JWOC後の遠征記 (日記より)

7月16日
早朝、武藤君が出て行くのを見送る。9時に来ると言っていたバスが9:20に到着。アメリカチームが先に乗っていてかなり満席状態。今年のJWOCは大きな怪我やトラブルが無かったなと思っていたら、何とこのバスのタイヤが途中でバースト。高速道路を走っている途中で「バーン、バタバタ」という大きな音がしたかと思ったら、突然床から煙が室内に立ちこめてきたのだ。
ちょうどタイヤハウジングの真上だった田島、石川は声も出せないショック状態だったが、その一つ後ろに座っていたアメリカ女性が大きな悲鳴(よく映画などで出てくるように、息を一杯吸ってから思いきり叫ぶヤツ)を上げたものだから室内は騒然。運転手はいったん路肩にバスを止めてタイヤを点検したがダブルタイヤなのでそのまま次のパーキングまで移動。そこで「修理するから30分休憩」が言い渡される。
ここで国民性の違いが出た。アメリカ人は「さあ、ピクニックだ」とばかりにそのパーキングで早速フリスビーを始めたりトランプを始めたのに対し、日本人は怖かったその時の話を繰り返したり、恐る恐る修理をしているタイヤの具合を覗きに行ったり落ち着くまでに時間が掛かった。それでもすることがないので結局トイレの建物の影でUNOをやったりアメリカ人に混じってフリスビーを投げたりした。
ブダペストのノルト駅であかねグループの4人と別れ10人分の宿を探す。もうJWOCも終わったので後は学生たちに任せなければと思っていたのだが、誰も動こうとしないのと宿が決まっていないと困るのでそこまではやることにした。やっと駅の(i)を探しあてて入ろうとすると入り口におばちゃんがいて部屋の写真を見せて1人$10でいいからどうかと言ってくる。$10なら悪くないので結局そこにする。5人ずつ2ヶ所に分宿。あかねグループと決めた集合時間まで各自で街へ繰り出す。女子3人と山田の5人で地下鉄で移動し、川縁を歩いてみやげ物通りへ。インターネットカフェを覗いてから角のテラスで生ビールを。皆と合流してからの夕食も結局その近くのレストランになった。
石畳の道路にはみ出して並べたテーブルに14人座っての最後の晩餐となった。あかねさんほか帰国組とはそこでお別れ。あかねさんには今回の遠征では本当にお世話になった。女子選手のフォローをしっかりしてもらえて本当ありがたかった。感謝! 宿近くの角の店で翌日の朝食を買う。

7月17日
朝、近くの公園を5?6kmジョギング。広々とした芝生の木々の間を走るのは気持ち良い。ちょっと出遅れたのと駅の切符売り場を探すのにみんなうろうろしてしまったため、やっとその場所にたどり着いた時には出発の5分前。8人もの切符は作るのに15分は掛かると言われて予定していた列車はボツ。仕方なく3時間待って次のお昼過ぎの列車でウイ-ンまで移動。今度は先に切符と宿の手配をしようと二手に分担して調べに行ってくれたが夜行列車は予約満席で取れず。ユースは探せたみたいだったけど折り良く?現れた自称金持ちのおじさんにつかまり結局その人の言う1人300シリング(2400円)の宿に泊まることにした。最初は2部屋に詰め込まれそうだったが交渉して3部屋確保した。
みんなから少し遅れて街へ繰り出し、まずはインターネットカフェ、それから本に載っていたNORDSEEで腹ごしらえをして最後はチョコレート菓子を買いに行く。本に書いてあったHaus der Musikというのが面白そうだったので探し当てて行ってみた。ウイーンフィルハーモニーの歴史のところには小沢征二の写真もあったしモーツアルトが使っていた小さなピアノなども置いてあって興味深かった。いろんな音に関する仕掛けがしてあって遊べるようになっている。
お目当ての「指揮者シミュレーション」のところで時間をつぶす。5?6種類用意された曲の中から1つを選ぶとスクリーンにウイーンフィルハーモニーのフルオーケストラが映し出される。あとは用意された指揮棒を振ればそれに合わせて演奏が始まるのだ。指揮棒に仕掛けがしてあって光でその動きがセンスされるようになっている。説明ではそのリズムと大きさと左右の位置によって、演奏のテンポと全体の音量と左右のバランスが制御できるとある。自分の前にやっていた人のを観察するとリズムの刻み方が下手なために演奏は始めたものの早くなったり遅くなったりで結局途中で団員たちが怒って演奏をやめてしまい、その中の1人が立ちあがって指揮者に文句を言う(言葉がわからなかったけど、結構笑えることを言っているらしい)という仕掛け。
自分の番が来たので「アイネクライネナハトムジーク」を選ぶ。途中ちょっとテンポが崩れたがそれでもテンポも音量制御もまずまずで最後まで演奏終了。「Congraturations !」が表示されて拍手がわく。いったん止めて次の人に譲り、また人がいなくなったので次の曲で遊ぶ。「ラデツキー行進曲」や「美しき蒼きドナウ」なども試す。やはり光のセンスが完全でなくしっかりリズムは刻んでいるのに途中でやけに早くなったりして戸惑った。それでも最後まで演奏できて満足。これなら何度でも遊べそうだった。
宿に帰ったらちょうどみんなも、自分の行った店のすぐ隣のモーツアルトという店で買ったチョコレートケーキを食べているところだった。自分の分もあるというので早速いただく。

