え…と言いたげな叶さんの顔つきに、俺は慌てて「俺にだってわかりましたよ」と言う。そう、先日の安見が企画したクリスマスパーティーで沢村さんが弾いていた曲だ。曲自体は通常のありふれたクリスマスソングなのだが、途中でかなりアドリブが入る。その辺りに沢村さんの演奏の特徴がはっきりと出ていた。伊達にこちらも仕事で毎日沢村さんの演奏を聴いているわけではないのだ。 「おまえがこのツリーをもってきたのはクリスマスの1週間前だったよな。だいぶ前だ。わざわざ弾いてもらったのか」 「違うな。俺の知り合いに東京のラジオ局に勤めているのがいてね。先日、東京に戻った際にそいつと喋っていたら、古い番組の録音の中に沢村明敏が弾いたクリスマスソングがあるんでクリスマス用の番組に使いたいという話を聞いたんだ。沢村さんがN市にいて知り合いだというのは相手も知っていたからな。本人には許可を取るからといって音源を捜してもらったんだよ」 「なんだ、沢村さんまでグルなのか」 「グルとは人聞きの悪い。この話をしたら『懐かしいね』といって笑ってたがね。だから昨日、同じ曲を弾いてくれたんだろう」 楽しそうに笑っている叶さんに、宇野さんが呆れたと言わんばかりの表情で溜息をついた。 「そんなことの為にえらく手間暇をかけたものだな……この暇人が」 「暇人とは失礼な」 「暇人と言う以外に表現の仕様もないな。まったくこんなでかいツリーまで事務所に持ち込んで。結局のところ、ちょっと形の変わったオルゴールみたいなもんだろうが。しかも『トラップがあります』だなんて」 「そうでもしないと、あんた勝手に片付けちまうだろう。いいじゃないか。ここの事務所は殺風景過ぎるんだよ。依頼人だって少しは気持ちがなごむだろうさ」 「切羽詰って相談に来る人間が、そんなもんに目が行くわけないだろうが」 「わかってないな。切羽詰っているからこそ、こういったものにふっと気持ちが動かされることがあるんだよ」 違うか?とツリーから外したオーナメントを弄びながら言う叶さんに、確かにそんなものなのかもしれないと俺は思っていた。法律書と案件のファイルに囲まれて完結してしまったようなこの事務所に異物を持ち込んでやりたいという言葉も本心ではあるのだろう。けれど、このツリーのような一見無駄なものが、何か人の心にもたらすもの………多分それこそが叶さんのこの悪戯の真意だったのじゃないかと思う。そしてそれは多分、ここの事務所を訪れる依頼人のためではなく、この部屋の真ん中で仏頂面で過ごしている主の為だったのに違いない。 ―――キドニーが気にしてるんなら、それで俺の目論見の半分は成功だな、と。そう、叶さんもそういっていたじゃないか。 ツリーから流れるピアノの伴奏はまた最初の曲に戻っていた。クリスマスシーズン、道で耳に馴染むほどにしつこく聴かされた曲のひとつだが、ピアノだけのシンプルな演奏は、店の喧騒や大声の呼び込みなどと混ざった耳障りな曲とは別ものといっていいほどに静かに聴こえた。 We wish you a Merry Christmas, We wish you a Merry Christmas, We wish you a Merry Christmas, And a Happy New Year―――あなたに幸せなクリスマスが訪れますように、そして倖せな新しい年を迎えられますように。ピアノだけで歌詞はついていないが、一瞬たどたどしいとさえ聴こえかねないような、ぽつりぽつりと雨だれのように鍵盤を打つ弾き方が、幼い子どもの舌ったらずな言葉のようで、それが逆に単純な歌詞を思い起こさせる。 「あなたに幸せなクリスマスを………か」 まだ何か文句を言っている宇野さんの言葉を半分聞き流しながら、俺は来年のクリスマスのことを考えていた。 別に俺は会ったこともない誰やら痩せた男のことなんかこれっぽっちも信じていないけれど、クリスマスというイベントを信じている人がたくさんいるのなら、こんなツリーにだって効果があるのかもしれない。一年のうち一ヶ月しか使えない非効率的な飾りかもしれないが、それでも叶さんの言うように、無駄なものにこそ心を動かされることだってあるんじゃないだろうか。 叶さんに教えてもらって、来年はこのツリーをカウンターに飾ろう。 できることならば、同じ「トラップ」を設定してもらって―――あの笑い声のは遠慮願うとしても。いっそこのツリーをそのままもらっていけばよさそうなものだが、沢村先生の未収録の演奏音源付という辺りから宇野さんがちょっとずつ態度を軟化させているのが明らかで、どうやらその線は諦めた方がよさそうだ。それにしても、あれほど腹を立てていたくせに案外現金な反応を示す宇野さんがおかしくて、俺はこっそりと笑った。 「なに笑ってるんだ、坂井」 「いえ、なんでもないです」 曲はアドリブを経て、また元のシンプルなメロディラインへと戻っていた。窓の外の空はよく晴れて、冬らしい高い空の青が目に鮮やかだった。クリスマスを過ぎた翌日の、ほんのささやかな倖の時の記憶。 ―――We wish you a Merry Christmas, and a Happy New Year. |
| 【Fin】 2003/12/24 |
|
|
やっとこの原稿とお別れできるかと思うと嬉しいです。 サイト作るときにあげようと思っまま、 時期を逃してPCの中に放置されたまま一年。 去年なんとかしようとまた十二月に 続きをだらだら書いてはみたものの またもクリスマスが過ぎてしまったという代物。 さすがに三年も持ち越すのはどうよ、と 十二月に(<学習してない)慌てて 続きに取り掛かってみたものの、 なにしろ二年も前に自分が何を書こうと 思っていたのかなんて 思い出せるはずもなく。 ………こんな話だっけ、と首をひねりながらも、 だいぶギリギリですが、 一応クリスマス前にあげられそうです。 しかし叶がいてドクがいて下村がいないクリスマス。 ……いつ?とかいう疑問は、そっとしておいてあげてください…。 |