7月18日
朝早く起きて列車に乗らないといけないのだが出発時刻近くになっても女子部屋が静か。「コンコン」のノックから始まって最後は「どんどこどん!」と叩いてやっと起こした。プラハまで無事に到着。みんなはベルリン経由でずっと列車で行く予定だがそれだとほとんど列車に乗ってばかりになるなと思って本を借りて調べたら、プラハ→ストックホルムの飛行機がありそうなのでそうすることにして、プラハの駅でみんなと別れる。まずチェコ航空(CSZ)のオフィスを探し出して訪ねると、うまい具合に20日14時の便が空いている。それも往復で2万円弱なのでとてもラッキーだった。街中の(i)で宿を探してもらう。プラハ城の下にあるWaltstainというホテルで2泊することになる。いったん荷物を置いて街に戻り歩いていると音楽コンサートのチケット売りが目に付く。
ちょうどお気に入りのモーツアルトのレクイエムをやっていたので19日の夜のチケットを買う。1階中央で少し前寄りの一番良い席で2500円程度。次にその日の夜に行われるSAXクアルテットのチケットを買う。こっちはガーシュインのラプソディー・イン・ブルーほかウエストサイドストーリなどもやってくれるみたい。夜の予定が決まったのでプラハ城へ登り旧市街を歩く。オープンテラスでピルスナービールを飲んでいい気分になり、インターネットカフェを覗いて帰る。洗濯をしてからコンサートに出かける。すばらしい演奏だった。バスSAXは女性だったが全員テクニシャンでSAX4人とは思えない迫力ある演奏が堪能できた。やはり音楽の都だ。

7月19日
インターネットカフェに行ってから川めぐりのボート観光に行く。街中をぶらぶらしてから夜はモツレクの演奏会。市民ホールということだったがすばらしい内装で正面はパイプオルガン、天井は彫刻、絵画、ステンドグラスと豪華絢爛。両側にはよく映画に出てくるようなバルコニー席が設けられている。1階のS席に行くと椅子の背もたれに自分の名前の紙がぶら下げてある。チケットを買った時に名前を聞かれたのだがそれがこんな具合に使ってあるとは思わなかった。何となくいい気分。合唱団は小人数だったがまとまった演奏だった。ソプラノのソリストだけは、オラトリオなのにオペラ風の歌い方で気に入らなかった。

7月20日
午後の便でまだ時間があるのでインターネットカフェに行ってオーリンゲン情報を得る。街中でスウェーデンクローネに一部両替して空港へ。チェックインしてゲートに行ったら、そこにもインターネットコーナーがあってびっくり! プリンタもあったのでみんなのスタート時刻とSI番号を印刷した。アーランダ空港のiでバスを教えてもらう。584番のバスで「オーリンゲン」といったら降りるときに教えるという。Marsta駅からさらに3つ目で降りた。
大会会場のExpeditionで他のメンバーが先に来たことを知り、宿舎の場所を探しにInfoに行ったら知念君と新宅君がいる。トレマップを90SKで買って学校まで連れて行ってもらう。みんなと無事再会。おさか、山田は予定通りヒッチハイクのようでまだ着いていない。登録したSI番号がJWOCの時と違うので一旦SIを回収して再配布。ECに行って不足バス券、不足SIなどの処理および精算を行う。
SILVAのテントで寝袋やOLグッズを買う。Foodコートで夕食。戻って皆で店に買出し。プログラムがスウェーデン語だけなのでよく分からない。寝袋の下に敷くマットがなくて寝にくい。

7月21日
6:30になって昨日買ったパン、ジャム、チーズなどを食べる。ECに行ってトレマップの場所への行き方を聞く。近くの一つ以外は遠そうなのでやめる。11時くらいになって着替えて出かける。テレインまでが遠い。結局近くの12個くらいをコントロールと地図と地形の対応をすべて確認して進む。岩とこぶ、沢より尾根、湿地、水系などを確認。
右足から腰にかけてが痛い(神経痛?)。昼食はFoodコートでバンバーガー。帰りに店でジュース、バナナを買う。夜はみんなで買出したものを並べてディナー。ホーリー&モトシンがストックホルムまで行ったらしく帰ってこない。プログラムの必要部分を書き出して壁に貼った。

7月22日
レース初日。7時近くになったのでキャフェテリアに行く。オートミールに野菜、チーズ、ジャム、パン、ジュース、コーヒー。席に陣取るとやがて山内、河野のペアがやってきて一緒に食べる。
部屋に戻って準備。初日なので余裕をみて早めに出る。櫻井と一緒になったので、いくつかの注意事項をアドバイス。
会場では各クラブの旗がたくさん立っているので、山の中に入って適当な枝を取って旗のポールにする。なかなか地面の穴があかなくて苦労していたら隣りのおばさんが金具で穴をあけてくれて無事に日の丸が旗めく。しっかり目立って他の日本人グループも集まってきた。
速報を見てキロ10分なら上出来であることを知りスタートへ。デフケースは不要だった。コントロール番号が丸のそばに一緒に描いてあるという。スタートまであと4分というときに頻脈になってしまう。なんてこった!

ETAPP1
スタート直前に頻脈になり、どうやっても直らないのでそのままスタート。1分前に地図を見るスタイル。久しぶりなので1番、2番程度しか見られなかったが随分精神的に楽だ。
1)真北だったが時間があるのでコンパスをセットしスタートと同時に他のレーンの人を追走。途中小径に乗って少し方向が右だが通りやすいので利用。改めて少し左にアタックするが地形が少し合わない。何段かになっているがけを一つずつ見ながら回り込んでコントロールへ。4分前のワンダラーズの小嶋さんが駆け込んでくる。手前の送電線には全く気づいていなかった。
2)予定通り岩の隙間を通って右寄りに進み送電線に出る。歩測が来たところに左手に高さを感じたので回りこむが無い! さらに進むと右手の立禁の近くまで来てしまった。さっきのところをもっと戻るように左に回り込めば良かったようだ。
3)パッと見て立禁の左回りしか目に入らず、立禁の角からすぐに上がるか立禁に沿ってある距離を進んでから上がるかを迷ったが後者を採用。レッグ線上の出っ張った尾根状のものを捉える積もりで登ったら思ったような形があったのでそこだと思い込んでアタック。平らになってから段差があって大きな岩が一つ見えたのだが、あるはずのもう一つがどうしても無い! 「どこなんだ」とリロケートしようとするが地図に無い岩やがけだらけで、どれがどれか分からなくて片端から探しまわる羽目となる。やっと最初の岩が6番の道の先にある岩と判明。最初に登ったところはまだ手前だったようだ。そこからアタックし直してやっとコントロールへ。
4)ゆっくり直進するがたどりついたのはまたもや隣ポ。同じクラスのような人と一緒になり一つずつがけを確認する。
5)あらかじめ読んでいたプランに従ってコンタリングで脱出。途中の傾斜の向きが変わる部分まではどんどん進んで良いのだ。傾斜変換を確認して見上げたら左手にがけが見える。すぐに地図上のそれを確認しそことの距離を感じながら次のがけの間を上がるとコントロール。やっとまともにアタックできた。
6)斜面を上がろうとするがこのころから息が苦しくなってきたのでゆっくり歩いて進む。さすがに歩きだとあとはミス無く回れた。

ゴール後、ホットドッグ、ミートボールのプレートで昼食。宿舎に帰ると消防車が来ていてボヤ騒ぎで入れなかった。よその国の人の部屋の中で使ったコンロのガスが漏れたらしい。新宅君が予約したという洗濯機に相乗りして洗濯をさせてもらう。チームリザルトがなかなか出てこない。スプリットのみでその日は我慢する。夕食はみんなで一緒。37SK/人と安い。スペアリブ、チェリーなど。

7月23日 2日目
早めのスタートの青木・田島らと一緒にバスへ。持って行ったパイプと現地の角材で日の丸を掲げる。ふと横を見るとワンダラーズの人達がいた。スタートまで2900mなので早めに出る。1kmくらいまでジョグしてあとは歩く。途中ショックトイレに寄る。スタート地区手前でロングスパートを掛けて心拍を高める。

ETAPP2
1)分かり易く5番、6番の道を東にたどって南北の隙間を北上。右のがけまで歩測。がけのあたりから枝が多くて通りにくかったがこの辺りだと思うところから左へ回り込んでコントロールへ。
2)北の立禁に当てる積もりだったが脱出で東に登り初めてしまい途中で方向転換。あまり通りやすくなくて途中の湿地の沢を詰める。そのままアタックしようかとも思ったが最初のプランどおり立禁の角からがけの向こうへ回り込む。思ったよりちょっと奥にあってやや時間のロス。
3)4番の道の曲がりから湿地の向こうの尾根に直進。あとは尾根をたどってコントロールへ。
4)左手のオープンの尾根にまず進む。しっかり尾根に上がった後、がけの横からコンパスを振って直進。歩測が来たところはイメージとは違う地形。湿地らしいところをチェックしたが駄目。岩ポストを発見するが地図との対応はいまいち。うろうろした後でこぶを見てもしやと上がってみるとケルンがあってやっとリロケート。戻るとブッシュの中から出てくる人がいて中に入るとコントロールがあった。かなりブッシュに隠れたコントロールだった。
5)湿地の向こうの陸地まで歩測で進む。がけが見えてきて右にずれたと分かる。そこから直進したら手前の湿地が確認できたのでそのままアプローチ。
6)湿地とピークがあるので簡単と思って進み、予定どおりにピークが見えて回り込む。
7)岩場をがりがり駆け下りて立禁の切れたところからまっすぐ直進。途中尾根らしいところを感じ、こぶを見て左へ回り込む。
8)縦長、横長のこぶを見ながらアプローチ。
9)直進。がけの真上に出てすぐ横を降りる。こぶはあるのにコントロールが無い。しばらく見まわして少し動いたらフラグが見えた。
10)オープンにぶつけるのみと思ってどんどん進み角からアタック。
11)オープンに出てからTを目指して走りながらコンパスセット。左のこぶの横を通ってそのまままっすぐコントロールへ。
12)オープンに出たら見えるだろうとどんどん進む。人だらけだったが自分の位置を失わないようにしながら進んだら正面にコントロールが見えてきた。100%の確信は無かったが番号は合っていた。
13)まっすぐ走るだけ。
G)遠かった。途中でさすがにペースダウン。
  46位 総合81位

ゴールして戻ると田島さんもゴールしている。好調のようだが足が痛いらしい。足を冷やす水を探しつつ出店を覗いて回る。戻ると青木がゴール。以下みんな今日は2時間レースで沈没したようだ。山田は出だしで捻挫してリタイア。あかねさんがJWOCの時の写真を見せに来てくれる。突然ペローラが現れたのでびっくり! 少し話しをする。岩谷さんを探していた。現地のカメラマンとレポータの取材を受けた。日の丸が目だったらしい。魚のムニエルとマッシュポテトの昼食。戻って予約していた洗濯サービスへ。チームリザルトを取って帰る。
山田、おさかがゴールを通ってなくて未帰還となっていたのでECでオーガナイザにつかまる。問題ないことを伝えて解決。今日の夕食はソーセージとビールがメインで30SK/人。

7月24日 3日目
みんな早いスタートなので早起きして6時にキャフェテリアへ。前日から荷物を準備してあったので櫻井、堀江に続いて出発。バスは50分掛からずに10分以上予定より早く到着。木の枝を探してポールを長くして日の丸を立てる。今日はゴールレーンの最前列だ。そのかわりスピーカーがこっちを向いていて放送がやけにうるさい。8時過ぎにラッパが鳴って国旗掲揚。全員が立ちあがって30本以上のマストを見上げる。これだけの国に人が参加しているかと思うと壮観だ。足首が疲労気味なので念入りにテーピングをする。
今日は山田、田島が足の故障でDNSなので11人。前日の良かった部分のイメージを思い浮かべながらアップをしてスタートへ。

ETAPP3
1)左の湿地と右の尾根の具合から左右のずれが分かるはずと読んで直進。手前で上り斜面になったのであれっと思うが間違っていないはずなので地図はチェックせずにそのまま進む。予定の歩測の頃に尾根を横切るが湿地は感じなかったので少し右寄りだと理解し次の塊を左に巻いたら思ったとおりにコントロールへ。
2)池の右のオープンの角から湿地を通ってアタックとプランして進む。岩の斜面をうまく滑り降りて珍しく深い沢へ。オープンに出てからは通りやすいトレールをつないで角まで。左の池は干上がっているようだ。歩測で湿地を感じて岩を見て右を見るがこぶが無い! ?と思いながらショートしたのかと少し先に進む。やはり違うようで少しうろつく。周りのこぶと岩の関係を一つずつチェックし始めたら偶然に見つかった。どこにいたのか今もって分からない。
3)気を取り直してしっかりコンパスを振り直進。ここは地形もコントロールもやさしいので問題なし。
4)湿地の向こうの斜面にがけや岩やこぶがあるのでそれを見つけてどれかを基点にアタックしようと直進。オープンの角をかすめて湿地をどんどん進む。歩測が来ても前方がなかなか高くならない。15歩くらい足らなかったがやっと前方が高くなってきて、少し低いが岩の段差がある。地図にある岩がけの部分だろうとそこからコントロール左のピークに直進。ちょうど思っていたようなピークが横長に現れたのでそこに上がってから右に移動する。が、岩らしきものは無い! 「またかよぉ!」と思いながらうろうろ。
しばらくしてから意を決して北の道路に出てリロケート。切り開きから入ってコントロールへ。さっきもすぐにそばにいたようだがどこにいたのだろう?
5)オープンの角をかすめてピークをチェックして次の塊をみて駆け込む。
6)道路を渡ってからだらだら登りを上がりオープンをチェックして左のこぶに気をとられながらコントロールのこぶへ。
7)給水して小径をたどり曲がりから方向を見てアタック。途中の湿地をチェック。
8)道を回ってやろうかとも考えたが直進。オープンのこぶがあり右を覗くとコントロールがある。喜んで見ると番号が違い岩に付いている。後から見ると右手の部分なのだが赤丸に隠れていてその時はオープンに見えなかった。がけをみて?と思いながら一つ先のオープンまで行ってしまう。そこで気づいて戻る。この辺りは少しぼーっとしていた。
9)ラフオープンに入ってから考えようと進む。オープンに入ってから走りながら景色を見て早めに左斜面を上がる。ちょうど岩こぶのところに出たので、慎重にコンパスを振って尾根を降りる。右の細い尾根を降りてしまったので左へ。
10)歩測でコンタリングすれば大丈夫と進み問題なし。
11)これも考えずにオープンに出て人の流れでラスポへ。
G)今日は橋があるので急いで駆け上がり下りの勢いを利用してダッシュする。

ゴール地点のパソコンにSIを読ませて出ると写真を撮られる。見ると小笠原揚太郎さんだった。しばらく雑談。やがてみんな帰ってくる。今日は程々のレースのようだ。一度宿舎に戻ってから再びECへ。インターネットが使えるという建物へ行って5台しかないパソコンを確保。京女のHPができていたので早速書き込む。コーヒーを飲みに行くと小山さんの奥さんがいてしばらく話す。山田、田島がきたのでまたインターネットのところに行って使う。リザルトをもらって戻る。夕食はフードコートでミックスグリルを買いみんなと芝生で。宿舎に帰ってからアルコールを入れる。

7月25日 オフDAY
Marsta Centrumに行く。マーケットや銀行などが固まっている。100マルクの両替。Fish'n Chipsを食べる。図書館で4時からインターネットを予約。一度戻ってPre-Oへ。初めてだったが1フラグしかないものの意味がよくわからず2問は無駄にした。残りの14問中9問しか正解ではなかった。4時から再びCentrumへ行きインターネット。4時半に次の予約者が来た。宿舎に戻ってピクルス問題を終了。2n?2。ECのフードコートで夕食。KERABにCIDER(4.5%入り)で80SK。芝生で食べていたら15才の少女が櫻井さんに話しかけてきた。かわいい。皆でインターネット。9時になって追い出される。

7月26日 4日目
スタートが1時半と遅いので7時半に起きてゆっくり朝食。11:20にE4のTCへ歩きで移動。30分掛かる。旗を立てるのに手間取っていたら、また穴あけ道具を持っている人が助けてくれた。スタートまで2700mなので1kmまで走ってから次の1kmは歩き最後をまた走った。15分前にダッシュを入れる。

ETAPP4
1)途中のがけに照準を合わせてスタート。手前右のがけも分かり快調。歩測が来て左の塊を回り込むが沢が無い。コンター1本上なのを見て上がるとコントロールが。
2)まっすぐ直進でぴったり。
3)快調に進んでいたら右足のふくらはぎに痛みが走って力が出なくなる。故障だ! そこからはオール歩きで何とか回ってくる。

足を引きずって速報を見に行くがやはりトップは28分台のままだったので90分以内でのチェイシングには残った(後で分かったことだが自分のクラスは120分以内だった)。あかねさんから高橋ひろみに返す荷物を預かる。帰りは足を引きずりながらだったので1時間20分掛かった。廊下に入ったところでまたペローラに出会ったので自分たちの部屋に連れてくる。H21-2に出ていて大半の人と同じコースだったのでルートを教えてもらいみんなで感心する。2.5mの1本の等高線をしっかりチェックしている。食事の準備ができたところに香港のOL協会会長のBELLEさんが来る。来年はJWOCにも選手を送るという。14?18才が中心だそうだ。日本チームの強化合宿の情報などが欲しいと頼まれたので了解する。山内氏がH21Mで7位になりスペシャルゼッケンとなった。OC連は祝杯。

7月27日 5日目
足が痛いので走るのを止める積もりだったがテーピングでぐるぐる巻きにしたら何とか歩けそうなので取り敢えず出られる準備をしてTCまで行くことにする。11時台のスタートの女性3人が早々に出かけて行ったのでそれを追いかけるようにTCへ。EC経由での歩きだったが思ったより近かった。また膝を緩めて歩くと歩きやすいことも分かった。これなら歩いて回れそう。途中ビデオを少し撮る。男子はみんな2時過ぎなので遅い。1人だけ1時台の知念と、青木、久野が早めに到着。日の丸を立てているのであかね、芝、山内らが次々と顔を見せる。1650mだったがゆっくりしか歩けないことを想定して70分前にスタートへ移動。しかし30分くらいで着いてしまう。座っていてもなかなか時間が経たない。すぐに隣のスタート場所に山内がいたので話しをしに行く。今日はH21Mの7位のスペシャルゼッケンなので嬉しそう。すぐ前が20秒程度の差らしく、さらに順位を上げようと意気込んでいた。

レースは全部歩いて回る。1ヶ所いい加減なままアタックして失敗したところ以外は問題なし。ゴールしてからみんなのビデオを撮る。堀江が1番でゴールした。続いて久野、青木が僅差でゴール。どうやらみんなパックだったようだ。やがて全員揃ったのでTEAM KUNOTTI全員の集合写真をそばにいた老夫婦に頼んで撮ってもらう。帰りに長らく使った旗用の棒を捨てる。ECに寄って取り敢えずビール。宿舎に戻ってからリザルトを取りにまたECへ。荷物をまとめる。相当な量になっている。

7月28日
1時くらいまで飲んでいたが知念は6時前にしっかり起きて荷物をまとめて出て行く。8時のフライトだそうだ。次はタンペレへ行く6人がいなくなりだんだん寂しくなる。教室の机といすを元通りに積み上げてごみの処理。洗濯ひもや寝袋を置いていく。食料、飲料も残ったものは処分。床を掃いて終了。他の部屋を覗くとかなりいい加減だが、ここはきれいにしておいた方が気持ち良い。女性たちは仲良くなった2人のおじいさんと別れを惜しんでいる。7:30出発の予定が少し遅くなってしまって10時フライトの山田がきわどくなってくる。最後に入り口のオーガナイザーにRoom Dの全員退出を告げて学校を出る。
重くなった荷物を転がしてMarstaまで行くが、Arlanda行きのバスは出たところ。山田は8:30の便まで待つことになる。知念メモの775のバスを探すが無い。577はあるが1日に3本ということでそのYH行きはあきらめてストックホルムへ行くことにする。電車で40SK。全員爆睡の中を中央駅着。安いホテルを(i)で探してもらう。バス・トイレは廊下だが5人セパレートで200SK/人のところが見つかる。
早速地下鉄で2駅移動してホテルへ。荷物だけを置かせてもらって街へ繰り出す。ランチにスメルゴスボードを食べようということになり中央駅からレストラン、ホテルを探すがどこもやっていない。先に旧市街観光になってしまった。王宮を一回りしてアイスクリームを。衛兵交替ショーを見てから繁華街を歩く。結局スメルゴスボードはガイド本に載っているグランドホテルに夜に行くことにして昼はMACとなった。7時にグランドホテルで待ち合わせとして解散。まず本に乗っていたインターネットカフェに行く。
地下だが50台以上の端末があってかなりの規模だ。45分で40SK。何と新宅の書きこみがありフィンランドへのフェリーに乗り遅れたらしい。いったんホテルに戻る。掃除の済んだ部屋を開けてもらったら2段ベッド2つにベッドが4つあって8人寝られる部屋だ。荷物を全部置いて身軽になりグランドホテルへ。どうせなら念のため夕食の予約をしておいた方がと思って先に行ったのだが、既に夜はテーブルが満席だと断られる。仕方がないので近くのレストランを数軒覗いたがべらぼうに高いか簡単なところしか無い。
仕方が無いのであきらめて時間つぶしを兼ねてボート観光をすることにする。5:30?6:30のチケットを買い、時間までコーヒーショップに寄って久しぶりにカフェラテを飲む。ローヤルカナルボートツァーは良かった。両側の公園のような場所にいる人が手を振ってくれる。英語の案内と手持ちの地図を照らし合わせてしっかり楽しんでしまった。
7時になって集まったみんなにそこのレストランが駄目なことを話し、本に書いてあった別の場所を目指す。良さそうなところは席がなかったりで転々としたがやっと適当なところに落ち着く。最後の夕食はおさか、田島、櫻井、浅井との5人だ。みんなの注文した料理のほかにワインとオードブルのシーフード盛り合わせを取ったらエビ、カニにロブスターまで乗っていてちょっとした豪華なディナーとなった。
宿に帰って荷造りをする。みんなリュックがはちきれそうで苦労している。

7月29日
アーランダ空港までバスで行こうとしたが乗り場にゲートがあって様子がよく分からない。ぎりぎり間に合っていたバスが止まっていたのだが乗れなかった。切符売り場もまだ空いてなくてうろうろしていたら、次のバスが着いてゲートが開きチケットはバスの中で買えた。
空港で別便の浅井と別れ、おさか、田島、櫻井との4人になった。乗るとすぐにモスクワに到着し、あまり印象の良くなかった乗り換え場所で4時間あまり時間をつぶすことになる。お店を片端から見て回って最後のお土産を買う。ランチが食べられるというカードをもらったので、2階の食堂に行くと座っても誰も来ない。待ちきれずに厨房をのぞきに行くと「分かっているから待っていろ」と言わんばかりのおばちゃんがいて、仕方が無いのでまた戻る。やっとそのおばちゃんがカードを見に来て、それから再びかなり待たされてからスープとパンなどがやっと来る。
他のテーブルの客もじれったそうにしていた。食べ終わってそろそろ時間なので行こうとしたら、またそのおばちゃんが出てくる。何かと思ったら終わりではなくてもう一皿持って来たのだ。みんなであきれ果てながらそれでもそれを平らげる。あと2分遅かったら食べずに(そんなのが出てくるとは思わずに)帰っていたところだ。飛行機に乗ったらまた食事が出てきた。その日は何食食べたのだろう? 長い飛行を終えてやっと成田へ。みんなの荷物が全部出てくるのを確認して無事遠征終了となった。新宿までリムジンバスに乗ることにしたのでみんなと別れる。

おわり